あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

湯平温泉 白雲荘にて

2018-10-30 17:17:03 | 

今回で5度目になる白雲荘。

湯平温泉には他にも多くの宿があるので他にも泊まってみたい気持ちもあります。

ですがこの宿が好きなんです。

というより書いている理由はここの宿の素晴らしさを知って欲しいからなのであります。

お薦め理由その4

食事がねぇ…旨いんですよ!

「どう旨いの?」と言われても困るのですが

「それじゃ伝わらないじゃないか」と言われてもその場にいれば

森本レオさんの真似で披露出来るのですが文章にするのは難しいです。

 

夕食時に独り部屋で料理を味わいながら酒を飲んでいると人生の幸せや労働の意義を感じます。

時折この夕食が食べたくなるのです。横浜から遠い九州の温泉宿の食事が。

 

お薦め理由その3

部屋や館内が清潔!

これが当たり前かもしれませんが私の行く宿は得てしてそうでない所が多かったりする(笑)

今回の宿泊でこれは素晴らしい、と思ったのが部屋にある洗面台のコップ。

その手の洗面台にありがちなのがかなり年季の入ったプラスチックのコップが

備わっていたりするが、え?これに口を付けるの?と思う事もしばしば。

しかしそのありがちなコップではなく使い捨ての紙コップが備わっていました。

これなら清潔で安心。

そして羽毛布団のカバーがオサレでセンスが良い。

 

しかも羽毛布団での使い方に推奨される

『羽毛布団の上に毛布乗せ』これが正しい載せ方だと聞いているのですが

実際に見たのは初めてでしたが寒い時期だったのでヌクヌクでした。

そして川の流れる音がまたいいんだな。

 

お薦め理由第その2

部屋からの眺め

「男はつらいよ 30作 花も嵐も寅次郎」で

寅さんとカーネルサンダース、いや渦中の沢田研二さんが出会う宿のモデルとなった

この宿。映画では湯平荘として出てきます。館内は大船のセットですが

窓から寅さんが歩いてくるショットはこの宿から。

先ほどの赤ちょうちんが情緒を盛り上げる。

何しろ小生、映画で寅さんが石畳をあるいて坂を登ってくる場面で

子供の頃から一人旅に憧れたのだから。

 

 

朝ごはん

 

お薦め理由その1

旅館のご夫婦のお人柄

結局、客商売はこれに尽きるのでは?

笑顔で接するが適度な距離を保ってくれる。

このご夫婦の暖かさがいいんです。

 

二泊して帰る時の事。

汽車に乗るため駅へと送ってくれました。

駅から温泉郷までは距離があるので各旅館で自家用車を使い送迎をしてくれるようです。

発車時刻10分程前に到着しクルマから荷物をおろした。

「それじゃ彩雲さん、ありがとうございました。またね~!」

と笑顔で手を振り旅館へと戻って行った。

走り去るクルマを見送りながら次は何年後かな?と考えていると

別の旅館のクルマが止まり客と荷物を降ろしていた。

私よりは若いであろう宿の方は

『本日はご利用いただきまして誠にありがとうございました。またこちらに来られる~』

とっても丁寧でホテルの接客マニュアルに書かれているような言葉をそのお客に掛けていた。

とっても丁寧だが棒読み&無表情で笑顔も無い。。。

『感じるモノ』が何もない接客。

 

改めて白雲荘に出会えて良かったなぁ、と思うのでした。

 私が白雲荘に泊まるようになったきっかけはこちらの過去記事です。

↓ ↓ ↓

大分旅行 16 湯平温泉

つづく

 

 

 

 

 

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9年ぶりの湯平温泉

2018-10-18 11:04:07 | 

今回の旅の目的は何だったのだろう?

寝台特急瀬戸に乗りたかったのだがその先にあったのは

大分県湯平温泉の白雲荘に行きたかった、という事。

時折思い出すこの宿。

前回の投宿から9年も経っていた事に驚いた。

横浜から九州まで走る寝台特急が廃止されてから足が遠のいてしまった。

四国から大分まで行ける船便がある事を知り選んだ旅先は

5回目となる湯平温泉の白雲荘。

1人で来て、甥っ子と来て、仲間と来て今回は初の連泊にした。

駅までご主人に迎えに来てもらい温泉郷の入口を見ると

朱色の提灯が並んでいた。

今までは無かったのでその時は違和感というかやり過ぎな感じがしたが

夕暮れの坂道を見ると

 

そんな思いもすぐに消えてしまった。

情緒、風情、幻想

どこか夢を見ているような感じに囚われるような雰囲気が醸しだされていた。

浴衣姿で歩いていた若いカップルも「ヤバい」とか「スゴイ!」を連発していた。

あいにく小生の電話機では赤い提灯が白っぽくなってしまい

この素晴らしさをうまくお伝え出来ないのが残念でならない。

電気代も提灯の費用も掛かるだろうが素晴らしいアイデアだと思いました。

軽井沢みたいになってしまった湯布院に飽きた方々に訪れて頂きたい湯平温泉郷です。

 

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宇和島運輸ターミナルと別府交通センター【追記】

2018-10-05 22:14:34 | 

 

別府交通センターが見えてきた。

あかつき丸は別府国際観光港に着岸。

船で九州入りするのは初めてだ。タラップを降りて待合室を抜けるのだが…

 

あぁ…

「案内」上のボードをちゃんと撮ってくれば良かった…

新幹線の絵がステキだ…

(という訳で11月10日に再訪したので画像を追加します)

大理石の立派なカウンター。

新幹線どころか飛行機も古臭い(私の世界では誉め言葉)

 

次に進まなくてはならないのだが…

こんなのを見せられてしまうのでなかなか進めません。

瀬戸大橋も当然ありません。

やっと外に出て別府交通センターに向かいます。

 ここにはかつて大分空港へと向かうホーバークラフトの乗り場がありまして

湯平温泉が舞台となった「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」にも出てきます。

同作品より

ちょっと場所はズレているかもしれませんがホーバー廃止となった現在の様子。

1982年公開の「男は~」↑

現在の様子。

ひさしのある部分はホーバー乗り場へ向かう為に作られた名残でしょう。

現在はあまり人もおらずひっそりとしておりどことなく寂しい。

(追記:11月10日の土曜日に訪れたら多くの観光客で賑わっておりました)

かつてホーバーの出札窓口や待合所があった所は広いお土産売り場となっており

往時の痕跡は見つけられませんでした。

空きスペースを利用したありがちな土産売り場かと覗いてみました。

が!

品揃えが多く酒の肴に良さそうな土産物がたくさんあり

すぐにでも買いたくなりましたがまだ初日なので買いませんでした。

しかし、最終日に大分駅にあったお土産売り場ではあまり種類も

購買欲を刺激するものもなくここで買わなかった事を後悔。

別府、大分でお土産を買うならここが良いと思います。

さて建物内を散策してみます。

階段を上がっていきます。エスカーとか無いのか?とお思いでしょうが…

故障中なのか大人の事情なのか…

なんか懐かしいファンタ。ここは団体さんの食堂のようでした。

(11月10日土曜日は団体さんを迎える準備をしていた)

 

ここにはかつて無料の大浴場や休憩所があったそうだ。

(11月10日 探してみました) 休憩室跡?

続いて大浴場 トイレ手前に…それらしい行燈が?

裏には

温泉マークが真っすぐに立ち上っています。

 

なんとも味のある階段でした。

トイレのピクトグラムも良さげです。

交通センターからは別府駅までバスが出ているのでそれを待ちました。

つづく

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宇和島運輸フェリー乗船記

2018-10-03 22:47:55 | 

コンパーノさんより頂いたコメントに触発されて

ボツになった旅行記を書いてみます。

2018年2月

瀬戸号で高松を降り特急電車に乗り目指したのは八幡浜駅。

二月なので雪も降ったり止んだり。

列車を降りて目に付いた「出口」の案内板や

こ線橋に見とれてしまう。

 

 

大分へ行くフェリーボート乗り場までバスに乗り数分で到着。

宇和島運輸フェリーの乗り場は外観からの期待を裏切らないものだった。

待合スペースのイス、床、ドア、ピクトグラム、出札窓口…

 

 

 

 

まだこんな世界があったのか。

出航まで時間があるのでビルヂングを見学すると上階は食堂があるらしい

レストラン喫茶「マリン」

 横のコーヒーカップのサインもステキだ。

エレベーターだって泣かせます。

 

木目調な東芝エレベーターを降りると

 

ショーケースの見本を見て途中の松山駅で駅弁を食べてしまった事を

猛烈に後悔し仕方なくコーヒーだけ注文をする。

ご当地の駅弁よりもここのカレーライスやカツ丼を食べたかった。

普通の昭和な味だと思うがこの建物で食べる事が大事だと思う訳で。

 

東京湾フェリーよりも更に大きな船内に入る。

別府港までやく3時間掛かるそうな。

東京湾フェリーが30分なのだが船内にはくつろげる桟敷席?のような

スペースもあり乗った事がない青函連絡船もこんな感じだったのかな、などと想像。

(あくまでも「感じ」。 年代が違うとかあ~だ、こーだ言わないように)

さて船はしばらくすると豊後水道へと差し掛かるので最上甲板へと上がる。

かつて多くの艦船や徴用船、兵士、(徴用船の)船員が通った水道。

どれだけの方々がこの水道から戦地へと向かったのだろう

水上特攻した戦艦大和、駆逐艦隊もここを通過していったのか…

誰もいない最上甲板で一人手を合わせ合掌。

 

あっという間に三時間は過ぎ別府港へと到着した。

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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