2月6日
大分空港からバスで大分駅に戻り上り特急「富士」を待つ。
今まで何度も東海道を走るブルートレインに乗ってきたが
それも今回が最後だ。
小学生の頃のブルートレインブーム。
数回だが写真を撮りに行ったり見に行ったり。
あの頃はまだ初代ブルートレインの20系客車も走っていた。
(私が走る20系を見たのは3回程しかないが)
日曜日の早朝には兄と兄の友達とで上りのブルートレインを
見に行った。
いまと違いたくさんのブルートレインが当たり前のように走っていた。
父と東京駅まで見に行った富士は最後の西鹿児島行きだった。
最長距離を走るという「富士」が好きだった。
大人になって自由に旅に出る事が出来て何度かお世話になった。
去年は子供(甥)を連れて乗った。
自分なりにいろいろな思い出があった。
それももう最後だ。
16時代の大分はまだ明るかった。
明るい内にブルートレインに乗った事はあまり無いので
新鮮な気持ちになる。
途中駅にて
それにしても車掌さんが読み上げる途中の駅名は
どうしてこんなに味があるのだろう
帰りの車内も満席でした。
【大分旅行 富士の旅 おしまい】
小学生の頃
夢にまで見た「富士」
西鹿児島行きが宮崎止りとなる、とニュースで知った時は
本当に涙したものでした(笑)
最後の西鹿児島駅行きの富士
東京駅で写したが見事にピンボケです
隣には0系新幹線です。
今回のブルートレインだけでは無いけど
時代を駆け抜けたモノが消える時
「最近は乗ってなかったが無くなって残念」
「一度乗りたかった」
という声を聞く。
本当にその気持ちがあるのなら存在するうちに
それを利用してお金を使って下さい。
東海道のブルートレインは無くなったけど
東北行きのブルートレインはまだ走っています。
「一度乗りたかった」と思う方々。
東北方面にご旅行の際は飛行機や新幹線ではなく
夜行列車を利用し存続に貢献して下さい。
(もっとも東海道ブルートレイン廃止は途中区間を受け持つ鉄道会社の事情が大きいのだろうけども・・・)
子供の頃の思い出がまた一つ消えていきました
大分空港からバスで大分駅に戻り上り特急「富士」を待つ。
今まで何度も東海道を走るブルートレインに乗ってきたが
それも今回が最後だ。
小学生の頃のブルートレインブーム。
数回だが写真を撮りに行ったり見に行ったり。
あの頃はまだ初代ブルートレインの20系客車も走っていた。
(私が走る20系を見たのは3回程しかないが)
日曜日の早朝には兄と兄の友達とで上りのブルートレインを
見に行った。
いまと違いたくさんのブルートレインが当たり前のように走っていた。
父と東京駅まで見に行った富士は最後の西鹿児島行きだった。
最長距離を走るという「富士」が好きだった。
大人になって自由に旅に出る事が出来て何度かお世話になった。
去年は子供(甥)を連れて乗った。
自分なりにいろいろな思い出があった。
それももう最後だ。
16時代の大分はまだ明るかった。
明るい内にブルートレインに乗った事はあまり無いので
新鮮な気持ちになる。
途中駅にて
それにしても車掌さんが読み上げる途中の駅名は
どうしてこんなに味があるのだろう
帰りの車内も満席でした。
【大分旅行 富士の旅 おしまい】
小学生の頃
夢にまで見た「富士」
西鹿児島行きが宮崎止りとなる、とニュースで知った時は
本当に涙したものでした(笑)
最後の西鹿児島駅行きの富士
東京駅で写したが見事にピンボケです
隣には0系新幹線です。
今回のブルートレインだけでは無いけど
時代を駆け抜けたモノが消える時
「最近は乗ってなかったが無くなって残念」
「一度乗りたかった」
という声を聞く。
本当にその気持ちがあるのなら存在するうちに
それを利用してお金を使って下さい。
東海道のブルートレインは無くなったけど
東北行きのブルートレインはまだ走っています。
「一度乗りたかった」と思う方々。
東北方面にご旅行の際は飛行機や新幹線ではなく
夜行列車を利用し存続に貢献して下さい。
(もっとも東海道ブルートレイン廃止は途中区間を受け持つ鉄道会社の事情が大きいのだろうけども・・・)
子供の頃の思い出がまた一つ消えていきました