あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

トヨタ救急車FS45V 洗車編

2017-04-27 20:49:08 | (旧車)

2月27日

まにまにカレチさんと「いすみ」に行ってきました。

「いすみに行くならETC割が使えるアクアライン」というまにまにカレチさんに泣きついて

東京湾フェリーにしてもらいました。

私はフェリーボートが大好きなのでわがままな奴です。

 しかしコロナとベレルが同じサイズなの?(コルトがない・・・・・・・・

ちょっと風が強く出航状況が分かりませんが今は掲示している箇所があるので

わざわざスマホを操作して調べなくても大丈夫です。

一番近くはマリンタワーですな。

(スキャナーが使えないので見辛くてスイマセン

 

買い物をしていたらギリギリになってしまいましたがセーフ。

 

友人に画像を見せたら「何これ?初代くりはま丸?」

 

さて2台で目指すいすみ。

途中でダムを見たり上総中野駅で梅を見たり

ファームリゾート鶏卵牧場「レトロぶーぶ館」に到着

http://keiranbokujo.com/company.html

トヨタ救急車FS45V

久々の対面 ホコリもつもりメッキバンパーもくすむ。

頼まれてもいないのにわざわざこれを磨きに来ました(笑)

牧場主さんと救急車のオーナーさんには既に許可を得ております。

ホコリを払いバケツと雑巾で洗車開始

 

私の持ってきた洗車用具やクリーナーよりもまにまにカレチさんのクリーナーの方が重宝しました(汗)

触れられる日が来るとはな~

 

さて、特権で車内を探索させて頂きます。

サイレンや赤色灯のコントロールパネル。

「RSスイッチ」に触れるのは初めてでちょっと感動。

しかし結線されていないのか動かず。

 

無線機格納ボックス

『トヨタ救急車であってクラウンではない』と言いながらも「CROWN」のエンブレムが

 

40系クラウンなメーター

トリップカウンターが無い所は低グレードな商用車故か。

赤いランプはドアの警告灯でしょうか??

 

前回は柵で見られなかったリアビュー 

希少クラウン丸テール!

ブレーキ踏んでみます

 

 

普段は外されているスピーカーやナンバーを付けて・・・

少しはキレイになったかな

 

 

残念ながらこの救急車は走れません。

何故かと言いますと・・・

 

タイロッドが折れています

積載車から降ろす時にトラブルで折れてしまったそうな。

これってクラウンS40系と同じなのかランクル用とかが合うのか分かりません。

本来なら4月30日(日)に国吉駅で行われる「春のいすみ鉄道まつり」で展示したかったのですが

動かせないので残念です。

 「春のいすみ鉄道まつり」は午前9時~午後3時まででボンネットバスの体験乗車も予定されています

詳細はこちら

https://www.facebook.com/events/411100312599711/

いすみ鉄道社長さんのブログにも

http://isumi.rail.shop-pro.jp/

 

 

いすみ鉄道はこんな何気ない風景の中に懐かしい気動車が走るのです。

ここに国鉄色の気動車が走る所を想像してください。

お時間のある方はこんな風景の中で休日を過ごしてしてみませんか?

出店が出て旧車が国吉駅前に数台ですが展示されます。

 いすみ鉄道は楽しいですよ~

 

 

 

 

 

 

コメント (7)
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念願の勝鬨橋渡り初め

2017-04-22 22:27:35 | 60年代

勝鬨橋

その存在を知ったのがいつだったのか何がきっかけだったのか定かではない

真ん中が開いていた橋だというのを知ってはいたが

小川宏さんののなんでもカンでもというクイズ番組で砲金か真鍮で出来たレバーが紹介され

これはかつて勝鬨橋を上げる時に使っていたレバーだという事だった。

そして最後の跳開となったカラー映像が流れ衝撃を受けた。

番組の最後に「もう一度開くようにするには7億円かかる」と言っていたが今ではいくら必要なのだろう。

その後もその橋がそのままで存在する事は船舶用の信号機も残っている事を知りながら訪れる機会はなかった。

唯一旧車イベントがあり終了後に黒塗りの初期型デボネアとコルトで銀座方面に向かう際に

気付いたら渡っていた、というのがあった。

3月16日

とある役者さんとの飲み会があり場所は築地だった。

仕事明けで時間もあったので徒歩で勝鬨橋を渡ってみようと寄り道をする事にした。

ついに来ました!

気になっていた事がありました。

今でも往時の信号機が残っていると聞いていたのですが半信半疑でした。

 

暗くて不鮮明ですがこれが跳開時に使われた信号機のようです。

当時の歩行者用信号のようです!

これをガン見していました(不審者)

大型車が走る橋はけっこう揺れます。

中央に来ました!

隙間から川が見えたりします。ここから開いていたなんて・・・

都電の架線あとが残っていると聞きましたがよく分かりませんでした。

こちらは福島屋旅館の先代が撮られたお写真。以前にお借りしてブログに載せる事の許可はとってあります。

文字は私が後から入れました。

昭和43年4月17日の朝日新聞より

この頃でもあまり開く事はなかったのですね。

1968年の時点でに一回で早朝だけだったとは・・・

こんな事もありました。

こちらは昭和41年5月24日の読売新聞

いつかは勝鬨橋の資料館も行ってみたいです。

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jigyo/road/kanri/gaiyo/kachidoki/

 

念願だった勝鬨橋、ついに訪れる事ができました。

ありがとう松尾さん

コメント (4)
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