あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

「みそのビル」廃墟時代

2010-02-25 15:42:23 | 熱海高原ロープウェイ
前略 
さまひ様

貴兄がお探しの「みそのビル」廃墟時代の新聞記事を発見致しました。




十年以上も放置され、壁などの崩落の危険のある熱海銀座町の
「みそのビル」問題で、県、市は二十日、所有者の太洋エンタープライズ会社
(本社・東京都港区赤坂)を呼び、防災対策を話し合った。

席上、同社側は「一階のみやげ物店などが移転すれば取り壊したい」
との意向を明らかにしたが、この移転問題は、補償などで難航が予想され問題解決の
キイポイントとなっている。

同社では、当面の対策として「ビルの周りに崩落を防止するネットを張り、防災診断も実施する」
と前向きの姿勢を示し、同ビル問題は一歩前進した

同ビルは、熱海温泉の中心街の国道一三五号線沿いにあり、
鉄筋コンクリート建て地下一階、地上八階、延べ約二千百平方メートルの建物。
27年に建設され、ホテルなどに使用されていたが、
四十二、三年ごろホテルが倒産、一階のみやげ物店を除いて
二階以上は使われないまま放置された。

このため、窓や壁は荒れ放題。
国道に壁のタイルが落ちるなど危険な状態になり、県が再三改善勧告していた。
取り壊し費用は約八千万円かかる。
【写真はみそのビル】

昭和54年8月22日 熱海新聞より


-----------------------------------------------------------


私は幼少の頃にドリーム交通のモノレール線跡を見て
それが今日の縁となり貴兄との出会いとなりました。

酒の席で貴兄から
 「幼少の頃、家族で熱海に行くとボロボロのビルがあった。
  ビル内に木が生い茂り気味が悪く
   壁には大正時代のような古い字体で『熱海銀座』と
    書かれていた。
 そのビルは『みそのビル』というらしいという事は分かったが
  いくら検索してもその写真は出てこない」

遠い夏の日に見た幻を語るかのようでした。

普段は冷静な貴兄がその事を語る時は
ほんのちょっと熱くなっているように見えました。

 「幼き日の家族旅行での思い出」

いいですね。
私も同じように楽しい家族旅行でドリームランド線を
見たものですから。
貴兄の思い出に親しみのようなものを感じていました。

そしてお世話になったある出来事のお礼もあり

 なんとかその画像を見せてあげたい・・・

そんな思いで昭和50年代の新聞を捜しました。
ヒントになったのは
同じく同年代の波さんから
「壁などが落下していて熱海新聞でも『どうするんだ』とか書かれていたのを
子供の頃に読んだ」
と情報を得て
DMRさんからは
「火災があったのは鮮明に覚えています。
今から25年位前だと思います」
とコメントを頂きました。

私達の世代で子供の頃。
新聞を読むような頃・・・
25年前?

それだけを手がかりに探したのが今回の記事です。

新聞紙面からなので不鮮明ではありますが
幼少時の光景が再び甦れば
こんなに嬉しい事はありません。

 
 かしこ









この記事によるとビル内部にはホテルがあったようです。
そして地下部分もあったとは初耳でした。

白黒の新聞でも廃墟感が伝わってきます。
右には「レストランみその」らしき字が見えて
窓ガラスが割れているようです。
さまひさんが見た「熱海銀座」の文字はどこになるのでしょうか。
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祖母のような人

2010-02-23 23:30:36 | Weblog
2月23日

私には「祖母みたいな人」がいる。
勝手にそう思っているだけですが。

私が幼稚園児の頃から社会人になっても
お世話になった耳鼻咽喉科の先生だ。

10数年年程前に高齢の為に医院を閉めて
マンションに暮らしていた。

現在94歳で介護付き老人ホームに暮らしている。
お子さんはいない。

マンションに住むようになってから
一年に一度か半年に一度訪れてお見舞いのような事をしている。

少し前までは話しも出来たが
それも今は出来ない。
耳もあまり聞こえていないようだ。

看護婦をしていた方が職員とは別に毎日世話にやって来てくれている。

一度、その方がいない時に突然尋ねていったら
何を話していいか分からずに困った事があった。

そんな事があってから
ちょっと足が遠のいてしまった

ある時に職場で病院や老人ホームを経営されている顔なじみのお医者さんに
どうしたらよいか尋ねてみた

 自分の話しをしているだけでいいんだよ
 相手も尊敬の念を持って接すれば想いも通じるよ

それを聞いて
そうなのか、と想い訪れたが付き添いの方がいてくれたので
前回のような事はなかった

そして今日
付き添いの方に前日から行く事を伝えてあったが
まだいらしてはいなかった

介護スタッフの方がさっき昼食が済んで寝ている、と教えてくれた
起こすのは悪いので帰ろうかと思ったが
せっかくだから逢ってあげて下さいと
先生に声を掛けて起こしてくれた

いつもは付き添いの方が車椅子に移してくれた状態で接していたので
ベッドに寝ている状態を見るのは初めてだった

先生の目が開いてこちらを見る

だいぶ
弱ってしまっているな

私の事
分かるかな・・・
もう・・・分からないかな

目付きが変わった
手を伸ばしてきた

ああ、分かってくれているんだね

手を握ってくる
思ったより強い手だ

 先生こんにちは

何かを訴えるように口が動く

 そうだよタカちゃんだよ

小さい頃から私をそう呼んでいてくれたよね

何度も何度も同じように口が動き
手をしっかりと握っている
嬉しそうな顔だ

そんな時の接し方をアドバイスしてくれた方の言葉を思い出し

 ご無沙汰しています
 今日は会社が休みなんですよ
 先生には・・そうだね小さい頃からお世話になっているよね
 扁桃腺がすぐに腫れたり中耳炎で夜中に診てもらったり・・・

先生は私の目をまっすぐに見ている
もしかすると
耳には届いていないのかもしれない

でもこれでいいのだ

いろいろな事を話していると涙が溢れてきて
鼻水が出て止らなくなってきた

風邪をひいているわけでもなく
悲しい場面じゃないのに

鼻をかみたいが先生が右手をしっかりと握っているので
手を使えない

言葉に詰まるが笑いながら話し掛ける
先週、白浜に行ったこと
兄弟の子供のこと

時おり先生は左手で何度も自身の目をぬぐう
涙は出ていないが
先生も泣いているのかもしれない

私は先生の事を祖母のように想っているが
先生も孫のように想っていてくれているのかもしれない

そうだ
お医者さんを辞めてから暫くして私の留守中、自宅に
  
 タカちゃんいますか、タカちゃんいますか

と電話して来た事があったね
母が言っていたよ

字が書けなくなってしまった時の年賀状も必死に
私に会いたい旨を書いてきてくれたよね

もう聴こえていなくてもいい
こっちから最近あった事とか話しをすればいい
普通に

30分位はそんな状態で話しをしていた時に
付き添いの元看護婦さんがやって来た

それから車椅子に座り
看護婦さんを交えて話すのだが
先生の様子が変わった事に気付いた

さっきみたいに嬉しそうに私の顔を見なくなっているのだ

看護婦さんは気を使って私に話しかけてくれるので
自然、そちらとの話しとなってしまうのが嫌なのか

昔の部下の看護婦さんがいる前では
強がってしまうのか

思い起こせば前もそうだったよね
その時は気にならなかったけど

本当は私と二人で話しをしたかったのかな

そうだったんだよね



 


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熱海 老朽ビル問題

2010-02-22 17:49:12 | 熱海高原ロープウェイ
熱海銀座みそのビル関連の記事を見つけましたので掲載致します。




老朽ビル撤去と糸川の都市公園化


熱商で58年度県要望

観光振興特別対策継続も


熱海商工会議所(山田善久会頭)は14比常議員会を開き58年度の県商工行政施策に対する
要望を次のように行う事にした。

①熱海市中央部にある老朽ビルの撤去について
熱海市中央部にある老朽ビル(銀座みそのビル)は、観光地の美観を損ね
商店街振興の障害となっているばかりでなく、地震対策上極めて危険なビルである。

これを市によって撤去する場合、地震対策特別交付金を交付するなとの助成により
一日も早く撤去できるよう、ご配慮とご指導を願いたい。

熱海新聞 昭和57年10月16日より抜粋


さて、福島屋旅館のご主人WGさんからお父様が撮影された
貴重な画像の中にみそのビルがありました。

福島屋旅館さんのご好意によりここに掲載致します。


真ん中のビルがみそのビル



熱海市役所からの撮影。
画像左手に建設中の建物が富士屋ホテルでしょうか。
撮影年月は不明


拡大


福島屋旅館御主人によると
「それが確かかは分からないが子供の頃は『熱海初のビル』と言われていた」
との事。

屋上に女性の像があった、と聞いて「自由の女神」かと思っていたが
「自由の~」では無いようです。



壁にはかすかに「ホテル」の文字が見えます。

みそのビルにはホテルも入っていたと聞いておりましたが
なんという名称だったのでしょう。

それにしても貴重な画像です。
真ん中に桜みたいなのが咲いているのが糸川でしょうか初川でしょうか?

熱海銀座近く日帰り入浴¥400の福島屋旅館さん 画像提供ありがとうございます。

写真の[福島屋旅館]の文字は私が入れました。
(予告:老朽ビルと呼ばれて朽ち果てた姿をさらす同ビルの新聞記事を見つけました。
近日公開です)


昭和30年頃の地図
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昭和39年の営業車 伊東駅前

2010-02-20 22:18:29 | 60年代
12月13日
天城高原を後にして伊東駅まで下る。

かなりの坂道となりエンジンブレーキを利かせながら下るのだが
エンジンがオイル下がりを起こしている為に
下り終えてからアクセルを踏むとオイルが燃えてマフラーから白煙を吹いてしまう。

 長い坂
  下り終えたら
   2スト化

などと捻ってしまうが後続車には申し訳ありませんでした。
帰りはこの坂道を登るのか、と思うと気が重くなる。
ゆっくり登るなら問題もないのだが後ろの車に迷惑を掛けるのが嫌なのだ。

そんな事を考えていると伊東市内に着いた。

駅周辺はシャッターが下りた商店街ばかりで悲しい。
熱海の比ではない。

伊東駅にコルトで乗り入れるのは7,8年前に
職場の同僚と二人で稲取温泉へ行く途中に立ち寄って以来だ。
(業務連絡:同僚の二児の父、本当にブログ読んでいるのか?) 
  

伊東駅前のロータリーに入り一周し駐車場を探す。

中二の時に両親がコルトを置いて戻って来ると
タクシーの運転手さん達が「懐かしい」と取り巻いていて
母はかなり恥ずかしかったと話していた事を思い出す。


そんな二つの思い出を噛み締めながらバス乗り場を見ると・・・

奥にボンネットバスが見えた!東海自動車の伊豆の踊り子号だ!




私の中では勝手に「定期路線からは退いた」と聞いたような気がしたので
かなり焦った。

まさかこんな所で会えるとは!
昭和39年製の営業車という事が素晴らしい!

コインパーキングに駐車し駆けつける。
おお!このレトロな塗装といい側面のバス窓や下部の白モール。


そして後ろ姿・・・


やっぱり古い車はいいな~♪
苦労してやって来た甲斐があるというものだ。

どうやら定期便ではなく団体みたい。
帰宅後に調べると期間限定で復刻ツアーだったようです。


せっかくだから乗務員さんいお願いして隣にコルトを置かせてもらい
写真を写したりしたいと思ったが
仲間内で却下されました(苦笑)

  嗚呼、ボンネットバスの後ろをコルトで追走したかった・・・

伊東駅周辺を散策すると懐かしいポストがありました。



そして伊東駅といえば・・・

お土産屋の「みその」さんです。



ここが熱海高原ロープウェイで有名なお店です。
熱海銀座のお店は無くなってしまったが伊東駅店は残っているのです。

商店街のアーチが素晴らしい!




電車の架線柱みたいで良いです!

昼食は伊東駅商店街の味菜という中華店で¥777というランチがあり
エビチリ定食を食べたのですがこれが当たりでした。

帰りは下の道も混雑してなさそうなので伊豆スカに戻らず
135号線で熱海に帰り解散。
福島屋旅館で展示中の赤電話を撤収し帰宅しました。


2009夏休み編 おわり
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大いなる登坂 熱海新道

2010-02-18 12:57:18 | 熱海
伊豆スカイラインを走る為に熱海新道を目指す。
今までコルト1100に4人乗車で熱海新道に挑んだ事はない。
あの道を走った事がある方ならお分かりだろうがニューアカオ脇から初代料金所(跡)までの登り坂はかなりキツい。

現行車ならさして問題もないのだろうが開通当時の主流千ccクラスの
ファミリーカーにフル乗車状態であの坂に挑むのは難儀なこと。
360ccの軽四輪ならなおさらだろう。
十数年前にバイアスタイヤを履いていた頃、雨の箱根の急坂でタイヤが滑ってしまい登るのに冷や汗をかいた事がある。
熱海新道が廃れた理由の一つには入り口から料金所までのあの急坂にあったのではないだろうか。

そんな思いで熱海新道に挑む。

大人4人で登れるか?

「無理だったら降りて押しますよ♪」

木炭バスみたいな話しだな…

有料道路の文字を消した跡が残る熱海新道入り口看板を横目に見て
迷惑をかけないよう後ろの後続車を先行させて登坂を開始。
コラムシフトを手前上に入れて

「一速三寸」

コルトに乗るようになった頃、父から教わった言葉だ。

一速は発進にしか使わないので動いたらすぐに二速へシフトアップせよ、と教わった(ロー半転がしとも言う)

普段なら教え通りに二速へチェンジするがこの坂では一速で引っ張る。

うなりをあげるKE44型エンジン

頃合いを見てクラッチを踏み込む

瞬間、速度が落ちる!
普段なら一呼吸置いてからシフトアップだが
急坂ゆえ素早くコラムシフトを手前下の二速に叩き込み
クラッチを繋ぎアクセルペダルを踏む。
右に行くと熱海城と秘宝館左に行くと熱海新道。

せっかく勢いが付いたのに車速を落とすのは残念だが安全確認の為に減速。

止まらずに左に進む。
第一関門通過

道は比較的になだらかになったので三速へシフトアップを試みるもエンジンが息をつく。

スピードメーターを見るとトホホ・・・だ。

殆ど通行する車両がないので問題ないが後ろに一台でもいたら申し訳なくて仕方ない。

そしてもう一つの難所が現れる。
左手にモーテル?
右手に熱海城(上からの)入り口。

ここが一番キツいのではないか?

雨が降りフル乗車で一時停止した際の坂道発進はなど想像しただけで涙が出る。
対抗車もいないので左に侵入

登れるか…?

「ところで彩雲さん、この前…


ちょっと今、話し掛けないで!

心の小さい奴だ(笑)

4人乗車でもコルトは何とか登ってくれた。

ここを過ぎれば後は比較的緩やかな道。

波さんから教わった初代料金所跡を解説したり
ノンビリと走る。

途中でさまひさんが
 
『ガードレールのポールも昔の四角いタイプですね』

とポツリ。

さっそく停車して検証。








そういえば子供の頃に見掛けた古いタイプはこうでした。



熱海新道有料区間短縮時に新設された料金所跡がある
熱海自然郷で停止。

年季の入ったサインボードに見入る。








消された文字は(熱海新道)とか有料道路とか書いてあったと思う(忘れた
「←」の矢印は熱海新道有料区間が短縮された時に追加されたので
比較的新しい事に注意。


伊豆スカイラインは¥200の実験期間なので普段より交通量が多い。

かなりの速度で走っているのでコルトはちょっと迷惑な感じがして
申し訳ない。
それでも制限速度60キロで走っているのだが・・・
(他車は何キロ出ているのだろう)


オートバイの集団はカーブでアウト側から抜かしていったりで
泣きそうになる。

途中の広い直線区間で何度も路肩に寄り先行させる。


冷川峠のスタンド跡にコルトで25年ぶりに乗り入れたりもしたいが
通過。
しかし再びコルトでここまで来るとは思わなかった。


天城高原料金所に到着。



「伊豆スカイライン」の字体も古く料金所ゲートもいい感じです。

天城高原ハーヴェスト周辺はとても静かで人影も殆どありませんでした。


いつかは泊まってみたい静かなホテルでした。
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福島屋旅館と赤電話

2010-02-09 22:31:22 | 熱海
12月11日

残りの夏休みを熱海で過ごす。



福島屋旅館に到着。
おや?今日の福島屋旅館は何か違うぞ?



『んまぁ~
あらやだ、奥さん懐かしい~♪』



『赤電話じゃない、まだ残っていたのね』
と、熱海を訪れた観光客の目に留まれば楽しいだろうなと
かつてお友達のまにまにカレチさんから無償で譲り受けた赤電話と台を
「わざわざ」「頼まれてもないのに」
持っていきました。

高岡から帰った翌日にトランクの余計な荷物を降ろし
部屋から赤電話と台を降ろしていると
「私は何をやっているのだろう・・・」
と何度も自問自答をしていました。

赤電話が全廃されてから15年以上は経つので
30代以上の方にはさぞ懐かしく映るだろう

そんな光景を期待し旅館のご主人に許可を得て
「展示」してみました。

木造旅館と赤電話の組み合わせはよく映えるな、と自己満足していたが
通り掛かる人にとっては
『当たり前過ぎる』ようで見ていく人はあまりおりません。

翌日の二泊目には忘年会でやってきた仲間達ですら
「珍しいとは思うけど・・・
  え?赤電話ってもう全廃されているんですか?」

しょせんこんな程度です





あぁ、私は何のために・・・(苦笑)




 電信電話記念日
  今日から赤電話サービス週間
   第一ビルに三百本目の記念電話

(10月)23日は「電信電話記念日」
熱海公衆電話会(芹沢和雄会長)では、この日を記念して今日20日から
26日までを赤電話サービス向上週間として
”正しい電話の使い方”などPRすることになっている。

現在、市内には300個の赤電話があり、期間中は駅前第一ビル前に
「市外も市内も、ハイどうぞ」
という慢幕を張り81局と82局を混用しないよう、正しくダイヤルをまわそうー
など呼びかける。

なお300個目の記念電話は第一ビル内に決まり
21日記念行事として赤電話贈呈と記念通話を行う。

昭和42年10月20日 熱海新聞より
  (因みに私のコルト1100の誕生年月です)



玄関内に置いてみました。
とても似合うと自己満足(笑)
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急行 能登 乗車記

2010-02-06 00:25:51 | 
12月9日

なぜ下呂から日本海側に抜けたのか。

金沢から上野までをボンネット型の急行列車が走っていると聞いていたからです。
もっとも当初はそれが何型かも知らなかったが古いモノが好きな私にとっては
乗らない手はない。


特急電車の車両だが急行料金で乗られるのも素晴らしい。

発車時間ギリギリで駅に到着する。


駅の構内にはちょっと懐かしい形の案内板もある。




階段を降りているとスピーカーから上野行きの急行列車が入線してくる旨を告げている。

写真を撮るため一番前の車両に乗ろうと待ち構えていた。

が、先頭車両には客用ドアが後ろ側しかないのね(汗

写真を撮る間もなく発車ベルが鳴るので大慌てで後部ドアに向けて走る。
ギリギリで間に合いました(苦笑

デッキのある特急列車に乗る度に思う事がある。

ホームから一歩を踏み出しデッキ内に入った瞬間の安堵感が好きだ。
そしてそれとは別に「もう引き返せない」という後悔のような気持ちになるのである。

ともあれ、予定通りの列車に乗れたので一安心。
車内には他に二人しかいない。
シーズン以外はガラガラだと聞いていた通りだ。









空いていて嬉しい反面このままでは廃止になるのは免れないなと心配になってくる。

車掌さんが検札にやってきた。

検札が終わると
「席の向きを変えておきましょうね」
と言って向かい合わせにして1人でボックスを占有出来るようにしてくれた。

なんて優しい車掌さんだ(売店の件があったので尚更感動)
ここから先は混雑しますか?
と訪ねるとたいして混まないだろうとの事だ。
せっかくなのでラウンジカーを見に行った。
自販機があるがアルコールは置いていない。





こんな事もあろうかと思ってニッカウヰスキーのポケットビンを買って置いた。
ラウンジカーで飲むより列車の座席で飲むほうがいい。

暗い車窓をボンヤリと眺めウイスキーを飲みチョコをかじる。
途中駅から乗ってくる客はいないどころかみんな降りてしまい先頭車両は貸し切り状態となった。

何時だったかは忘れたが車内の灯りが減光された。

夜行列車なんだな

しばらくすると寝てしまったようだ。

目が覚めると列車は駅に止まっていた。
途中駅から乗車したお客さんもいたようで3~4人が眠りについている。

カメラを持ち列車から降りるとホームには駅員さんしかいない

能登号は静かに休んでおられました。




昔の「こだま号」を彷彿とさせるスタイル。



こんな所もステキ
モロに昭和の列車って感じです。






定刻通りに上野駅に到着。
まだ外は薄暗い。




急ぐ事もないのでノンビリと電車を眺めていました。
しばらくするとブルートレイン北陸が入ってきました。

「国鉄」の列車を並んで観られるのも今後はそうないだろう。





それから暫くして3月で能登も北陸も廃止となる旨を知りました。

旅行記終わり
(長かった・・・さて「夏休み」後半日記が控えています


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駅弁売り場にて

2010-02-03 20:34:11 | 
高岡駅の待合室はす向かいにある売店は22時に閉まると聞いたので10分前に行けばいいや。
と思って駅に着くとシャッターが半分閉じている。
先程はそれ程売れているようには思えなかったが売り切れか?(汗

売り切れですか?

「もう閉店です」
時計を見ると21:53

10時閉店ですよね?(さっきそう言ったじゃん)

「…はい」

(まだ時間前だろ!)

温厚な私が(笑)キレそうになったが冷静に

もう一個も残っていないんですか?

と訪ねると

「もう現金閉めてしまいましたから!」

悪びれる事もなく答える

私も前所属で金庫締めを行っていたが締めは閉店後。

今回は立場が逆なのでそれを生かして食い下がろうとしたが
「そんな事をしたら相手がかわいそうだな」
と思ってしまい…

こんな事を思ってしまう自分が嫌になる

店員のおばさんはそんな私を睨み付け、閉店の作業を続けた。

高岡に来て楽しい思いで過ごしていたが一気に冷めた。

(母ちゃんゴメン、ます寿司買えなかったよ・・・)

改札の駅員さんに構内で他に売っている場所を訪ねたが気の毒そうに他には無いと…
今回の旅行は良い事づくめだったが最後に残念というよりも悔しい気持ちだった。
店員のあの態度は無いだろう(涙

しかし今になると嫌な思いをしたが
その分陣太鼓の店長と店員さんや観光協会、フェリー乗り場の人達の優しさが
増幅して感じられる。

以前に私のブログで

『人生っていうのはイイこととイヤなことが合わさって彩っていると思ってます』

以前にコメントを下さったセキトラさんの言葉を思い返しなだめている。

急行列車の時間まで一時間

最後にもう一度
あの場所に行く。

近場だから構内待ちをしているタクシーには悪いので通りに出て流しを拾う。

「高岡映画記念館まで!」

最後にもう一度あの場所立ちたかった。
夜の記念館は静かにそこに立っていた。
公園のベンチに座ったり10分はその場にいた。

人通りもないが今度こそ不審者として通報されかねない。
もう二度とこの姿を見る事はないかもしれない。
寂しくもあるがここに来られた事だけでも良かったな。




そして駅へと足を向けた。

さ~て最後のイベント?だ♪
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8月のクリスマス ロケ地巡り 番外編

2010-02-02 21:19:36 | 映画
本当は急行列車の時間までノンビリ過ごしたいが
おみやげに高岡駅で鱒寿司を買いたいので陣太鼓を後にする。

陣太鼓の中村店長に教えて頂いた米屋さんと立ち小便の場所を訪ねる。

親友の亮二が働く米屋




(丸窓を確認してくるのを忘れました)


陣太鼓を出た二人が立小便をした所





ロケ地マップには載っていない所に行けるとは
思いもよりませんでした。

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炉ばた焼き 陣太鼓

2010-02-01 18:28:40 | 
高岡駅の(北口)改札口脇に鱒寿司の駅弁を売っている売店がある。
(隣にあるコーヒースタンドがいい味出しています)

親に買っていってあげようと思ったのだが
これからまだ行きたい場所があるので駅弁を買うのも荷物になってしまう。
閉店時間を尋ねると10時までだそうだ。
それまでに戻って買えばいいや、と駅を後にする。
目指すは居酒屋「陣太鼓」
「8月のクリスマス」で山崎まさよしさんと親友役の大倉孝二さんが二人で飲む場面に使われる。







映画と変わらない店構えに安心する。




店内の入り一人だと告げると映画で使われたカウンターに案内された。
ど真ん中が空いていたので座ろうとすると
「そこは入り口で風が入るから左の端はどうですか」
と声を掛けられた。

確かにそこの方が一人でも過ごし易い。
「隣に人が来ないようにしておきますね」
なんとお優しい心遣い。
あ、ありがとうございます・

駅の案内所、フェリー乗り場に続き高岡の人達は優しいと下調べした時に評判で聞いていたが…

案内してくれた店員さんに
「映画にちなんだ『まさよしセット』があると聞いたんですが」
と尋ねると内容を説明してくれた。
撮影中に実際に山崎まさよしさんが食したからだそうな。

映画を見て横浜から下呂を経てやって来たと告げると
カウンターにいた店長さんが

「土日しか空いてないから記念館の中を見られなかったでしょう」

そんな私に気の毒と思われたのか写真館のパネルの縮小版や
山崎まさよしさんと大倉孝二さんのサインを見せてくれました。





店内に展示されている鈴木写真館の品々


(これはトイレ付近にあります)

あの映画を知っている者には涙モノ。
これを前に酒を飲ませてくれるとは店長さん泣かせてくれます。
お忙しいにも関わらず他にも記念館グッズをくださったり店内撮影時のエピソードも話してくれました。
「冷蔵庫の音をマイクが拾ってしまうので電源を切って欲しいと言われ困った」
「大倉さんが働く米屋が近くにあるがあの米屋にある丸い窓をスタッフが見て
元は床屋だった鈴木写真館を改装するのに取り入れた」
等・・・
私のように映画を見た人や山崎まさよしさんのファンの方が今も訪れるそうだ。
つい先日も私のように男性が一人で関西からやってきたそうだ。
トイレの前には写真館入り口の銘番?や大型パネル、新聞記事。
店長の中村勝治さんは「越中を自慢する会」という活動をされている。
(お名前を載せる事は承諾済)

「越中を自慢する会」のサイトhttp://www.kitanippon.co.jp/pub/ecchu/


写真館は残念ながら三月末に閉館が決まっている。
私のように遠くから写真館を目当てにやってくる人や
山崎まさよしさんのファンの方々が訪れるこの写真館こそ
何よりの観光資産なのではないのだろうか。
(これは店長さんも同意してくれました)

初めて入った旅先の飲み屋で受けた暖かいもてなしに
この店に来て良かったと深く思う。
帰る際に紙に書いた地図を渡してくれた。

(NPCの下が映画に出てくる立小便の場所)


それは米屋さんと立ち小便をした場所が書かれていた。
さっき途中でいなくなったな、と思ったが裏でこれを書いてくれていたのか…

なんと・・・(涙)

旅先で感じる暖かさは沁みるんですよ中村店長!

ちょっと目頭が熱くなりました。

因みに陣太鼓名物「石焼きイカ」は絶品でした。


お店の場所等はこちらをごらん下さい。
yahooグルメ↓

http://gourmet.yahoo.co.jp/0004208329/

高岡の陣太鼓さん
本当にありがとうございました!
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