前略
さまひ様
貴兄がお探しの「みそのビル」廃墟時代の新聞記事を発見致しました。
十年以上も放置され、壁などの崩落の危険のある熱海銀座町の
「みそのビル」問題で、県、市は二十日、所有者の太洋エンタープライズ会社
(本社・東京都港区赤坂)を呼び、防災対策を話し合った。
席上、同社側は「一階のみやげ物店などが移転すれば取り壊したい」
との意向を明らかにしたが、この移転問題は、補償などで難航が予想され問題解決の
キイポイントとなっている。
同社では、当面の対策として「ビルの周りに崩落を防止するネットを張り、防災診断も実施する」
と前向きの姿勢を示し、同ビル問題は一歩前進した
同ビルは、熱海温泉の中心街の国道一三五号線沿いにあり、
鉄筋コンクリート建て地下一階、地上八階、延べ約二千百平方メートルの建物。
27年に建設され、ホテルなどに使用されていたが、
四十二、三年ごろホテルが倒産、一階のみやげ物店を除いて
二階以上は使われないまま放置された。
このため、窓や壁は荒れ放題。
国道に壁のタイルが落ちるなど危険な状態になり、県が再三改善勧告していた。
取り壊し費用は約八千万円かかる。
【写真はみそのビル】
昭和54年8月22日 熱海新聞より
-----------------------------------------------------------
私は幼少の頃にドリーム交通のモノレール線跡を見て
それが今日の縁となり貴兄との出会いとなりました。
酒の席で貴兄から
「幼少の頃、家族で熱海に行くとボロボロのビルがあった。
ビル内に木が生い茂り気味が悪く
壁には大正時代のような古い字体で『熱海銀座』と
書かれていた。
そのビルは『みそのビル』というらしいという事は分かったが
いくら検索してもその写真は出てこない」
遠い夏の日に見た幻を語るかのようでした。
普段は冷静な貴兄がその事を語る時は
ほんのちょっと熱くなっているように見えました。
「幼き日の家族旅行での思い出」
いいですね。
私も同じように楽しい家族旅行でドリームランド線を
見たものですから。
貴兄の思い出に親しみのようなものを感じていました。
そしてお世話になったある出来事のお礼もあり
なんとかその画像を見せてあげたい・・・
そんな思いで昭和50年代の新聞を捜しました。
ヒントになったのは
同じく同年代の波さんから
「壁などが落下していて熱海新聞でも『どうするんだ』とか書かれていたのを
子供の頃に読んだ」
と情報を得て
DMRさんからは
「火災があったのは鮮明に覚えています。
今から25年位前だと思います」
とコメントを頂きました。
私達の世代で子供の頃。
新聞を読むような頃・・・
25年前?
それだけを手がかりに探したのが今回の記事です。
新聞紙面からなので不鮮明ではありますが
幼少時の光景が再び甦れば
こんなに嬉しい事はありません。
かしこ
この記事によるとビル内部にはホテルがあったようです。
そして地下部分もあったとは初耳でした。
白黒の新聞でも廃墟感が伝わってきます。
右には「レストランみその」らしき字が見えて
窓ガラスが割れているようです。
さまひさんが見た「熱海銀座」の文字はどこになるのでしょうか。
さまひ様
貴兄がお探しの「みそのビル」廃墟時代の新聞記事を発見致しました。
十年以上も放置され、壁などの崩落の危険のある熱海銀座町の
「みそのビル」問題で、県、市は二十日、所有者の太洋エンタープライズ会社
(本社・東京都港区赤坂)を呼び、防災対策を話し合った。
席上、同社側は「一階のみやげ物店などが移転すれば取り壊したい」
との意向を明らかにしたが、この移転問題は、補償などで難航が予想され問題解決の
キイポイントとなっている。
同社では、当面の対策として「ビルの周りに崩落を防止するネットを張り、防災診断も実施する」
と前向きの姿勢を示し、同ビル問題は一歩前進した
同ビルは、熱海温泉の中心街の国道一三五号線沿いにあり、
鉄筋コンクリート建て地下一階、地上八階、延べ約二千百平方メートルの建物。
27年に建設され、ホテルなどに使用されていたが、
四十二、三年ごろホテルが倒産、一階のみやげ物店を除いて
二階以上は使われないまま放置された。
このため、窓や壁は荒れ放題。
国道に壁のタイルが落ちるなど危険な状態になり、県が再三改善勧告していた。
取り壊し費用は約八千万円かかる。
【写真はみそのビル】
昭和54年8月22日 熱海新聞より
-----------------------------------------------------------
私は幼少の頃にドリーム交通のモノレール線跡を見て
それが今日の縁となり貴兄との出会いとなりました。
酒の席で貴兄から
「幼少の頃、家族で熱海に行くとボロボロのビルがあった。
ビル内に木が生い茂り気味が悪く
壁には大正時代のような古い字体で『熱海銀座』と
書かれていた。
そのビルは『みそのビル』というらしいという事は分かったが
いくら検索してもその写真は出てこない」
遠い夏の日に見た幻を語るかのようでした。
普段は冷静な貴兄がその事を語る時は
ほんのちょっと熱くなっているように見えました。
「幼き日の家族旅行での思い出」
いいですね。
私も同じように楽しい家族旅行でドリームランド線を
見たものですから。
貴兄の思い出に親しみのようなものを感じていました。
そしてお世話になったある出来事のお礼もあり
なんとかその画像を見せてあげたい・・・
そんな思いで昭和50年代の新聞を捜しました。
ヒントになったのは
同じく同年代の波さんから
「壁などが落下していて熱海新聞でも『どうするんだ』とか書かれていたのを
子供の頃に読んだ」
と情報を得て
DMRさんからは
「火災があったのは鮮明に覚えています。
今から25年位前だと思います」
とコメントを頂きました。
私達の世代で子供の頃。
新聞を読むような頃・・・
25年前?
それだけを手がかりに探したのが今回の記事です。
新聞紙面からなので不鮮明ではありますが
幼少時の光景が再び甦れば
こんなに嬉しい事はありません。
かしこ
この記事によるとビル内部にはホテルがあったようです。
そして地下部分もあったとは初耳でした。
白黒の新聞でも廃墟感が伝わってきます。
右には「レストランみその」らしき字が見えて
窓ガラスが割れているようです。
さまひさんが見た「熱海銀座」の文字はどこになるのでしょうか。