あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

姫路モノレール 5

2012-08-13 21:00:40 | モノレール

2台の電車のうち一両は車内に入る事ができます。

 いかにも開通式っぽい70年代な装飾が上に見えますが

「さよなら運転時」のものを複製したようです。

 

リベット留めの車体。

当時モノの塗装に感激です。

 乗り込んでみます。 

 座席は赤と緑があったそうです。

解体されたのは緑の座席だったそうですが希望者にこのイスを売ってくれればよいものを・・・

それにしても奥に見える「喫茶」の配色やフォントがステキ 

 内部では往時のカラー映像を流しています。

 

 

 ドリーム交通モノレールと違って動画が比較的多く残されているのが羨ましい。

 

 運転席だよ

 上の「10」「30」「60」というのは速度指示かな?

 

これはファンデリアですかね?

 

ダイヤモンドのようなランプが良いです。

 

もう一台の車内は立ち入れませんが昔の家族のマネキンが置いてます。

こういうお父さんも見なくなりましたな。

 

 

 

これは展示パネルにあった閉鎖時代の駅構内

 

 そして今。

モノレール電車は隣の車庫に保管してあったそうな。

 長年見たかった姫路モノレール。

本当に見られる日が来るとは思いませんでした。

この施設がいつまでも残されるよう願っております。

皆さんも姫路を訪れる事がありましたら60年代に花咲いたモノレールブーム?を

感じてください。(なんと入場無料!)

 とりあえず姫路のモノレール編は終了。

コメント (6)
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姫路モノレール 4

2012-07-08 00:38:58 | モノレール

手柄山駅構内にあったもの。

閉鎖されていた時にインターネットで僅かに公開されていた画像で残っている事は

知っておりましたがこれもキレイに復元されていました。

展示パネルにあった以前の画像↓

駅の柱はタイル張りだったんですね。 

 

 壁は現代的にされていました。

ちょっとキレイにし過ぎなのが私的には残念(普通の人にはキレイにこした事はない)

 

デザインもイカしていますね、スピーカー。

 新品のようにレストア?されています。 

 しかしイイ色使いです!

 

 須磨浦山上遊園の看板!

ここはいいですよ~!

http://www.sumaura-yuen.jp/

「須磨浦カーレーターが開通しました」ですって♪

 あのカーレーターだよ、カーレーター!!

  未来の乗り物のカーレ・・・(略)

 

2007年に旅出て訪れましたがこの旅は「諸事情」でブログに書く気力を全く失っていました(笑)

今となって画像を見返すと掲載しなかった事が残念。

ロープウエイに乗って、カーレーター、そしてシングルリフト。

姫路モノレールの話しから脱線しますが

この「須磨浦ロープウエイ」の須磨浦遊園がどんなに素晴らしい地なのかちょっと載せてみましょう。

 2007年の画像ですが須磨浦ロープウエイの階段

残念ながら搬器は新型に代えられているのですが駅舎内は古臭くステキ(誉めているのよ)

ロープウエイを降りると

カーレーターのりば

 

これがカーレーターだよ!

もう日本でカーレーターに乗る、という事が出来るのはここしかないでしょう。

補修部品や整備にも苦労されているのでは?

 

リフトもこんな感じです。

これはリフトなのかな?・・・・レストランにあったけど。

紹介しきれないほどの施設ばかりです。

今回は訪れなかったけどここもいつもの仲間で再訪したい場所です。

 

さて、話しは戻って姫路モノレール手柄山駅です。 

お母さ~ん!

 

当時の広告が残されているのですが劣化が激しくて複製とのことです。

 

今みたいにペットボトルもない時代に多くの人の乾いたノドを潤したであろう水飲み場。 

 

当然使用出来ませんが「当時のモノ」として展示しているのだから嬉しい。

 

60年代には「未来の交通」として期待された全国のモノレールが紹介されていました。

西の姫路に東のドリーム?

と謳われた?地元のドリームランドモノレールもしっかりと紹介されています。 

 田谷の付近でしょうか。遠く離れた姫路でこの写真を見るとは(涙)

これまた幻の・・

 よみうりランドモノレール!

カラー画像はあまり見た事がないので新鮮です。

そういえば映画「ヘアピンサーカス」の中でこの車内から撮影したのでは?

と思っている場面があるのですが・・・また脱線してしまうんでいずれまた!

 

つづく 

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姫路モノレール 3 ベレット1300?

2012-07-06 19:58:15 | モノレール

『手柄山~、手柄山終点です』

姫路モノレールに乗って手柄山駅に到着しました。

 というような感じでしょうか?

かつては入れなかったホームですが整備されてモノレール電車を見る事ができます。

すぐにでも車内に入りたいと思うのが人常ですがまずは落着いて展示内容を見学。

壁には開通当時の様子が紹介されています。

あぁ昭和41年・・・体験してはいないけど憧れの60年代を感じます。

 

当時の観光パンフ

昭和レトロ好きにはたまらない展示です。

 

絵葉書

できればこれを復刻してお土産で販売してもらいたい。

 

姫路博覧会開催中のアルバムには・・・

あきひーさんのと同型でしょうか?ベレットセダン!1300?1500?

GTよりもセダンが好きな私には嬉しい画像。

やっぱりベレットはセダン!いいスタイルです♪

 

博覧会場を再現したジオラマにはモノレールが動いていました。

 

見え辛いでしょうが休止に至った経緯を知らせる当時の広報誌。

 つづく

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姫路モノレール 1

2012-06-24 00:18:43 | モノレール

姫路モノレールという存在を知ったのは小学生の時に図書館でモノレールドリームランド線を調べていた時の事だ。
同じく短命に終わってしまい(ドリーム交通はまだ休止中だったが)
廃止されたと知り親近感のような物を覚えたがなにしろ姫路という遠い地の事なので掘り下げて調べる事もなかった。
そんな私が訪れる事になったきっかけはコルト1100だった。

2003年5月
当時左前輪のブレーキホイールシリンダーを探していたのだが
お世話になっている部品屋さんから
「この前行った姫路の部品屋さんにあったかも、あるかもしれない」
と言う不確かな言葉を聞いて翌日の夜行バスに飛び乗っていた。
その顛末を書くと長くなるので割愛するが姫路と聞いた時に浮かんだのはあの姫路モノレールだった。
部品屋さんの場所を地図で調べると何の因果か姫路モノレールのすぐ近く。
まさか訪れる機会が来るとは。
帰りに探索してみようともう一つの楽しみとしていた。
夜行バスで大阪に行き電車に乗り換え一時間で姫路に着き廃線となったモノレール軌道を横目で見ながら部品屋さんを目指した。

部品屋さんの用は済みいよいよ軌道探索。
初めての場所ゆえ土地勘もないのだがモノレール軌道に沿って歩けば自然と終点までたどり着く。

大将軍駅はビルの中にあって未来都市のようだった。

この頃はビル内のビジネスホテルも営業をしていた。


モノレール電車が走って来る事はないコンクリートの廃軌道は形こそ違えど地元のドリームランド線と同じだ。

遠い地なのに前に来た事があるような気持ちになった。

ドリームランド線があった戸塚の原宿付近みたいだ

終点の手柄山駅に着くも地下に眠るモノレール電車は入口が塞がれて見る事が出来ない。


恐らくはそのモノレール電車を目にする事などないだろう。
いつか時が来て処分されていく。
それでももし願いが叶うのなら何らかの形で公開して欲しい…
そしてまた数年後に訪れるが状況は変わらなかった。
ネットでは車庫内の画像が出回ったりホームの広告類も当時のまま現存している事を知った。

しかしその後、地元のテレビ局が駅舎内部を取材したりその存在がにわかに注目をされ始めた。
姫路市が展示公開を行い昭和41年当時のホームを再現するというのだ。

つづく


 

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東京モノレールで事故

2010-03-10 21:45:44 | モノレール
モノレールのトンネル内、はねられ?男性死亡(読売新聞) - goo ニュース

9日午後6時45分頃、東京都大田区羽田空港1の東京モノレール羽田線「昭和島―整備場」駅間のトンネル内に人が倒れているのを浜松町発羽田空港第2ビル行きのモノレールの運転士が発見した。

 警視庁東京空港署幹部によると、倒れていたのは60歳前後とみられる男性で、病院に搬送されたがまもなく死亡した。

 同社などによると、同日午後6時25分頃に現場付近を通過した別の車両の運転士が「異音があった」などと話しているといい、同署で男性が軌道上ではねられたとみて調べている。東京モノレールによると、この事故の影響で、同線は約1時間45分にわたり、上下線で運転を見合わせた。同線での人身事故は、ワンマン運転が始まった2002年9月以降、2例目という。

yomiuri online より
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このニュースで思い出すのが以前にも取り上げたこの事故。
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/a9b013b45b0857f1055629eb03a04021



41年5月20日読売新聞より

>>同線での人身事故は、ワンマン運転が始まった2002年9月以降、2例目という。

さすがに40年以上前の事故は記録から消えているようです。





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モノレール ドリームランド線 7

2008-08-21 18:11:53 | モノレール
駅を目の当たりした時の思いは忘れない。
  前回に載せた写真
  ぽんぽん蒸気さんのコメントに書きましたが
  あのように遠くから写したのは
  「初めて見た時の様子」を残しておきたかったから。

今にして思うと自分の力で夢を叶える為に何かをしたというのは
その時が初めてだったのではないか。

都市に廃墟となった鉄道の駅舎がある。
それもモノレールという特殊なものだ。
子供ながらに不思議に感じた。

長年見たかった大船駅がそこにある。
すぐにでも駆けつけたいはずなのに
暫くの間川の対岸から錆び付いた駅舎を眺めていた。

もしかして大船駅にもモノレール電車が残っているのでは?
 
と期待していたがそこから見えたホームには
「大船」と書かれた駅名板だけだった。



ついに来たんだなぁ

念願が叶って暫くの間駅に見とれていた。

こんなふうになってたんだ・・・

そして対岸に渡るべく先にある橋へと向かう。
大船駅前の狭い道を抜ける。
狭い割に自動車もそこそこ通るので子供の私には怖かった。
それに来園者は国鉄(当時)大船駅からの乗り換えになるのにかなり離れた場所になるんだな、と思った。




モノレール大船駅が再び見えてきた。
鉄道の駅があるというのにどこか裏寂しい。


何時頃だったのか思い出せない

まだ夕暮れには時間があった。

赤錆びた駅舎には確かに
モノレール大船駅
と記されていた。

大船駅のモノレールといえば駅の反対側にある湘南モノレールなのだが
人々から忘れさられたようにもう一つのモノレール大船駅がある。

まるで別の次元に来てしまったかのようだ。

駅の前は貸し駐車場
隣にはアパートや一戸建て。

自転車を停めて駅に近づく。





入れるか、と思っていた入口は板で塞がれて脇の入口は錆びたシャッターが降りている。

7、8段の階段を上がりかつて切符の販売所だったと思われる窓口に近づく。

目張りされている一部が壊されており頭を入れる。

中を覗くとかなり荒れていた。

そして左側の駅への入口は所々の隙間から内部が伺えた。

まず目に飛び込んだのはオレンジ色の売店だった。その上には白地に赤と緑の丸い点と字で〇〇アイスクリームと看板があった。
残念ながら25年も前の記憶なのでここが詳しく思い出せない。
売店といっても小さなものでスタンド形式だったと思う。

改札周辺にはオレンジ色をした「ロッテチウインガム」の自動販売機があった。
金額は20円。
記憶に残っているものではペプシコーラのベンチ。その当時でも珍しかったので覚えている。
改札を抜けると階段がありその先は別れているようだがそれ以上は見えない。

なんとか駅構内に入れないかと考えた。
板張りの右下に小さな扉があったが南京錠が掛かり入れない。
侵入するとなると先の切符売り場だろう。
しかし、入る所を人に見られて警察を呼ばれたらオシマイだ。

駅の周囲を巡ってみる

錆だらけの鉄骨があるだけで特に発見はなかった。
それでも何度も駅の周りをグルグルと回った。



(↑これはニュース映像から)

どの位その駅舎にいたのだろう
もう覚えていない

初めての一人旅はとても楽しかった事だけは覚えている

つづく
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俺たちの旅 6 犬山モノレール

2008-08-15 23:34:58 | モノレール
本来の目的地は廃止が決まっている名鉄犬山モノレールに乗る事でした。



国内現存最古のモノレールで羽田空港と浜松町を結ぶ東京モノレールの手本となったものです。
今から7年前に乗った事があり雰囲気がドリームランド線に似ていると思ったものだ。


2001年 駅の様子




2008年では昭和臭漂いそうな和食処 名鉄犬山レストランが閉店し
物悲しさが漂っていました。

それにしても私のコルトやドリームランド線よりも古いのに
今までよく残っていたと思う。


駅を発車したモノレールは木々の生い茂る林の中を突き進む。

↑この区間はドリームランド線のあの区間に似ている



(↑ドリーランド線の某区間)

今も走っていればこんな感じだったのかと想像しながら走る。

一往復したら今度は沿線から走る姿を見に行く。
さまひさんがお勧めのスポットがあるというので付いて行くとそこはドリームランド線の「ウイトリッヒの森」に似ていた。
(感じ方は人それぞれですが・・・)

森から出てくる犬山モノレールに想像でしか知らないドリームランド線の姿を重ねた


つづく
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モノレール ドリームランド線 6

2008-07-28 18:08:23 | モノレール
私の行く手を阻むものが現れた。

川沿いの歩道で改修工事が行われており
通行禁止の表示と迂回路に廻るよう案内板が出ていた。

柏尾側には多くの工場が立ち並ぶ。
案内板はその巨大工場を迂回するようにとあるのだが
かなりの距離を廻らなければならない。

呆然としながらしばらく考えたが仕方が無い。
迂回路を廻る事にした。

とにかく暑い日だった。
迂回した距離もかなりのものでその途中にも工事が行われていたり
「引き返そうか?」とも思った。

なんとか迂回し川沿いの道に戻った。

「今はどの辺なのだろうか?あとどれ位だろうか?」

様々な不安が襲ってくる。

舗装されていない道を走っていると自転車に乗ったOLのお姉さん達と進む方向が
一緒になった。

シスコンな私はドキドキでした。
でも声なんか掛けられる訳もなく
そんな気持ちを見透かされてか目が合うと微笑んでくれたりしました。

映画「鉄塔武蔵野線」で小学生の伊藤淳史さんと内山眞人さんが冒険の途中
二人組みの女の子(双子?)と逢う場面があります。


声を掛けようか迷うのですが結局は声も掛けられず。

あの場面を見ると甘酸っぱい思い出が甦ります。

お姉さん達は途中の道で曲がってしまい再び一人で自転車を漕ぎます。

なんと工場の敷地があるらしく川沿いに進めず再び迂回。
今回は迂回の道順が無いので難儀した。

「本当にたどり着けるのか?」

陽も落ち始めた頃だった。

赤錆びて朱色に見えるモノレール軌道が見えてきた。
今度こそ橋や水道橋ではない。

紛れも無くモノレールだ。

自転車の速度を上げるとついにそれは姿を現した。


↑写真はそれから2年後に撮影したものです。

つづく

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その大船駅ではこんな事もありました。
農地法違反に続き二度目の工事中止勧告。






4月27日の新聞広告

先の広告では4月29日開通と記されていたのに「近日開通予定」と
なっている。
開通の認可が遅れた理由って何だったのでしょう?



開通を報じる5月4日の新聞

毎日暑いですね。鉄塔武蔵野線のDVDをもう一度見ようかな。

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この私が・・・

2008-07-19 22:02:57 | モノレール
昨日、ついに買ってしまいました。

suica

電子マネーに抵抗がある訳ではないんですが
パスモやスイカは「お金を使っている」という感覚なマヒしそうなので
私には向かないかな、と思っていました。

でもあったら便利かなとも思っていたのですが
東京モノレールのスイカはオレンジ色(黄色)と聞いて
欲しくなってしまいました。

緑の通常版とは違うモノレール仕様?というのがいいですし
私はオレンジ色が好きなのです。

カードに誇らしげに書かれた 「モノレール」

の字も購買欲をそそられます(笑
オレンジがとても鮮やかです。

でも羽田空港や浜松町に行かないと買えないのです。
そこに行く用事もないので買えませんでした。

昨日、麻布十番に飲みに行く事となりその時に遠回りをして
浜松町駅に行ってきました。

昭和39年開業の東京モノレール。
駅ビルに開通時の面影を残すものは無いかと見てみましたが
一階の階段位しかそれらしいものはありませんでした。

いつかゆっくりと見学したいものです。


それにしても私がスイカを持つなんてな~。
当分使う事はないでしょうが
うまく改札口を通過出来るか心配です
(先日、スイカを改札機に投入して詰まらせている方を見ました)
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モノレール ドリームランド線 5

2008-07-17 23:24:21 | モノレール
別に親から「大船まで行ってはいけない」
と言われていた訳ではない。
それでも帰宅して『自転車で大船まで行った』
なんて言ったら怒られる事はわかっている。

今でも「図書館から向こう」へ走り始めた時の不安と
『念願のモノレール大船駅』に行けると思った気持ちは忘れない。

地図も無いが川沿いに沿って行けば自然と大船駅に着くのだから
心配ない、と自分に言い聞かせる。

もしもお巡りさんと遭遇し尋問されたらどうしよう。
(その頃は何故か私だけではなく周囲の友人も地元で自転車に乗っていると「盗難車ではないか?」と警察官に尋問されていたのだ。)
住所を言って
「なんでこんな離れた所にいるの?」と自宅に連絡されたらとか
考えてしまう。

しかしすれ違う誰も私に気も留めない。

 駅舎はどんな姿で残っているのだろう?
 もしかしたら車両が留置されているのでは?
 駅までどの位の時間が掛かるのだろう?

 駅舎の中には入れるのだろう?
そんな事を考えながらペダルをこいだ。

途中に川を跨ぐ橋でもないレールのような物が見えた。

あれか!以外と近かったな♪

しかしそれは水道管のようだった。


『川沿いに行けば着く』

しかし世の中はそんなに甘いものではない、という事を思い知るのであった。

つづく

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建設を急いだのか、かなり強引な工事を行ったようです。





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俺たちの旅 2 東山動物園モノレール

2008-07-06 10:28:23 | モノレール
続いて向かった先は名古屋の東山動物園。

みんなで動物園へ行きました♪

目的はゾウさんでもキリンさんでもなく
東山モノレールです。


大船から江ノ島までを結ぶ湘南モノレールの元祖です。




モノレールにはおおざっぱに分けて二種類あり羽田の東京モノレールや
ドリーム交通の跨座式。
湘南モノレールや千葉モノレールのようなぶら下がって走る懸垂式があります。
東山動植物園のそれは三菱サフェージュ式の実験線でした。
湘南モノレール初代車両が300型という中途半端な数字から始まったのはフランスのサフェージュや東山モノレールから数えるからという話しを聞いた事があります。

60年代に第三の鉄道として脚光を浴びた当時のモノレールを私は
クラシックモノレールと密かに呼んでいるのですが今回の訪問でそれらを全て見る事が出来ました。
到着時間が閉園間近だった事とあいにくの豪雨で園外からの対面となってしまいました。





遠い地に保存されている同モノレールを目にする機会はなかなかありませんでしたが仲間のお陰で念願がかないました。

園内の植物園駅舎だった所に保存されていますが
ホーム上も非公開となっています。

しかし全国の保存車輌の荒廃を見ると今後も非公開であって欲しいです。




営業時の写真ですが座席には三菱のマークが誇らしげに?付いています。今はどうなっているのでしょう?



それにしても当日はもの凄い雨でした。

次は今夜のお宿へ向かいます。

つづく

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さてこれから(7月6日)一人旅に出かけます。
ガソリン高騰で走る機会が減ったコルトと一泊旅行です。

またまたあの場所なんですけどね(笑
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モノレール ドリームランド線 4

2008-07-04 21:40:25 | モノレール
学年が上がるに連れ自転車による行動範囲が広くなると図書館に行くのにもバスではなく自転車で行くようになっていった。
それでも小学5年生の私にはそこが親の許す最大行動圏だった。

当時、戸塚図書館の入口に戸塚区の長さ2メートル位の航空写真と地図が貼られていた。
もちろん探してしまうのはドリーム交通のモノレール。
横浜ドリームランドと大船駅の間には延々とモノレールの軌道が写っていた。
大船駅にはハッキリと駅舎が見えてドリームランド駅も見えた。

行ってみたい
それでも自宅から大船駅へは遙かに遠く思え地図を眺めるだけだった。

そんな小学5年生の夏の日の事。
いつものように図書館に入る前に入り口で地図を見ていたら柏尾川に沿って行けば自然と大船駅にたどり着ける事に改めて気付いた。


(日地出版 横浜/川崎 昭和59年発行より)

どれ位の時間が掛かるのかは分からないが…
事故にでもあったら、とかかなり悩んだ。もちろん親には内緒だった。
それでも大船駅に行く事を決めたのには「夏休みの勢い」があったのだろう。

図書館を出ると川に向かう。
帰る為には左へ曲がる道を初めて右へハンドルを切った。
セミの鳴く夏の暑い日だった。

             つづく


↓昭和41年1月 建設経過を報じる当時の新聞 
田谷の辺りでしょうか?


最後の行「(小雀信号所)将来はここに途中駅を作る」
が興味深い。
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モノレール ドリームランド線 3

2008-07-01 00:01:17 | モノレール
今まで図書館というと学校の図書室か近所で廃バスを利用した小さなものしか知らなかったが
兄が連れて行ってくれたのは家からバスで40分位離れた場所にある横浜市戸塚図書館という大きな図書館だった。

そこには自動車、零式戦、鉄道等の本がたくさんありパラダイスでした。

当然ドリームランド線の資料を探すと記念切符の本があり
初めてモノレールの車輌の姿を知った。

(開通記念切符)
第一印象は「変な形してたんだなぁ」
だった。


解説には「昭和41年5月2日開通。認可が遅れて夕方からの開業となった」
と書いてあった。

他には鉄道誌に大船駅とモノレールを写した現役時代の写真が一枚あったり
郷土資料で下の記述があった位。



『今はその走る姿を見ることはできない』
か・・・。

この頃になると父が話していた
「一度も走らずにそのまま」ではなくて
 
    昭和41年5月2日 開業

    昭和42年9月24日 休止

一年半の間は営業運転をしていた事が判り嬉しかった。

↓当初の開通予定はGWが始まる4月29日を目指していたようだ



つづく

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モノレール ドリームランド線 2

2008-06-30 00:10:42 | モノレール
ちょっと間が空いてしまいましたが再開します。

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それからしばらくした時の事だった。
親の用事がありめったに乗らない東海道線を利用し大船駅に近づいた時。
進行方向右側に赤錆びた駅舎が見えてきた。


(写真は更に後年の姿だが初めて見た時は所々に白いペンキの跡も残っていたように思える)

あっ!…

そうか、これがあのモノレールの駅舎なんだ。
想像していた姿より立派な駅舎に思えたが短い停車時間によりその姿はあっという間に去っていった。
ホームに上がる外階段が印象に残っている。

いつか…
いつかあのモノレールの駅に行って細部をゆっくり見たい。そして可能ならば中に入りたい。

しかし、その場所は小学校低学年の私にはあまりにも遠かった。
それでも夢で駅に入ったりする夢を何度も見るようになった。

兄から戸塚図書館の存在を教わったのはそれから1,2年後の事だった。

                     つづく


最近ネットオークションで国鉄時代の古いビデオを発見しました。

東海道線を特別急行列車踊り子号の運転席からビデオカメラで写した作品です。


なんとベータ!
国鉄時代なのでひょっとしたら大船駅場内進行時に
ドリームランド線のモノレール駅舎が見られるかも??

と買ってみましたが・・・・




どこにあるか判ります?
右の方で・・・




わずかにレールと橋脚が見えるだけでした(苦笑
運転席なんだから当然でした

でも面白いので買ってよかったです。

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モノレール ドリームランド線 1

2008-06-17 23:35:58 | モノレール
【はじめに】

当ブログでは長年秘めてきたドリーム交通のモノレールへの想い。
不定期ですが始めます。

本当はもっと早くブログに書こうと思っておりました。
それでも簡単に扱う事が出来なくて長い時間が経ってしまいました。

もう無くなってしまった横浜ドリームランドのモノレール。
小学生の頃からそのモノレールが復活する夢を何度も見てきました。
大人になった今。
軌道は撤去され存在しなくなっても
時おり夢の中であのモノレールを見る事があります。
廃墟のままだったり走行していたり・・・

この連載?が終わるのはいつになるか
短く終わるのか長く引き伸ばすのか
はたまた途中で終わるのか

どうか見守ってやってください。

---------------------------------------------------------

それが何歳の時で小学何年生だったのか正確には覚えていない。
それでもその出会いが私の人生にこれほどまで影響を及ばすとは思いもしなかった。
たぶん箱根か熱海の保養所に行く時で小学2,3年生だったのだろう。

(↑撮影場所は違いますがこんな年齢の頃)

父が勤める会社の保養所に家族で行くのが楽しみだった。

不思議なのが「その出会い」を体験する前までも頻繁に箱根や熱海に行っていたのに何故気付かなかったのかという事。
たぶんその時だけ本来とは違う道を走っていたのだろう。
そうだ、書いてて思い出したがそこは渋滞で有名な場所。
関東にお住まいの方ならラジオの交通情報で「国道一号、原宿交差点で何キロ渋滞」と耳にした事があると思う。
その「名所」を越えると道はスムーズに流れるのだ。
普段その道は「名所」を避ける為に通らなかったのだろう。

コルト1100の後部座席で両側から兄弟に挟まれ真ん中に座っていた。


両親が座る前席ベンチシートの間からよじ登るように前を見ていた私に青い『高速道路』が見えてきた。
こんな所に高速道路なんてあったの?
不思議に思った私はすかさずコルトを運転する父に
「あれ高速道路?」と尋ねると
『あれはモノレール(笑)もう使われていない』



詳しい説明は忘れたが「横浜ドリームランドと大船駅を結ぶ予定だったモノレールで開通前に車両が重くて走れない事が分かりそのまま」
と聞かされた。

幼稚園児の頃から「廃車置き場」や「廃墟」が好きだった。それが鉄道の廃線でモノレールともなると興味を示さない訳がない。
もっともその頃にモノレールという鉄道に乗った事はないが祖父の墓参りで東京へ行く際横羽線から東京モノレールを見ていた。


羽田の飛行場付近でコルトの中から走るモノレールに遭遇すると喜んだものだ。

一国のモノレールのレールの先がどうなっているのかを見ると住宅街を抜けるように敷かれているようだったが何しろ一瞬の事だ。

あの一瞬が全ての始まりだった。

『もう使われてない』
父が何気なく発したこの言葉に火を点けられてしまった感じがする。

レールがあるなら両端の駅舎や車両はどうなっているのだろう?
気になって仕方がなかった。
「帰りもまたこの道を通るの?」
と、しきりに訊ねて帰りも一国を通ってくれた。
翌朝も『通るんだよね?』と念押しした(笑)

帰り道は約束通りに原宿を目指してくれた。

「もうそろそろだよ(笑)」

父の言葉にドキドキしながらレール下を通過するのを待つ。

見えてきたモノレール軌道をよく見ると「→大船」と薄く記入されていた。
上の写真はそれから約5年後に撮影したもので錆が出ている。
でも初めて見た時はまだキレイだったと思う。

家に帰り地図を開き件のモノレールを探すと
そのモノレールはドリームランド線とか大船モノレールと名前が付いており(運休中)(休止中)と名前の後に付いていた。
『もう使われていない』筈なのに復活の可能性を秘めている事の不思議。
悲しいかな、地図で場所を見ても実際に「探検」に行ける訳もない低学年時。
まだ見ぬ駅舎やレールを想像するだけだった。


つづく


↓写真は開通前のドリームランド線と国道一号線(開通記念パンフより)
昭和41年


昭和39年1月13日
横浜ドリームランド建設計画発表




松尾社長のコメントを見ると「将来は隣接地に野球場」とあるのがなんとも皮肉?


↓イラストの拡大図


国道一号線を跨ぐ箇所が実際とは違い横浜寄りとなっている点が同線の運命を変えた?
もっとも略図だと言われればそれまでですが(笑)



コメント (10)
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