あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

熱海旅行その1 あのマークⅡを狙え!

2008-04-29 22:09:43 | 熱海
いつものメンバーでの熱海行きですが数えてみると10ヶ月ぶりだった。
今回は初島を訪れてみようという事で普段より早めの集合。
09時45分 安全体操さん、てっちんさんの待つ平塚駅に遅れて到着
11時08分の電車で熱海駅に到着するさまひさんと合流すべく熱海駅へ急ぐ
が、早く着いたので思い出の保養所に行った。


金網が張られ入り口にはベニヤ板。
悲しかった(涙

気を取り直して熱海駅に向かう。

観光地の駅に着いたら自然とちょっと古いタクシーを探してしまう。
(仕事柄タクシーに接しているから、というのは同僚への言い訳)

3年前は小型のタクシーにコロナが残っていたが2年程前から見かけなくなった。
それでもマークⅡタクシーは残っていたのに一台もいなかった…
クルーとクラウンばかり。

さまひさんを迎えて4人で船が出る港へ向かいます。
大人4人でコルトに乗り熱海の街を走る。

「昭和42年・・・ なんとか月賦で夢のマイカーを買ったので会社の同僚と開通したばかりの熱海ビーチラインを走り温泉地にやってきたサラリーマン」

というような気分です(彩雲妄想劇場)

定宿「福島屋旅館」を過ぎ熱海銀座を通り港へ向かう。
数台前にマークⅡタクシーを発見!
頼むから我々の行く港へ向かってくれと願いながら走ると幸いにも港へ入って行く。
ここまで来ればマークⅡは制したも同然。
車内から降車中の姿を抑えた。


見るとバンパーに多くの擦り傷があり車体の色も輝きを失っている。
退役する日も近いのだろう。
この型のマークⅡは教習車としても存在し舘ひろしさんの映画「免許がない」でも出てきます。
因みに私の教習車はこのシリーズの兄弟車クレスタでした。
解りやすい例えだと「刑事貴族」に出てくる代官署の覆面パトに使われている車。
とても運転し易い車だった。

話しは逸れたが港の市営駐車場はあろうことか満車!
ならばみんなを降ろして福島屋に置いて来ようと引き返したらなんと先程のマークⅡタクシーが客待ちをしてなさる。

本来は車を停めて撮影してよいかを伺ってから、となるのだが
時間も無かったので・・・・



熱海の町からマークⅡタクシーが消える日もそう遠くないのだろう。

そして昨日、仕事場に80系マークⅡセダンがやってきた。
お泊りのお客様を迎えに来た方の車で預からなくてもいい鍵を預かり
それほど邪魔ではなかったのだけどタクシーの乗降に妨げる(かな)と判断し
数メートルだけ動かす事にした。

イスの調整ダイアルやインパネに教習所時代を思い出し懐かしかった。

役得です♪

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氷川丸 内覧会 その3

2008-04-24 01:08:29 | ヨコハマ
25日からの公開に行かれる方は
「以前のパンフレット」をお持ちでしたら持って行かれた方が良いです。
『前は何があったっけ?』とかが分かって楽しいと思います。




ずいぶんスッキリして「船」らしさが戻ったようです。

有料の双眼鏡も撤去されています。

参考:前はこんなのがありました。
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/21ec06413af69228b336c95ad600108e

とても残念ですが今回から船首も船尾デッキも出られなくなってしまいました。
船首甲板の色も灰色に代わっています。改装前が緑だったのは
船体が緑と白に塗られていた時の名残だったのでしょうか?


「もう動く事はない船」ですが生きているんだな、と感動したのが
操舵室にある風向・風速計

改装前



改装後

針が動いていました
前のは動いていたか記憶していませんが説明板によると
巡検時や台風等の荒天時に計測しているとの事。


そして・・・・
衝撃を受けたのが
「ビアガーデンはもう営業しない」
との事です。




後部デッキは立ち入り禁止でコースからも外れています。
いろいろな事情があるのでしょう。

でも氷川丸のビアガーデンは
「夏のヨコハマの風物詩」と思っています。

夕暮れ時からあのデッキで潮風にあたりながら飲む
ビールは感動がありました。
ヨコハマに住んでいて良かった、とすら思えるビアガーデンでした。

なんとか再考を願いたいものです

氷川丸は25日に公開されます。
今後も氷川丸がいつまでも残される事を心から願い
「内覧会シリーズ」を終わりと致します。


おまけ



これは私が小学6年か中学生1年の頃に写した氷川丸。
この写真を透明下敷きの間に入れて学校に通いました(笑

小学生の頃から氷川丸とヨコハマが好きでした。
まだ船体が緑に塗られています。

こちらは中学3年か高校1年頃に撮影したもの。

露出とか全く考えずに「夜景」に挑戦し見事に失敗。
それでも「青」に変わった船体と桟橋の船舶信号旗の電飾が懐かしく
載せてみました。








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氷川丸 内覧会 その2

2008-04-23 12:42:08 | ヨコハマ
長い年月と風雪に痛んでいた甲板は表面を削ったようです。


板の隙間にはコーキング剤のようなものを入れてあった。


それでも腐食の激しい箇所は上から新たに板を貼り付けてある。
ここはビアガーデンのお客さんがトイレへと向かうデッキで
もっとも多くの人が歩いた場所だから損傷も激しかったのではと、
勝手に推測します。



戦前の船なので木を多く使っている。
維持や補修に大変な苦労があるのだろう。

改修前


改修後





機関室にあった「嵐の中を進む氷川丸」の再現映像は無かった。
船員達の緊迫感溢れる声が好きだったので残念。
会社が変わってしまったので仕方が無い。

それでも係留展示開始時からではと思われる説明板等に
昔の名残を見る事が出来る。


10行でつづる氷川丸の思い出コーナー

今回の内覧会に来れたのは「10行で~」に応募したからでした。
壁には貼られていないものの下にあるファイルに私の作文?も
入ってました。 「3」?


過去のブログに書いた氷川丸の事で
「舵」の謎がありました。

http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/350c9881b8d47118cbff4b4cd353d336
かつて行われていた「キャプテンツアー」で伺っても
舵の有無が分かりませんでした。



お陰で長年の謎が解けました。
やっぱり水面下には舵がありません。


そして
今回最も行きたいようで行きたくなかった場所・・・



あの窓のある所から後ろに見える夜景が好きでね・・・
半年経っても未だに引きずっている「ある思い出」の場所です



こちらが改修後
今後もここに来る度に思い出すのだろう

だけどこれも私の氷川丸での大切な思い出

氷川丸は同じような多くの人の思い出を載せているのでしょう 


つづく

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氷川丸 内覧会 その1

2008-04-22 01:43:36 | ヨコハマ


4月19日 

25日から一般公開前される日本郵船氷川丸の内覧会が行われたので行ってきました。

招待券は4名まで入場が出来るのですが私は安全体操さんの二人なので
入り口で「誰か入りたい人」がいないかを探していると
私の両親と同じ位のご夫婦がガードマンから『今日は招待状が無いと~』と
断られているのを見つけた。

『宜しければご一緒に入りませんか?』と引き返すお二人に声を掛ける。
(内心は怪しい勧誘か何かの類に間違えられないか不安だったが・・・)

「ではお言葉に甘えて・・・」と快諾してもらい入場ハガキを提示して4名で
受付を通る。

私は船体の補修箇所等も見たいのでご夫妻には先に進んでもらう。




案内板も代わっていたり救命艇の懸架?が変わっているのを二人で眺める。
さていよいよ船内へ!

今までとは入り口が代わっていた。以前はビアガーデン時の入り口となっていた所だ。

げっ!ここでも「受付」があって名前と招待ハガキを求められる。
先ほどのご夫妻は無事に通過出来たのだろうか?
ハガキを提示し「え~と先に二名が入っていると思うのですが・・」
とホテルの受付スタッフのような女性係員に伺うと問題なく入れたようで
安心した。



新しいエントランスロビーはかつてホール?となっていた所だ。
夏のビアガーデン時、雨天の場合に使用していた所です。

豪華だな~
しかしカーテンの向こうは・・・




ちょっと悲しい・・・
もう入れない箇所なんですな


一等食堂


野暮ったさが無くなり戦前の豪華貨客船といった感じです。
テーブルの上には当時の食事が再現されていました。


こちらは改装前です。
シャンデリアが残されているか確認するのを忘れました。

ここで見つけた面白いもの・・・




英文をご覧下さい(笑
もちろん公開時に向けて正式な物を製作中なのだと思いますが・・・


屋外デッキ


ここのデッキチェアに座りノンビリするのが好きでしたが
なんと禁煙になっていました!

今回から全箇所禁煙となったようです。


ステキな紳士がタバコを吸っていたのも過去のモノとなってしまいました。

つづく
(本当は熱海日記を書こうとしていたのですが氷川丸を先にアップしました)




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新しい名所 熱海 その4 最終回

2008-04-18 17:46:23 | 熱海高原ロープウェイ
絵葉書には熱海サボテン公園のドーム内の写真もあった・



特に面白くもないので掲載しようか迷ったがサボテン公園内部を見て
懐かしく思う方もおられるかもしれないと思い掲載しました。


服装に時代を感じます。

熱海の夜景

夜景は良いけど何でサボテン公園の絵葉書に含まれているの?
と思ったがよく見ると左上に・・・



夜のサボテン公園がライトアップされていた。
その上に見える明かりが山ノ上駅舎なのだろう。

「熱海100万ドルの夜景」にはサボテン公園のドームも含まれていた時代が確かにあったんですね。
キレイだったんだろうな

この写真で注目して戴きたいのが熱海ビーチラインの熱海側出口。


見た事の無いゲートみたいなものが見えます。
その右側には形こそ現在と異なるけれども今もある給油所が。


最後に搬器の写真を載せて終わりとします。


熱海高原ロープウェイの搬器は「世界最大」の大きさだったという。
熱海からあの玄岳に行くだけのものなのにその大きさは必要無かったのでは
と、言われますが高度経済成長時代といわれるあの時代

「大きいことは良いことだ」

という考えもあったのかも。

【終わり】





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新しい名所 熱海 その3 氷ヶ池と山の上駅

2008-04-14 23:13:26 | 熱海高原ロープウェイ
そういえば未だに訪れた事がないのが玄岳にある氷ヶ池



話しによると貸しボートがあったとの事だ。
管理小屋のようなものが見えます。



「熱海サボテン公園より熱海市街を望む景」
とあります。ソテツの看板?がステキ!




「熱海高原ロープウェイ玄岳駅から熱海市街の一部と相模湾を望む景
左上が真鶴の岬」

よ~く見ると搬器の中に飾りのモールみたいなものが見えますので
開通間もない頃なのかもしれません。

たてもの園でお会いした波さんから搬器の中には「つり革」があった、との
情報を頂きました。
満員を見越したのでしょうか・・・?
波さんのご両親は搭乗経験がおありだそうです

で、この写真で分かるのが熱海側「上の山駅」の場所。

三年前の駅舎跡探索時にテニスコート跡と化していたのは紹介済みですが
かなり斜面側にあった事が判ります。



白く見える駅舎の左にあるのは現在もある送電線の鉄塔か?

更に拡大してみると・・・


なんにも分かりません

これはその三年前に玄岳駅から撮影。


山の上駅はかなりの木々に覆われています。

(3年前の探索結果はこちら↓)
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/26fc71bc09316e1517241775d8590880

手前の木が無い所は鉄塔があった所だと思います。

この熱海高原ロープウェイを仲間と調べる事で今に至る熱海旅行やバンコク旅行が
始まったのです。

あれから三年か~

つづく(次回、涙の最終回)
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新しい名所 熱海 その2 玄岳駅舎とその周辺

2008-04-10 23:29:30 | 熱海高原ロープウェイ
今回からはその内容です。絵葉書は10枚ありました。

玄岳駅舎の内部を見ると万国旗が見えます。
開通間もない頃かもしれません。



この頃は路線バスの停留所もあったようですがこのバスは貸切でしょうか?
バスは東海バスでしょうか?

手前の車ですがまにまにカレチさんからマツダB360だと教えてもらいました。
このアングルだけで分かるとはさすがオーナーです!

伊豆スカイライン

う~ん、60年代の観光道路という感じが伝わってきます♪
左に氷ヶ池が見えます。
同じアングルで現在の姿を撮ってみたいものです。

駅舎には


ロープウェイの搬器が見えます。
子供の頃に(ドライブイン時代)訪れているのですが裏手にあるトイレに行く時も搬器を見た記憶がありません。
廃止後も暫くは搬器があったという事ですがいつ撤去されたのだろう?
もし子供の頃に「廃止後に放置されたロープウェイ搬器」を見ていたらモノレールドリームランド線のように衝撃を受けていた事でしょう。



このバスもイイですね~。私はボンネットバスよりもリアエンジンの古いバスが好きです(ボンネットバスも好きですが)



サインボードの表記も時代を感じます♪

つづく

(土日にコルトで熱海へ行ってきます♪)
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新しい名所 熱海 その1 熱海高原ロープウェイ

2008-04-09 23:05:45 | 熱海高原ロープウェイ
前に福島屋旅館のご主人からその存在を知らされた熱海高原ロープウェイ、熱海サボテン公園の絵葉書を入手しましたのでその内容を紹介致します。

絵葉書ケース


その裏
略図となっています。


西熱海ホテルの文字も見えます(涙

『すばらしい展望 熱海高原へ上りましょう』
ですって


右下に44.4.6とあるのは年号でしょうか?



おお!「みその」とはこのロープウェイを作られたお土産屋さんじゃないですか。



玄岳駅はドライブインというより「食堂」と紹介されていたのですね。




熱海側の駅「上の山駅」の駅舎写真は残されていないので
どんな姿だったのか分かりませんが丸かったようですね。

ジャングル食堂というのもあったそうです。

つづく
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ハミルトンGMT オレンジ色のニクイやつ

2008-04-06 21:50:44 | Weblog
HAMILTON GMT AIR RACE H77665973



2年前の事。横浜マルイの時計コーナーで見掛けました。
一目でヤラれました。

これ欲しい!

普段、時計に一目ぼれなんてしないのに。

衝動買いしたい気持ちを抑え当然諦めましたが
それ以来「いつかは買いたいな」と思ってきました。

調べてみるとベルトがゴムで出来ているのが比較的安いが
ゴムはどうも・・・

レザーベルトだと普通の皮とワニの皮があって値段が違う。
せっかく買うのだから高い方がいい。
(ワニと普通のレザーで何が違うのか分かりませんが)

調べれば調べるほど欲しくなってきました。

 「オレンジのハミルトンGMTを腕に巻きコルトの4速コラムシフトを操るワシ」

妄想する日々を送る(笑)

欲しい気持ちは高まるばかり

そして・・・ついに手に入れました(涙



長かった!いや本当に長かった!!

念願の時計がついに・・・


↑  ↑
10日以上前の事でした。
あまりにも勿体なくて未だに箱から出せません。

腕に巻くなんてとんでもないです!!

いつになったら使えるのでしょう?
夏になったら汗をかくから皮のベルトは使えないし
(だからゴムベルトがあるんですね)

箱を開けて眺める日々が当分続きます(苦笑)




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4月になって

2008-04-03 21:50:19 | Weblog
朝のNHKニュース「おはよう日本」の首藤奈知子アナウンサーが
週末の土曜日に異動となってお見掛けする機会が
減ってしまいました。

私は特にアナウンサー好きという訳ではないが
首藤さんは好きでした。
いい歳した私が何ですが清楚というかカワイらしいというか(苦笑)

異動と聞いて残念でしたが考えてみれば毎朝のニュース担当だと
生活リズムもズレてしまうから長くは出来ない。

聞いた話しだと夜の20時に寝て2時に起きていたとか。

松尾アナウンサーとのコンビがとても良かったのに
松尾さんも地方局に異動。

春はお別れの季節でもあるんだな、と実感。

土曜日の「おはよう日本」を録画しようかと考えています(笑)
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某保養所

2008-04-02 16:18:16 | 熱海
今でこそ年に数回熱海で遊んでいるがつい最近まで
熱海というと駅の裏側にある山を登った所にある「保養所」しか
知らなかった。

夏の旅行は箱根の保養所が多く次に熱海の保養所を常に利用していた。
子供の頃から保養所特有の静かさが好きだった。

初めて「旅館」というものに泊まったのは
18歳になり家族で金沢に行った時だった。

食事というと食堂で食べる物、と思っていたのが
部屋に持ってきてくれる事に驚いた。
それから「旅館」やホテルに泊まる機会も増えたが
私には「父の会社の保養所」が落ち着くしくつろげた。

大人になった今でも時おり訪れていた熱海の保養所が
先日廃止となりました。

熱海高原ロープウェイ探索を機に訪れるようになった熱海。
定宿?だった安全体操さんの会社の保養所が昨年廃止となり
西熱海ホテルも消えて幼少の頃の思い出がつまった父の保養所も消えた。

時の流れとはいえ寂しいものです。

せめて福島屋旅館だけはいつまでも残って欲しい。

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