私が幼稚園生の頃
父が
「都電のツーマンが無くなるので乗りに行こう」
と家族を都電荒川線に連れて行ってくれた。
公園に置いてある「動かない市電」しか知らない私は
初めて「ちんちん電車」に乗れる事がたまらなく嬉しかった。
なんで知ったのか忘れたが(たぶんテレビニュース)
都電には新しいワンマンと赤い帯のツーマンがある事は知っていた。
父は8ミリカメラ、兄と私はテープレコーダーを持って
電車停留所に着くとちょうど「赤い(帯の)電車」が来た。
車内は「木造」で暗い印象を受けた。
その赤帯の都電が30年ぶりに荒川線に帰ってきた。
江戸東京たてもの園に保存されている7514とは
微妙に違う黄色い車体を見た時に上記の思い出が甦った。
昭和53年の廃車後に個人保存されていたそうだ。
あの時に家族で乗った時そのものの姿。
救援車として残っていた6152は更新を受け改修もされているので
初めて見た時に「懐かしい匂い」がしなかった。
(それでも復活は嬉しかったしいつまでも残って欲しかった)
車体は30年前のものにしてはキレイな状態でした。
窓に残る広告類や薄い黄色の車体に
「懐かしいなぁ」
と30年前の事を思い出ししばらくシャッターを押せなかった。
6152の金太郎塗装より都電といえば黄色に赤帯だと思う。
比較用?に乗せた6152の画像は数年前のイベントで撮りました。
その時が初の鉄道撮影イベントとなったのですが
車体に子供が近付いた際にお孫さんがいそうなお年寄りが
その子に怒鳴り散らすのを見たり
車輌の停止位置が背景に電柱が入るので動かせ!
と偉そうに職員の方に怒鳴るのを見て
嫌な気持ちになり
それ以来行く事はありませんでした。
そもそも私は鉄道が好きというより
「古い物が好きだ」という位です。
そんなトラウマもあり今回のイベントもどうか、と迷ったのですが
5、60年代の街を走った旧型都電が帰ってくるというので
行く事にしました。
(前日、興奮してなかなか眠れませんでした【笑】)
しかし今回はそのような事も無く楽しく過ごせました。
私が気にいったのがこれ
昭和40年代の車内広告
そして帰ってきた都電の窓に貼ってあった当事モノ?
この絵、なんか懐かしいです(涙)
内部は非公開でしたが・・・
70年代ですな~
さて今回30年ぶりに古巣の荒川車庫に帰ってきたのは
震災で亡くなられた岸由一郎様のご尽力によるものだそうです。
搬出から搬入までの経緯がパネルにて紹介されておりました。
岸様がいなければこの都電は今年中でスクラップになる所だったそうです。
(30年ぶりにトラバーサーに載る姿。パネルより)
今回のイベントの晴れ姿、見たかった事でしょう・・・
無念だったでしょう・・・
面識はありませんがご冥福をお祈りすると共に
6086号を戻してくださった事を心から感謝致します。
イベントを仕切っておられた方に聞いてみると
モーターも付いたままだがこのまま通電させると何が起こるか
分からないのでビューゲルは上げているが電気が来ないようにしているとの事
なので出し入れは人力です。
車輪が回って線路上を走るだけで感動です(涙)
イベントが終わって「思い出広場」にある7504号を見に行きました。
かつての姿
飛鳥山の併用軌道で見つけた
「軌道内通行可」の標識。
モデルはブルーバードP312でしょうか?
(参考画像)
その飛鳥山公園に保存されている都電6080号
王子駅前を発車した都電
もしも6086号が本線復帰したら私はコルトで待ち構えます。
(邪魔にならないように)
やはり都電といえば真ん中でしょう。
たとえ走らなくてもいい、いつまでもこのままで残って下さい。
岸由一郎様、交通局の方々ありがとうございました。
父が
「都電のツーマンが無くなるので乗りに行こう」
と家族を都電荒川線に連れて行ってくれた。
公園に置いてある「動かない市電」しか知らない私は
初めて「ちんちん電車」に乗れる事がたまらなく嬉しかった。
なんで知ったのか忘れたが(たぶんテレビニュース)
都電には新しいワンマンと赤い帯のツーマンがある事は知っていた。
父は8ミリカメラ、兄と私はテープレコーダーを持って
電車停留所に着くとちょうど「赤い(帯の)電車」が来た。
車内は「木造」で暗い印象を受けた。
その赤帯の都電が30年ぶりに荒川線に帰ってきた。
江戸東京たてもの園に保存されている7514とは
微妙に違う黄色い車体を見た時に上記の思い出が甦った。
昭和53年の廃車後に個人保存されていたそうだ。
あの時に家族で乗った時そのものの姿。
救援車として残っていた6152は更新を受け改修もされているので
初めて見た時に「懐かしい匂い」がしなかった。
(それでも復活は嬉しかったしいつまでも残って欲しかった)
車体は30年前のものにしてはキレイな状態でした。
窓に残る広告類や薄い黄色の車体に
「懐かしいなぁ」
と30年前の事を思い出ししばらくシャッターを押せなかった。
6152の金太郎塗装より都電といえば黄色に赤帯だと思う。
比較用?に乗せた6152の画像は数年前のイベントで撮りました。
その時が初の鉄道撮影イベントとなったのですが
車体に子供が近付いた際にお孫さんがいそうなお年寄りが
その子に怒鳴り散らすのを見たり
車輌の停止位置が背景に電柱が入るので動かせ!
と偉そうに職員の方に怒鳴るのを見て
嫌な気持ちになり
それ以来行く事はありませんでした。
そもそも私は鉄道が好きというより
「古い物が好きだ」という位です。
そんなトラウマもあり今回のイベントもどうか、と迷ったのですが
5、60年代の街を走った旧型都電が帰ってくるというので
行く事にしました。
(前日、興奮してなかなか眠れませんでした【笑】)
しかし今回はそのような事も無く楽しく過ごせました。
私が気にいったのがこれ
昭和40年代の車内広告
そして帰ってきた都電の窓に貼ってあった当事モノ?
この絵、なんか懐かしいです(涙)
内部は非公開でしたが・・・
70年代ですな~
さて今回30年ぶりに古巣の荒川車庫に帰ってきたのは
震災で亡くなられた岸由一郎様のご尽力によるものだそうです。
搬出から搬入までの経緯がパネルにて紹介されておりました。
岸様がいなければこの都電は今年中でスクラップになる所だったそうです。
(30年ぶりにトラバーサーに載る姿。パネルより)
今回のイベントの晴れ姿、見たかった事でしょう・・・
無念だったでしょう・・・
面識はありませんがご冥福をお祈りすると共に
6086号を戻してくださった事を心から感謝致します。
イベントを仕切っておられた方に聞いてみると
モーターも付いたままだがこのまま通電させると何が起こるか
分からないのでビューゲルは上げているが電気が来ないようにしているとの事
なので出し入れは人力です。
車輪が回って線路上を走るだけで感動です(涙)
イベントが終わって「思い出広場」にある7504号を見に行きました。
かつての姿
飛鳥山の併用軌道で見つけた
「軌道内通行可」の標識。
モデルはブルーバードP312でしょうか?
(参考画像)
その飛鳥山公園に保存されている都電6080号
王子駅前を発車した都電
もしも6086号が本線復帰したら私はコルトで待ち構えます。
(邪魔にならないように)
やはり都電といえば真ん中でしょう。
たとえ走らなくてもいい、いつまでもこのままで残って下さい。
岸由一郎様、交通局の方々ありがとうございました。