未だに去年の旅行の続きを書いておりますが
年は明けて2007年 本年も宜しくお願いいたします。
11月26日 新大阪のホテルを朝05:45に出て新幹線に乗る為駅に向かった。
ここまで日記を書いていて周囲から
「なんで大分に行くのにわざわざ大阪へ行ったの?」
と聞かれる。
もちろん新世界での食事が目当てだったが大阪で一番の目的はこれです
60年代高度成長時代の象徴とも言うべき
0系新幹線
(上の画像は試作車B編成。一灯故の目つきの悪さがステキ
わざわざ試作車の画像を貼ったりしているから書くのが遅れるんだよなぁ・・・
)
それに乗る為でした。
東海道新幹線からはとっくの昔に引退しておられますが山陽新幹線では本数は少ないものの「特急こだま号」として健在です。
数年前、姫路へ行った時に走る0系を見て以来乗る機会を探しておりました。
バンコク行きが無くなった今回こそそのチャンス!
と、0系乗車を企ておりました。
しかし、そこからが大変で私には何時の「こだま」に乗れば0系が来るか分りません。
少し前なら『時刻表を見て全席2列のこだまを探せば良い』
と言われておりましたが調べると0系は更に本数が減ったうえに
100系でも『全席2列』があるらしい、との情報を得ました。
「『15分新大阪始発のこだまは0系』だと聞いていたら100系だった」
と情報も錯綜。友達に聞いたりしましたが結果判らず。
いいや、前夜のうちに新大阪駅に行って駅員さんに聞いてみよう♪
と軽く考えていたが実際に駅行って尋ねてみるも
「ここでは判りませんので」
と、更に別の所にもその場で電話問い合わせしてくれましたが
「う~ん、やっぱり判りません」でした。
でもJR西日本の駅員さんありがとうでした(涙)
こうなったら始発の06:12から0系が来るまで待とう、と決意し駅の階段を上がったら銀色の屋根の新幹線が・・・
先頭車に行ってみると・・・
「まるいヒカリのボンネット♪」と歌われた
念願の0系じゃないですかぁ~
あぁ、生きている0系(涙)
私が0系新幹線に乗ったのは中学三年の修学旅行の時でした。
その後も新幹線に乗る機会はわずかにあったが「0系に乗った」事は覚えていません。
接する機会があったのは
青梅鉄道公園や
神田の交通博物館(前頭部のみ)
大阪の交通科学博物館
だけでした。
博物館に収まっている初代新幹線が生きて動いている!
普通の人にはただの新幹線かもしれないが私には感動ものなのだ!
どうやらR62編成と呼ばれる車体らしい。
先頭の1号車の一番前の席に座る。
ここに座ると運転席から「チン!」と速度指示?信号の音が聞こえてくるからだ。
運転席と客席デッキにある「窓」を覗いてみると
昨日見たばかりの運転席が少し見えた
↓(交通科学博物館、保存車の運転席)
運転席に座ると『青木君、倉持だ』と声が聞こえてくるようだ(判る方だけ分って下さい)
新大阪06:12発 こだま629号は定時出発した。
車体から伝わってくる微かな振動、流れる車窓、走行音
0系が走っている・・・
感無量だった
ようやく落ち着いて車内を見ると始発という事もあって車内はガラガラ
普通車なのに2列でユッタリとした席
↓青梅鉄道公園にある初期型新幹線車内
目を閉じると
「犯人が死んだ~、犯人が死んだぞ~!!」
と、おせっかいな声が太鼓の音と一緒に聞こえてくるようだ(判る人だけ《以下略》)
デッキにはオリジナル塗装時代の写真が!
プレートを見ると昭和59年製造と書いてあった。
昭和39年の車体で59年製造とは三菱デボネアみたいだ
ビュッフェを示すマークが時代を感じさせ高得点♪
扉を開けると・・・
そんな訳なくて↓こんな状態でした。東海道開業時の姿です
しかし色使いがステキだ。
もちろん現在は営業しておりません。電子レンジやコーヒーメーカーが残る。
0系新幹線に「速度計」が今でも残っているとは思わなかった↓
やはり200キロ到達時には「バンザイ!」をするべきなのだろうか?
初期はアナログメーターだったが現在はデジタル化。
それでもあるだけで嬉しくなる。
さて、朝食にしよう
車内販売も無いのであらかじめ新大阪駅でサンドイッチとコーヒーを買っておいた。
弁当を選ばなかったのはビュッフェでの食事はサンドイッチとコーヒーが似合いそうだと思っての事。
つづく