あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

大分旅行 10 新世界

2006-12-31 22:15:10 | 
弁天町から環状線で目指すは新今宮。
新今宮に着く前から見えていた通天閣はネオンが前回来た時と変わったようで黄色かった。
新今宮駅のホームから通天閣を暫くの間、見つめていた。




大阪に行くようになってからは夜になると必ずといっていいほど新世界で腹一杯食べる事が楽しみだった。

新今宮駅から新世界ワールドに行く時はフェスティバルゲートという遊園地を通って行くのが好きだった。
なんとビルの中にジェットコースターが走っているんですよ~

初めて見た時は驚きました。乗った事もあるけど怖かったな
しかしエスカレーターを昇って目の前に広がっていた光景は非情なものでした。
前にブログでマイカル本牧の窮状を書いた時にinomamoさんが
『フェスティバルゲートが危ない』
とコメントを書いてくれた事を思いだした。
電気はついているけど遊具は撤去され店も殆どがシャッターを下ろしていた。
まさにマイカル本牧と同じだ・・・・
inomamoさんからその話しを聞いた時は「ここまでヒドクないだろう」と高をくくっていたが・・・
ここでもさんざん遊んだ思い出があるので上の階まで上がってみる事にした。

過ぎた時間を象徴するかのような状況に愕然としながらふらついていると
ジェットコースターが轟音を立てて走っていった。

あれはまだ動いているんだ(乗客2名だったが)

ちょっと嬉しくなり乗り場に行ってみたらその階にあったゲームセンターも撤退していた。

ジェットコースターの案内を見ると平日は運転していないようだ。
ここで遊べる遊具はもうこのジェットコースターだけのよう。

まさかいい大人が一人で乗るなんて出来る訳ない(笑)

でも次に来た時はもう運転しておらず休止中のレールだけが残るどこかのモノレールみたいな状況になっている可能性大。
どこかのモノレールに乗った事がある人間はとても羨ましい

そうだ!ここでその「羨ましい人」になれるチャンスだ!
それに一人でジェットコースターに乗った三十代(独身)なんてこれ以上のネタは無い!

入り口のお兄さんに「いやちょっと東京から久しぶりに来たんだけど昔はよく遊んだここが懐かしくて・・一人じゃ動かせないよね。えぇっ!動かしてくれるの?」
わざとらしく誰も聞いていないような言い訳をしながら一人ジェットコースターに乗り込んだ。
一人で乗る三十代の男は乗り場のオネイチャンにどう映ったか?
などと考えているとコースターは夜の空に登っていった。
そういえば夜に乗った経験もないよな・・
街の灯りがキレイだ
隣に見えるスパプー(温泉とプール)も懐かしいな

そして急降下!九九式艦爆もこんな感じだったのかな?
などと思いながら耐えていた・・・
通常はいろんな人の悲鳴を聞きながら乗っているのにその声がまるで無い
走行中もふとそんな事を考えていた
ネタも出来たので新世界を目指す


大阪に足繁く通っていても暫くは「なにわのシンボル」と言われていてもピンとこなかった。
でも今は違う。テレビなどで通天閣を見ると大阪を思い出す。



最初に目指したのは串カツ屋


左に見える「づぼら屋」の右、斜め前辺りにあった店が無かった。
おかしいな、と思ってみると店が変わって「若者向け」の造りの店になっていた。
そういえば通りも若い人が増えた気がする
そんなナウでヤングな店で食べてもつまらないのでジャンジャン横丁に行ってみた。
そこでもテレビや雑誌で有名だというお店の前には順番待ちの行列が出来ていた
そんな店で食べたいとも思わないので「客が誰もいない昔ながらの店」を選んだ。
普通に旨かったので次はどて焼きが旨い店へ向かった



この店も無くなっていたら・・・と不安だったがありました♪
店のオバちゃんも変わりません!
やまと屋一号店は味も良いし雰囲気も良いのでお薦めです。
が!変わらない味が嬉しくて食べ過ぎてしまい
づぼら屋のふぐと天王寺駅裏のたこやき「山ちゃん」は残念ながら諦める事となりました・・・・

今までと違って若い人が増えた感じがします。
それはそれで良い事かもしれないけど以前にあった独特な雰囲気が少なくなっていてちょっと残念かな。


次回は絶対にフルコース(くしカツ、どて焼き、づぼら屋、たこ焼き)だ!!

新今宮駅に戻ると懐かしの山手線みたいな103系がいた。





コメント (3)
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また逢う日まで・・・氷川丸3

2006-12-26 01:07:41 | ヨコハマ

港内遊覧の水中翼船ハイペット!これもよく分かりませんが氷川丸で運営していたのでは?
この絵葉書に写っている氷川丸船首をよく見ると・・・


今では存在しない「台」みたいなものが見えますね。



マリンタワーも明日(25日)で一旦営業を終える

今より明かりが少なかった頃の夕方、家から少し離れた高台に行くとそこから見える赤と緑の灯を回転させるマリンタワーはヨコハマのランドマークだった。
あの灯を探すのが好きだった。
現在では考えられないが近所の市営バス車庫から山下公園までバスが出ていた。
時間はものすごく掛かるが一本のバスで山下公園に行ける、という事が誇らしくもあった。


氷川丸で一番好きだった場所はラジコンボート。
彩雲家ではゲーム禁止だったが家族でお出掛けした時などは特例で遊ばせてもらった。
一回¥200位だった記憶があるが定かではない。
母から200円をもらい好きなラジコン船を選び動かすのが楽しかった。
終わると母が後ろで微笑んでいた「楽しかった?」



この場所だった

それも今はない


明後日から氷川丸もマリンタワーの電飾も数年間は消えてしまう

氷川丸からこの景色が再び見られるのはいつの日だろう?





氷川丸のHさん
お忙しい中、案内と解説をして下さりありがとうございました。




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また逢う日まで・・・氷川丸2

2006-12-24 21:42:18 | ヨコハマ
一等ダイニングサロンでは船としての現役を退き繋留船となってからの歴史を紹介した
パネル展が開かれていた。


が、先月来た時には置いて自由に見られるようになっていた当時の立体スコープが無くなっていた
後ほどHさんに伺ったら「誰かが持っていってしまった」との事だ。返せぇ!!
氷川丸では残念な事に貴重な備品の盗難が多いそうです。
戦前の精工舎のゼンマイ時計とか「氷川丸」という字が入ったプレートなど
「誰かが外して持っていってしまう」んだそうな
船内のあちこちに防犯カメラがあるのはそんな事情です。

うわ!これ懐かしい~!


まだ氷川丸で結婚式とかパーティ営業があった頃にそのクロークに展示してあった氷川丸三種類のプラモ!子供の時にこれを見るのが楽しみでした





このパネル展では「ユースホステル時代」の貴重な写真と解説が記されています。











私が入手した絵葉書もこの売店で販売されたのかな?

これはその絵葉書ケースに書いてある案内略図



(エスカレーター)
ありましたね~、機関室に「動かないエスカレーター」(笑)
今では撤去されていますが子供の頃、機関室だけ青いベルトのエスカレーターがあっていつも止まっていました。
エスカレーターを歩いて登る、という体験をしたのもここが初めてで
幼心に「なんで動いていないんだろう?」といつも不思議でした。
思えばこの頃から「休止中」なモノレールとかに反応していたのだろう(笑)

その後、読んだ本に「子供がエスカレータで寝そべって髪を巻き込まれる事故があった為」と書いてあり謎が解けました。


おや?船首部分にもエスカレーターがあったんですね!へぇ~知らなかった。



?何「動く渡し」って?
そんなの今は無いだろうし…
ブリッジから前マストまでというとここになります。



この赤い所ですね。

降りてみて下に潜ると…
ありました!それらしい巨大な歯車が!












現在の動く歩道の元祖のようなものだったのか?
日本初の動く歩道は昭和45年の大阪万博が最初と聞いた事がある。
なのでこれは現在、空港などで見られる「動く歩道」とは別物だろう。
この件もHさんに尋ねたが分からなかった。
「かなり初期の時期に運転を止めたのでは」との事です。

そろそろ日が暮れだしました




ああ、デジタル一眼が欲しい

この写真で見ると当時はタラップがたくさんあったんですね。
「動く渡し」らしきものもかろうじて見る事が出来る。


つづく


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また逢う日まで・・・氷川丸1

2006-12-24 21:26:59 | ヨコハマ
氷川丸とマリンタワー、45年の営業に幕 横浜(朝日新聞) - goo ニュース


先日、氷川丸に乗ってきました(今年に入って氷川丸に乗ったのは6回目)


先月の後半に行った際12月になったら夜勤明けにでも立ち寄ってこよう、と思っていたのだが当日の朝刊を見るまで25日までだというのを忘れていました。

年末の大掃除をする予定だったが大急ぎで出掛けた。
なんとか12時までに着かなくては・・・
氷川丸は20年ほど前から12時に汽笛を鳴らせるようになった。
(現役時代は蒸気だったが今はコンプレッサーで空気を溜めて鳴らす)
25日の営業終了時には18:30に汽笛を三回慣らして別れを告げる
(長音三声)

しかし25日は見事に夜勤。23日は当直で24日の明けでは12時に氷川丸に着くのは不可能。
私が汽笛を聞けるのは22日が最後だ。
大掃除の為に早く起きたので12時には余裕で着けるだろう、と思いバスに乗ったが
道路は大渋滞
横浜駅から地下鉄に乗り換えなんとか5分前に入り口に着いた。










切符売り場に並んでいたらお世話になっている船員のHさんがいたが
時間が無いので会釈だけで済ませる(あと1分!)
通常にコースを回っていては間に合わないのでコースを短縮しファンネルデッキへと急いだ。
半ベソをかきながら煙突下に着いたのは10秒前!
息を切らして汽笛のラッパを見ると

 
ブオオオオオオオ・・・
(センスの無い表現が悲しい・・)

「鳴る!」と身構えていても驚くような音だった。子供だったら泣くかも。

やっと聞けた。最後にこの音を間近で聞けて良かった
初めて聞いたのはホテルニューグランドのベルボーイ研修時だったな
汽笛が復活していたなんて知らなかったから驚いたけど生き返ったみたいで嬉しかった


(係留された初期の頃の絵葉書より。よく見ると右舷一番前の救命艇のカバーが開いている。当初は「救命艇」の中も展示対象だったようだ)

目的を無事に果たせたのでゆっくり船内を見る事にする。
氷川丸の展示物は何度見ても説明を読んでも面白い
今回はブリッジ周辺を念入りに見た。


こんなコピーにもすかさず反応してしまう(笑)

操船室



↓ こちらは初期の絵葉書より




製造年月が戦前だったりするとその刻まれた歴史に思いを馳せてしまう

機関室


同絵葉書より

ここはあまり変わっていませんね

これは私が去年入手した昔の見学パンフレット

 「見る船泊まれる船」キャッチコピーがイカス












現在ではユースホステルの名残を残しているのは殆ど無い




この客室案内はユースホステル時代のようです。



服装に時代を感じさせますね

ボートデッキの前はベンチがたくさんあったんですね。
現在のカフェキャビンの辺り。




ゲーセンではなくて「遊戯室」。別のパンフで見るとボートデッキの辺りになるようだ。

数年前に閉店したレストラン「ハーバービュー」がある場所なのでは?
現在のハーバービュー


このパンフレットを読むまで知りませんでしたが、船内には大浴場もあったんですね


船尾付近にあり現在では倉庫になっているそうな。

つづく(今回はすぐに!《笑》)




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大分旅行 9 交通科学博物館3

2006-12-23 23:03:37 | 
館内には大型バスも鎮座されます。
ドリーム号


その名前にこのブログをご覧の方半数はドリーム交通のモノレールを連想されるでしょうがこちらは東名高速のハイウェイバスです。
deboacerさんが過去に乗ったのはもっと新しいバスかな?
そういえば先日NHKで高速バスの72時間を放送していました。
現代の高速バスは40年位前に日本全国を網羅していた「急行列車」みたいな存在になっているのでは。

またまだ脱線しました(汗)
ドリーム号ですよね、うんそうそう。
バスの後ろは壁があって見えないのですがテールランプが気になります。
たぶんこのテールランプは我がコルト1100と同一だと思われます。


一番外側はウインカーのオレンジだが形状は同じで隣のブレーキランプは赤色で
紛れもなく乗用車のコルト1100と同じ。(蛇足ですが1000と1100でもレンズが違います)

中学生の時に(笑)コルトのテールレンズを買いに三菱部品に行った際
「これはバスと同じ部品なんだよ」と言われた事があった。
実際に15年程前に名古屋へ一人旅に行った際、バスの車庫でコルトと全く同じの
テールレンズを付けたバスを何台も見た。
はっきり見えないのが残念。
(このバスは「ふそう」で宜しいんですよね?)

旅客機の模型もあった。

日航のDC-8!



高校の頃、1号機FUJI号の保存運動があったけど結局解体されちゃったのよね
どこかの空港に前脚だけが展示してあるそうですが・・・。
現役で飛んでいる姿は見た記憶がありません。
17~8年前に羽田空港の道路脇から日航の塗装を消され真っ白い姿になった飛べないFUJI号を見ただけだ。

ボーイング707

今までは見分けがつかなかったが
前にパパちん号さんが
>>DC8とB707の見分け方のひとつに垂直尾翼があります。
B707の垂直尾翼の前方には、水平につけられたアンテナが伸びているのに対し、DC8の垂直尾翼にはありません。

と書かれていたのを思い出し見てみるとまさにその通り!
それにしても機首部分とかよく似ていますね。

こうして比べてみるとその違いがよく分かります。

F先生がコメントに
>>この時代の旅客機ではコンベヤ880と言うのがありこれもぼほ同じ大きさ~
と書いてくれたあの機体もありました。
コンベヤ880

これも見分けが付かないな~。


後ろの姿がステキなボーイング727

日本からはとっくの昔に引退したが外国で個人所有機で残っているそうな。
「よど号」で有名ですね。

日本の翼 YS11

この機体を知ったのは子供の頃に兄貴が買っていた「小学6(5?)年生」に
「YS11(ワイエスイレブン) 応答せよ」
という漫画を読んでからだ。
内容は飛行機好きな小学生が夏休みの一人旅で念願のYS機に乗れたが機内には
機長に逆恨みを持つ客(団体の添乗員)がおり・・・

というストーリーでとても面白い漫画だった。
その時に「YS11」という機体を知った。

この中で唯一現役の姿を写した写真

昭和61年 羽田空港

この写真を撮る前に家族で出掛けた帰り
「飛行機を見よう」となり羽田の飛行場に行った。
それまで旧軍の戦闘機しか興味が無かったが空港の雰囲気にすっかり魅了されてしまった。
大人になったら空港関係の仕事に就きたい!
とすら思っていた。
その後、父と出掛けた帰りに羽田空港に寄り写した写真(だったと思う)
そういえばこの頃ってまだ見学デッキに入るのに50円だか30円の入場料を徴収されていたような記憶が・・・。
当時のアルバムを見ると日航のボーイング747ばかりを写していた。
その747も近いうち姿を消すそうな

YS機はかなり遠くの方に駐機していたのでこれ一枚しか撮れなかった。

その後YS11に乗る事はありませんでした。


交通科学博物館編 おわり

次回、夢の新世界へ!

コメント (13)
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大分旅行 8 交通科学博物館2

2006-12-19 00:23:28 | 
東海道新幹線開業時からの新幹線電車もありました。

よくこの中に4両も入れられましたね。


続・三丁目の夕日が公開されたら話題になるであろうビジネス特急こだま


但し現車は前頭部のみでレプリカだそうな。


こだま号というと映画「天国と地獄」の身代金取引の名場面が浮かびます。
昭和33年の開業当時、この列車に乗れる人はどんな人だったのだろう?
映画「特急にっぽん」ではこのこだま号が舞台となり様々なドラマが繰り広げられます。



横から見るとなんとステキなスタイルでしょう?

ちょっと離れた展示場にはディーゼル機関車が3台もありました。
子供の頃に図鑑でしか見た事がありません。


図鑑の中でもこのディーゼル機関車は異彩を放っていました。
カッコいいな♪



そういえば京都から新大阪に戻る時の事。
車内は混雑しており左ドア付近に立っていた。何気なく前方を見ると右側の線路を2両の黄色い車両が走っていた。
いかにも試験車両といった雰囲気でパンタも無いからディーゼルなんだろうな。まさか遠く関西に来てそんな珍しい車両に会うとは!
カメラは網棚に載せたカバンの中なのでこの状態で取り出すのは至難の業!
しかし、こんなチャンス(見通しの良い直線区間で併走)はめったにない!二度とありませんよぉ♪カメラを取り出しても撮るには右側のドアに行かなければならない。迷惑だよな~
と躊躇しているとその右側ドア付近にいた若い男女が
『何あれ~?鉄ちゃんとかが見たら写真撮りまくるんだろうな(笑)』
この言葉に私は断念せざるを得ませんでした(涙)
途中の通過駅のホームにはカメラを構えたたくさんの方がおられました。珍しい車両なんだろうな。
併走する車内から写したら貴重な写真となったのかもしれない。実に残念
と、思ってしまうのが鉄ちゃんなのだろうか?


大分旅行のブログのはずが未だに初日の大阪から出ていません
終わるのはかなり先になると思いますが見捨てないでお付き合い下さい

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大分旅行 7 交通科学博物館1

2006-12-16 23:47:07 | 
職場で休憩中に自分のブログを見ていたらカナタンさんに背後から
『うわ、鉄ちゃんや!』
と言われたので
「私は鉄ちゃんじゃないですよ」
と反論したが
『いえ、立派な鉄ちゃんです!まぎれもなく!』
「そうかなぁ。違うと思うけど(だって形式とか用語を殆ど知らないし)」
『ところであの場所(梅小路)行った事あるよ』
「おぉ!そんなあなたは鉄子さん♪?」
『私は(小学生の時の)遠足で!』

小学生が遠足で訪れるような箇所に横浜から夜行バスで行った私は何?…

さて、京都駅から大阪駅に行き環状線に乗り換えると関東では消滅した103系が!
おお!子供の頃の国電というとこのスタイルでしたよ。
オレンジ色も中央線を彷彿とさせます。
さういえば小学生の時に初めて買ってもらったNゲージはこの関水のオレンジ色の103系でした。
まだ押入れにしまったままだな。あれ動くかな~?


そんな思い入れがある国電に揺られながら着いた駅は弁天町。
恥ずかしいと思いながらその103系を撮ってみました。
大丈夫!二度と会わない人達ですから(笑)
(しかし偶然にも同じ日にカナタンさんが大阪に戻っていた事が判明…バッタリ会わなくて良かった

弁天町にある「交通科学博物館」に行ってきました。
ここにも昭和レトロがあります。

今年閉館した神田の「交通博物館」みたいな所です。上の電車はその中にある101系(複製?)。
私には103系とどこが違うのかさっぱり判りません。

ブルートレイン20系の食堂車。

小学生の頃に東海道線を走っている姿をたまに見掛けたな。
やはり20系のスタイルっていいな~♪
なんと営業していました。前に来た時は閉まっていたんですが土日は営業しているそうです。
う~ん、中で食事をしたいが数時間後に新世界で食い倒れをしなくてはならないし…。
串カツとドテ焼きには勝てません。
お願いして写真だけ撮らせてもらいました。


しかし、ここで私が一人背中を丸めてライスカレーを食べていたら切ないですな~

このスパッと切ったような姿がステキだ。

昔の機動隊のバス「カマボコ」を連想してしまう
え?カマボコバスって何かって?
昔、機動隊と過激派の衝突が激しかった頃。
暴徒がマル機のバスの上に乗って暴れる事があったんよ。
その対抗策としてバスの上を丸くして乗っかれないようにしたのです。
そのバスの姿が「カマボコ」に似ているのでそう呼ばれています。 


今年東海道線から引退した113系の元祖、湘南電車80系(前期型)

5~6年前に初めて見た時は離れの展示場に屋根無しで置かれていましたが
屋根の下に移動出来て良かった良かった♪
私が中学生の頃、友達が持っている鉄道雑誌に保存の為に修繕し本線上を牽引される姿が
掲載されておりました。



運転席に時代を感じます。

木製部分が妙にキレイ過ぎな感じがします。当時はこんなだったの?

個人的には後期型の流線型タイプが好き。
後期型が残っていればな~。

これはディーゼルの特急。キハ81。


子供の頃に図鑑で読んだがその時は不恰好なお顔と「故障が多かった」との記述があり好きではなかった。今見ると好きだったりする。



室内もキレイに保たれている。やはり保存車は内部非公開で良いと思う。

つづく



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大分旅行 6 黒のおたべ

2006-12-12 20:15:26 | 
前回のブログで駅前にいたたくさんの人はどこに?
と書いたが、皆さんお寺や神社に行かれたのでは?
と指摘を受けました。

 秋の京都はそれが普通だそうな

さて昼食でも、という事となり京都タワーのレストランできつね蕎麦を食べました。


セルフサービスなので食券札をもらって街を眺めながら出来上がりを待つ。
私の番号は「2番」
ここで私は「彩雲○号」とか本名ではなくあくまでも「2番」の人なのです。

『1番の方』
後ろで呼ぶ声がする。この次位か・・・

『1番の方!』
返事が無い。

『1番の方!!』
誰だよー、聞こえてないのかな?

『1番の方!!!(怒)』

これだけ言っても気付かないのか?
・・・待てよ?まさか私というオチ?

焦って見直すとどうみても私の番号札は「2番」だ。
やれやれ。

『1番の方ぁ!!!(怒)』

怒鳴るように呼んでいるので「うるさいな~」と振り返ると私と目が合った。
おばちゃんは『出来てますよ(怒)』


え~、ぼ、僕ですか~?

小心者な私はほんの少しカチン、ときたので
「俺は2番だけど?」とほんのちょっと大きな声で返事をした。

『あ・・・すいません、間違えました出来てます・・・』

単純に間違えていたのね。せめて番号だけで私を呼ぶのではなく
そこのナウでヤングなシティーボーイのお兄さん、出来てますよ
とか言ってくれればすぐに振り返ったのに。

さてキツネ蕎麦は¥450と良心的なお値段で味も美味しかったです♪
やはり関西の蕎麦とうどんは良いですな。
安いし景色も雰囲気も昭和レトロでお薦めです。


さて駅前に行くと黒い小屋が建てられていた。
黒のおたべなるものの試食が行われていた。
八つ橋は嫌いではないが「どれも同じ」と思っている。
でももらってみるかな。と思い頂いてみると
「こんなに旨かったのか!!」とびっくり!
黒ゴマ味で本当に旨い!これはやみ付きになります。

旅は始まったばかりですがこれは買わなくてはと思い買ってしまいました。

黒の試走車ならぬ、黒のおたべ!

京都に行ったら是非買ってみて下さい。


また食べたいな


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大分旅行 5 秋の京都・・・

2006-12-09 10:57:21 | 
京都タワーから駅前バス停を見ると週末という事もあり行列が出来ていた。
この時期に京都を訪れるからには目的は私と一緒なのだろう。

秋ですからね~

バスに乗り街並みを見ると5.60年代なお店がたくさんあった。
ティールームNAGISAと書かれた喫茶店に惹かれて降りようかと悩んだ程です。
しかし、遠く離れた街に来てレトロ建築にはまってしまっては大変なので断念。

さて、着きました!秋深い古都の名所と行ったらここでしょう!


(しかし、バス停に並んでいた人々はみんなどこに行った?

子供の頃に読んだ鉄道図鑑に載っていた梅小路蒸気機関車館にやっと来る事が出来ました。

遠くで汽笛の音が聞こえたので行ってみると・・・


おお!目の前に「生きたSL」が動いている!
スチーム号という名が付いた体験乗車出来る汽車があるそうだ。

鉄道の事はあまり詳しく知らない私だが好きな汽車はC62です。
見られる事を楽しみにしていたが

前のふた(?)を開けて整備中でした。
ちょっと残念

いろんなタイプの蒸気機関車があります。
この黒光りがイイですな


SLが並んでいる姿を見られるのはここだけだろう


おや、これは?なんか他の汽車に比べて雰囲気が違いますね

C53といって他の汽車が2シリンダーなのに対して3個のシリンダーがある珍しいタイプだそうな。
「こんな変わったのをZUBEBIBOさんやF先生は好きなんだろうな」

きっと「真ん中にあるシリンダーを撮ってきて」と言われるに違いないと思って
写真を撮ってきました(笑)



あっ!C58の1号機だ!


私が初めて見た「動いているSL」なのです。
子供の頃に山下埠頭から高島町まで高島線のイベントで山口線を走っていた同機が
旧型客車を牽引して走ったのです。

今では廃線になった山下埠頭行きの貨物線まで父に連れられて兄と三人で
見に行きました。
最初は埠頭の入口にあった踏み切りでバックしてくるC581を見た。
それまでSLというと公園にある決して動かない静態保存機しか知らなかったので
間近で見た衝撃は凄かった。
その後、桜木町の裏にあった貨物ヤードに行った時の写真が上の写真。
たくさんの人が賑わう場所は今のMM地区。
この写真では見えないが右手には造船施設がまだあった。

この写真を見て思い出した。
人が多くて撮れなかったので背の高い父に肩車をしてもらい得意げに撮った時の事。
股のあたりがくすぐったくなる「肩車」の感触と、その高さからなる違った視界を思い出した。
ブログにC58の写真を載せるので昔の写真を探していたら他の懐かしい写真も出てきた。
 私本人に記憶は殆ど無いのだが父なりに家族サービスをしていた事が改めて思い起こされた。
 この時に父に買ってもらったのか自分で買ったのか定かではないが記念キーホルダーを
その後数年間、机の上に飾っていた。

 山下埠頭で写した後姿は発見出来なかったが、あの時に見たSLの姿はこんな感じだった。
その後動態保存から静態保存機となり走る事はない。
それでもまたいつの日かこの場所でC581を見るとあの時の思い出と
父の肩車を思い出すのだろう


話は脱線したが休憩所になっている客車

今は走る列車の殆どが電車となり「客車」というのを見掛ない。
この姿で残る同車も貴重なのでは?
(正面のお顔がちょっとドリーム交通入っているような・・・)

廃校になったどこかの鉄道学園にあったC62のトップナンバー!

廃校に際しどうなるのかと思われたが無事に保存されたのが嬉しい。
しかも扇形庫から出て客車を牽引する姿になっている。
やはりC62のスタイルはいいな♪銀河鉄道999の機関車と同タイプです。


牽引される旧型客車。私は機関車よりも自走出来ない客車の方が好きだったりする。
屋根や窓の傷みが気になります。


この施設を残した当時の国鉄総裁に感謝!


東海道線の花形C62の2号機の「フタが閉まった姿」を見られなかったのは残念だが、この姿もまた「生きている」感じがして良かったと思うことにする。
車籍はあるが全検は切れていると聞いた事がある。
いつの日か本線上を走行する姿を見てみたいものです。


もっとゆっくりしたいが次の目的もあるので梅小路を後にした。
コメント (7)
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松下奈緒、初主演!アジアンタムブルー

2006-12-08 23:55:29 | 松下奈緒
ちょうど去年の今頃松下奈緒さん初主演の映画制作発表が行われて一年。
やっと11月から公開されたが旅行等で見に行けませんでした。
昨日ようやく見に行ってきましたぁ~

スクリーンの中に「松下奈緒」の文字と姿を見た時

「ついにここまで来たか・・・」(涙)
と思わずシミジミ。

ドラマ「人間の証明」を見た時からファンになって3年。
応援してきた人が成功への階段を登って行く姿は心から嬉しい。

今までとまるで違ったキャラクターを演じる姿が新鮮だった。

またまた次の映画の撮影をしているとの事
楽しみにしています

あと映画を見て感じた事ですが阿部寛さんていい俳優になりましたね(前からだけど)。
モデルから俳優となり、いろ~んな役をこなしてこられましたが
改めて思った。
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あのコルトを買え?

2006-12-07 18:19:15 | 三菱コルト1100
昔は「カッコ悪い変な車」と思っても
それが現在では「なんとカッコイイ!」
と手の平返しで賞賛したい車があります。

それはコルトFシリーズ


この車には切ない思い出があるのだが、それはまたいつの日か存分に書きたい。
「喜劇!大分旅行」シリーズを中断しても紹介したい車を見付けました!

http://www.rakuten.co.jp/gattina/145189/1784474/

昭和43年型三菱コルト1000F 3ドア


旧車の世界でも殆ど出回る事はありません。時折マイナーチェンジした後期型は見掛ける事もありますがこの前期型は見る事がない。

日本初のファーストバック車のコルトFシリーズで「3ドア」車(上の写真は2ドア)

(絵葉書より。長いスキー板も車内に積める点をアピール)

現車はヤフオクに出品されていた頃から気になっていましたが
まさか同じ県内のお店にたどり着いたとは!
希少な岩5ナンバーが返納されてしまうのはもったいないが
誰かこの60年代なレトロ感あふれるコルトを買いませんか?

このお店の解説を読むまで「F」はファーストバックのFだと思っていたが
4気等(Four)のfだったとは驚きです(真相は?)

残念ながら色は白から黄色に塗られてしまっているがノーマルで状態も
良さそう!なんで前オーナーはここまでノーマルで乗っていて色を変えたのだろう?


お店は藤沢市辻堂太平台のガッティーナ
近いといえば近いので見に行ってみたいが時間がないです。

変な改造などせずにこのままで乗り継いでもらいたいものです。
誰か買って私の1100とツーリングしませう

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大分旅行 4 京都タワーのたわわちゃん

2006-12-06 00:51:30 | 
11解から展望台行きのエレベーターに乗り換えるのだがいい歳をした男が一人で
観光地のタワーに登る姿というのは切符切りのスタッフにはどのように写るので
あろう。
他に同乗者もいなかったのでエレベーターガールと2人だと妙に気恥ずかしい。
何かタワー案内でもしてくれれば良いのだが無言だ。
沈黙が嫌なので(?)「今日は混んでますか?」とか「初めて登るんですよ~、視
界は良いですかね?」と話し掛けてみた。
さて展望台に着くと目の前に入ったのがこれだ!



左に見える青と白の「ご宿泊」
下のオレンジと白の「ご婚礼ご宴会は」

色使いやデザインが70年代っぽく感じた。
大阪万博の会場にあってもおかしくない広告です。

そして目的の展望台に出てみると・・・



うわぁ・・・・



高い・・・広い・・・






あんな遠くまで見えるんだ・・・
建物自体に興味があったのでそこから見える景色は期待していなかった。
単純な私は、こんな事で大満足です。
高層ビルディングの無い都市はこんなにも素晴らしいのか
今は昼間だが明かりが灯り始める夕方や夜景はどれほど美しいのだろうか

機会があったら夕方に訪れてみたい。

本来なら展望台は10分位で去る予定が数十分は留まってしまった。

さて、降りようと下りエレベーターのある下の階に行こうと階段を降りると・・・



本当に怖かった(涙)高所恐怖症とまではいかないが高い所は苦手です


このキャラクターをご存知ですか?
前日に京都タワーを調べていて存在を知りました




京都タワーのアイドルたわわちゃんです!
カ、カワイイ・・・
惚れました
いやマジで!あまりキャラクターものって好きではないんですが「たわわちゃん」はツボに入りましたぞ!


11階の出口脇におりました~!


ブログのネタにツーショットで写真を撮ろう!
「ワ~イ♪すいません、シャッター押してください♪」

なんて受付のオネイサン達に言えるはずもなく(笑)
だってお巡りさんを呼ばれたりしたら大変じゃないですか。

後ろ髪を引かれる思いで一階に降りお土産売り場で見つけました!
たわわちゃんグッズ!


「携帯電話のストラップ」は付けないんですが、これは付けたい!
「ハンカチタオル」いいですね~、TETE HOMMEのGARNIERのスーツなどを着てポケットからこのハンカチを出した所を想像してみる。

ま、私のブログを読んで下さる半分位の方々は私の年齢と容姿ををご存知でしょうけど・・・

本来の私ならありがちな『黒の台座に金色の京都タワー』の置物を買ってくるのが正しいのでしょうが、たわわちゃんに負けました。

ええ、4点とも買いましたよ。自分用の土産として・・・

つづく

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大分旅行 3 京都タワー1階

2006-12-03 10:16:02 | 
タワー浴場を出るとタワー営業時間になっていたのでさっそく登頂を開始すべく一階に行く。

切符売り場は・・・↓


京都タワーさん、あんた本当にステキだよ・・・
電球が60年代を見事に演出?しかし左側の黄色いタワーのシルエットにも高得点を上げたいと思う。

早く上に上がりたいがはやる気持ちを抑えて探索をする。

階段

黄色い床、細い手すりと黄色い透明な板?
 素晴らしい


エスカレーター、いやエスカーのりば。

見る人が見れば(例えばinomamoさん《笑》)良さが判ると思います。

上に登ってみた。


こういう看板もイイねぇ~
なんて思って見ていると通る人々が怪訝な顔をしていく。
それでも写真を撮る!
大丈夫!二度と会わない人達ですから

このようなトイレ案内も見掛なくなりましたがキレイに保たれています。
古いだけでなくしっかりメンテされているのが嬉しい。



見事なまでに60年代、昭和レトロが保存(?)されている中で一番の秀作はこれ


この写真では見辛いが「レストラン」ではなく『食堂』での家族。
お父さんはお出掛け先なのでビールを飲んでいるんだろうな、とか
想像したり椅子の脚や背もたれが泣かせる。



髪をアップにしたお母さんも水商売っぽくてステキなのだが
一見素直をそうに見えるご子息はリーゼントだ。

しかも下のコマ(?)で歩く姿はお母さんが先に歩いている。
カカア天下なのかもしれない。時代だな、と思ってしまう。

それにしても「手芸用品~CDコーナー」は新しく上から貼ったようだ。
下には何が書かれてどんなお店があったのか気になるところです。

つづく





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大分旅行 2 京都タワー浴場

2006-12-01 00:32:42 | 
この時期に京都へ行くと言ったら誰に聞いても思い浮かべるのは京都タワーだろう。

古都に近代的な観光タワーを作った人のセンスを疑ってしまう。
都市景観というのをまるで考慮していない(怒)
と、数年前まで本気で思っていたが友達と奈良ドリームランドに行った帰りに
一階の雰囲気にノックアウトされ一転京都タワー信奉者に転じた。
その節操の無い姿に友達は呆れたが、その時は時間が無く探索が出来なかった。
今回の目的の一つが昭和39年完成の京都タワーです。






京都駅に着いて地下道からタワービル下に出た。
ご覧ください、この神々しいまでの「タワー入り口」の文字!



色使いといい書体といい申し分ありません!入り口で一人悦に入ってしまいました♪




タワー展望台は9時にならないと登れないので目指すはタワー浴場
この電飾板もいいのだが・・・

次に現れるこれ↓




白地に赤、青、黄色!「B」の文字!「タワー浴場」!!
私に持って帰ってと訴えているのか!!??
もうこの看板だけで安楽死となりそうでした

さまざまな危機を乗り越えて目的のB3に着きました。

このガラスの模様も

通常は¥700だがHPの下にあるクーポンを予めプリントアウトしてくると
¥650で入れる。
営業時間は朝の7時からなので夜行バスで来た人達はここで休む事が出来るありがたい施設なのだ。
私も京都行きのバスにすれば良かったのだが突然の旅行だったので仕方ない。
それに大阪行きが残一席だったので京都行きはとうてい望めなかったと思う。

入り口外の券売機で切符を買い受付に出すと黄色いタオルを貸してくれる。
湯上り用のバスタオルは別料金だが¥60と安いので借りました。
中に石鹸もシャンプーもあるので手ぶらで行けます。


さすがに風呂場の中を撮影する訳にはいかないので写真は無し。
タワー浴場のサイトに写真がありますのでそちらをご覧下さい。
(下の方に割引券もあります)
高速バスの疲れも取れます。ここはお薦めです



休憩室でノンビリしたら展望台に向かいます。

つづく
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