3月11日
ニコンのS640を買う。
長かったな・・・
やっとニコン製品を買えました。
約10年の間、今までのデジカメを使っていたがまだ「なんとか」使えたので
もったいないから新型へ変更出来ませんでした。
さすがに不具合が多くなってきたので「なんとか」使えるけど
車載用にする事にして現行機種に踏みきりました。
(といってもカタログ落ちですけど)
最新のS6000にしようとも思ったけど出たばかりで値段も高いし
今までの機種から比べたら私には一つ前のモデルで十分です。
カメラの知識とかは全く無いが
何が何でも次のカメラはNikonにしたかった
前所属の職場はホテルの会員制スポーツクラブでした。
その中にニコンの元社長さんF岡さんという方がいました。
ベルボーイ時代の10年以上前から黒塗りのプレジデントで来館されているので
存在は知っていました。
ベルの私はロビーでF岡相談役を見かけるとドアマンに伝えて
素早くお車を正面に廻すのが好きでした。
その頃の旧車イベントに出た際コルトに座っていると
デボネア乗りのkatsuhideさんから声を掛けられた。
(今回katsuhideさんからお名前を載せる事を了承済み)
名刺を交換するとニコンにお勤めと分かり
F岡相談役(当時)の話しになった。
『私の入社時の社長ですね』
Fさんは社長さんだったのか!
(相談役はたいてい社長→会長→を経て相談役となる事を知りませんでした)
その後私はベルからスポーツクラブに異動となり
F岡相談役と接する機会が多くなっていた。
相撲観戦が好きでよくテレビ中継をご覧になっていた。
大正7年の御生まれとご高齢なので長い間お見かけしなかった事が
何度かあった。
心配になったが末端の社員が電話を掛けるなどしてはならない、と
思っていた。
そんなある日ヒョッコリ姿を現したので
心配していた旨を告げると入院していたとの事。
「国技館にお相撲を観に行っているのかと思いましたよ」
『昔はよく行ったんだよ。双葉山の70連勝ならず、も観たんだよ』
「おお!歴史に残るあの名場面ですか!」
同世代よりも昔の事を知っているほうなので
自分よりはるか年上の方と話すのは何よりも楽しい。
年会費の手続き相談で私を指名して尋ねてくれたりするように
なって嬉しかった。
『君以外に知っているスタッフはいないからな』
(光栄であります・・・)
しかしご高齢の為、入退院を繰り返しているようで
来なくなってしまう事もしばしばだった。
地下にあるスポーツクラブには急な階段を下りて来なくてはならない。
運動して帰る時は登るのが難儀そうで見ていて痛々しかった。
そうだ!
ベルサービスの車椅子を持って裏のエレベーターを使って送ってあげればいいんだ!
来館されたらベルに借りに行き帰る時に車イスを出したら
とても喜んでくれた。
ニコンという名企業の大好きなF岡相談役を私がお仕え出来るなんて・・・
いろんな話しが出来るチャンス!
車イスを押しながら裏の従業員用の通路を歩く。
「私の友達で御社の社員がいるんですよ」
『ホテルマンの君と?同級生か何か?』
「趣味の車繋がりでして。彼はデボネアに乗っているんですよ」
『キミ~!(この時の言い方がなんとも社長っぽかった)
デボネアといえば三菱の「超高級車」じゃないか!
内の社員の若いのがそんなのに乗っているのか?!!』
「いや、なんでもお父様が乗っていたそうでして。
6人乗りが出来るセダンはそれしか選択肢がなかったというそうですよ」
『そうかなるほど。君もデボネアに乗っているの?』
「私はコルトです。コルトってご存知ですか?」
『知っとるよ。昔の三菱の車だろ。そうか三菱同士か、懐かしい名前だな~』
そんな話しをした後日の事
車イスを押しながらkatsuhideさんの名刺を出した。
「今、この部署にいるんですよ」
『あっ!○○××君と言うのか』
「どうされたんです?」
『いや、この前君から名前を聞いてから君に世話になっているので
お礼を言おうと思って総務に探してもらったんだが○○△△君かと名前を
間違っていた。どうりで「存在しない」と言われるはずだ(笑)』
『(名刺の)この工場は僕が造ったんだなぁ・・・』
コルトとデボネアの縁がこんな事になったのも「縁」
こんな話しもした。
「ニコンはカメラ以外にも照準器の開発も行っていましたよね」
『やったよ。爆撃機に乗って館山の原っぱに白くバッテンの目標を置いて~』
「おお!爆撃機は一式陸攻ですか!?」
「一式陸攻知っているの?」
『はい、でも考えたら爆撃照準器って大変ですよね。機速は向かい風でも変わってしまうんでしょうから・・・』
海軍の技術将校だったようだ。
(帝大兵工学部学科卒)
そういえば戦時中の鹵獲機に搭載されていたノルデン照準器をご覧になった
事はあるのだろうか。しかし、日本の照準器より格段に優れていたノルデンの事を
伺うのは悪い気がして聞けなかった。
15メートル測距儀の事も聞きたかったがその内聞けばいいや
ネタはゆっくりと出そう。
そんな楽しい日々が続いたある日の事
休み明けで出勤しF岡さんと逢うと
『昨日は君がいなかったから上まで送ってもらえなかったよ・・・』
寂しそうに呟いた。
とても悲しそうだった。
そんなお顔を見たのは初めてだった。
その後
フロントへチェックアウトに来て
息も絶え絶えで私の目を見る。
目が『送って~』と訴えていた。
失礼だが「カワイイな・・」とすら思ってしまった。
「私がお送りします♪」
と言うと
『やってくれるか!』
まるで社長が特命を命ずるみたいな口調と嬉しそうな顔が今でも
瞼に焼き付いている。
その時はニコンのコンパクトデジカメで欲しいものが無かったので
他社のカメラを使っていた。
次に買う時かデジタル一眼を買う時は
何があっても相談役の会社の製品を買いたい
車イスを押しながら思っていた。
玄関に着き黒塗りのプレジデントに乗り換える。
ドアが閉まりウインドーが下がり
手を挙げてこちらを見て走り去って行った。
不謹慎かもしれないが
「もしかしてこれが最後かも・・・」
考えたくは無かったがそう思ってしまった。
最後にお話しをしたのは電話だった。
年度更新の際に退会する旨を告げてきた。
「君がいる時じゃないと上まで上げてもらえないからなー(笑)」
そして約一年が過ぎたある日
会員の方から亡くなった事を知らされた。
新聞の訃報欄によると後日「お別れの会」を開くという。
katsuhideさんに連絡を取ると
総務で日にちを調べてくれたが
問題は現役の会員だったら会社を通して参列出来るのだが
退会し一年以上が経っている。
当然会社から役員が参列する事もない。
上司に相談すると
「個人で行くぶんには構わないでしょ」
katsuhideさんからも同じ答えが返ってきた。
お別れの会は東京會舘で行われる事が分かったが
その日はなんと泊まり勤務。
しかし上司が「(遅刻扱いにはしないから)行ってきなよ」と
出勤前に立ち寄らせてくれた。
献花をしてお別れが出来た。
もうあれから6年が経つ。
しかし今でもヒョッコリ腰を屈めて歩くお姿で
現れるのではないかな、と時おり思い出す事がある。
相談役(最終時は特別顧問)、やっと御社のカメラを買いましたよ
本当はお墓参りも伺いたいのですが
それは叶わぬ夢でしょう
一眼レフは買う事は無いかもしれません
でも
もしも買う機会があったら
私はニコンを選びます。
そしてこのコンデジに寿命がきたら再びニコンを選びます。
相談役、お逢い出来て本当に良かったです。
相談役、ニコンのカメラで↑撮りましたよ。
もしも今でも存命でカメラをお見せしたら
「買ってくれたか!」
と、おっしゃってくれたのでしょうね。