あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

離職者が止まらない

2022-04-21 12:52:47 | HOTEL

ホテルの離職率は高いと言われていたのですが

コロナ禍でその率が2年前の2~3倍に増加しています。

若い層が次々と去っていき残る正社員は40代中後半以降で30代は壊滅。

辞める理由はいろいろあるが一番はもちろん賃金。

他の業種より給料が安いけどなんとか今までボーナスも出ていたから

まぁいいか、だったのがボーナスも雀の何とかの小遣い程度

そりゃ辞めますよね 私も20代なら絶対に転職してます!

30代のいない会社はブラックと言われますが納得。

どこの会社も同じですが給料以外にもいろいろな事があり

辞めたい、と言われたら辞めて欲しくないけどこの会社にいてはダメだから

と「その方がいいよ」と涙で見送ります

 

前所属のハウスキーピングで過ごした時期やコロナ禍でスポーツクラブ休業時に

ヘルプで戻った時代にお世話になったハウスキーピングの若いスタッフが皆さん辞めてしまいました。

事務所の前を通る時や用があって訪れる時には仲良しだった仲間はもうみんないません‥‥

そしてハウスから別の部署に異動したスタッフも去りました

こんなおじさんと楽しく遊んでくれて本当に楽しかった仲間でした。

 

【思い出】

ヘルプ時代にインチャージ席に座っていると女子が二人近づいてきて

「私達、彩雲さんがヘルプに来てくれる前から彩雲さんの事知っていたんです~ねぇ」『ねぇ(笑)』

え?なんで??

「社内研修の時! (資料を読み上げた時の)声で! ウチの会社にはいない声だ、って

話していたんですよ(笑)」

そういえば私は電話の時や説明する場合に落ち着いて話すと普段とは声が変わる

昔から自分の声は嫌で嫌で仕方が無かった。ドアマンの頃は通りやすい声を出していたのだが

その後ハウスに行った際にも当時の女子から『声』の事は同様に言われていた。

 

あ、ああ。電話だとかしこまってしまうからね 

と、そんな時にお客様から入電!

「はい、〇〇様ハウスキーピングでございます」

女子二人『ヒュゥ~

よせやい(笑)

 

コンプレックスを無くしてくれた楽しいスタッフも想い出の中に・・・

 

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まさかのインチャージ

2020-04-16 23:58:48 | HOTEL

勤務するホテルのヘルスクラブ(スポーツジム)休業も半月で終わるかと思っていたが

来月の7日まで延びてしまい私は前所属のハウスキーピングのまま。

仕事内容も減っていき社内は静まりかえっています。

休憩時に休業中のヘルスクラブに行くと残った先輩スタッフ達が

あの日以来お客様の来なくなった施設を毎日「掃除」している。

 一か月が過ぎ

 何を掃除しているのだろう

 

そんな疑問を抱えていた先日

出社するとハウス課長から

「インチャージ(当直責任者)をしてもらえないか」と

打診された。

ついに来たか。

かつては私もこなしていたが二年半前の話し

責任も仕事内容も今の仕事レベルとまるで違う

清掃業者に指示書を作成しゲストの入電対応、顧客の手配内容を探し

引き継ぎ帳を作成etc…

既に離れてしまった私にそんな簡単に出来る訳がない

しかし上司から命じられて「出来ません」などと言いたくない

懇願するような課長へ「分りました。やってみます」

と答えるしかなかった。

昨日はそのインチャージ業務の初日で同僚に教えてもらいながら

インチャージ席に座っていた。

「まさか再びこの席に座るとはな・・・」

かつて使っていた資料はサーバー整理で削除されており

ロッカーに残していた手書きの

当時のノートを読み返しながら過ぎていった。

そのノートやメモ帳がせめてもの救いだった。

あと数日で独り立ちの当直勤務

そしてこのインチャージ業務を覚えてもヘルスクラブが再開し

元に戻るまでの半月しか役に立たない。

そんな時に頭をよぎるのがヘルス会員の方から聞いた

『困難を嘆かざる事』との言葉。

何故かその時から頭に残っているその言葉を何度も反すうし

電話で話した安全体操さんの「信頼されているからこそです」

同じく私以外に唯一ヘルスクラブからコンシェルジュに出向している

Iさんの「任せられているんですよ」

その言葉を胸に

この困難を乗り切ろうと思っている。

ブログに書いてしまったこの泣き言を職場では口にせずに・・・

 

 

 

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余波

2020-03-04 23:18:13 | HOTEL

ここ数年の間、ブログで仕事の事を書いてはおりませんでした。

4年以上前に長いドアマン生活の次にハウスキーピング(客室係)となり

現在は2年半前に古巣のヘルスクラブ(スポーツクラブ)に異動しております。

そのヘルスクラブがカローラ、いやコロナ騒動で政府の自粛要請を受けて

半月の間は閉鎖と相成りました。

閉鎖の間スタッフはどうなるのかと思っていたら私は前所属のハウスキーピングに戻る事となり

今日はその初日でした。

二年半ぶりの職場ですが仕事の手順を忘れているのでどうなる事やらという不安と

かつての仲間たちの同じ職場に戻れる楽しさもあり門をくぐると…

 

変更になった手順もあったり戸惑いましたが教わっていると

思い出してきました。

そういえばこんな事もしていたっけ、と実に懐かしくて。

ヘルスにいては上がる事がない客室フロアや客室も懐かしい(涙)

なにより経験者という事で自分を受け入れてくれた職場にとても感謝です。

「3日して慣れたらインチャージ席(責任者)に座ってもらうから【笑】」

と冗談で言われましたが、それはさすがにブランクがあり無理むり(汗)

 

その仕事が好きだから異動したくない、と思っていても色々な部署を回ると

知識や人の繋がりが出来て自分の幸せに巡ってくるのだなと痛感しました。

ドアマンに戻りたかったな、と少しは思いもしましたがそれは難しいだろうから

あまり期待もしていませんでした。

それでも仕事中に客室フロアで会った馴染みのベルスタッフさんから

「ベルの課長が『なんだ彩雲さん、ドアの応援スタッフに来て欲しかったな』と

残念がってましたよ」と言われた。

コロナウイルスで暗い気持ちになりがちですがその言葉もまた嬉しく幸せな一日でした。

 

こんなご時世、いろんなデマが飛び交います。

それでも私が言いたいのは昨日ネットで誰かが書いていた事

「コロナにはライムが一番!これは本当です!」

とあった。これは私も信じていますし本当だと思います。間違っていません!

(この面白さが分かる人もいれば本当に買いに走る人もいるのでしょうね

以前に居酒屋かでレモンが出てきた時には驚いたし残念だった

 

さてまた明日、張り切って仕事をします!(但し慣れてくるとミスをするから注意です)

 

 

 

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ホテルマン川柳2019 ?

2019-06-12 00:00:00 | HOTEL

サラリーマン川柳

今更ですが今年も決まりました。でも今年のは面白いの?なんだかなぁ…

二位と三位の方が好きです。

さて私が作ったホテルマン川柳。

「ホテルマン金持ち相手のボランティア」

ホテル勤務経験が無い方には「はぁ?」でしょうが

同僚の皆さんから大絶賛されます。

一般的なイメージで

『高級ホテルは給料も高級』と思われますが大きな大間違いです。

シティホテルよりもビジネスホテルの方が給料は良いのです。

よく周りから『お前の会社は若い女子がたくさんいていいな』と言われます。

でも若い女性が多い職場ってダメなんです。

 なぜ若い女性がいる? それは入った女性はすぐ退職するからまた来年に大量に採用し

 若い女性が来るんです。

 なぜ辞める? 人に喜んでもらうのが好きで入って来る人が多いのですが

 地方から東京にやって来てアパートを借りて食費を払うといくらも残らない給料だから。

 実家からなら大丈夫ですけどね。

 休日が多い訳でもありません。世間で連休があってもスタッフにはその代休もない。

 サービス業には地獄のような10連休で思わず苦笑したのが

 『あなた達も代わりに代休をもらえるんでしょ』 無いです(笑

 それはこの業界、覚悟して入ってますけどね。

 

因みに私、安月給自慢で人に負けた事がありません(笑)

かつて飲み会で給与明細を見せたら相手は唖然としておごってくれました(涙)

独り者なので何とかやっていけますが所帯を持っている方々は尊敬します。

このブログを見ている方で高校生の方々はいないと思いますが

ホテル学校に進もうなんて止めておけ!

もしも就職でホテルを希望するならそのホテルの「手取り給与」を卒業生から

聞いてからにして下さい。できればそのホテルを退職された卒業生から。

現職ですと恥ずかしくて言えないか、会社に悪いと気遣い本当の事は

話してくれないかも。

 

『仕事は好きだったんですが・・・給料が』退職して行くスタッフを長年見て

「ホテルというのは若い人の夢を食べて生きているんだな」

私がいた頃のホテル学校は男女比率が半々でしたが

今は男性が2.3割だそうな。それはホテルでは稼げない、という事が男性陣には

バレてしまっているからでは?

実際に入って来る新入社員で男性がいるな、と思っても接客ではなく調理師ばかりです。

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10年ぶりにベルボーイ

2011-07-18 01:07:00 | HOTEL

最近職場(都内の某ホテル)で4人のベルスタッフが異動と退職してしまい

ドアマンに「ベルヘルプ」が廻ってきました。

一日中、ベルボーイとして仕事をするのです。

(何しろ人がいないので仕方が無い。

アルバイトを募集しても若い人達の間ではホテルは敬遠されているようで

求人を出してもやってきません)

20年前に入社してから10年間をベルボーイとして過ごし

5年間スポーツクラブでその後は現在のドアマンに約5年。

なので10年ぶりにベルの仕事をしました。

しかし当初は

「制服はベルのものを用意する」という話しが

「そのままやって」となってしまい

1人だけドアマンの制服でベルとしてお部屋へご案内していました。

普段でもベルスタッフがいない時に、他のドアマンが玄関にいる場合は

手伝ったりしますがその場合とは感覚が違います。

かつて10年もやっていたのに緊張しながら「ご案内」となっていました。

それでも普段と違う業務は刺激的だし

ベルから見るドアが見えたり

ドアから見るベルの事情も分かったりで得る事がとても多かった。

ベルの「立ち位置」というのがあるのですが経験の浅いスタッフは玄関内側の

最前線に立ちます。

そこに10年ぶりに立つと「懐かしい・・・」と不覚にも思ってしまいました。

フロントからの入電に

『はい、ベル彩雲です』と自分で言いながら懐かしいと苦笑したり。

  もう入社20年か、いろんな事があったなと昔の事を思い出したりもしていました。

同じ職場でもドアとベルはやっぱり違う。

若いスタッフに励まされながら一日をこなしました。

また明日からはドアマンに戻りますが今日の「ベル」で得た事を活かしたい。

時には他の業務を体験するのも必要だと実感しました。

 

30代最後の日を入社当時の仕事で迎えるとは思いも寄りませんでした。

あぁ、ついに4・・・・

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Nikon S640

2010-04-10 23:59:01 | HOTEL
3月11日

ニコンのS640を買う。

長かったな・・・
やっとニコン製品を買えました。

約10年の間、今までのデジカメを使っていたがまだ「なんとか」使えたので
もったいないから新型へ変更出来ませんでした。

さすがに不具合が多くなってきたので「なんとか」使えるけど
車載用にする事にして現行機種に踏みきりました。
(といってもカタログ落ちですけど)
最新のS6000にしようとも思ったけど出たばかりで値段も高いし
今までの機種から比べたら私には一つ前のモデルで十分です。

カメラの知識とかは全く無いが
 
  何が何でも次のカメラはNikonにしたかった

前所属の職場はホテルの会員制スポーツクラブでした。
その中にニコンの元社長さんF岡さんという方がいました。

ベルボーイ時代の10年以上前から黒塗りのプレジデントで来館されているので
存在は知っていました。
ベルの私はロビーでF岡相談役を見かけるとドアマンに伝えて
素早くお車を正面に廻すのが好きでした。

その頃の旧車イベントに出た際コルトに座っていると
デボネア乗りのkatsuhideさんから声を掛けられた。
(今回katsuhideさんからお名前を載せる事を了承済み)

名刺を交換するとニコンにお勤めと分かり
F岡相談役(当時)の話しになった。
『私の入社時の社長ですね』

Fさんは社長さんだったのか!
(相談役はたいてい社長→会長→を経て相談役となる事を知りませんでした)

その後私はベルからスポーツクラブに異動となり
F岡相談役と接する機会が多くなっていた。

相撲観戦が好きでよくテレビ中継をご覧になっていた。

大正7年の御生まれとご高齢なので長い間お見かけしなかった事が
何度かあった。

心配になったが末端の社員が電話を掛けるなどしてはならない、と
思っていた。

そんなある日ヒョッコリ姿を現したので
心配していた旨を告げると入院していたとの事。

「国技館にお相撲を観に行っているのかと思いましたよ」

『昔はよく行ったんだよ。双葉山の70連勝ならず、も観たんだよ』

「おお!歴史に残るあの名場面ですか!」

同世代よりも昔の事を知っているほうなので
自分よりはるか年上の方と話すのは何よりも楽しい。

年会費の手続き相談で私を指名して尋ねてくれたりするように
なって嬉しかった。

『君以外に知っているスタッフはいないからな』
(光栄であります・・・)

しかしご高齢の為、入退院を繰り返しているようで
来なくなってしまう事もしばしばだった。

地下にあるスポーツクラブには急な階段を下りて来なくてはならない。
運動して帰る時は登るのが難儀そうで見ていて痛々しかった。

そうだ!
ベルサービスの車椅子を持って裏のエレベーターを使って送ってあげればいいんだ!

来館されたらベルに借りに行き帰る時に車イスを出したら
とても喜んでくれた。

ニコンという名企業の大好きなF岡相談役を私がお仕え出来るなんて・・・
いろんな話しが出来るチャンス!

車イスを押しながら裏の従業員用の通路を歩く。

「私の友達で御社の社員がいるんですよ」

『ホテルマンの君と?同級生か何か?』

「趣味の車繋がりでして。彼はデボネアに乗っているんですよ」

『キミ~!(この時の言い方がなんとも社長っぽかった)
デボネアといえば三菱の「超高級車」じゃないか!
内の社員の若いのがそんなのに乗っているのか?!!』

「いや、なんでもお父様が乗っていたそうでして。
6人乗りが出来るセダンはそれしか選択肢がなかったというそうですよ」

『そうかなるほど。君もデボネアに乗っているの?』

「私はコルトです。コルトってご存知ですか?」

『知っとるよ。昔の三菱の車だろ。そうか三菱同士か、懐かしい名前だな~』

そんな話しをした後日の事

車イスを押しながらkatsuhideさんの名刺を出した。

「今、この部署にいるんですよ」

『あっ!○○××君と言うのか』

「どうされたんです?」

『いや、この前君から名前を聞いてから君に世話になっているので
お礼を言おうと思って総務に探してもらったんだが○○△△君かと名前を
間違っていた。どうりで「存在しない」と言われるはずだ(笑)』

『(名刺の)この工場は僕が造ったんだなぁ・・・』

コルトとデボネアの縁がこんな事になったのも「縁」

こんな話しもした。
「ニコンはカメラ以外にも照準器の開発も行っていましたよね」

『やったよ。爆撃機に乗って館山の原っぱに白くバッテンの目標を置いて~』

「おお!爆撃機は一式陸攻ですか!?」

「一式陸攻知っているの?」

『はい、でも考えたら爆撃照準器って大変ですよね。機速は向かい風でも変わってしまうんでしょうから・・・』

海軍の技術将校だったようだ。
(帝大兵工学部学科卒)
そういえば戦時中の鹵獲機に搭載されていたノルデン照準器をご覧になった
事はあるのだろうか。しかし、日本の照準器より格段に優れていたノルデンの事を
伺うのは悪い気がして聞けなかった。

15メートル測距儀の事も聞きたかったがその内聞けばいいや
ネタはゆっくりと出そう。

そんな楽しい日々が続いたある日の事

休み明けで出勤しF岡さんと逢うと

『昨日は君がいなかったから上まで送ってもらえなかったよ・・・』

寂しそうに呟いた。
とても悲しそうだった。
そんなお顔を見たのは初めてだった。

その後
フロントへチェックアウトに来て
息も絶え絶えで私の目を見る。

目が『送って~』と訴えていた。
失礼だが「カワイイな・・」とすら思ってしまった。

「私がお送りします♪」
と言うと

『やってくれるか!』
まるで社長が特命を命ずるみたいな口調と嬉しそうな顔が今でも
瞼に焼き付いている。

その時はニコンのコンパクトデジカメで欲しいものが無かったので
他社のカメラを使っていた。

 次に買う時かデジタル一眼を買う時は
 何があっても相談役の会社の製品を買いたい

車イスを押しながら思っていた。

玄関に着き黒塗りのプレジデントに乗り換える。

ドアが閉まりウインドーが下がり
手を挙げてこちらを見て走り去って行った。

不謹慎かもしれないが
「もしかしてこれが最後かも・・・」
考えたくは無かったがそう思ってしまった。

最後にお話しをしたのは電話だった。

年度更新の際に退会する旨を告げてきた。
「君がいる時じゃないと上まで上げてもらえないからなー(笑)」

そして約一年が過ぎたある日
会員の方から亡くなった事を知らされた。

新聞の訃報欄によると後日「お別れの会」を開くという。
katsuhideさんに連絡を取ると
総務で日にちを調べてくれたが
問題は現役の会員だったら会社を通して参列出来るのだが
退会し一年以上が経っている。

当然会社から役員が参列する事もない。

上司に相談すると
「個人で行くぶんには構わないでしょ」
katsuhideさんからも同じ答えが返ってきた。

お別れの会は東京會舘で行われる事が分かったが
その日はなんと泊まり勤務。

しかし上司が「(遅刻扱いにはしないから)行ってきなよ」と
出勤前に立ち寄らせてくれた。

献花をしてお別れが出来た。

もうあれから6年が経つ。

しかし今でもヒョッコリ腰を屈めて歩くお姿で
現れるのではないかな、と時おり思い出す事がある。


相談役(最終時は特別顧問)、やっと御社のカメラを買いましたよ
本当はお墓参りも伺いたいのですが
それは叶わぬ夢でしょう

一眼レフは買う事は無いかもしれません
でも
もしも買う機会があったら
私はニコンを選びます。
そしてこのコンデジに寿命がきたら再びニコンを選びます。

相談役、お逢い出来て本当に良かったです。



相談役、ニコンのカメラで↑撮りましたよ。

もしも今でも存命でカメラをお見せしたら

「買ってくれたか!」

と、おっしゃってくれたのでしょうね。





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反動

2009-05-05 23:06:08 | HOTEL
先日、職場で大失態を演じました。
何が起こったかは情けなくて書けませんが
直属の上司からは「プロ失格」の烙印を押されました。

自分の性格からこんなトラブルが起こるのは当然だった。
私はいつまでたってもダメだ、と打ちひしがれた。

失敗の原因を考える
柔軟な対応、臨機応変というのが出来ない、同僚への中途半端な気遣い等
入社して17年
今まで何をやってきたんだろう。
肝心な所が出来ていないのである。
本当にバカかと思う。

久しぶりにへこみました。
帰宅しても何をしていてもダメ。
布団に入っても思い出してなかなか眠れない。

そして昨日の出勤。

玄関に立つ。
始まって数分で
やっぱりこの仕事は楽しいな、と思う。

チップの事は書きたくないのだが昨日は何故か
普段は滅多に入らないチップが4件入った。

件のトラブルとは全く関係ない方々からのチップなのだが
まるで
「これで頑張りなさい」
と言ってくれている気がした。

仕事が終わって寝る前にそのお金を見ていたら
ありがたくて目頭が熱くなった。

とても使う気になれなかった。

欧米のホテルと違ってチップ制でない日本のホテルで頂くチップは
「意味」が全く違う。

金額ではなくその「気持ち」に励まされる。

冬の寒い日に立っていた時
ヤクザの組長さんから
「これで暖かいものでも飲んで・・・」
と渡されたお金は今でももったいなくて使えない。
どんなに、どんなに嬉しかった事か。

他にも「気持ち」の入った使えないお金がある。
仕方なく使う時は拝んでから使わせて頂く。

私はお客様に生かされている、と思う。

チップではなくお客様の何気ない「言葉」でも過去に
何度も救われた。

そして今朝の明け勤務。
職場にスポーツクラブの会員さんから宅配便で「しょうが湯」が届いた。
先日「のどが痛い」と話していたら送ってくれたのだ。

一昨日のトラブルから立ち直らせてくれた昨日のチップに続き
届いた宅配便。
「○○さんまで・・・(涙)」

そして帰りの際
馴染みの運転手さんが
「今日は連休で仕事にならないから(無料で)送りますよ」
もちろんお断りしたのだが
「いいんですよ。いつもお世話になっているから今日位は送らせて下さい。
横浜の△△でしたよね」
せっかくなのでお言葉に甘える事にした。

ホテルから家までタクシーで帰るなんて・・・
(『エントツ』ではなくメーターを実車にして走ってくれたのだが
金額がスゴイ事になっていたが支払い無し)

もう本当にありがたくて・・・

トラブルの一件から昨日のチップの事を話した。
「そんな事があってさらに(運転手さんに)送ってもらえるなんて・・・」

運転手さん
『それはね彩雲さんのお人柄なんですよ』

いや私そんなたいした人間ではないんですが・・・
人間が小さいし。

電車で帰るよりあっという間に到着し
ホテルの玄関で見送っていたタクシーを
自宅の玄関でいつまでも見送っていた。

勝手な思い込みですが先日のトラブルに
みんなが私を励ましてくれているように思えてならない。
「これで頑張りなさいよ」と。

もちろんトラブルと私を励ましてくれた方々は何の関係もありません。
それでもいろいろな方々のお陰で私は明日も玄関に立てるのだ。





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「都内のホテルにて会談し・・」

2009-04-15 21:11:44 | HOTEL
昨夜、とある政党首脳部の方々が勤務先のホテルにて食事会を開かれました。
私が好きな政党なのでどんな方々がお越しなるのかと思っていたら
報道各社が大挙してやってきました。

(休憩中に撮影)

当初は「敷地内の撮影はダメ!」との事でしたが
『玄関で他のお客様は写さないなら』とOKとなったようです。

よくテレビニュースで
『都内のホテルで会談し・・・』とホテルの玄関から黒塗りセダンで乗りつけて
ドアマンがドアを開けて政治家の方が降りてくる場面があるがまさにそれ!
弊社は大きなホテルではないので滅多にそんな舞台にならないのです。

てことは今夜のニュースに私がドアを開ける所が映るの?
これは面白い(笑)
たまにはこんな時もあるから楽しい♪
(注:警護対象となっている代表等でSPが警護している場合
ドアマンはドアを開けません)

それらしい車輌が入ってくると私の背後にカメラのスポット照明が点灯し
なんだか恥ずかしいような嬉しいような。
今までに体験した事のないような感覚に陥ります。

薄いスモークの貼ったセダンの後部座席には
その政党のある方が!
「(あ!○○さんだ!あぁ、あなたこそ総理になって欲しいんですけど・・・)
いらっしゃいませ。」
そんな想いを胸にドアを開けると背後から新聞社のストロボがバシバシ焚かれます。

うぉ~!すっげ~!!ドアマンやっていて良かった!お母さ~ん!?

話題の合ったNHKのカメラマンさんから
『バッチリ写りましたよ(笑)』と言われたので今夜のニュースが楽しみ♪

が・・・

仕事が終わって各局のニュースを見たがクレーン事故が大きく扱われ
その政党のニュースはありませんでした・・・
とある議員さんが帰る間際に記者さん達からインタビューを受けていて
ニュースになるような発言や出来事は無かったとの事が聞こえたので
ボツになったのでしょう。

それでも普段と違う雰囲気で楽しかった出来事でした。
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いらないじゃん・・・

2008-12-02 20:23:25 | HOTEL
ある業界紙からホテルのドアマンの接客ノウハウを取材させて欲しい
と弊社に依頼がありました。

直属の上司から
「ドアマンの事を熱く語ってくれ」
と言われて
『いや~、何を話せばいいんですかね。
どうしませう、たいした事言えませんよ』
と答えておきましたが内心は

『普段、私がホテルのドアマンとして何を考えて
どんな想いで玄関に立っているか。
自分なりのどんな工夫をしているか、この仕事への想いを伝えるチャンスだ!』

と燃えておりました。

勤務シフトを作る同僚(先任の後輩)に
出勤出来るように作成してくれと伝えると
「でも彩雲さん8日連続勤務になっちゃいますよ?」
彩『かまわん!それでもやるのさ!』

この一ヶ月人員的にキツイ勤務が続くようになり
身体も疲れている。それに面倒なイベントもあり忙しかったから
休みたいけどこの取材は自分が受けたい!

取材はスイートルームで行われ記者の方
前述の上司、企画部の役員、私の4人でスタート。

先方は
『どのようにお客様の顔を覚えるか。
そのスタッフ教育はどのように行っているのか等』
を知りたいようでした。

結果・・・・

企画部の役員が延々と話していました。
途中何度か隣に座る上司も私を見て苦笑い。
まさに独演会。

私としてはあまり口を挟まないほうがいいかな、と思っていたものの
さすがにこれじゃあ~、と少しは話しましたが
思っていた事は少ししか言えません。
それも強引にこちらから話した、といった感じです。

 現場ドアマンの接客ノウハウじゃなかったの・・・?

私、いらないじゃん・・・!
来た意味ないじゃん

部屋を出てから上司に話すと

上司「いや、記者の人も本当はお前から話しを聞きたかったんだと思うよ(苦笑)」

なんの為に強引に出勤したんだぁ~~~!!

翌日の今日。
食堂で更に上の上司から
「昨日どうだった?○○さんがず~っとしゃべっていたんじゃない?
そうなるとは思ったけど(笑)」
隣にはその○○さんがいたけど思わず大爆笑してやりました






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それが人生だとしても

2008-06-25 23:29:47 | HOTEL
いつかはこんな日が来ると思っていた
でも実際にその時が来ると何でこんなにも辛いのか

前所属のスポーツクラブ勤務時代
気難しいビール会社の元役員の方がいた

今朝の勤務中に他の会員様からお亡くなりになった事を聞いた


はじめはあまり好きではなかった
正直苦手だった

それでも慣れてくると徐々に言葉を交わすようになった

箱根に行った際
その方の会社の缶ビールに地域限定のデザインがあるのを知って
お土産に買って帰り来館時に渡した

その存在を知らなかったようで
差し上げると言うと
「(自社の製品なので)普通、逆だろ!
いいのかい?」

と言いながら嬉しそうに持ち帰ってくれた

後日の来館時に
「何より気持ちが嬉しかった(笑)」
と言ってくれた

あれからだった
変わったのは

来館され私を見掛けると笑顔を見せてくれるようになった

楽しかった

苦手なはずだったのに好きな人になっていった
特別法人会員という事で通常会員と違い制約があり受けられない
サービスをお願いされる事もあった

厳密には出来ない事なのだが
その会社が契約を続けているのはその役員の力が大きいので
それを踏まえて便宜を図った

但しそれは他のスタッフには頼まず私がいる時にだけ

その方も私に迷惑が掛かる事をとても心配してくれていた

私はただその方が喜んでくれるのが嬉しかっただけだ
それでも私にだけ内緒でお酒やお菓子を持ってきてくれた
嬉しかった

ある時、その会社の方の営業担当の方と話す事があった
マネージャーではなく私を指名されてきた

私の事をとても評価してくれているという事を聞いた

私はいろいろな会社のビールが好きだが
神宮球場へ行くと私は必ずその会社のビールしか飲まない
他愛もない事だが自分なりのその人への想いだった
(チケットをくださった方とはまた別だが)

その事をメールで伝えると驚いて喜んでくれた

他にもいろいろな思い出がたくさんある

以前にブログで
「この仕事は人を好きになる事」
と書いた

それはこの方から教わった
今までやってこられたのはこの方のお陰だと思う

勤務中訃報に接し涙が出た
こんな事ではホテルマン失格だと
他の事を考えるようにしたが
玄関でも思い出があるので崩れ落ちそうになった

それでも必死にお客様の前では笑顔で対応した
目が真っ赤になっていたので
ベルガールにどうしたんですか?と訪ねられた

季節はずれの花粉症でさ、と笑って誤魔化した

家に帰り異動時に手紙を書いた際の返事のハガキを再読した

読んでいるとドラマのように相手の声が聴こえるようだった


 「(中略)ヘルスクラブでの経験を活かし
優秀なドアマンに成長される様祈念致して居ります
お目にかかる機会が減ると思いますが頑張って下さい」

再び読み返すと涙が出て仕方がない

所詮は仕事なのに・・・
 
 この仕事は人を好きになる事

でも・・・
それは失った時の反動があまりにも大き過ぎる


スポーツクラブは私よりはるかに年上のお客様が多い
今後、この仕事を続ける限り何度も何度も同じ
反動を受けるのだろう


   サッポロビールのKさん
   前にお逢いしたのは駐車場のゲートでしたね
   今まで本当にありがとうございました







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人生足別離

2008-03-01 00:11:59 | HOTEL
ドアマンの仕事をしていているとホテルの玄関に待機してくれるタクシーの運転手さんと顔馴染みになります。

タクシー利用客は大半が弊社からワンメーターの最寄り駅までです。
それでも時折成田空港までの長距離(約25,000)をご利用なる方もおられます。
どの運転手さんに成田行きが巡ってくるかは「運」しだいとなる訳ですが私も人間なので「人間的に良い運転手さん」に成田行きを廻したいと思ってしまう。

運転手さんにも色々な方がおります。
「最寄り駅まで」
と言った途端、露骨にイヤな顔や態度をする方
お客様とドアマンでトランクに大きな荷物を積んでいるのに車から降りず手伝おうとしない方(降車時にも手伝わないんでしょうね)
ドアを思いっきり閉める方
そんな方には長距離を廻したくないと思ってしまう。


近距離でも嫌がらず笑顔で対応する運転手さんには「当たり」を引いてほしい。
ドア越しに接客を拝見しこの方には次に長距離が入ったら廻してあげよう、と考えている。
予め何時に成田空港や長距離が分かっている時は運転手さんの携帯電話に連絡をする。
「(長距離を)廻してあげたい」と思う運転手さんが何人かいる。
そんな事も考えながら仕事をしている。
先日、馴染みのタクシー運転手さんの一人と話しをしているとその後ろに
初めて見る若い運転手さんが着いた。

その方を交え話しをすると「僕、U村さんからここの場所を聞いてきたんですよ」

『おお、そういえば同じ帝○交通ですね。最近U村さん見えませんね?』

U村さんは最近全く姿を見せなくなって気にしていた。

「・・・U村さん亡くなったんですよ」

『え!!?・・・』

愕然とした

「胃が痛い、と普段から言っていて病院に行ったら末期ガンでした」
「このホテルから成田空港へ行ったのが最後の乗務でした」

タクシー運転手としてのその方の知ったのはドアマンに来てからのこの一年だったが6年前のベルボーイ時代にとあるロックバンドの運転手をされていた時に知っていた。
先任のドアマンからも好かれていたその人はいつも笑顔で近距離でも嫌がらずに対応する姿に私も好感を持っていた。

 いつか成田空港行きを廻してあげたい!

しかしこれもまた運でそんな時に限って電話をしても休まれていたりで
なかなか当たってもらえない。

そんなある日、念願の成田行きが廻ってきた。
待機タクシーが並ぶ中で『廻してあげたい』運転手さんを探す。

 あの人は前回廻してあげた
 でも前にお世話になったから連続で廻そうか・・・

その後ろにU村さんの紺色セドリックが!

一瞬、躊躇したが念願の約束を果たす時がきた

他の運転手さんに悪いので大声で
『帝○交通さん、ご指名です!(ウソ)』
さらに『ゴメンなさい、近場です』
と他の運転手さんに聞こえるように付け足す。
『近場です』と言っても笑顔で「いいですよ」と答えてくれた。

タクシー乗り場に誘導して荷物を載せて
『実は成田空港です(笑)ヨカッタですね♪』
「ハイ!」
嬉しそうな笑顔だった。

喜んでくれた。やっと普段のお礼が出来た。
長かったな・・・

それにしてもイイ笑顔だったな
これでまたこのホテルに車を付けてくれるだろう。

その日を最後に姿を見なくなってしまった。
先週、長距離があったので携帯電話に架電しても出なかった。


あれが最後の姿だった

最後に成田空港へ行ってもらったのがせめてもの救いか
しかし
『成田を廻してもらった帰り道がきつかったそうで、それから会社に急遽戻って病院に行ったら即入院でした』

良かれと思って廻した成田はそのお身体には苦痛だったのだ
仕事だから仕方が無いと思ってはいるけど

所詮は私の自己満足に過ぎなかった

そんな事を考えていると中番のドアマンが来たので引継ぎをして
仮眠室に向かった。
昼の仮眠室は誰もおらず一人ベッドにもぐった。


下の名前も知らないし、仕事で逢うだけの関係
どんな家族がいたのかどんな人生だったのか
まったく知らない

それなのになぜだろう涙が出てきた
悲しくて仕方が無かった


弘兼憲史さんの島耕作シリーズの中で好きな言葉があります

『それが人生というもんだろう
 人と出会い、人と別れる
 人生というのは そのくり返しなんだ』

この言葉を思い出し諦める事にした。

さて、今度長距離が入ったらU村さんの後輩さんに廻そう

  それにしても最後のあの笑顔は本当に素晴らしかったな
   
  忘れる事はないだろう



コメント (10)
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異動して1年 スポーツクラブの事 

2008-02-01 21:44:07 | HOTEL
5年間を過ごしたスポーツクラブを去り前所属のベルサービスに戻って1年が過ぎました。
もっとも前所属とはいえベルボーイではなくドアマンです。
ベルボーイ時代に半年程ドアマンの経験もあるが年月も経っている

玄関に立ちお客様をお迎えしお見送りするのが私の仕事。

ホテルマンなんて人見知りで言葉数も少なく内向的な自分には決して向かない職業だと中学の頃にニュース特集で見て思っていた。

高校の時に進路指導の先生から
『お前ホテルマンが向いているんじゃないか?』
と言われた一言で先生がそう言うんならそうだろう!と
いい加減な気持ちで入ったホテル専門学校(笑)

一年目の現場実習で横浜の老舗ホテルでベルボーイとして働いたが
先輩から『この仕事は人を好きでなくてはやっていけない』と
忠告され「なんでこの世界に入ってしまったんだろう・・・」
と夜のロッカー室で立ちすくみ悩んだ事もありました。

不思議なもので卒業後、現在のホテルに勤めてからふと気付くと
人が好きになっていた。

入社時はバブル景気の崩壊初年。
『こんな会社すぐに辞めてやる』
という同僚の声を耳にしていたが私は
「せっかく自分なんかを雇ってくれたのだから定年まで勤めさせてもらう」
と返す度に
『お前変わっているな』
と笑われた。
同期は74人いたが残っているのは5人だけだ。

人間が嫌い?だった自分が明らかに変わったな、と実感したのは
5年前のスポーツクラブ異動時だった。

評判では「気難しい方が多いので大変」
と聞いていたが異動後の3日でその職場が楽しくなった。
職場が、というよりも会員制というシステムが自分に合っていた。
客室部のベルサービスは常連客も多いがメインは初めてのお客様。
同部のスポーツクラブは宿泊客もいるが殆どが常連のお客様。

私は昔から自分より遥かに歳上の人が好きだ。
自分では経験した事のない事をその人生の中で経験し
知っていているから。
そんな年上の人の話しを伺うのがとても好きだった。
普通なら「年寄りの昔話なんて聞いても面白くない」そうだが
私はそうは思わない。
書物には書かれない雑学や体験を教えて下さる。
本当にありがたい。

来館される人が決まっているので物覚えの悪い自分でも名前を覚え易かった。
話しのネタにその会員の方の会社の話しを新聞や出先でネタを仕入れて
話すきっかけにしてコミュニュケーションを取った。

もし若い人から「この(クラブの)仕事は何ですか?」
と聞かれたら私は
「人を好きになる事」
と答えるだろう。

どんな人間でも必ずいい所がある。
その人の良い所を見つけてその人を好きになる事だと思っている。

それでも退職したいと思った事があった。
大好きだった会員の方が二人ほど高齢の為に亡くなられた時だ。

年齢層が高い為に「お迎え」が早く来てしまうのがこのクラブ。
所詮は末端の社員なので葬儀には「私的」で参列させてもらった。

訃報を知り裏で独り泣いていたが表にいる先輩から直接言われた訳でないが
「なんでそんな事で泣けるんだよ。俺は会員なんてみんな嫌いだよ」と笑う声が聞こえた。

それでもその事がショックで信頼していたバイトの人に
「俺さ、~様の事が好きだったんだ」
と言ったらまたもや笑われた。

人の事を好きになるが故にそんな反動が来る
(異常と思う方もおられるだろう)

今でもフラっと影から現れるんじゃないか、と思い切なくなり涙をしてしまう事があった。
身内でも無いのにこれからもこんな思いを経験していくのなら辛すぎる・・・。
精神的にオカシクなりそうだ。
本当に辞めたいと思った。

幸いにして「特別に好きだった」お客様が亡くなる事はそれ以来無い。
静かになったクラブで一人でいるとあのお客様がフラっと現れるのでは、と思い泣いてしまうのは変わらない。

先日の事。とある黒塗りのセダンをお見送りした。

夕暮れ時の中。
去って行くセダンを見て思い出してしまった。

スポーツクラブ時代、大好きだった某光学器メーカーの相談役を車椅子に載せて玄関までお送りした。
黒塗りセダンの後部窓を開け手を挙げて去って行った。
心のどこかで「もうお会いする事はないかも」と思っていた。
結局あれが最後となってしまった

夕暮れ時だった事と車が似ていたので「最後のお姿」を思い出し切なくなった。

スポーツクラブを去って今日で一年が経過しました。
月日の経つのは早いです。

久しぶりに書いたら思わぬ長文になってしまいました。

ではまたいつか!

コメント (11)
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