あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

こんな事って・・・

2007-02-24 18:55:17 | (旧車)
おじいさんのコルトのお話しでinomamoさんが
>>古いモノには魂が宿る、と言いますが、このコルトも長年おじいさんに連れ添った相棒として魂が宿っているのでしょう。

と書かれておりましたが先日、こんな事がありました。
ちょっと出来すぎのようなお話ですが・・・

14年連れ添った三菱ギャランを廃車にするので車内に残した荷物を取りに
三菱店に行ってきました。
ディーラーに預けてある鍵とは別に私が専用に使っているスペアキーを持って。
私がギャランを動かす際は常にその鍵を使用してきたのだが、さすがに十数年使っていると三菱マークの部分がちぎれそうになってきたので新しいキーホルダーを探さなくてはな、と思っていた。

コルトのキーホルダーも免許を取った頃にいろんな店に行って好みのタイプを探しまわった。

ギャランの鍵は三菱自動車で販売していたのを見つけ「純正みたいでいい!」と思って選んだ。
そんな思い入れと思い出の詰まったギャランの鍵。
車は無くなってもキーホルダーと鍵はずっと残しておけるからいいかな
と思っていた。

さて久しぶりに対面したギャラン・・・



年を取り車をぶつけるようになった父の運転で満身創痍という感じだった。

そんな姿を見て間違っても口に出さないが今までのお礼の思いを心の中でつぶやいていた
いつものMy鍵を使いトランクを開けて荷物を取り出す。

未練がましく運転席に座ったりハンドルを握ったり

所詮は生活の道具
古いモノにいちいち拘っていたら生きてはいけない

そう思う事にしてギャランから離れた
ざらざらになったホコリだらけのボンネットに触れて
「サヨウナラ・・・」

そして家に帰りポケットからギャランの鍵を取り出そうとした時の事

 コトン!

と何かが落ちたので怪訝に思い下を見ると



ちぎれかかっていたスリーダイヤのプレートの繫ぎ目がついに切れたのだ・・・
確かに切れ掛かっていたのだが、まさかこんなタイミングで切れるなんて・・・

 もう私の役目は終わった

とサヨナラを告げられたようだった。

あまりの事に呆然となり切なかった

 
14年だったがギャランのオイル&エレメント交換は私が自分で行っていた。
洗車も掃除も私だった。

「連れ添った相棒として魂が宿っているのでしょう」

inomamoさんの言葉が胸に沁みている

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大分旅行 17 湯平から豊後高田へ

2007-02-22 11:05:25 | 
そういえば「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 」に出てくる
湯平荘の主人は内田朝雄さんは
「あの試走車を狙え」に出てくる京都のタクシー王、神林隆平(かんばやしりゅうへい)役で出てきます。
なんか偶然みたいで嬉しいですな。


翌朝、温泉に入りがてら町の中を散策してみた。






旅に出ると朝の散歩も楽しみの一つだ。

駅まではご主人に送っていただく。
その前に記念撮影


これは三年前



駅に着き お別れとなった。
 また何年かしたら泊りにきます・・・

走り去る車を見ながら再び逢える日が来る事を願った

駅から見える山は今日も霧に覆われていた



大分駅に着くと今夜の帰りに乗る予定の寝台特急富士号がいた。
同じ列車かどうかは分からないが




この列車で宇佐駅まで行く


宇佐駅

コンビニは無いが駅のキオスク?でいろいろ売っていたので助かった。
夜も東京行きの夜行が出る迄は開いている、との事を確認。
ここの店員さんも感じの良い方だった。
旅先での些細なふれあいも嬉しい

バスに乗り豊後高田の昭和の町へ

豊後高田のバスターミナル


バスの感じは3年前と変わっていない


三年前のバスターミナル

ちょっと残念だったのは3年前にバス車庫入り口にあった廃バスが消えていた

このバスもレストアして走ってくれたらな

さて、次はいよいよ念願のコルト1000Fバンに感動の対面?
 思えば遠くに来たもんだ・・・





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大分旅行 16 湯平温泉 白雲荘

2007-02-20 20:37:58 | 
湯平駅に着き宿に電話を掛けるとご主人の声が元気よく返ってきた。
本当はノンビリとバスに乗って行こうと思ったのだが
予約をした際に3年前よりもバスの便が激減してしまったと聞いていた。
それ故に大分駅から電話をすれば湯平駅まで迎えに来てくれる事になっていた。

乗り継ぎの都合、電話出来なかった事を詫びたが
「気にしないで下さい。では今から行きまーす♪」

10分後、三年ぶりにご主人と再会した。
 
 変わらないな
 三年前、私はこのご主人に大切な事を教わりました・・・

すっかり遅くなったが懐かしの「白雲荘」に到着。




 ついに帰ってきた・・・

私の好きな昭和レトロではありません。
しかし、この宿の良さは別にある


私が中学生の頃
テレビで「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」が放送された。

映画の中で寅さんが湯煙が湧き出る石畳の坂を歩いて行く場面
道の両側には決して豪華ではない(失礼)ひなびた温泉宿が並ぶ



一瞬の場面だが私は

  大人になったら自分で働きそのお金でこんな場所に一人旅をしてみたい!

と思っていた。

それから十数年が経ち大分行きに際してネットでそのモデルとなった宿を探すと
湯平温泉という所の「白雲荘」らしい、という事が判明。
その時点で実際に宿を使って撮影が行われた訳ではなく玄関や部屋から見えるカットを白雲荘で撮影した。というのも承知していた。
(劇中の名前は「湯平荘」)

予約時の電話の対応も良かった(今回も)。

部屋に通されお茶を飲もうと思ったらお茶ではなく
「飲泉」だった。
正直な気持ち
 
 お茶の方が良いのに・・・

と思って飲んでみると・・・

 何これ?旨い!!

それまで飲泉は飲んだ事があるが「こんなものか」程度でした。
が!湯平温泉のそれはあきらかに違う!身体が癒されるといえばよいのか・・・

今回それを期待したが部屋にあったのは「お茶」
聞いてみると
「『お茶のほうが良い』と要望が多くて・・・」
だそうな。その後で念願の「飲泉」を汲んで持ってきてくれました。

内湯もあるのですが町内にある共同浴場に行きブラついてきます




帰ってからから夕食となりました。
「今日は部屋が空いているので」という事で
別の部屋を食事部屋にして戴きました。

並ぶご馳走
(画像)
この食事が豪華でどれも美味いのです!

みんなで行く旅も良いが
温泉宿に一人ノンビリと食べるのも楽しい♪

さて
『三年前、私はこのご主人に大切な事を教わりました・・・』
です。

それは三年前に部屋に食事を運んで来てもらった時の事。
料理を並べた宿のご主人が
主「お飲み物は何にします?」
雲『ビール!』
主「生にしますか?ビンにしますか?」
雲『生なんてあるんですか?(驚)』

そしてご主人は中生を持って来てくれました

主「ハイ!」
と差し出した時の満面の笑顔

その笑顔を見た瞬間

「そうか・・・私に足りなかったモノはこれだったんだな・・・」

ホテル業という職種に就いている私は『笑顔で接客』という事にどうも
クサイというか照れくささを感じており理解していなかった。

 笑顔ってこんなにも大切な事だったんだ・・・

 打ちのめされた思いをした

そのご主人は常に笑顔でした。

それからだろう
笑顔を意識して仕事をするようになったのは

自分で言うのもおこがましいが変わったな、と思う
お客様からの反応も変わってきた。

もし「男は~」の映画を見ていなかったら
 そして「白雲荘」に泊まっていなかったら・・・

今の私は無かったのだと思う


今までの旅で一番良かった宿はどこですか?と訪ねられると

「九州は大分『白雲荘』」と答えている

http://www.mirakuru.jp/hakuunsou/


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あるコルト1100の事

2007-02-09 22:58:47 | 三菱コルト1100
3年前の事
三菱旧車仲間から
「栃木でコルト1100に乗られるおじいさんがテールレンズを割られて部品が無くて困っている」
と連絡があった。

メールの内容『持ち主のおじいさんも、すっかり気持ちがへこんでしまって
 おりまして・・・・。
 派手に割れてしまっておりまして修復も不可能。
 その車両を長年面倒見てきた三菱系の民間修理工場も
 お手上げ状態です。
 ふつうの人がふつうに維持してきた車だけに、当然ながらも
 予備パーツなどは持っていなかった様子なのです。』


後ろから追突されてボディーには影響が無いものの、左のレンズが割れてしまったのだという。
「栃5」のシングルナンバーが付いたコルトの画像を見るとレンズの修復は不可能な事が一目瞭然

ワンオーナーのおじいさんは単に「壊れないから」という理由で普通に乗っていた。別に古い車が好きだ、という訳でもない。

それまでこのようなコルト1100が残っている事は知らなかった

今から10年程前に廃車にするコルト1100から部品を取りに行った時に
「これも持って行け」と年季の入ったテールレンズを渡された
その時は『いらないよ』と思ったのだが思わぬ所で役に立つとは。
私のコルトのリアトランクはその部品取り車から付け替えた物。

さっそく物置の奥からそのテールレンズを探して送ると
大喜びの様子が分る連絡が届いた。

『昨日深夜、真っ先に部品を届けてまいりました。
 おじいさん、修理屋さん、ともに胸をなで下ろした
 様子でした。
 一台のA21が延命できました。
 本当にありがとうございました。
 あのままでは日々の走行も危険・・危うく廃車に
 なるところでした。』

遠く逢った事も無いが同型のコルトが延命出来たこと
長年連れ添った車を失いかけて落胆したおじいさんが喜んでくれたこと

人の繋がりの素晴らしさを改めて感じた。
また
部品取りで廃車になったコルトの一部が再び生きているということ
それも嬉しかった

直後、修理工場の方からお礼の手紙と写真が届いた
 『(略)部品は入らないと言う言葉を報告しなければならないと思った時
 どうしようかと思いました。
 しかし、彩雲さんから善意によるテールレンズを頂き、その旨を伝えた時の
 あの顔は今でも忘れられません(略)』

その写真にはコルトの前に立つおじいさんの姿があった。
更に別便で当のおじいさんから地酒が一升瓶で送られてきた。
その地酒の名前は「絆(きずな)」だった。

私のコルトのトランクとおじいさんのリアレンズ

その2台をつなぐ絆だと思う事にした。
「絆」の味は格別にうまく、機会があったら自分でも買ってみようと思っていた。

いつかは会って、2台を並べてみたい。
しかしコルトで栃木まではあまり遠い。故障したら帰って来られない・・・。

そう思っていた。
 
 でも逢ってみたかったし話しもしてみたかった
 
因みに彩雲家の親戚が栃木の益子町に住んでおり東北道が開通していない子供の頃にコルトで何度も遊びに行ったものだ。

それから一年ほどしただろうか

栃木に住むDEBOPACERさんから
 『走っていたらいきなり向こうからコルト1100が走ってきた!』
と驚きのメールが届いた。
写真を撮らせてもらい、後日そのおじいさん宅に伺ってデボネアとコルトを並べて撮影しその写真を見せてもらった。
その際にDEBOPACERさんが前に撮った私のコルトの写真をおじいさんに見せてくれたそうだ。

縁とは不思議なものだと思う

ふと心配になったのがオイルエレメント。
コルト1100のエレメントは現代のようなカートリッジ式ではなく中のフィルターだけを換えるタイプ。20年前から製廃となっている。
しかし変えないと最悪、紙が溶けてエンジン内に廻ってしまう。
件の修理工場に電話で聞いてみると「部品が無くて変えていない」
との事だった。
その後、エレメントを二個入手したので一個を工場に送り
「次回の車検時に変えて。でも、おじさんには黙っていて下さい」
とお願いをした。
私からだと知ったら気を使ってしまうだろうから
 
いつまでもおじいさんのコルトが元気で走っていてくれればそれでいい


先月の24日
私はコルトで横浜から栃木まで往復500㌔の旅に出た。
一日で走る距離としては私の最長記録だった。

目的はdebopacerさんに用事があり思い切ってコルトで遊びに行く決心をした
用事も終わりdebopacerさんと二人でおじいさんの家を訪ねる事にした。

しかし、奥様が出てきて
「一年前から入院している」と伝えられた。
奥様は訪ねてきてくれた事を喜んでくれて
上がっていくように、と薦められたのでお茶とお菓子をご馳走になった。

納屋にあるコルトを見せて戴くと一年以上エンジンを掛けてないのでバッテリーは上がっていた。



それでも逢えただけで満足だ。


(上記二枚はdebopacerさん撮影)

お土産に白菜を持たせてもらって帰る時の事だ。
奥様にお礼を告げ私のコルトのエンジンを掛けた瞬間
奥様が助手席の窓に駆け寄ってきた。

「(エンジンの)音がうちのとおんなじ!!!」

嬉しそうな顔だった。立場が逆だったら私も同じように感じただろう。
奥様にしてみれば一年ぶりに聞いたエンジン音だったのだ。


今度は退院されてからdebopacerさんと一緒に訪れたい。
そしてコルト二台で写真を撮ろう!


結局私はおじいさんに逢う事はなかった
今月の6日に亡くなった事を先ほど知った
愕然としご冥福をただ祈るだけだった

それでもあるコルト乗りが亡くなられた事を知って戴きたく記す事にしました


あの時、走り去るコルトのエンジン音を奥様はどんな気持ちで聞いていたのだろう


その後・・・
こちらのブログを是非、ご覧下さい

http://blog.livedoor.jp/debopacer/archives/50911905.html



 


コメント (11)
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大分旅行 15 3年前の事

2007-02-05 14:55:22 | 三菱コルト1100
ちょっと脱線しますが三年前になぜ湯平温泉を訪れたのかを書きます。
大分の某自動車博物館(?)にコルト1100が展示されている、という事を
10年程前から知っていましたが遠方の為になかなか訪れる事は出来ませんでした。

しかし「大分豊後高田」の『昭和の街』という昭和30年代をコンセプトにした商店街が面白い、という話しをネットで知った。

・大分のコルト1100
・「湯平温泉」にも行ってみたかった。
・昭和の町
・寝台特急で旅をしたい

と各種条件が重なり訪れたのです。

コルト1100はもしかすると常設展示車ではないかもしれない。
(マイナー故・・・)
なら博物館?(「博物館」とは違う)に前もってメールで問い合わせればいいや、
と「横浜から行く故、見学出来ないと何なので大丈夫ですか?」とのような事をメールしました。
一週間経っても返信はない・・・。

当日訪れて入り口に展示してあるホンダスポーツ800を見て「嫌な予感」がした


おお!コルト1100さん!逢いたかったぞ♪

・・・あれ??
だいぶお疲れのようですね・・・






車内にあるお名前は「コルト1500 1968年式」
なんだコルト1500なんだ~、ごめん間違えちゃった(笑)

いや、そんな訳ない。
どう見てもCOLT1100です。
で、ドアノブ?から前期型というのが分りますのであなたは
1966年か1967年生まれですよね。
ダメよ、サバを読んじゃ(笑)

それよりもなんで「ホコリまみれ」なの?

あらやだ

タイヤの空気が抜けていますよ・・・

コルトは後ろ姿がステキなんよね

モールが腐って外れかけています・・・
それにテールレンズはコルト1000用です
バンパーは当然のように錆が出ています
リヤの板バネの付けねをロープみたいなもので結んであり・・・(何故?)

後輪には石を使って車止めにしてあります・・・

長年、会いたいと願っていた相手は理想とかけ離れていた。

私は横浜から大分まであなたに逢いたくて・・・

長年想っていて・・・さ・・

ふぅ・・・


館長さん、バケツと雑巾と空気入れ貸してくださ~い!



↓まにまにカレチさん、のぶさんへ


けさぶろう君もおりますが・・・
この写真では分り辛いと思いますがご自身で判断して下さい

こちらは、さわてつさんかな?


日野ルノー
小道具とかは良いんですが・・・


見世物小屋状態でした・・・・

今はどうなっているのかな?
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大分旅行 14 点と線「小倉駅4分間の空白に隠された秘密とは・・!」

2007-02-03 23:05:48 | 
呉から広島に戻り小倉まで「のぞみ号」で行く。
せっかく広島に来たのだから長崎堂のバターケーキを買いたいが事前に調べたら休みだった。人にお薦め出来る一品は何ですかと聞かれたら長崎堂のバターケーキを挙げます。一度頂き物で食べただけだがあんなにおいしいケーキは他に無いと思っている。実に残念
上りのホームには0系が見えた。



やっぱり0系はいいな。入線してきた「のぞみ15号(13:20発)」は何系かは分からなかったが「自分が『のぞみ号』に乗るなんて…」何故だかふさわしくない気がしてならなかった。もうオノボリさん状態です(下りなのにね《寒》)。
さて、小倉から大分駅迄は特急電車に乗るのだが乗り換え時間は数分しかない。
(のぞみ小倉駅14:07着予定で特急電車は14:11発。その差4分)
承知していたが呉駅で乗り継ぎ切符を買おうとした時に駅員さんからも指摘された。
のぞみ号は定刻通りに広島駅を出発したがなんだか遅れているようで不安になってきた。結果、数分遅れで小倉に着。既に特急の発車時刻だった。
半泣きでのぞみを降りホームを目指す。
「もしこれが松本清張『点と線』のように時刻表を駆使したトリックを計画していたら・・・」
なんて余計な事を考えている余裕は一切ない。
後ろにもつられて数名が走って付いてきた。
目指す列車は14:11発予定のソニック27号

列車が見えたのだが指定席の号車を探す余裕もなく適当に飛び乗ったがそもそもこの電車で合っているのか?
さすがにのぞみ号の到着を待ち合わせていたようだ。

15:37 大分駅着

モーレツダッシュでソニックを降りて久大本線に乗る。

15:39 大分駅発

大分駅に着いたら宿に電話をし湯平(ゆのひら)駅まで迎えに来てもらう事になっていたのだが、ここでも乗り換え時間がなく電話が出来なかった。さすがに車内で架電する事は出来ない。
ワンマン運転の気動車からは3年前と変わらない車窓が広がっていた。


この画像のみ翌日に撮影)
霧雨が降り水墨画のような光景だったのだが列車の席の都合、撮影出来ませんでした。

単線なので交換待ちです





50分後の16:30
今夜の目的地「湯平温泉」に着



ここ湯平駅ホームは「男はつらいよ」に出てきます。


私がここを訪れたのは三年前。

その時のホーム


そして今回。ホームの雑草も抜かれ手入れが行き届いております。


何気ない景色にも「風情」が溢れて駅だけでも30分はいられます。
駅から見える山々
霧が掛かって旅情に浸れます。その景色を撮ってくれば良かったのですが見事に取り忘れ・・・


ここから二つ先が有名な湯布院の駅です。


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別れは突然に・・・さよなら7代目ギャラン

2007-02-01 21:40:47 | (旧車)
彩雲家の主力車93年型三菱ギャラン


彩雲家車歴
1967年型コルト1100(1973年に親戚から中古で)
     ↓
1979年型いすゞジェミニ1800LTディーゼル(1986年に近所の方の親戚から)
     ↓
1993年型三菱ギャランMX(SOHCエンジン)
初の新車がこの3ナンバーギャランです。
(本当はディアマンテが欲しかった)

ジェミニが老朽化し時期主力機の選定にあたっては私が神奈川三菱の某店に行き
カタログを入手して選ぶように仕向けた。
新旧三菱車で揃えたかったのは自然な成行きでしょう。
(そんな車種選定に周囲からは『お仕事は三菱自動車関係ですか?』と聞かれたのも2,3度ではありません)

三菱ギャラン7代目。2000ccだが3ナンバーサイズとなりファジーAT(時代だなぁ)が搭載されたモデルです。MXにはハイオク仕様のDOHCとレギュラー仕様のSOHCが設定されていたが
所詮はファミリーカーなのでSOHCを選んだが動力性能に不満は無かった。
それまでの車が非力だったので比べても何ですが…



写真は納車から数日後に写したもの。
選択理由の大きな点の一つに『覆面パトカーに使われそうなタイプ』
というのがあった(笑)。
某宗教の教祖逮捕時にテレビに同型の覆面車が大量に出ていたりした時は
『選んで間違いではなかった
と独りご満悦♪

が、買って3ヶ月後には
横浜ビブレの地下の回転駐車場から出る時にAT故障!
周囲の方に大迷惑を掛けながらレッカーで入院。
ミッション載せ換えとなりその間、念願のディアマンテが代車となり嬉しかった。

それから2.3年すると左後輪辺りから走行中に異音を生じるようになり
ディーラーに何度も相談するも「異常なし」との事。
その異音が解決するのは更に数年後。
後輪左のショック不具合によるものだった。

この頃から三菱や販売店に対して不信を抱くようになる
他にも販売店の対応には呆れるものもあったが
シャレにならなかったのが両親の旅先での事故。

坂道を走行中にブレーキの効きが悪くなり前部を軽くぶつけた(岩だったか停車中のトラックだったか忘れた)
怪我もなくすんだのだが旅先の三菱店で検査をすると
右前輪ブレーキホースが劣化で破裂していたそうな。
購入以来、販売店で車検をお願いしていたが10年10万キロ越えでも無交換。
『これ程の距離と年数なら交換するはずですが・・・』
と言われ地元に戻り販売店に行くと
「車検は当店で受けて戴いておりますが六ヶ月点検を受けていないのでクレーム対象にはなりません!」
「六ヶ月点検の意味をご理解戴けなかったのが残念です」
などとステキなお言葉を戴きました。

もしあの故障が高速道路で起きていたら・・・
両親はお星様になっていたのでしょうね

因みにその時に貸してくれた代車は新型コルトでした。
ぶつけた所は無償で直してくれました。

いろいろあったギャランだが別れは突然やってきた。
今年で14年が経ち走行距離も14万㌔になり街中で同型を見る事も
殆ど無くなってきた。
先日、親が旅行から帰る途中に保土ヶ谷バイパスで不動となってしまった。
ミッションを載せ換えなくてはならずリビルト品を使っても30万円掛かるそうな。

ついにお別れを決意する事になりました。
そんな日はいつか来ると思っておりましたがいきなりやってくるとは・・・
前から「処分する時は前日に洗車しドライブをしてから」と思っていたが
もう走る事も出来ない

誰でもそうなのだが車には、いろんな所に行ったいろんな思い出がある。
コルトでは行けない長距離はギャランが足となってくれた。

今までありがとう!




余談ですが↑の写真は舘ひろしさんの名作「薔薇の標的」で映画の冒頭で峰竜太さんと取引場所に行く入り口にある建物の前で撮影。(現存せず)



さて、次の主力車は何になるのかな?
メジャーな所で初のトヨタ、日産か?
それとも懲りもしないで三菱か?

はたまた、ここで・・・か?

何になるのかお楽しみに





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