あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

みそのビル解体へ 

2010-04-30 15:27:42 | 熱海高原ロープウェイ
ひさびさの「みそのビル」ネタです。



老朽化がいちぢるしく、危険ビルとして県からも再三にわたって
改善命令が出され周囲の商店をはじめ住民から早く改善するようビルの持ち主に
要望するなどの動きがあり市民の関心を集めていた銀座町の「みそのビル」が
このほど東京の大手業者が購入し、滞納市税も納入、決着がついたので入居者との
間の話し合いが続けられていたが、県、市、住民への協力ということで、
先に解体工事を行おうというほぼ了解点に達したもようで、
近日中に解体工事に入ることになった。
跡地の利用については協議中である。

昭和58年1月頃(日付確認し忘れ・・・) 熱海新聞


解体された時の新聞記事が見つかりました。
近日アップします!
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昭和の日に

2010-04-29 21:45:02 | 三菱コルト1100
今日は昭和の日でした。
『みどりの日』から『昭和の日』にした事が素晴らしい。

そんな訳もあって『昭和の車』コルト1100で出勤しました。
職場に持って行きたい荷物もあるし先週熱海へ行って以来
走らせていないのでドライブがてらちょうど良いだろうと。


仕事が終わった帰り道、都内の道路は空いていてノンビリ走るには最適です。
エンジンの吹け上がりは好調で改めてこの車に出会えた事に
人生の楽しさすら感じていました。
だってどんなに乗ってもスタイルを見ても今だに飽きないのだもの♪

第三京浜を走っているとなんとなく以前にもブログで書いた
コルトの元オーナーさんの事を思い出していた。
家に訪れた際、コルトを見て大きく手招きしてくれたご主人。
帰る際にバックミラーを見ると手を振って元気に見送ってくれた姿を
なぜか思い出していた。

http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/54e1e35157a8ad6fdbe9714cace1a32c

前にも書いたが彩雲コルトを買ったのは奥様で
ご主人はその頃まだ免許を取っていなかった。

奥様とはその後も法事でお会いする事があったが
ご主人とはそれっきりだった。

ちょっと突然おじゃましてみるかな、と考えたりしながら
家に着いた。

そんな事を考えた事も話してもいないのに
母から
『コルトのおじさんが亡くなったよ』
と聞かされた。

既にお通夜も告別式も済んでいた。
連絡が来なかったのは母の姉さんが入院していたため
彩雲家に伝わるのが今となってしまったのだ。

おじさんの8人兄弟が集まり酒を飲み騒いでいる際に
いい気分で風呂に入り湯船で亡くなられたそうだ。

また一つコルトに思い出が積まれた。

おじさん、バックミラーの中で手を振る姿を私は忘れないよ。

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コルトとコルト

2010-04-27 18:00:49 | コルトプラス
彩雲家の新旧三菱コルト。



コルトプラスとコルト1100は40年近い差があるのですが
似ている点もあります。


丸いテールレンズとバックランプ。






室内は
コラムシフトにベンチシート。




こうしてみると昔の車のハンドルは異様に大きいですね。




そういえば先日
コルトプラスを洗車していると親が買い物に行きたいと言ってきた。
「じゃ、1100使ってよ」

父がコルト1100を運転するのはかなり久しぶりなので
内心は『大丈夫かな?』と穏やかではなかった。

コルトプラスの洗車も終わる頃に坂の下から
父の運転するコルト1100が帰ってきた。

走る姿を見るのも久しぶりの事なので手を休め眺めていた。

プロロロ・・・と走るその姿があまりにもユーモラスなので笑いそうになった。

降りてきた父は『(坂道でも)けっこう力があるね!』
と、久しぶりの運転がとても楽しそうだった。

運転席に座る父の姿
昔は当たり前の姿だった

懐かしくもちょっと切なかった。
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昭和42年型コルト1500バン

2010-04-26 21:57:19 | 三菱コルト1100
売っているらしいです。

http://saihoku-mmc.com/info/

最近まで公開されていましたが閉じられてしまいました

埼北三菱自動車販売 熊谷石原店にて販売されているそうな
コルト1500バン。


かつては町田のある「レーシングサービスいとう」さんに大切に保管されており
私も観に行った事があります。

今回の写真は今から6年前の姿です。



普段はビニールカバーが掛けられてこのような状態ですが
店長さんはお忙しい中に降ろして下さいました。



エンジンを掛けて前に出そうと試みてくれましたが
燃料が空だったので始動には至りませんでした。

「大切にしてくれる人にも買って欲しいのだけれど・・・
シャコタンのデボネアに乗ってきた若い人が売って欲しい、と言ってきたが
断った事もある」

ここまで腐りもなくキレイなコルトを見た事はありませんでした。
農家の倉庫に長年眠っていたとの事。


エンジンルーム
コルト1100の赤いヘッドカバーに対し1500は黒。
ヒュエルストレーナーもガラスなのも珍しい。
私が今まで見てきた現存のコルトはプラスチック製に代えられている。


バンならではの後部座席


商用4ナンバーなので乗用車改造は必要でしょうね。

唯一の改造点

灰皿の位置に8トラが付けられています。


外した灰皿は右に移設


これが本来の配置



後部

コルトバンタイプのブレーキランプは三菱ジープJ30系と同じなようです

リヤパネルの巻上げ?も錆がありません。本当にキレイです。


こちらが三菱ジープ30系



ウインカーがジープではウインカーになっていますが
ケースは同じかと思います。


左右ドア内側にはビニールも残ったまま!


私が運転をためらう理由がこれ

コルト1500バン



コルト1100

手前一速がバックになります・・・
1100に慣れた身には発進時に焦るとバックし事故を起こします。




ステキな面構え・・・
フォグランプも純正です。


あれから5年以上も経ったが埼玉まで行ってしまったようだ。
観に行った翌日に三菱オートギャラリーの名誉館長さんにも声を掛けましたが
ダメでした。

買った人はお願いだからシャコタンとか月目仕様に改造しないで~!
本当に大切にしてくれる方に買われる事を心から願っています。


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ホテル エンパイアが新聞に

2010-04-24 21:55:48 | 錆びたナイフ
今朝の朝日新聞の神奈川版(かながわ沿線版)に
ホテルエンパイアの事が載っていました。

「丘にそびえる夢の続き」

もう横浜ドリームランドが閉園したのも
遠い過去となってしまったのですね。

神奈川の方しか読めないのは残念なので
スキャンしました。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/9d/9749853ad7c55d6aa33411fed87d2b14.jpg
朝日新聞2010年4月24日より

そういえばこちらのエンパイアも最終回が終わってませんね。
来年の正月には何とか書き上げないと(汗
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富士屋ホテル 宮ノ下 番外編

2010-04-22 23:47:47 | 
箱根の富士屋ホテルに泊まった際に気になったもの

庭園の小屋にあった電話


業務連絡用らしいが今ではこんな公衆電話ケース?は
あまり見かけない。
中の電話は本来黄色か青色の公衆電話が設置されているので
青電話を「頼まれてもいないのに」置いてみたくなります。
しかしこの内線は使われているのでしょうか。

同じく庭園にあった木製電柱


そして電灯笠。


先ほどの電話といいさすが私有地です!

温室へ抜ける廊下。


フォレストロッジの隣にある白い建物はとても古そう。

本来は客室棟であったが今では従業員寮となっているそうです。
かなり古いものだそうですよ。

一番感心したのが従業員の対応。
言葉遣いや立ち振る舞い(例えば場所を尋ねるとさりげなく見所を挟んで説明したり)
に感動しました。
普段の自分は何をしているんだ!と恥ずかしくなるような
接客です。
研修等に力を入れているのでしょうが出合ったホテルマンの皆さんは
本当に素晴らしかったです。
おかげで「明日から私も頑張ろうと」思えるほどでした。

二泊した帰りの夕方、小田原駅でのこと。
エスカレーターを歩いていると隣から「ポン」とたたかれました。
振り返ると到着時にお逢いしたノルウェイから旅行者。
その朝「今日は京都に行く」と話していたがまさか
また再会できるとは。
あまりの偶然に「おお!」と声を挙げてしまった。
たどたどしい英語で話し
『良い旅を!』と握手して別れた。

出逢いっていいな、と後ろ姿を見送りました。




さて、フロント上にある電灯。


どこかで見たなと思ったら彩雲家の電灯と同じでした。



計った訳ではありませんがサイズも同じようです。

そういえば西熱海ホテルでも同じような事がありました。
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/672af01a76d7a2dab450eadf571529d1
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富士屋ホテル 宮ノ下 

2010-04-19 23:14:46 | 60年代
3月29日
家族と親戚で箱根に行ってきました。
私は日勤の仕事が終わってから1人電車で宮ノ下の富士屋ホテルへと向かいました。
泊まるのは10年ぶり位なので久しぶりです。


乗って来たのは運良く古い車輌でしたが焦ってピンボケ・・・

この日は雪が降ったので雪景色が楽しめました。
昼過ぎに到着した家族はダイヤも乱れ大変だったそうな。
私が到着したのは23時頃
駅前は除雪されていたが凍っていて坂を降りるのに一苦労。

ノルウェーから来たという一家と出会うが凍った坂道を楽に降りて行きました。
(その方々と翌日と翌々日に富士屋の朝食時に再会)

寒かったけれどライトアップされたホテルはとてもキレイでした。


翌日は見事に晴れ



後ろの建物が今回宿泊した花御殿
昭和11年建造





部屋は甥っ子達と一緒です。


フロント前の階段


雪で交通が規制されどこにも行かれないのでノンビリしていました。
維持するには大変だろうな、と思いながら館内を巡っていました。

富士屋というと本館や花御殿、西洋館が注目されそうだが
私はこのフォレストロッジに注目です。

昭和35年建造


モロに60年代です♪資料室の説明では当初は4階建てだったそうです。

廊下は一見シンプルですが・・・


飾り気が無いかと思いきやカーペットの色
ソファ、灰皿、さりげない絵、600型電話・・・



いいですよ、ここ!
普通なら観光ポスター等を貼ってしまいがちですが
あえて貼らない姿勢にホテルのポリシーを感じます。



ここにいると60年代にタイムスリップしたかのような気分に陥ります。
ああ~、次回はこのフォレスト館に泊まりたい!
裏のお部屋からは登山電車も見えるそうで鉄道好きな方には
なお良いでしょう。

そして階段室は



タイルも手すりも当時ものでしょうか。



手入れも行き届いており雰囲気があります。



60年代の香りが漂うこの階段でずっと佇んでいたいが不審者に思われてしまいそうだ。



ネットで検索すると
『せっかく富士屋ホテルに行ったのにフォレストロッジだったのでガッカリ』
という声が多いようだ。



文化財にも指定されている本館の木造建築も素晴らしいと思いますが
5、60年代に建てられた建築だって味わいがある。

昭和が好きな方にはお勧めです。
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白浜フラワーパーク ドライブイン

2010-04-14 00:09:19 | 60年代
『ドライブイン』

子供の頃にスキーバス旅行やドライブでよく立ち寄ったものです。
最近はファミレスやコンビニの影響でしょうか見かけなくなりました。

なんとなくドライブインで検索していたら見つけたこの物件。







「いやいや、ナウい店だなぁ」とつぶやきながら入店すると
店内は外観以上に素晴らしかった。

夢か昭和か幻か?


店内のど真ん中にストーブ
スキー場みたい
コンクリート打ちっ放しな床♪




こ、このイス。

パイプイスです




中途半端に改装されているとイスやテーブルだけが新しかったりで
ちぐはぐな感じを受けるがここは偉い!

こんな壁も懐かしいな
ドライブインに行くと協定を結んでいる看板とかがあったな。

ドライブイン協会ってあるんですね。
帰ってから検索しましたがグっとくる物件は見つかりませんでした(涙

しかしこんな所にも格差社会を感じる一角があった。

乗務員休憩室








造花の仕切

テーブル

料理を注文せずともバスの乗務員はフリーパスでタイムスリップが出来るに違いない!
乗務員じゃなければ足を踏み入れないのだ!

この白浜には乗務員特権という差別がまかり通っている。

あ!背景の車が平成だ!

コルトを置く位置が甘かった!

もしもコルトの隣にベレット1300セダンが並んで駐車してあったとしたら
どう見ても60年代じゃないか!
いつかそんな姿を見てみたいな。







このドライブインを知るきっかけとなったサイトにもあった万華鏡がまだあった…



テレビでお馴染みって…YTVって…

どんな人が買うのだろう。

さて、料理を注文しよう。
ドライブインの基本はカレー、ラーメン、カツ丼だと思うのでリッチに(苦笑)カツカレーを注文した。
波さんは伊勢エビ丼。



なんとデパートの大食堂で見かけたような硬券である(ボール紙だけど)
こんな食券を見たのもはいつ以来か

カレーはこんな感じ。



味は見た通りというか…
いや、この際どうでもいいです。

二階には何があるんだろう?
波さん「きっとロープウエイの運転台があるんですよ」



一瞬意味が分からなかったが
なんとなく玄岳ドライブインに似ている造りだからだ。
「運転台」を理解出来なかった自分が恥ずかしかった。



ここは団体用らしい。
一階に芸能人のサインがありその中に舘ひろしさんのがあった。おそらくNHK新宿鮫シリーズ「屍蘭」の撮影があった時の拠点となったと思われます。
きっと撮影隊がこの二階を拠点に使用したのだろう。

トイレの小便器はアサガオタイプで満足したが「大」は便水をチェーンで引っ張るタイプだったそうな。
昭和過ぎるドライブインという事でマスコミも取り上げるべきではないだろうか。

これだけ興奮したのは久しぶりでした。
因みにジャングル風呂の中は普通でした。






外観は椰子の木に丸い浴場。
60年代です♪

館山駅と白浜を結ぶバスもありましたが
ちょっと古いようです。




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白浜フラワーパーク

2010-04-11 00:00:01 | Weblog
バレンタインの日に40歳を前にした男が2人で白浜フラワーパークというお花畑に到着した。

 (このブログをいつも読んで下さっている方々へお願い)
   そんな悲しい目で読まないで下さい
    哀れむような顔をしないで下さい

    泣かないで下さい



波さんがマッチをもらって来てくれた


「東洋一…」

私の好きな言葉は
「東洋一の…」や「丸ビル何個分」なのだが最近はなかなかお目にかかりません。
なのでマッチを見た瞬間クラクラ来ました。

母が白浜フラワーパークに行くんなら花を買って来いと頼まれたので
スコットだかステッキだかの花を販売所で探す。
母曰わく幼少の頃に家族で訪れた事があるそうなのだが私は全く記憶にございません

なんとか思い出してみるとそういえば
こんなお花畑みたいな場所に行った事があるがそこが白浜だったのか定かではない。
花には興味無かったので「つまらないから早く帰りたい」
と思った事があるような気もする。

販売コーナーでスコットの鉢植えを探す。



坊やは花ちゃんという日本人臭い名前ですな。

『ぼくは花ちゃん 帰りにお土産を買ってね』だって

ハイハイ、選んでいる所ですよ・・・

花ちゃんの後ろには異国情緒プンプンに
ハワイだとかグアムだとか書いてある。



わぁ、なんだかハワイに来たみたい・・・



でも
これどう見ても・・・

いや絶対に「古くなった扉」ではない

東洋一なのだからそんな訳がない。
これが「どっかから拾ってきた扉」 に見えるなんて人は心が汚れていますよ!
なんたって東洋一なんだもん
(丸ビルの何個分かは知らんが)

東洋一を実感したのが休憩のテーブルに大胆にも展示してある見た事の無い石だ


もしかすると大阪万博のアメリカ館で展示された石と同じ位に珍しいのかもしれないのに
盗まれたらどうするのだろう?
太っ腹な所が東洋一をうたうだけの事はある。

今では見かけなくなったトーテムポーロ


売店の赤青黄のビニールシートもステキだが
扇風機?も懐かしい。


しかし売店で「絵」を売っているのは何とか分かるが
その隣の「祭」と書いたウチワは何?
ってゆうか、そもそも絵は飾りなのか?




つづく

(次は本命のドライブイン。そこはパラダイスだったよ・・・)



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Nikon S640

2010-04-10 23:59:01 | HOTEL
3月11日

ニコンのS640を買う。

長かったな・・・
やっとニコン製品を買えました。

約10年の間、今までのデジカメを使っていたがまだ「なんとか」使えたので
もったいないから新型へ変更出来ませんでした。

さすがに不具合が多くなってきたので「なんとか」使えるけど
車載用にする事にして現行機種に踏みきりました。
(といってもカタログ落ちですけど)
最新のS6000にしようとも思ったけど出たばかりで値段も高いし
今までの機種から比べたら私には一つ前のモデルで十分です。

カメラの知識とかは全く無いが
 
  何が何でも次のカメラはNikonにしたかった

前所属の職場はホテルの会員制スポーツクラブでした。
その中にニコンの元社長さんF岡さんという方がいました。

ベルボーイ時代の10年以上前から黒塗りのプレジデントで来館されているので
存在は知っていました。
ベルの私はロビーでF岡相談役を見かけるとドアマンに伝えて
素早くお車を正面に廻すのが好きでした。

その頃の旧車イベントに出た際コルトに座っていると
デボネア乗りのkatsuhideさんから声を掛けられた。
(今回katsuhideさんからお名前を載せる事を了承済み)

名刺を交換するとニコンにお勤めと分かり
F岡相談役(当時)の話しになった。
『私の入社時の社長ですね』

Fさんは社長さんだったのか!
(相談役はたいてい社長→会長→を経て相談役となる事を知りませんでした)

その後私はベルからスポーツクラブに異動となり
F岡相談役と接する機会が多くなっていた。

相撲観戦が好きでよくテレビ中継をご覧になっていた。

大正7年の御生まれとご高齢なので長い間お見かけしなかった事が
何度かあった。

心配になったが末端の社員が電話を掛けるなどしてはならない、と
思っていた。

そんなある日ヒョッコリ姿を現したので
心配していた旨を告げると入院していたとの事。

「国技館にお相撲を観に行っているのかと思いましたよ」

『昔はよく行ったんだよ。双葉山の70連勝ならず、も観たんだよ』

「おお!歴史に残るあの名場面ですか!」

同世代よりも昔の事を知っているほうなので
自分よりはるか年上の方と話すのは何よりも楽しい。

年会費の手続き相談で私を指名して尋ねてくれたりするように
なって嬉しかった。

『君以外に知っているスタッフはいないからな』
(光栄であります・・・)

しかしご高齢の為、入退院を繰り返しているようで
来なくなってしまう事もしばしばだった。

地下にあるスポーツクラブには急な階段を下りて来なくてはならない。
運動して帰る時は登るのが難儀そうで見ていて痛々しかった。

そうだ!
ベルサービスの車椅子を持って裏のエレベーターを使って送ってあげればいいんだ!

来館されたらベルに借りに行き帰る時に車イスを出したら
とても喜んでくれた。

ニコンという名企業の大好きなF岡相談役を私がお仕え出来るなんて・・・
いろんな話しが出来るチャンス!

車イスを押しながら裏の従業員用の通路を歩く。

「私の友達で御社の社員がいるんですよ」

『ホテルマンの君と?同級生か何か?』

「趣味の車繋がりでして。彼はデボネアに乗っているんですよ」

『キミ~!(この時の言い方がなんとも社長っぽかった)
デボネアといえば三菱の「超高級車」じゃないか!
内の社員の若いのがそんなのに乗っているのか?!!』

「いや、なんでもお父様が乗っていたそうでして。
6人乗りが出来るセダンはそれしか選択肢がなかったというそうですよ」

『そうかなるほど。君もデボネアに乗っているの?』

「私はコルトです。コルトってご存知ですか?」

『知っとるよ。昔の三菱の車だろ。そうか三菱同士か、懐かしい名前だな~』

そんな話しをした後日の事

車イスを押しながらkatsuhideさんの名刺を出した。

「今、この部署にいるんですよ」

『あっ!○○××君と言うのか』

「どうされたんです?」

『いや、この前君から名前を聞いてから君に世話になっているので
お礼を言おうと思って総務に探してもらったんだが○○△△君かと名前を
間違っていた。どうりで「存在しない」と言われるはずだ(笑)』

『(名刺の)この工場は僕が造ったんだなぁ・・・』

コルトとデボネアの縁がこんな事になったのも「縁」

こんな話しもした。
「ニコンはカメラ以外にも照準器の開発も行っていましたよね」

『やったよ。爆撃機に乗って館山の原っぱに白くバッテンの目標を置いて~』

「おお!爆撃機は一式陸攻ですか!?」

「一式陸攻知っているの?」

『はい、でも考えたら爆撃照準器って大変ですよね。機速は向かい風でも変わってしまうんでしょうから・・・』

海軍の技術将校だったようだ。
(帝大兵工学部学科卒)
そういえば戦時中の鹵獲機に搭載されていたノルデン照準器をご覧になった
事はあるのだろうか。しかし、日本の照準器より格段に優れていたノルデンの事を
伺うのは悪い気がして聞けなかった。

15メートル測距儀の事も聞きたかったがその内聞けばいいや
ネタはゆっくりと出そう。

そんな楽しい日々が続いたある日の事

休み明けで出勤しF岡さんと逢うと

『昨日は君がいなかったから上まで送ってもらえなかったよ・・・』

寂しそうに呟いた。
とても悲しそうだった。
そんなお顔を見たのは初めてだった。

その後
フロントへチェックアウトに来て
息も絶え絶えで私の目を見る。

目が『送って~』と訴えていた。
失礼だが「カワイイな・・」とすら思ってしまった。

「私がお送りします♪」
と言うと

『やってくれるか!』
まるで社長が特命を命ずるみたいな口調と嬉しそうな顔が今でも
瞼に焼き付いている。

その時はニコンのコンパクトデジカメで欲しいものが無かったので
他社のカメラを使っていた。

 次に買う時かデジタル一眼を買う時は
 何があっても相談役の会社の製品を買いたい

車イスを押しながら思っていた。

玄関に着き黒塗りのプレジデントに乗り換える。

ドアが閉まりウインドーが下がり
手を挙げてこちらを見て走り去って行った。

不謹慎かもしれないが
「もしかしてこれが最後かも・・・」
考えたくは無かったがそう思ってしまった。

最後にお話しをしたのは電話だった。

年度更新の際に退会する旨を告げてきた。
「君がいる時じゃないと上まで上げてもらえないからなー(笑)」

そして約一年が過ぎたある日
会員の方から亡くなった事を知らされた。

新聞の訃報欄によると後日「お別れの会」を開くという。
katsuhideさんに連絡を取ると
総務で日にちを調べてくれたが
問題は現役の会員だったら会社を通して参列出来るのだが
退会し一年以上が経っている。

当然会社から役員が参列する事もない。

上司に相談すると
「個人で行くぶんには構わないでしょ」
katsuhideさんからも同じ答えが返ってきた。

お別れの会は東京會舘で行われる事が分かったが
その日はなんと泊まり勤務。

しかし上司が「(遅刻扱いにはしないから)行ってきなよ」と
出勤前に立ち寄らせてくれた。

献花をしてお別れが出来た。

もうあれから6年が経つ。

しかし今でもヒョッコリ腰を屈めて歩くお姿で
現れるのではないかな、と時おり思い出す事がある。


相談役(最終時は特別顧問)、やっと御社のカメラを買いましたよ
本当はお墓参りも伺いたいのですが
それは叶わぬ夢でしょう

一眼レフは買う事は無いかもしれません
でも
もしも買う機会があったら
私はニコンを選びます。
そしてこのコンデジに寿命がきたら再びニコンを選びます。

相談役、お逢い出来て本当に良かったです。



相談役、ニコンのカメラで↑撮りましたよ。

もしも今でも存命でカメラをお見せしたら

「買ってくれたか!」

と、おっしゃってくれたのでしょうね。





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ポルシェ912 神奈川県警察仕様

2010-04-07 19:59:27 | (旧車)

1968年の東名高速道路開通時に三和自動車が神奈川県警察に寄贈したといわれる
ポルシェ912のパトカー。(本当に寄贈なのか買ったのか私には分かりませんが)

存在を知ったのは今から15年程前の事。
警察官の友達から
「警察学校のロビーにポルシェのパトカーがあった」
と聞いた。

私は外車には全く知識も興味も無かったので新潟県警の911みたいなものが
神奈川にもあったのかという意外性に驚いたが
ポルシェといっても初期の911のようだったので
古臭いスタイルがあまり好きではなかった。

もっとも話しを聞いたその時には既にロビーにパトカーは無くなっていたそうだ。

ちょっと見たかったな、という位には思っていた。

先日トミカリミテッドからポルシェ911と912パトカー仕様が発売された。
これだったのか・・・
退役後、神奈川県警察学校に展示されていたというのは。

ん、912?
ポルシェ911と何が違うのか?

調べてみると911の車体にポルシェ356のエンジンを搭載した廉価版だそうだ。
いいなぁ、こういうの♪
私は911よりも912がいいな♪


前面には警光灯を取り付けられるようになっています。
(私は取り付けないけど)

しかも右後ろには後続車用?のスピーカー。


リアトレイにも警光灯。
側面の神奈川県警察の文字は同時代の第三京浜シルビアパトカーと同じく
白抜き。

かなり凝っています。

さて、さっそく件の友達に連絡を取ってあのポルシェパトは校内のどこかに
保管されているのではと尋ねると
『誰に聞いても「校内にはない」という事で、どこに行ったかは分からない』
との事だった。

やはり解体されたのか、と思って検索してみると・・・

http://oneafter09.exblog.jp/11918752/
上に載っている車体は新しそうなので現存しているのかも?

更に愛知県警のお話しですが912パトカーが廃棄された興味深いお話しがあります↓
http://blogs.yahoo.co.jp/michiharu_99/30296776.html
モーターリゼーション初期ならではのお話しです。
必見です!!

 

こちらは愛知県警のポルシェ912

「これよりもさらに性能のよい新鋭車が配置される」とありますが…配置されたの?
(昭和43年4月26日 朝日新聞)

912ミニカーを買いに行ったらかつてこのブログでも取り上げた130Zのパトカーが・・・

しかもパトライト中央にライトが付いた神奈川県第一交通機動隊の採証車429号じゃないですか!
思わず衝動買いでした。


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建物コレクション 白浜町金井商店給油所

2010-04-05 14:16:44 | 60年代
千葉県の南端、白浜を目指す。
道中にガソリンスタンドを見付けると
「惜しい、建物は古そうだが改装され過ぎだ」
「いや、屋根は後付けのようだ!60点」
と評価しながら南下する。
勝手なものだ。
天気の良い日曜だったが対向車も後続車もそれほどなく
自分のペースでゆったりリングホーン付きの細いハンドルと
4速コラムを操りながら走る。

以外にもこれだ!と思えるような物件にはなかなか巡り会えない。
もっともガソリン残量は余裕があるので無理して給油する事もないが。
白浜フラワーパークまであと一息という所だった。

また給油所のサイン看板が見えた。

さして期待もせず横目で見ながら差し掛かると…

「オオッ!」

現代風に塗り替えられているがまさに昭和のガソリンスタンド、いや『給油所』だ。

彩「ひ、人影が無かったけど営業しているのかな?
 ど、どうする?ひ、引き返す?」

波『お任せします(笑)』

 (波さんはブレーキを掛けないから楽しい♪)

軽いパニックに陥りながら転回。

乗り入れたが店員さんは出て来ない。

撮影するには好都合だが果たして営業しているのか?

隣接している商店を見ると制服を着たおじいさんが座っている。
あの方が店員なのだろうがこちらに全く気付いていない。
ようやく気付いてこちらにやってきた。





思わず有鉛で!
と言いたくなったが普通にハイオクタン(高揮)を満タンで、とお願いし給油風景を見守る。





おじいさんはコルトを見ても特に反応をせず黙々と働く。





照明もいい感じです。

よく見ると
画面左上に朽ち果てた先代の名残が・・・

給油機の間に水道らしきものがあるが変わった形です。




給油機はデジタル化されたものだった。が、満タンになると給油量を目で確認をして事務所に入った。
まさか…



なんと今時手書きの領収書だ…

私が最後に見た手書きの領収書は中一の頃(約25年前)に伊豆スカの冷川峠Essoで遭遇して以来だ。
自分で運転するようになってからは初めての経験だった。

給油所専用の用紙でないのが残念だが致し方ない。

しかしこの給油所はそれ程古いものでも無いらしく
いつ頃からあるのかと尋ねると
「20年位です」
と答えが帰ってきた。
それはないだろう、と思ったが壁に掛かっている許可証のようなものを見ると
昭和52年
とあったのでそうなのかもしれない。



コメント (7)
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