あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

ドライブイン「歌の茶屋」

2022-05-22 23:12:18 | 60年代

さまひさんと熱海高原ロープウェイ探索時、遠くに大島が見えた。

それを見て「(あぁ、あそこにもくせい号が・・・)」

と思ったと同時にさまひさんが『あそこにもくせい号が』と口にした。

二人して同じ事を思ったんだね、と驚いたのはもう17年も前になる。

 

先日、水中翼船の話題となり話していた所にタイミングよく

東海汽船のジェットフォイルが20年を迎えた記念に久里浜港から

大島までジェットフォイル往復、島内バス観光、食事付きで格安の¥9,000という

ツアーを見つけさまひさんと安全体操さんの3人で本日行ってきました。

普段は東京湾フェリーの乗船口「久里浜港」からフェリーボートを横目に乗船。

船内は「海のジェット機」と呼ばれるのも納得で速さも普通の船と違い速い速い!

1時間位で大島に到着し観光バスに乗り込み島内巡りとなりました。

バスは三原山山頂へと到着し昼食となり食堂に足を踏み入れるとそこは・・・

ドライブイン「歌の茶屋」外観

「バターまんじゅう」や椿油の看板が目に入り心拍数が一気に上昇

床がもくせい、いや木製だ

ショーケース、天井!

 

↑の画像の中に令和どころか平成なものが見えない!

こんな湯沸かし器を見たのは何十年ぶりだろう?!

このイス!床!テーブル!

激しい動悸を抑えようとトイレに行こうとするも・・・

こ、これは!無くなってしまった白浜フラワーパークドライブインで見かけたような・・・

旅行会社の協定看板(って言うの?) このうち現存する会社は・・・

食事はこんな感じ

「明日葉を練り込んだ蕎麦と地魚や天ぷらの付いた『あしたばそば定食』」

ジェット船往復と観光バスが付いて¥9,000だから適正な価格というかお得。

味はリアルな昭和の団体旅行の食事、という感じでこれも味わいです!

(余談となりますが個人のお客さんが食べていた「ざるそば」のせいろが

 丸く赤いプラスチックのせいろ、でこれまた懐かしく感動最近見ません

(真ん中のテーブルにあるやつね👆)

古い柱時計があった

新築記念だそうですが年季が入ってます。寄贈されたお店はまだあるのかな。

この部屋でうたた寝をして

目を覚ましたら本当にタイムスリップを

したのでは、と錯覚することでしょう。

隣の団体さんが出て行ったあとですが奥のカウンターが気になります。

昔は違う使われ方をしていたのかな

どこを見ても味があり過ぎます

窓からの眺め

飛行場が見えました。

私のアパートは横浜なのですが日中に調布の飛行場から行き来する小型機が

ほぼ真上を飛んで行くのですがここに降りているのか。

いつか調布からの飛行機で上空から自分のアパートを見てみたいと長年夢見ています。

その窓に

もうこういうのにもいちいち反応してしまいます!

 いいです!最高です!(勝手に字を足して彩雲四号車に…)

 お土産コーナーで1枚100円だったら買います!

昔の冷房でしたっけ?

これも見かけないです

冷房機の裏には階段があります

あぁ、階段の先が気になる!

御土産コーナーも懐かしいペナントも売っていましたが

西部警察のような書き方の「記念バッヂ」

いつか個人旅行でノンビリと訪れ飲んだくれたい名店です!

この日は「クアッド」を控えてか警察官やパトカーを見かけました。

日帰りの短い旅でしたが久しぶりに充実した1日となりました。

観光バスのツアーも楽しいと改めて思ったので今度は地元横浜か都内はとバス観光も

してみたい。

【終わり】

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東急ターンパイク2022 その2

2022-05-18 16:37:08 | 60年代

開通当初から20年程前には歩道橋下に料金収集所が存在し信号機も残っていましたが

今は何もありません。

料金徴収所後は1車線対面通行となっています。

最近かつてとは違う個所に料金所ボックスが設置されたようです☟

 

しかし今回入手した開通当初のパンフレットによると

 

未成線かと思われていた下の画像右側草地部分には

 

 

【拡大】☟

 

料金徴収所ゲート上の時計、蛍光灯、安全島?のガードと、この時代特有の料金所といった雰囲気に溢れています。

右のH30セドリックはタクシーかな?

それよりも未成線ではなく緑地上には当初車道とゲートがあった事が判りました。

【拡大】

それではこの周辺に往時の痕跡が無いか、歩いてみました。

歩道橋下と補修個所

どれかが時計の跡なのかな

小田原方面を望む。

左駐車場から本線への出口の造りがちょっと不自然です。

奥(小田原川)から伸びているコンクリート壁がゲート、車線減少の為後付けのコンクリで曲がっています。

 

奥のガードレール支柱には後付けのカバーが被せられ

手前(熱海側)現行の道路に沿わせガードレールがカーブしていきます。

手前下の丸い穴は奥と同じガードレール支柱跡

画像では分かりづらいですが照明支柱の跡でしょうか。

 

 

その個所からかつての料金徴収所ゲートを望む

コンクリート遺構を真っすぐに伸ばすと廃止されたゲートにピッタリ。

遺跡を発見したように1人興奮しておりましたとさ(苦笑)

 

以前から撮影個所が分からないこの写真

週刊サンケイ1000万人の乗用車1966年秋号での眺め

クルマは日産レンタカーのブルーバードP411 2ドアスタンダードですが

歩道橋からの撮影かと思いましたが違うようで

同じ個所にクルマを停めたいと思いましたが今は公園となっており乗り入れ不可。

画面左の望遠鏡付近でしょうか。スナックの中から撮影されたのかもしれません。

 

開通当時の面影を残す階段

この石も当時からのものでしょう

 

 

以上、東急ターンパイク大観山スナックの痕跡探索レポートでした。

 

【オマケ】

ドラマか何かの撮影中でした。BMW X3でしょうか?

奥には劇用覆面パトカーもおりました。

【追記】

撮影はTBSドラマ「インビジブル」でした。

偶然にも今期唯一観ている連続ドラマが「インビジブル」なので

運転席に高橋一生さんらしき方が乗っていたのですが

断定出来なかったのですが第5話に出てきました。

上の写真のトラックが劇中、道路を塞ぐトラックで

上から13枚目のガードレール画像に写っている黒のトヨタカムリが

劇中、覆面パトカー三台目の車列にいたクルマでした。

実際には横浜ナンバーのレンタカーです。

ロケに遭遇出来て良かったです。

 

 

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東急ターンパイク 2022

2022-04-22 23:03:36 | 60年代

何度か取り上げている箱根のドライブウエイ「箱根ターンパイク」

イメージとしては早いスポーツカーがロケットみたいにすっ飛んで行く道路で

遅いクルマがいては大迷惑なのでは、と思い躊躇する。

平日の昼頃ならばそんな事も無さそうなのでドライブに行ってきました、その記録です。

早川駅近くの入口

よく見ると高架のガードレールが異なっています

 

週刊サンケイより

開通当初は小田原厚木道路をと繋ぐ道が未完成で開通した名残です。

ネーミングライツは今「アネスト岩田ターンパイク箱根」となっています。

料金所は片側2車線で4レーン。

この時は下り側の料金所で徴収されたのですが初めての事でした。

この道で4レーンの料金所は多い気がしますが開通当時は多くの自動車に対処出来るようにとの

考えだったのでしょうか。大観山側は2レーンなのに?

(ここに今回の目的があるんです)

速そうなクルマが通り過ぎた後を狙い2~3速全開で登坂開始!

スロットル全開~!にしても実際の速度は40キロ

常にバックミラーを注意し後続車が来たら道を譲るつもりで走ります。

幸いな事にこの日ロケットみたいなクルマは来ませんでした。

いつも気になるこの道路↓

かなり立派な造りですがクルマや人が通っているのを見た事がありません。

 

終点手前の展望台で小休止

エンジンを冷やす為にボンネットを開けているのですが

傍から見たらエンコしているかのようです。

『あんな古いクルマで来るから~』

と思われているのではと気になるのですが

これをやるかやらないかで始動性がまるで違います。

開業当初のパンフレットより

写真を撮れませんでしたが現在は道路の照明が減っているかと。

2006年に訪れた時は「ドライブイン大観山でした」

現在はアネスト岩田スカイラウンジ

そして開業時は

「大観山スナック」

 

今回はこのパンフレットを片手に往時を偲びたいと思いやってきました!

しかしレンズの違いかパンフレットと同じ角度で撮る事が出来ませんでした。

さらに言い訳をさせてもらえば強風でパンフレットが破損する恐れがあり対比しながら、と

いう事が出来なかったという

当時の建築学の粋を集めた設計なのかカッコいいです!

昔はこの正面に入口らしきものがあったのですね

あぁ、右側が切れているじゃん 見事に対比失敗…

 

【スナックのご案内】

一階にはゲーム場もあったとの事だ。

太閤出世そばコーナーというのは土産のソバなのか、その場で食べるソバなのか

とりあえず往時を偲び現在の軽食コーナーでかき揚げソバを頂きます(900円)

気になるのは「ビール180円」

 値段ではなくドライブインでアルコールが販売されていたのに時代を感じます。

1階売店コーナー

手前のチウインガムのケースが泣かせます。

そして現在

喫食スペースとなりました。

それでも

天井の蛍光灯や板は当時のものか古いです

【つづく】

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廃止か?東京高速道路

2020-02-07 01:19:25 | 60年代

昨年の読売新聞でこのような記事がありました。

読みづらいと思いますが

あの東京高速道路が無くなる?

首都高とよく間違えられるが全く別会社の「東京高速道路」

60年代を紹介する東海道新幹線開通時の映像で

「首都高と並走する0系新幹線」とかあるが

それは首都高ではなく「東京高速道路」なのだ。

 

東京高速道路株式会社のサイトはこちら

 

高校生の時だったか深夜のテレビ番組で

「首都高で無料で乗れる区間がある」という紹介をされてその存在を知った。

10年程前にブログで熱海の松尾さんから見せて頂いた絵葉書を載せた所

debopacerさんから「東京高速道路」という存在を教えてもらった。

話し聞き調べるとその面白さに興味が沸いたが銀座方面にコルトで出かける事はそんなにないので

「憧れのハイウエイ」な存在でした(苦笑)

記事によると廃止して遊歩道にするんだそうな。

なんだか「公園」とか好きなお役人さんが考えそうなアイデアだ。

ヨコハマもやたらと公園が好きだが。

現在の所運営会社は「ノーコメント」だそうな。

昔の自動車雑誌やガイドを読むと東京高速道路には「無料駐車場」があったそうな。

自動車の少ない頃でも朝から駐車場の争奪戦?があったそうな。

↑クルマが並んでいる場所が無料駐車場  昭和38年の朝日新聞より

 

なかなか走る機会に恵まれなかったが昨年にシート張替えで上京した際に

ついに東京高速道路デビューを果たせました。

新橋入口 標識には大型車禁止と標識があるが一番下のは「普通車も入れないのか?!」と

間違えそうになるが「ミニカー」が走れない。

ピンボケです(汗

入ってみます

ついに憧れの東京高速道路へ!

制限速度は40キロと聞いているが現代のクルマと比べると遅いので合流が怖かったが

走るクルマもあまり多くなく無事に入れました(笑

目の前に夢の超特急が!

残念ながら新幹線と並走は出来ませんでした。

10年以上まえに品川近視クリニックに行った際にガン見していました↑

 

先日神保町シアターで「秋立ちぬ」という映画を観たのですがその中で

夏木陽介さんが東京高速道路を走る場面が出てきました。

道路はとっても走りやすく大都会のビルヂング街を無料で走れる「高速道路」という

事に感動しながらハンドルを握っていました。

新京橋出口を降ります。

 

こちらも昔に撮った時の土橋入口

台座の上には照明があったのでしょうか?

「高速道路昇路」なんかいいなぁ

そういえば「首都高速には8号線が無いの?」という話しがありまますが・・・

↑乗り物ニュースより

 

朝日新聞社 昭和38年7月10日

こんな事もあったのですね。

個人的には遊歩道とかにならずこのままの道路であって欲しいです。

 

 

 

 

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【ハトヤ番外編】 ジェットプロムナード

2019-04-14 16:04:49 | 60年代

未来のようなレトロ感?溢れるそのトンネルの名前は

 ジェットプロムナード なる名前が付いていた。

なぜジェット?(噴射推進) 

う~ん・・・60年代だからプロペラ機よりジェット機に憧れたからですかね?

ジェット=早い。 シアター別館から本館に早く移動出来るから?とか。

勝手な推測です

現在のジェットプロムナード。

天井の内張りも照明も異なり灰皿も置かれていたんですね

大浴場

今のBARとは違うようです。カウンターにシクラメンをそのまま置くのね。

今は屋内プールですが昔は屋外だったんですね。年季入ってますね

ムード歌謡でも歌いそうなフロント

旅行前に入手していればパンフレットと同じ構図で比較出来たのですが

タイミングが合わずで少し残念。

でも60年代のハトヤの様子が分かる楽しいパンフレットでした。

【終わり】 

 

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【番外編】コルトよ、あれがハトヤの灯だ

2019-03-30 01:29:00 | 60年代

伊東のハトヤから帰るとオークションで入手したハトヤのパンフレットが届いていた。

シアター別館屋上部にはかつてネオンサインが輝いていた痕跡が見えるのだが

それがかつてどのような色をはなっていたのかは分からなかった。

ハトヤ紀行でさまひさんが

>>伊東銀座を抜けて、突き当たりを右折すると、正面に仰ぐネオン

と、当時の思い出を書いてくれたがこれですね?さまひさん!

シアター別館のネオンサインは赤と青だったのか。

そしてハトヤ各館の上には赤いネオンサインが引かれている。

この写真を見たさまひさんの胸中はいかばかりか。

遠い昔の思い出が蘇ったりしたらちょっと嬉しい。

パンフレットには昼間の画像、点灯していない時の写真もあった。

完成間もない頃だろうか。現在は流れを止めてしまった滝の辺りには瓦葺きの民家が見える。

屋上のネオンは青いカバーが被っているように見える。山側のネオンサインは

他の館からだと夜間は眩しいからなのか、と思ったがパンフレットを見た140コロナタクシーさんは

『あぁ、この写真だけ色を塗ってますね』と、事も無げに言うのだ。

私にはそのように見えなかったのでにわかに信じられなかった。

世紀の大発見をしたと思ったのに・・・

「そ、そんな事ないよおぉぉ!あ、謝れよぉ、訂正しろよぉぉ(涙)」

と奇声をあげ泣きながら掴みかかったのだが簡単にねじ伏せられてしまった。

 

なんの為に修正の必要があるのだろうか?

答えは別の写真にあった。

更に後ろから撮影されたハトヤだが『ヤ』の部分左に見える屋根は現在のように鉄骨むき出し。

パンフレットに大きく載せるには適さず修正を施したのか。

この頃はシアター別館とを繋いでいるロイヤル別館が出来ておらず駐車個所も異なっているのが分かる。

 「ハトヤ海の家」が気になる。

完成予想図とほぼ同じように作られたようでハトヤ消防隊のガレージも現在と同じ。

当時の消防隊の写真もあった。

 消防車は2台体制だったようだ。この当時の消防車が残っていたら名物となっていただろう。

後ろに見える初代パブリカが泣かせる。

2019年 初島方面を望む。

 

過去の景観は

よく見てみると

~🎶伊東に行くなら下田屋♪」だったか

我らがホテル下田屋さんも写っており今と変わらない事が伺える。

さて皆さん…

ハトヤといえば近年「レトロ感が」「未来への~」「フューチャーライクな~

とイースタン観光バス(まだ言うか)いや、インスタ映えするという人気のあのトンネルですが

正式な名前があったのをご存知でしょうか?

それは・・・

 

 

【つづく】

 

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ハトヤ 60年代残照

2019-02-02 22:00:36 | 60年代

イースタン観光バスならぬインスタ映えするという(く、苦しい

ハトヤご自慢のトンネル

 

 華やかなロビー

↑こんな階段が味わい深い(笑

↓かつてビアガーデンがあったとか

 

夕飯まで館内を探索したりしていました。

部屋にあった案内です。さすが広いです(しかし今は使われていないスペースも…?)

大型旅館、ホテルには赤いジュータンが決まりです。

 

 

 

 

 廊下に置かれたイス、机もまるで大阪万博に来ているような感覚に陥るのは

大げさでしょうか?(万博行った事ないけどさ)

この椅子の座り心地がまたいい!

そしてエレベータのボタンをカシャッと押したら

 

 

「あの娘をペットにしたくって♪」三菱エレペット!

手動運転ボタンもあります。かつてはエレベータ係も乗っていたのか?

そういえば熱海の大野屋東館のエレベータも更新してしまったと

ポゥさんからコメントを頂いたがこれもいつまで残るのやら。

つづく

 

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伊東駅 とりめし

2018-12-23 06:55:14 | 60年代

伊東駅前にて 12月13日

60年代のレジャーブームを彷彿とさせる駅舎とヤシの木

構内には大型外車のハイヤーとか40クラウンや130セドリックタクシーが停まっていると

妄想して下さいませ。

  このような駅前⇒ 「Cedarの今昔写真日記

 

お土産屋「みその」の前にマイカーを置き駅弁の「祇園」に走ります。

祇園といえばポリ茶と、以前にも書きましたが

本来の駅弁屋さんとしてご紹介したいのがこちら

この掛け紙・・・ 

ポリ茶を買う際に気づいたのですが過去二回に渡って「売り切れ」というオチ

しか~し今回こそ買えたのであります

今となってはちょっと小ぶりだがそれも当時からの味でしょう。

開けてみませう

泣けます、経木の箱…

東海林さだおさんのエッセイ「アルプス号駅弁旅情」で

『駅弁は、この手に取ったときの感触がなかなかいいものである

やや持ち重りがし、少しあたたかく、底の部分にポッテリとしたふくらみが

感じられ、少々湿っぽい感触が、「ああ、駅弁だなあ」という感慨を湧きあがらせてくれる。

これが経木製でなく、ポリエチレンなどだとこうはいかない。

やたらにベコベコしているだけである。

駅弁はやはり永遠に経木製であって欲しい』

と書いておられますがこの駅弁にもあてはまります。

 

箸袋の『電話伊東~』だけで15秒手が止まってしまいます

鶏肉とタケノコと卵焼き、と一見シンプルに見えますが

ご飯が鶏スープを使った炊き込みご飯なのです。

他の方が書かれたブログで

「よく鶏肉にタレを掛けてしまう弁当が多い中でここはタレを掛けたりせず

鶏肉にしっかり味を付けている」

とありましたまさにその通り

(なんか今回は人様の引用ばかりだな)

私の感想ですが食べてから今もこの味が後をひいてます。

お茶(ポリ茶)にもビール(缶)にも合う味です。

駅弁とは食事としてでも酒のツマミにも合うのが理想ですが

祇園のとりめしもそう。

レジャーから帰る湘南電車の車内でボックス席に座り

ポリ茶ととりめしを食べて家路へと、そんな一家の姿が目に浮かびます。

 

さて掛け紙をよく見てみませう

伊豆半島を描いたイラストの上にはトンネルから

0系新幹線がコンニチハ!

「熱海」の文字下の松はお宮の松でしょう

レジャーブームに沸く初島と熱海の間の船の形がまたイカス!

温泉に入るオネイサン!(湯船にタオルはつけないようにって、てぬぐいか)

懐かしい恰好のゴルファーの脇のサボテンはシャボテン公園か?

唯一残念なのが製造年月日のシールが貼られてしまっている所。

この下には赤丸に「調製  時」と昔ながらのマークが隠れています。

これは今の時代仕方ない事です。

さて、皆様左手をご覧くださいとバスガールの案内ではありませんが

掛け紙のマナー喚起?欄に

『空箱等は「ゴム輪」で結び窓外に捨てずに備付の

くず物入か腰掛の下にお置き下さい』

思わず「特急電車の窓は開きませんよ!」と天国と地獄の刑事さんの突っ込みが

思い浮かびますが昔の車両は窓が開くのが普通でしたもんね。

「くずもの入れ~」これも死語? 踊り子号に残っているか。

シートではなく「こし掛け」って・・・

もう何が言いたいかって

祇園さん!この掛け紙は変えないでええ!

「リニューアルしました」なんてやめてぇ~!

伊東温泉を訪れた際にはぜひとも祇園のお弁当とポリ茶をお買い求め下さい。

なんか最近熱海より伊東ネタが多いな

最後に残念なお知らせ…

祇園の伊東駅そば店が閉店です

伊東駅そば店2019年3月末閉店のお知らせ

また「リニューアル」か・・・どこにでもある駅化

 

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長崎電気軌道の元都電

2018-11-27 23:06:00 | 60年代

 今回の旅(11月)の目的は

長崎電気軌道に今も残る東京都電2018号車(現在は701号)に

乗りたいが為の旅行でした。

毎年「路面電車まつり」という催しが開かれ普段は走らない保存車が見られるのです。

過去に

たてもの園イベント

荒川車庫の6086号の事を書いたが5.60年代の路面電車が好き。

しかし現在、昔懐かしい「赤帯の都電」のスタイルで今も走れるのは

遠い長崎の701号ただ一台のみ。

早めに廃止(昭和42年)されてしまった杉並線の車両で細いのが特徴。

東京から長崎に移り車体は塗り替えられたのだが

近年元の都電カラーとなっている。

通常営業は行わずイベントで走るのみとなっているが

どうしても車両が足りない時は通常営業を行うそうな(イベントでスタッフの方が

説明してくれました)

前から乗ってみたいと思っていたがそれだけの為に長崎に行くのかとか

夏休みの申請と11月の開催日判明が間に合わないので断念していた。

過去の開催日を調べると大体第二日曜日に開かれているが今年もそうとは限らない。

それに旧車天国の時期なのでクルマを取るか(特に今年はクラウンタクシーのその後が

気になっていたが展示されなかったようです)都電を取るか、かなり真剣に本気で悩んだ。

それに今年も元都電が走るとは限らない。別の保存車両かもしれないのだから。

されども賭けてみる事にして夏休みを申請したが運よく開催日が11日と決まり

遊覧電車も念願の元東京都電が充当される事が決まった。

大分二日目は一泊¥2160のカプセルホテルに泊まり翌朝04:20起床し

高速バスを乗り継ぎ長崎入りを果たしました。

いろんなトラブルもありそれを乗り越えて浦上車庫に着くと丁度遊覧電車として

発車をする所でした。

前照灯が灯り走り出す都電カラーの車体に万感の思いで出発を見送る。

長い間憧れてきた都電についに会えたんだなぁ…

昔の電車特有なモーター音は数年前に実家から発掘されたカセットテープにあった

昭和53年に家族で乗った都電荒川線の音と同じだった。余談だが8ミリフィルムもあるのだが

無知な私はyoutubeへの編集の仕方も分からない。

 

この日は天気が良過ぎて逆光となってしまい構内での撮影はあまり出来ませんでした。

横には職員さんかスタッフさんの車が留置されているし

旧車だったら面白かったんですが(笑)

それよりも動いて道路を走っている姿をこの目で見たい、と

遊覧電車に乗ったり

一本前の電車に乗り走る姿を電停から眺めたりしました。

電停で待っていると遠くからオレンジ色の前照灯を灯らせて近づいてくる姿を見て

20代の頃に都電6152号を高校からの親友と乗りに行った時に見た光景を思い出した。

荒川線の電停で待っていると近づいてきた旧型の都電と親友の事。

 あいつ、今頃どうしているかな…

通常営業の電車はシールドビームかLED化されているようで前照灯が白いが

この電車は昔ながらの白熱灯?のようなのでオレンジの暖かい色。

もろに電球といった感じです。

遊覧電車は車庫と赤迫を往復して帰ってきます。

今回はスマホで動画を撮ったのですが編集無し(出来ない【笑】)で

YOUTUBEに載せてみました。

 

車内の様子

床が木の板

 冷房装置のない天井

つり革

経歴書 これは他の営業車両にもありその車両の車齢等が分かり良かったです。

 

旧車天国を諦めてまで乗りたかった元都電。

道路を自動車と共に走る姿を見て

出来れば私もコルトで並走したい

しかしあまりに遠い。

それでも過去の映像ではなく自分の目で「道路を走る都電」を見られたというだけで満足だ。

そういえば父は母と結婚するまでは杉並区梅里に住んでいたので

青梅街道を走る杉並線を使う事もあったと思う。この電車にも乗ったのかな。

 

「路面電車まつり」は16時に終了し無料の「お帰り電車」が赤迫まで

701号が走りました。

帰りは客扱いするのかも?と期待しましたが貸し切り表示のまま車庫へ戻った。

古い電車を動態保存し検査も通すには大変な苦労があると思います。

長崎電気軌道さん ありがとうございました。

 

 

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念願の勝鬨橋渡り初め

2017-04-22 22:27:35 | 60年代

勝鬨橋

その存在を知ったのがいつだったのか何がきっかけだったのか定かではない

真ん中が開いていた橋だというのを知ってはいたが

小川宏さんののなんでもカンでもというクイズ番組で砲金か真鍮で出来たレバーが紹介され

これはかつて勝鬨橋を上げる時に使っていたレバーだという事だった。

そして最後の跳開となったカラー映像が流れ衝撃を受けた。

番組の最後に「もう一度開くようにするには7億円かかる」と言っていたが今ではいくら必要なのだろう。

その後もその橋がそのままで存在する事は船舶用の信号機も残っている事を知りながら訪れる機会はなかった。

唯一旧車イベントがあり終了後に黒塗りの初期型デボネアとコルトで銀座方面に向かう際に

気付いたら渡っていた、というのがあった。

3月16日

とある役者さんとの飲み会があり場所は築地だった。

仕事明けで時間もあったので徒歩で勝鬨橋を渡ってみようと寄り道をする事にした。

ついに来ました!

気になっていた事がありました。

今でも往時の信号機が残っていると聞いていたのですが半信半疑でした。

 

暗くて不鮮明ですがこれが跳開時に使われた信号機のようです。

当時の歩行者用信号のようです!

これをガン見していました(不審者)

大型車が走る橋はけっこう揺れます。

中央に来ました!

隙間から川が見えたりします。ここから開いていたなんて・・・

都電の架線あとが残っていると聞きましたがよく分かりませんでした。

こちらは福島屋旅館の先代が撮られたお写真。以前にお借りしてブログに載せる事の許可はとってあります。

文字は私が後から入れました。

昭和43年4月17日の朝日新聞より

この頃でもあまり開く事はなかったのですね。

1968年の時点でに一回で早朝だけだったとは・・・

こんな事もありました。

こちらは昭和41年5月24日の読売新聞

いつかは勝鬨橋の資料館も行ってみたいです。

http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/jigyo/road/kanri/gaiyo/kachidoki/

 

念願だった勝鬨橋、ついに訪れる事ができました。

ありがとう松尾さん

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ホテル下田屋 風呂と「桜」 

2017-02-21 23:34:09 | 60年代

LPGコロナ乗りさんのお部屋を見せてもらいに行きました。

3階の「桜の間」までの途中に伊東市街地の案内がありました。

年季が入っているなぁ~、と読んでみましたが発行年月はありませんでした。

しかし「国鉄伊東駅」の文字に・・・

階段が急です

しかしそこも味わいです。

柵の高さが低いのも「時代」でしょう。今まで何人かは酔っ払って落ちたりしているのでは?と

思ってしまいます。

因みに口コミで「エレベーターが無かった」と不満を漏らす方が多いようです。

昔の建物で4階だてですからね~、なくても普通だった時代です。

それにエレベータが無かったからこそ保守や更新といった費用を掛けないで済み今日まで

残ったのだ、と思うのです。個人の宿でその金額を賄うのは負担が大き過ぎます。

こちらが桜の間です。窓から見える他のホテルのネオンサインがまた鉄のサッシに映えます。

この部屋にあったのは新しいタイプの冷蔵庫でした(しかし昭和47年製・・・)

写真は見事に忘れました、ええ、はい!

こんなスイッチも久しぶりに見ました。

バスやトイレが無い分私の「五月」よりも広かったです。

さて、風呂へ行きます。

お湯は福島屋と違いかなりぬるめです。私はぬるめの方が好きなのでユックリと入っていられます。

湯船も広いです。

 天井も高く、お湯は掛け流しです。

このホテルの唯一の難点がこのシャワーです。

口コミでも書かれていますが壊れているのが多いです使えない事は無かったですけどね。

そこさえ直してくれれば嬉しいのですが・・・

【つづく】(許してまにまにカレチさん)

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伊東に行くなら下田屋

2017-02-19 00:00:00 | 60年代

冷川峠から伊東の町へ抜けやっとホテルに到着しました。

こちらが今回のお宿です。

 

ついに念願のホテル下田屋(シモダヤ)に着きましたぁ!

どうです、この外観

一泊二食で¥7,800位です(正確な金額を失念)

140コロナ乗りさんからその存在と写真を見せられてから私の頭の中に

伊東に行くなら下田屋~♪

と流れ続けていました。

ホテルの前を一度通過して心を落ち着かせてから玄関の車寄せ?に着けます。

隣りに駐車場があります。7台位は置けます。

二人で興奮しながら外観写真を撮っていました。

 コルト似合うなぁ(笑)

  置くだけで古さを倍増させる卑怯なクルマです(笑)

 

自動ドアの玄関をくぐると・・・

思っていたより明るいロビーです。

今回は営業用140コロナ乗りさんが宿の方に頼み

「この時期は殆ど使っていない部屋」を私用に選んでくれていました。

もう何度も利用されている営業用140コロナ乗りさんならではです。

4階「五月」の間

消火栓脇の灰皿、左上に見えるスピーカーもさり気ない

 

さて、部屋に入ってみませう

ここで

【つづく】

なんて書いたら まにま○にカレチさんに怒られるだろうな

怒られるから部屋紹介へと入ります。

こじんまりとしたイイお部屋じゃないですか!

なんと・・・

鉄のサッシですよ!小学校の時より見ていません(涙)

さらに昭和30年代の新婚さん向けに作った部屋なのかこの時代に

お部屋に風呂があるんです。

かなりコツの要るドアを開けると

脱衣所(スペース)もあり・・・

小さタイル貼りの湯船です。

昭和30年代の日本人にはこれでも大丈夫だったのかな。

私にはちょっと狭いけど入ってみたいのですが宿の方いわく

『冬の時期はお湯が4階まであがりにくい』との事でこの時期にこのお部屋は使わないそうです。

お風呂だけでなくこのお部屋には専用のトイレもあります。

ネットの口コミではその個別のトイレが汚いと書いてる方もいたので

恐る恐る見てみると古い和式でした。

たしかに便器内に黒いシミがありましたが長年の錆等でついた落とせないシミで

清掃もキチンとされていました。

(試しに自宅から持ってきたトイレ用のブラシとクリーナーでこすってみたが落ちなかった)

そして昔のホテルで好きなのがこのスペース

いかがですか?このブログをご覧の数少ない皆様ならこの良さがお分かり頂けると思います。

奥の洗面台はTOTOの前のToyotokiのロゴがありました。

残念ながらイスやテーブルがちょっと新しいのが残念・・・

多くの新婚さんが向かいあって座ったり家族が泊まっていたんだろうなぁ、と想像してしまいます。

そして(まだ続くのか)

昭和家電ファンにはたまらない一品があります。

電話やテレビ、照明の更新は仕方ありませんが冷蔵庫が更新されず残っておられ泣かせます。

洗濯機か?と思った東芝の冷蔵庫

カッコいい・・・

昔はコンセントの差込口が付いていましたね~

東芝製 GR-70KM というらしい 東芝のロゴがまた・・・

『これ以上泣かせる事せんといて欲しいわぁ』と京極さんの声が聞こえてきそうです(誰それ?)

時の経過によりパネルには錆が浮いています

(試しに自宅から持ってきた布とクリーナーでこすってみたが落ちなかった)

さぁ、中を開けてみましょう

これまた普通にキレイでした。製氷機能もバッチリですがコルト1100と同世代の冷蔵庫だと思います。

それを普通に宿で使っている所が素晴らしい!

因みに冷蔵庫上のケース(小学校の給食でのストロー入れがこれだったな)に

コップがあるのですがかなりの年代モノでした。

次回は風呂と食事かな?

【つづく】

 

『左はトイレ?』 違います客間です!

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芦ノ湖スカイラインを走ってきました。

2013-08-09 00:01:55 | 60年代

湖尻から芦ノ湖スカイラインを走ってみよう、と思い車上の人となる。

芦ノ湖スカイラインを走るのは15年ぶりです。

 

【15年前の思い出】

車検を切らしていたコルトに乗れた事が嬉しくて自動車雑誌で有名な芦ノ湖スカイラインを

走ってみよう!と車を受け取ってドライブへ行った時以来です。

強烈な思い出があったのでよ~く覚えています。

シフトダウン時のダブルクラッチに慣れておらず練習がてらのドライブ。

天気は晴れて道も空いて爽快でした。

ゆるい右カーブ手前で4速から3速に落とそうとニュートラルでアクセルをあおった。

エンジン回転計は無いので音や感覚で回転を判断するしかない。

回転足らずで見事に失敗。フットブレーキにて速度を落とし速度が落ちていった直後だった。

山影で見えなかった右カーブの先から「家庭にある普通のコロナ」がセンターラインを半分以上もはみ出してきました。

運転しているのは30代位の普通の男性で興奮して顔がイってしまっていたのが目に焼きついた。

もしもさっきダブルクラッチが決まり進入していたら間違いないく正面衝突でした。

大怪我をしてコルトは廃車となっていたと思う。

人生はほんの一瞬の差で生死が判れてしまうんだ、と思い直した出来事でした。

【思い出 おわり】

さて、その芦ノ湖スカイラインは開通51年となるそうです。

昭和43年頃のものかと思われます。左下の「自動車の遊園地」というコピーがイカす!

 私は小涌園から姥子を経て湖尻にやってきました。

この頃はまだ箱根スカイラインが出来ていなかったのですね。

小涌園の前を通る度に本館?の建物の素晴らしい古さに興味を持つのだが未だに探索していません。

芦ノ湖スカイラインのドライブマップに載っているホテル小涌園芦ノ湖別館の建物がステキ!

奥の赤い本田スポーツ600はレンタカーでしょうか?

スカイライン1500は分かりますが手前の外車は何?

「芦ノ湖国際モビレージ」 気になったので検索すると素晴らしいキャンプ場だったようです。↓

http://homepage2.nifty.com/ifcc/museum/japanese_booth/at1960/asinoko.html

料金表を見ると昔は重量で分けていたのですね。

今回、湖尻から箱根峠まで小生のコルトの通行料は600円でした。当時だったら300円ですか。

曇りだったのであまり景色は見られませんでした。

 昔のドライブガイドより

 「芦ノ湖国際モビレージ」が載っています。今もあるドライブインの反対側にあったのですね。

幻の?ユネスコ村の文字もあります。昔の地図は面白いです。

駒ケ岳自動車専用道路って今は亡き駒ケ岳ケーブルへ向かう道ですが有料だったとは・・・

 

 

箱根峠に着きました!

この料金所がステキ!昔のノスヒロで浮谷東次郎さんの写真で見て今も残っている事に感動したものです。

芦ノ湖スカイラインパンフの画像

こんな事を言ったら怒られるが森林が無い方がいいような・・・

さ~て、これからどこに行こうかな?

つづく

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これぞ料金所!

2013-08-01 22:49:50 | 60年代

姥子から芦ノ湖スカイラインに入ろうと走っていると・・・

ややっ!

これぞ「有料自動車道路料金所」!

未だにこんな「物件」が残っているとは!

料金徴収員の方はおられません。幸いにも走る車がいないので車を置いて見学させてもらいます。

人生「起きて半畳寝て一畳」

今のアパートを引き払ってここに住みたい、と思ったりも・・・?

熱海新道に残る料金所跡もかつてはこんな徴収小屋があったのだろうか、と

想いを馳せてみる。

 

近づいてくる車の音に注意しながら車を寄せてみる。

ちょっと離れすぎでしたね。これでは料金徴収員の方に手間を取らせてしまいます。

この物件が末永く残る事を願っております。

旧車が似合う料金所という模型(完成品)1/43で出してくれないでしょうか。

(意味の無い広告)

つづく

 

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桃源台駐車場にて

2013-07-25 11:50:25 | 60年代

姥子より下って来て桃源台駅で見かけたこちらの物件

トイレというより「公衆便所」です。

子供の頃は観光地でよく見かけた物件です。

「今どきこんなトイレがあったのか!」

3K(暗い、汚い、恐い)が当たり前でしたがそんなトイレが無くなって清潔になって

いく事はいいと思います。

それでも懐かしくて探索してしまいました。

真ん中の「石」に時代を感じます。

 

かつて屋根部分は見晴し台?となっていたようです。

トイレの前で写真を撮るというのも妙な行為でした。

(前回の華やかな画像と一転・・・)

つづく

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