あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

(ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 16)

2011-03-29 22:15:17 | 熱海

S600を返すまであと15分。

初川を越し東宝の映画館を過ぎた辺りで車を停めた。

エスロクを眺めてタバコを吸おうと車外に出るとちょっと怪しいお兄さんが近寄ってきた。

「おもしろい写真ありますよ」

はぁ、これは・・・あれだろう。

うん、間違いなくあれだ。

「母ちゃんに怒られるから止めておくよ」

と答えて車に戻った。

タバコは後でいいやと再びエンジンをかけ逃げるようにスタート。

みそのビルの手前まで来ていた。
みんなはホテルに帰って来ただろうか。

熱海銀座にハンドルを切る。
自動で戻らないウインカーや発進時のギアにもちょっと慣れたもののニューフジヤホテルまであと少し。

銀座通りに入り派手なネオンサインのパチンコ屋から安全体操さんが出て来るのが見えた。



後続の車とは距離がある事を確認し急停車。

後続のタウナスが通り過ぎるのを待ちドアを開け三人の前に出る。

 どこに行ってたんですか!

パチンコかと思いきや二階にある純喫茶「8(エイト)」に入ってたそうな。
少しの距離だがホテルまで載せてと言われる。

 ダメだよ2人しか乗れないよ

「何言ってんのよ」

 車見りゃ分かるでしょ
 これは2人しか乗れないんだから

ちょっと自慢をするように振り返ったが水色のS600はセドリックに変わっていた

 
 あ…

「いいじゃないですか
ニューフジヤまですぐだけどせっかく車なんだから、運転手さん! 」

てっちんさんが後部ドアを開けようとするがロックがかかっている

 そっか…そういう事か

旧車が好きでも国産セダン派の私が唯一好きなスポーツカーはホンダスポーツ600。
メカニズム云々よりもスタイル、サイズが好き。

でも実際に買って所有したいとは思わない。

この手のスポーツカーがもの凄く手が掛かる事を承知している。
それでも数少ない憧れの車の一台。

ドライブクラブがレンタカーと名前を変えはじめたあの時代。

ホンダレンタカーではS600を貸し出した。もっとも他に車が無いのだが。

父が持っていた道路地図兼ドライブガイドにはホンダレンタカー営業所案内が載っていて一覧の中には
・横浜ドリームランド
・熱海ニューフジヤのカタカナ文字があった。

カタカナで書かれたその文字を見る度に高度経済成長時代のレジャーへの夢を垣間見たような気持ちになった。

60年代憧れの横浜ドリームランド、熱海ニューフジヤで
ホンダS600のレンタカーが借りられる。
もっとも当時、エスロクは普通車よりも割高な料金設定だったろうに

あの時代への憧れを抱く私が見た夢だったのだ。

  やっぱりみんなで乗れる4ドアセダンは実用的で便利だよな

聞こえないように呟きながら助手席を開け後部ドアのロックを開けてあげた


安全体操さん
「あぁ車ん中はあったかい♪」

てっちんさん
「さて、夕飯はニューフジヤ名物の飲み放題バイキングですね」

安全体操さん

「でも60年代のニューフジヤは部屋出しでしょ
又は大人数で宴会場の座敷とか」

さまひさん
「旅館じゃないから部屋出しではないんじゃないですか。でもその頃に皆さんと来たかったですよ」

安全体操さん
「何、彩雲さん喋んないけど
怒っているの?」

彩雲
「…」

その60年代の熱海を3人に見せられなかったのが残念だ。

ギアを入れようとクラッチを踏もうとしたらこの車はノンクラ。
左足が空を切る

「本当にどうしたの?」

 別に・・・

 
苦笑いしながらシフトレバーををドライブに入れる。
本当はマニュアルでない事は分かっていた。
でも分かっていてそうした。

バックミラーを一瞥すると右後ろにみそのビルが見えたような気がした 

でも確かめる事はしなかった。

「ねぇ、彩雲さん(笑)」

年上の安全体操さんが無邪気な顔で私に笑いかけた。

あの街がいったい昭和何年の熱海だったのかは分からない。 

置いてきたコルト1100が無性に恋しくなっていた。

つづく

 (次からは脱線しないでちゃんと書きます

 

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昭和30年代の熱海 1

2011-03-27 20:29:32 | 熱海

熱海の福島屋旅館の先代ご主人が撮影された熱海市内の写真です。

市庁舎屋上からの熱海駅方面を望む。



なんだかアチコチに旅館らしき建物が見えますね。
福島屋の後ろにも旅館があったのでしょうか?

右下に見えるオート三輪(軽?普通?)の位置から撮影されたものが下の写真。



現在のようす。(平成22年12月5日)



朝なので左に見える一寿司さんは開いておりません。
ちなみに最近「熱海 一寿司」に名前が代わったこのお店。
熱海 一寿司いいですよ~!
福島屋に素泊まりで行き何度も訪れています。
前は旅館があったとは知りませんでした。

画面右側の「ハシモトヤ洋品店」は変わらないようです。

写真内の文字と矢印は私が入れました。

福島屋旅館さん、ありがとうございました。

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(ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 15)

2011-03-26 20:22:01 | 60年代

熱海新道に入ると随所に「レストラン明治」の看板が立っている。

 料金所で通行料金¥250を支払ったが熱海ビーチラインですら¥130だったのに

同じ道路会社でこの差は何?

さて排気量はコルトの半分なのだがさすがにツインカムエンジン。

コルトよりは楽に坂道を登る。

マフラーは細く大人しそうだが音はコルトとは全く別もの(当たり前)

 

しばらく走ると右側のカーブに目当てのお店が見えてきた。

開店したばかりなのだろう花輪がズラリと並んでいる。

しかし駐車場にはそれほど車もない。

ホンダスポーツで乗り入れても誰も出てこない。

熱海の街や海が見えて確かにここからの眺めは良い。

店内に入ろうとすると後ろから

「開店は明日からなんですけど」

と声を掛けられた。

どうりで車が少ないわけだ。

伊豆スカまで行く事も考えたが残りの時間を考えるとここで引き返した方が良さそうなので戻ることにした。

つづく

 

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(ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 14)

2011-03-25 20:44:17 | 熱海

目が覚めると誰もいなかった。

敷いてあった布団で軽く眠るつもりだったのだが運転や緊張で疲れていたようだ。

テーブルの上にメモ書きが残してあった。

「ちょっと遊んできます。疲れているようなので起こさずに行きます」

隣の502号室をノックするが誰もいない。

地下のボーリング場にでも行ったのかと思い探してみることにした。

自動エレベーターで地下二階へ降りる。

8レーンほどの小さなボーリング場に姿はなかった。

ゲームコーナーを覗くとスロットカーに興じる集団があったがそこにもいない。

お茶でもしているのか?と一階のハイランドラウンジも探してみたがここにもいない。

自分だけ置いてけぼりをくったような気持ちに腹が立ってくる。

 そんな時

玄関を振り返ると水色の小さな車が入ってきた所だった。

ホンダのスポーツ600だ!

玄関を出るとドアマンが「そのまま駐車場に降りて下さい」と運転手に話している。

仕事柄ナンバーを見てしまうクセは抜けない。

「わ」ナンバーなのでドライブクラブのだな、と思って眺めていた。

「レンタカーご利用ですか?」とドアマンに声を掛けられた。

 いや、人を探しているんだけど・・・連れがみんなどこかへ行ってしまいまして。

そう言いながら通りを見ると雨が降る前なのか薄暗くなっていた。

昼間に靄がかかっているような不思議な雰囲気を醸し出していた。

  私もお兄さんと同じ仕事をしているんですよ

どこのホテルですか?と問われて職場名を伝えると知らないようでした。

そのドアマンと話しをしていると先ほどのスポーツ600の話しとなった。

ニューフジヤにはホンダレンタカーの営業所があるのだそうな。

 私は車で来ているので用もないな、と言うと

何にお乗りですか?三菱コルト?で今日はセドリック?お堅い車ですね(笑

お時間があるのならオープンカーでドライブされたらいかがですか?スカっとしますよ!

そう言われてもこの天気じゃな~・・・・

チラシを見せてくれたのだが

 

6時間も乗らないし、と言いながらも「乗ってみたくなった」

でもあまり時間もないので、と答えるとそのドアマンは

 じゃぁ、私が交渉してみましょう

と受付カウンターに取り合ってくれた。

「1時間?」怪訝な顔をしているレンタカースタッフとを遠くから眺めていたが

うまく交渉してくれたようだ。

手続きを済ませ受付嬢とドアマンの○黒さんの三人で地下へ降りると三台のSがあった。
水色のS600が私が借りる車のようだ。

先ほど見掛けた車なのでエンジンも温まっている。

街中で見かけると小さいなと思っていたが近くで見ると改めて小さく見える。
もっともこの小ささが良いのだ。

着座しレンタカーの受付嬢から簡単な説明を受けた後に恐る恐るアクセルを煽ってみる。
一緒に来てくれたドアマンのO黒さんが笑いながら
「この車はもっと回しても大丈夫ですよ」
と言ってくれたがレンタカーの係員は渋い顔をしたのを見逃さなかった。

コルトのハンドルは細いがこの車は更に細いようだ。
シフトノブの小ささに驚きを感じる。
「じゃあ、お借りします」
と声を掛け発進しようとフロアシフトのギアをローに入れる。
いきなりエンスト。
普通のファミリーセダンのOHVと違いスポーツカーDOHCとは違う。
私はコルトの場合低回転でクラッチを繋ぐがこの車はある程度高回転から繋ぐようだ。
2人しか乗れない車体といい
さすがにスポーツカー
実用車ではないという事か
レンタカーとはいえ人様の車をいきなり高回転で、という状況を受け入れられずにいたがなんとか発進出来た。
会釈して地下のスロープを左に曲がり糸川沿いに出る。
外は相変わらず霞んでいる。

 
恥ずかしながら本町通りに出る所でまたエンスト。

熱海銀座を右折し海岸通りに出る。

右折せず直進すれば福島屋旅館だが今回の宿をニューフジヤにしてしまった事に後ろめたさを感じ直進。
サイドブレーキもシフトノブの位置も違う車に悪戦苦闘。
海岸通りを左折する。
二代目お宮の松が植えられている海岸通りにハンドルを切った。
「スポーツカーで独り海岸通りを流す」

普段と違う視界や運転感覚が実に楽しい♪

海岸通り左手につるや 熱海グランドホテル等が並ぶその前には
ちょうど観光バスが並び客を降ろしていた。
関西のバス会社のバスからゾロゾロとお客がホテルに吸い込まれて行く。
どこかの社員旅行だろう。
大ホテルには館内にバーや遊戯施設があり夜になると鍵を掛けられて商店街でお金を落とす事は無いと聞く。

(昭和41年4月5日 熱海新聞)


霧雨となり慌てて臨海ホテルの手前で停車し説明書を開き幌を出そうとした。

しかしすぐに止んでしまい幌を出さずに済んだ。

ふと道路脇の電柱を見ると

「熱海パークウエイ レストラン明治 オープン」と看板が立て掛けてある。

 

(熱海サンデータイムス 昭和42年7月)

そこに行ってみることにした。

この車、発進時にお尻が撥ねるような感覚はなんとかならないかな? 

 

昭和40年3月24日 熱海新聞より

つづく

 

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 13

2011-03-22 20:36:28 | 熱海

玄関左手のフロントでチェックイン



フロント後ろの壁のデザインが素晴らしい
開業当時の「ハイランドラウンジ」の名残でしょうか?


鍵のホルダー



いつの時代のものでしょうか。

色使いとデザインが申し分ない。

かつては存在したベルボーイ(女中さん)が当然いない。
仕方がないので誰も頼んでいないのに私が演じる事になる。
かつてベルボーイを10年務めました。


エレベーターに案内

大理石の壁と「自動」の赤字に反応。

但しこのエレベーターは当然ながら開業時のものではありません。

開業当初は日立製だったが三菱製に変わっています。

彩「お客様のお部屋は5階の502,503号室となっております」
5階に到着するとエレベーターホールは大温泉ホテル特有の雰囲気に満ち溢れていた。


私はエレベーターホールの雰囲気というのが好きだ。
西熱海ホテルも優れたものがあった。

それぞれのホテルは当然違えど良いホテルというのは、どこか似ている雰囲気がある。



館内の中心は中庭になっていた。

 

これも味があって良い(←何様だ?)

私達のお部屋502.503は西向きとなります。

522~529が海側となる訳です。

経営が代わる前はカードキーだったようでカードリーダーもドアに付いておりましたが

現在ではシリンダーキーに戻っている。

カードキーは「開かない」とかトラブルも多いしメンテナンスも必要なので旧来の方式に戻したのでしょう。

その方が私達には好都合。

502は洋室

(てっちんさん撮影)

(てっちんさん撮影)

入室し電気をつけると天井のランプが点滅しておりました。

目障りなので変えてもらおうと電話しようとすると廊下にちょうどスーツを着たスタッフらしき方が。

呼び止めて変えてもらうように伝えたが私の格好を見て不思議そうな顔(笑)

彩「申し訳ございません、すぐ変えさせますので」と『先生』にお詫び。

もちろんスタッフに聴こえるようにです。

となりの503号室は10畳の和室。

私とさまひさんはこちらで眠ることにしました。

 

503のバスルーム内

タイルがいい感じです。

お風呂の造りが素晴らしい!

「バスタブ」ではないのです。

大浴場ではなくこの小さな湯船も捨てがたい(お湯は温泉なのかな?)

今でこそニューフジヤは7つの大浴場があるが開業当初は地下二階の大浴場しか

無かったので利用頻度も多かったのでしょうか。

 

つづく

 

 

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 12

2011-03-19 20:26:31 | 熱海

15:30

夢にまで見た(本当)熱海ニューフジヤホテルの玄関にセドリックは滑り込んだ。

本来ならドアマンがおり運転手である彩雲も素早く降りて右後部ドアを開けるのだが

降りずに誘導員の方に宿泊の旨を告げるとお連れ様に降りて頂き

車は地下ではなく屋外へ、との事だ。

開業当初から変わっていないと狙っていた地下駐車場は

昨日から配管が壊れてしまい使えないそうだ(先週見に行った時も閉鎖してあったけど)。

 

じゃぁ、荷物をここで降ろして小生は車を置いてきますよ。駐車場は?交差点を曲がって?あぁ、ラーメン石川屋の隣ですね。

トランクを開けて『私が降ろします!』と「お客様」のお手を煩わせないよう普段より必死に動く。

 

そんな時だった。

1人のおばちゃんが館内から出てきて誘導員の方に尋ねた。

おばちゃん「タクシー乗りたいんですけど」

誘導員『ちょっと今、いないですね』

おばちゃん

「これとか次、乗れないんですか?」

 

これ、に指をさして誘導員に尋ねる。

誘導員『いや、これお客さんの車なんで(汗)

 

キター!(古っ)

おばちゃんタクシーと間違えおったで~!!

よっしゃ~!!この瞬間をわしは待っておったんじゃ~!

もうね、トランクの中で下を向きながら見えないように大爆笑をしていたよ。

おばちゃん「ご、ごめんなさいあまりにステキな車だから・・・

おお慌てで謝られる。

いや、いや、間違えてくれて本当に感謝しております。

心の中で「道中、営業車と間違えられないかな~」と

期待していました。

それがホテルの玄関で本当に間違えられるなんてもう面白過ぎでした。

あの瞬間をビデオに撮っておければな~

 

つづく(本当に駅まで送ってあげたかったよ)

 

 

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 11

2011-03-18 11:52:06 | 熱海

小柳参謀長
「長官、よくぞここまで来れましたな(略)
しかしレイテはもうすぐです!」

マックスバリューで買い物を済ませてついに念願のニューフジヤホテル。

東宝映画 連合艦隊でレイテ湾突入前にして小柳参謀長役の近藤 宏さんが感慨深く栗田長官に語り掛ける場面がある

熱海銀座を走り玄関前までもうすぐの所で冒頭のセリフを思い出した。

ブログに書くと熱海入りする前まで引っ張り過ぎた

これからメインの出来事を書かなくてはならないのに…

あの日玄関で

あんな事が起こるなんて・・・

来年五月 40億 ニューフジヤが開業

テレビ・バス付き 三百室で千名収容

国際観光温泉熱海には約300の旅館があり、一日平均の宿泊者は五万人で、
これは全市の人口に等しい数。
最近の旅行人口の増加や年代層の入れ替わりで全国でもホテル利用者は増えつつある。
明年秋には東京オリンピックを控えて各地にホテル建設の槌音が高く響いているが
泉都熱海に来る外人客はこれまで極僅かで、その良さは認められ乍も受入れ設備の
不十分さから、なかなか外資を稼ぐことが出来なかった。

この様な情勢に着目した熱海富士屋ホテル塩谷比佐子社長は
昨年から熱海でも最も繁華な中心地本町に国際級の大ホテルを
建設し、今後の外人客の誘致とホテル利用層の受入れをはかつていたが
このほど工事もなかば以上進み全容が明きらかとなつた・・・

名称はニューフジヤホテルで、工事は大成建設、総工費四十億円、延べ一万坪の
国際級リゾートホテル。
超一流の近代的設備と合理的なホテル会計でサービス面では日本的良さを充分に
生かせる旅館風に- というのがその方針。
客室は皆テレビ、バス付でゆつたりと廣く300室、1000名収容できる。
室料は二人で2800円位から最高のスイートルームは13000円-17000円までいろいろ。

このホテルの特色はツインベッドの洋室の一部が柱の無い7.5帖の和室に
なつていて、外人も生活様式を変えることなく、日本座敷の情緒や
起居生活が楽しめる。
ほかに完全な洋式のベッドルームが140室、和室が70室となつている。
パブリック設備は総合リゾートにふさわしく1800名ぐらいなら大丈夫という
カクテルパーティ用のレセプションホールをはじめ、和式宴会場、円形せり上がり舞台付の
洋式宴会場など。
国際会議や小見本市もできる宴会場が大小八室、食事室は本格的なダイニングルームをはじめ、
プールサイドレストランお好みセルフサービス和食堂、コーヒーショップなど
四つ、左向にはバーもカクテルラウンドもある。

遊戯施設はオートメーションの八レーン・ボーリング場、ゲームセンター一年中泳げる
プールなど。

変つたところでは温泉ドックや洋画常設の映画館まで内臓した文字通り
一万坪のバカンスデパート。
明年三月には熱海バイパスも完成し、マイカー族も楽に熱海にドライブできるので
同ホテルでは地下と屋外に合計八〇台~一五〇台のパーキング場も用意して居り
明年五月に完成する・・・(写真は完成図と塩谷社長)


昭和38年10月26日 熱海新聞


開業を半年後に控えた地元の新聞には

「あの時代」の熱気が伝わってくるようです。

つづく

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あす彼岸入り 昭和32年

2011-03-17 17:46:36 | 60年代

春の行楽始る あす彼岸入り

寒さも峠を越して十八日から彼岸の入り
いよいよ春の行楽シーズンの幕開きだ。

そのトップを切って十六日夜はツバキと御神火が招く大島へ行楽客がくり出して行った。
この夜東海汽船の「橘丸」「淡路丸」の二隻に乗り込んだお客はざっと二千人、
大半は群馬、長野などからの団体客やサラリーマン・グループ、家族連れ、学生など。
予約の切符はすでに四日前から売切れという盛況だった。

一方、戸塚の有料道路では白ナンバーの自家用車が引きも切らず西へ西へ
ドライブ族の落着く先は熱海か箱根の山か。
四十円ナリの通過料をいただくミス関守りも楽しげな車内のアベック風景には
「当てられますわ」
とテレくさそう。
だがこれからの好シーズンに一日に軽く三、四十万はかせぐこの”関所”にとっては
ドライブ族さまさま・・・・・
春とともに笑いが止まらぬといったてい。

上  ”橘丸”に乗込む行楽客(竹芝桟橋で)
下 ドライブ・カーの行列(戸塚有料道路で

------------------------------------------------
昭和32年3月17日の朝日新聞より

54年前の朝日新聞に載っていた記事です。
「レジャー」も時代を感じます。

戸塚有料道路とは吉田茂首相が命じた「ワンマン道路」の事。
現在は横浜新道戸塚支線と呼ぶそうです。

新聞記事の二台目は日野ルノーでしょうか。

この時代に白ナンバーの自家用を持てた人はどれほどの
お金持ちだったのでしょう。

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山の上ホテル

2011-03-13 00:53:16 | Weblog

2月22日

前から行ってみたいと思っていた神田の山の上ホテルに行ってきました。

自宅を出て環状2号を走ってしばらくすると三車線の第二通行帯に

フェンダーミラーの古そうな車がスーっと後ろから現れました。

なっ、何?

なんとクラウンRS41!

しかも涙目のフルノーマル!

年式を表しているのであろうナンバーは最近の三桁だが古いクラウンというと

車高を落とし改造され飽きたら次、というのが多いなかで

いい人に買われたのねと、こっちが涙目になりそう。

写真を!と思いきやデジカメが接写モードになっており手間取ってしまい

クラウンは曲がって行ってしまいました。

同世代と思しき運転されていた方はコルトに気付いているはずなのだが

なぜかこちらを見ようとしてくれませんでした(笑

さて、第三京浜を走り目黒通りから桜田通りに抜けて都内をドライブ。

最近は乗っていないコルトは快調に走り皇居前を抜けて念願の

「山の上ホテル」に到着。

ゴンドラ式のパーキングにコルトを入れてコーヒーパーラーで食事。

 

久しぶりにタバコなぞ吸おうと思っていたがコルトのダッシュボードから取り出すのを忘れていた。

到着時とは違うドアマンの方に駐車券を見せて荷物を出したいと、伝えると

回転式のゴンドラからコルトが出てきました。

タバコを取り出しお礼を言うと

若いドアマンの方が

「これコルト1000ですか!!??」と質問されました。

「コルト1100ですか、初めて実車を見ました!(ゴンドラから)降りてきて最初はプリンスのS54かと思ったらコルトでビックリしました」

と、かなり古い車に詳しそう。

嬉しくなって話していると

「尼崎の方にコルト1000の消防仕様があって・・・」

inomamoさんが高速有鉛に書いた車か?やはり高速有鉛を読んでらっしゃるとの事。

話しが弾みこち亀で両津さんの弟さんが乗っているコルト1000の話しもご存知でした。

いや~、まさかここでinomamoさんの話題やエブロの話しとかをするとは思いませんでした。

さっき観たクラウンRS41の話しをすると「涙目でした?」ですから(笑

トヨタパトロールとかいすゞベレルのパトカーをご存知このドアマン。

同じホテルだったらさぞ面白い相棒になった事でしょう。

でもなぜか私もドアマンです、と名乗れませんでした。

忙しそうだったしタイミングを逃してしまったのです。

いつかはお互いの仕事の話しや車の話しをしたい。

帰りにニコライ堂が見えたので見学。

ニコライ堂というと五木寛之さんの「雨の日には車をみがいて」でシムカ1000の話しに

出てくるので「ここだったのか」と1人全然違う事を考えていました。

偶然遭遇したトヨペットクラウンや都内ドライブ、山の上ホテル

とても楽しい一日でした。

 

 

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 10

2011-03-10 20:48:51 | 熱海

さて、真鶴で遊んだ後は熱海ニューフジヤホテル開業と同じ年、昭和39年開通の熱海ビーチラインを経て熱海に入る。
回数券をうっかりコルトの中に忘れてきたので現金で払う。

紙の回数券を渡して料金所を通過する事もETC全盛の世の中でちょっとした楽しみなので後悔。

現金で250円を払う。
因みに開業当時の普通車通行料金は150円(小型130円)。

国鉄初乗り10円、ビール大瓶が150円の時代。

今の金額にするとかなりの高額だと思われる。
当時のマイカー族は苦労して車を買ってレジャーに出掛けても出費が大変だったのだろう。
熱海から下田に行くにも「なぎさライン」と呼ばれる有料自動車道ばかりだ。



彩雲交通ハイヤーは6.1キロのビーチラインを走りきる。

宿に向かう前に熱海名所 お宮の松を見学。



昨年、初めて金色夜叉を読みました。
仮名遣いが古いので難しかった。

 

熱海に来る人たちは名所としてお宮の松を見に来るが(だって熱海には観光名所が少ないんだもの)この像と松を観て
「これがお宮の松か!」
と喜ぶ人はどれだけいるのだろう。
「なんか名所らしい」と見る方が殆どだろう。



因みに東海道新幹線熱海駅の「飛躍の像」
渚町の純喫茶「田園」の像と同じく 館野弘青氏の製作です。

観覧するご主人様を見守る運転手君。

ITビジネスで儲けた方々だろうか(振り込め詐欺の犯人グループ説あり)

しかし20年前の背広に再び腕を通すとは思わなかったな。

ここへ来たら、信号を渡り波さんから教わった初代お宮の松プレートに案内し解説。

黄色の矢印の所にそれはある。

かつて初代お宮の松があった場所。

今は亡きホテル「つるや」前です。 

初代「お宮の松」

画像は竜宮閣さんのパンフレットより転載致しました。

 


 

記念板を国道 - 初代お宮の松の跡に

市の観光課では東町海岸の国道にあった初代

『お宮の松』は枯れた根も掘り返して取り除かれ全く姿を消したため

『初代お宮の松跡』と記した真鋳板をこの松があった路面に

はめこんで記念に残すことになった。

タテ15センチ、横25センチ、厚さ5センチ、重さ28キロの楕円形真鋳板で

これに長さ30センチのくいをつけて位置が移動しないようにする。

昭和41年11月23日 熱海新聞より



路面を見入る一行に周囲は怪訝な顔をしていました。

この存在を知る人も今ではどれだけいるのか。

私も波さんに教えてもらうまで知りませんでした。

こちらが枯れてしまった初代「お宮の松」の輪切り。



つづく

さて、ついに憧れの熱海ニューフジヤホテルへ!


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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 9

2011-03-09 21:44:43 | 60年代

真鶴最後の目的地

真鶴サボテンドリームランドとは?


 

約7000㎡の園内には四つの大温室があり

約2500種三万本のサボテンを栽培している。

これらのサボテンは世界三大サボテンコレクションとして知られていた

メキシコのシュワルツサボテン園の収集品を主としてそのほかメキシコ・中南米・アフリカからの

ものが集められている。

弁慶柱・金鯱などの大きなものから白紅山・金環飾などの珍種もある。

他にメキシコ物産館がある。

このドリームランドのわきには新たに野鳥園ができた。

約2500㎡の金網で囲った中にはコウライキジ・日本キジ・キンケイ・ハッカンなど

10数種1000羽ちかくが放し飼いにされている。

昭和46年発行 伊豆・箱根 旅行案内より

http://www4.airnet.ne.jp/manazuru/2sabotenland.html


ここも閉園されていまはコミュニティ広場となっていました。

とくに写真に収めるものもなく売店でみかんソフトクリームを食べて後にしました。

しかし135号線真鶴道路へ戻る途中に見かけたこの旅館

みよし旅館

!いい!

いいよ!この宿!

 なんかこう・・モロに60年代です!という雰囲気が出ています。

HPもありました。

http://miyoshi-ryokan.com/

お値段も手頃、こういう部屋の雰囲気が好きなのでいつかみんなで

泊まりたい宿です。

さて真鶴を経ていよいよ目的地熱海のニューフジヤへと向います。

つづく

(この調子で行くといつ終わるのだろう・・?)

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 8

2011-03-08 19:32:32 | 

続いて真鶴サボテンドリームランドへと参りましょう、と進んで行くと

初めて来た場所なのにどこかで見たような建物が現れました。

おお!こ、こ、これは・・・

一度だけ復活した西部警察SPECIALで炎上した車や建物の消火用として

8千万円で買ったという石原プロの消防車じゃないですか!

実際に消火したのは宮崎ロケで燃やした大型バスと名古屋のビル屋上の小屋くらいで

例の事故があってから活躍の場は無くなってしまったわけで・・・

テレビ朝日「ナニコレ珍百景」で欲しい方に差し上げますとなって寄贈されたイベントを

テレビで観たけどここだったのね。忘れていたよ。

 石原プロが大金を払って購入した消火用の消防車を手放すという事はもうアクション刑事物を

撮影しない、という訳なのだからここにいる姿はちょっと寂しいです。

 それとも再び西部警察のような作品を再び撮影する時には貸してくれるのかな。

そうだといいな・・・

でもあの時のSPECIALのような「はぁ、何これ?」的な作品にはならないでね。

おまけ:

近くにはこんな珍車も停まっていました。

電気自動車のようです。

 

つづく

 

 

 

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 7

2011-03-07 22:58:23 | 

ガイドブックによると真鶴には水族館があるそうな。

どこにあるのか分からずにさまよっていた。

釣り人の姿が見えたので後を付いていくと・・・

どうやらこの場所にあったようです。

静かな海岸でここに水族館があったであろう名残は残っておりませんでした。

(てっちんさん撮影)

観音様がこの奥におられるようです。

(てっちんさん撮影)

海を利用した釣堀跡でしょうか。

水がキレイでした。貸し竿で釣りをしたかったな。

つづく

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熱海文化会館ありがとう運転会 6日

2011-03-05 21:34:24 | 熱海

熱海鉄道同好会が長年に渡って開催してきた

鉄道模型運転会が今月6日(日)に熱海文化会館にて開かれます。

これは熱海文化会館が公民館としての使用が終了することにより

同文化会館では最後になります。

正午から午後6時までの公開運転会となるそうです。

思えば福島屋旅館のご主人に誘われてお邪魔したのはもう五年前となります。

その時のようす↓

http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/b42e3657ed21a8e15b79709384f6405d

文化会館での最後の運転会は何とか見学したいと願っておりましたが

見事に仕事となりました・・・

熱海鉄道同好会の皆様、ご盛会を祈っております。

 

過去の運転会を報じる熱海新聞

昭和63年1月6日 熱海新聞より

昭和63年8月7日 熱海新聞

 熱海文化会館は熱海市役所の裏になります。

 

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熱海インフォメーションセンター 今昔

2011-03-04 18:01:03 | 熱海

東京の銀座近くに熱海インフォメーションセンターという広報施設が

あります。

その存在自体は以前から知っておりましたがなかなか訪れる機会がありませんでしたが

近くに行く用事があったので訪ねてみました。

 

場所は銀座線京橋駅6番出口を出てすぐというので降りてみる。

 余計な事だが6番出口階段が狭いのは銀座線の歴史が古い為

昔の設計なのでは、とか思いながら登ってみると

通りの向こう側に趣きのある古そうなビルが見えました。

食品の明治屋 MEIDIYA のビルでした。

さて、本来の目的地は昭和ビル別館の地下一階との事だが・・・

ありました!熱海の文字が!

ああ、熱海・・・

躊躇せずに降りてみます。

店内?には熱海主要のホテルのパンフや割引券が置いてあります。

そして店内のテレビジョンには熱海を紹介するビデオが流れておりました。

見入っていると「どうぞイスにお掛けになってご覧ください」と勧められるので

着座し観光案内のビデオを観る。

あれだけ熱海に行っていながら知ってはいるが訪れていない箇所があるのだな、と

改めて感じます。

 

この施設、あまり目立つ場所ではないのでご存知の方は少ないかもしれませんが

熱海を訪れる前に情報収集をするのに良いと思います。

特に広報誌「熱海で遊ぼ!」には食事処の割引券も付いていますので便利です。

読んでいると次は訪れてみよう、と思い楽しくなります。

場所は中央区京橋2丁目8-21昭和ビル別館地下一階です。

さて、熱海のインフォメーション施設はかつて有楽町の有楽座と芸術座の間にありました。

昭和41年2月2日 熱海新聞

『この宣伝ケースは東京駅などにも設けられているボタンを押すと目的地が

電気で点滅し・・・』

昔はよくありましたよね、駅前の案内板でお店のボタンを押すと豆電球が点滅する地図。

最近は見なくなったなー。

今日のようなインフォメーションセンター施設ではないようですが

熱海の模型をケースに入れてPRしていたようです。

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