こんな時期にと非難をされそうですが久々にちょっと遠くに「旅」をしてきました。
さまひさんから「ある国鉄型の電車が無くなるので一緒に行きませんか」と
お誘いを受けたのですが私はその形式の電車を全く知りませんでした(だって私はマニアじゃないもの)
それでも「国鉄時代」という言葉と気の置けない友との旅への誘いに決心しました。
2月20日
始発のバスに乗る為早起きをした。アパートの扉を開けると外はまだ暗いがそれほどの寒さは無い。
しかし先日から先行しているさまひさんの情報だと雪解けの水があるとの事でそれ用の靴を選んだ。
品川から東京駅へと着いたが「Eチケット」なるものを使うのが初めてだったので
自動改札を抜ける時に引っかかったら、と懸念していたのだがあっさりと無事に通過。
しかし東京駅構内でこれに引っかかった。
時代は流れてもあの時代の跡を感じさせてくれる展示が嬉しい。
東京駅発07:20 かがやき503号は定刻通り発車をした。
隣のホームには東海道本線を走ってきた寝台特急サンライズ号が見えた。
北陸新幹線に乗るのは初めてだったのだがあの寝台特急に乗る時のような高揚感は無かった。
そういえば以前に高岡から上野駅に夜行列車「のと」で
早朝に戻ってきたのがついこの間のようだが、もう10年以上前になる。
ジョイント音も揺れも無い新幹線の車内は快適で09:51金沢駅に着。
特有の「国鉄臭」とジョイント音を求めるのはノスタルジー。
しかし私は今日その「ノスタルジー」をわざわざ味わいに来た。
金沢駅で北陸周遊券を買い在来線で高岡駅に行き10:59発の城端線(じょうはなせん)に乗る。
次の新高岡駅で今回の企画者さまひさんと無事合流。
沿線や終点に何があるわけではない、ただ乗る為だけの旅。
でもそれが楽しい。ノンビリ、ゴトゴトと揺られながら終点の城端駅は到着。
折り返しの列車が出るまで食事でもと探すとスーパーのようなのもあるようだが
出来れば駅の周辺の個人店の食堂でお金を落としたい。
いかにも昭和から営業しています、えぇ、あんたの好きな店構えでしょう!?
といった食堂が駅を出て左に行くとあったので恐る恐る入店し
二人で親子丼を食べた。味は普通においしかった。
しかしお店の外観を撮り忘れる・・・
高岡駅から金沢駅への列車を待つ。
『これが今回の目的の電車ですか?!』
さまひさん「いや、違いますよ」
私は何も分っていません(笑)
でも車内は色こそ違えど昔東海道線や横須賀線を走っていたのと似ているので懐かしい。
ネットで予約をしておいた金沢駅前ホテルに荷物を置きに行ったのだが
無人フロントのタブレット端末が途中で止まってしまい焦るが何とかチェックインを済ませる。
鍵はタブレットに表示された暗証番号での解錠となるのだが
さまひさんから「この(暗証番号の)画面をスマホで撮っておいた方がいいですよ」とアドバイスを
受ける。記憶力の悪い私はその後にこれがいかに大切だったかを何度も思い知る。
ひと月前からのネット予約¥3,000だったが部屋は広くキレイで良かった。
個別の部屋で予約した為、ロビーで集合し再び金沢駅に戻る。
今回の列車こそが旅の目的、七尾線を走るクハ455なのだそうな。
さまひさんの説明だと「国鉄の急行型電車最後の生き残り」なのだそうな。
「ただしデッキが取り払われ一部がロングシート化された為にボックス席は8しかないので
争奪戦が予想される」
なので早めにホームで並んでいたが
「先日の大雪で運用が変わっていて別の(さっき高岡から金沢で乗った列車)が来たら
ヒザから崩れ落ちますよ」
不安げな表情で言うのだが私は「昔からどうしても乗りたかった」訳でもないので大丈夫です。
土曜日で引退間近の列車なのでかなりの人出かと思ったがそれ程でもない。
入ってきた列車は予定通りの列車のようだ。
扉番号2番で待っていると乗り口とドアがズレる「他の2ドアと開く場所がズレるんですよ」と言われドアを見て納得。
先ほどの列車とはドアの位置が違う。
なんとドアは手動で開けるのだそうな。
それもボタンを押すとかではなく手で開ける。
無事にボックス席に座れて落ち着いて車内を見回る。
クハ455-702
久しぶりに座る古いボックス席は現在の東海道線の嫌がらせのような固さと
狭さとはまるで異なる心地よさ。
昔はデッキがあったそうな。上の段差はその時の名残のようだ。
子供の頃、たま~に東海道線の乗ると車内にトイレが付いている事が
驚きだった。
便所使用知らせ灯のシンプルな存在が好きだったりする。
両手を洗うのにはコツがいるようですが洗面台も付いている。
これまた懐かしいスタイルのトイレ。
子供の頃は下が見えて「停車中は使用禁止」となっていたが
いつの間にかタンク式となっていた。
こんな小さなパイロットランプ?も点灯する状態を見るのも無くなってしまう。
「汽車」の表記がなんか嬉しい。
年季を感じる扉は重たかった。
手前のロングシートの個所もかつてはボックス席だったそうな。
113系や115系の記憶しかない私は「国鉄急行型」に乗った記憶というのは
ハッキリしているのは小学6年生の修学旅行で乗った「貸切電車」だった。
『これが修学旅行専用電車か?』と喜び
形式を覚え家に帰り図鑑を開くと「修学旅行用にも一般用にも使える」とあり「修学旅行専用」ではなくてちょっとガッカリした。
話しは逸れたが前もってちょっと調べたらデッドセクション通過を味わえるとの事で楽しみにしていた。
「架線柱を見ているとデッドセクション区間のマークが出ますよ」と教えてもらった。
車掌さんから「車内の電灯が消える」旨のアナウンスが流れてしばらくすると
電灯が消えて同時に小さな蛍光灯が灯った。
(画像は帰路時)
デッドセクションを通過。
南極観測隊員が赤道を超えた時はこのような感激と興奮だったのだろうか
な訳がない
さて、終点の七尾まで約1時間半の旅だが目的地がある訳ではなくただ乗るだけ。
知らない土地を古い電車で旅をしている事だけで楽しい。
職場の人達に話したら「行って帰ってくるだけ?何が楽しいの??」と
呆れるだろう。
終点の七尾駅に着くとすっかり日が落ちていた。
再び折り返して帰るのだがホームに出てみた。
人も少ないので写真を撮りやすい。
確かに今では見ないスタイルです。
クーラーも昔のタイプで個別だそうな
東芝のロゴがありました。
そういえば昔の電車の屋根はこんなイメージでした。
交直流ならではのパンタグラフ付近
分からない事はさまひさんが解説してくれるので楽です。
こちらはドアの配置が異なる反対側の先頭車
その車内。
静かに発車を待つ列車。人も少なく寂しい雰囲気がまた良かった。
再び列車に乗り復路
↑お茶はさまひさんが「撮影用」にご持参されました。
「今度は別の車両に移りましょう」と言われついていく。
モーター車だった。昨年、140コロナタクシーさんと185系に乗った際に
うなりをあげる「音」について教えてもらうまで意識しませんでした。
それ以来モーター車の音が好きになった。
悩んでいるの?
違います、モーター音を堪能されています。
ここだけ見ていると横浜市営地下鉄1000系の座席を思い出します。
列車は定刻通りに金沢駅へ到着。
回送となり発車するまで外観を存分に見ていると
ヘッドライトの下の線が気になった。昔は塗装が違ったの?
「クリーム色のような塗分けだったんですよ」
そこで思い出しました、鉄道博物館で見た電車だ!
(↑鉄道博物館のサイトより)
博物館入りしている電車に乗れたのか。
あの電車だったのか。
20分程すると電車は回送となり去っていった。
さまひさん、お誘いと解説ありがとうございました。
【追記】
修学旅行電車の思い出
6年生の修学旅行での帰路に先頭車と先頭車の連結部分、デッキにいると
担任の先生がやってきて当然のように運転席のドアを開けた。
そしておもむろにマイクのスイッチを入れ生徒に連絡事項を車内放送したのでした。
それがあまりにも羨ましく『先生になれば(中間の)運転席に入れるんだ。教師っていいなぁ!』
と思ったものでした。
その年に父のカメラを借りて撮った写真の中に形式は違えど
急行型の電車がありました。昭和58年東戸塚駅付近
今、こんな線路ギリギリで撮影したら通報ものですよね
これは何系なのでしょう?