朝食を食べに食堂車に向かいます。
通路に手洗いがあるのは食品衛生法に寄るものでしょう。
(ブレブレで申し訳ない)
和食は数に限りがあり人気ですぐに売り切れるそうだが
普段の生活が和食なのでこんな時には洋食を取りたい。
雪景色を眺めながら列車食堂で食事
なんという至福!
これぞ現代の贅沢なのだ!
つづく
さて、これから熱海に行ってきます!
朝食を食べに食堂車に向かいます。
通路に手洗いがあるのは食品衛生法に寄るものでしょう。
(ブレブレで申し訳ない)
和食は数に限りがあり人気ですぐに売り切れるそうだが
普段の生活が和食なのでこんな時には洋食を取りたい。
雪景色を眺めながら列車食堂で食事
なんという至福!
これぞ現代の贅沢なのだ!
つづく
さて、これから熱海に行ってきます!
前回はたくさんのコメントありがとうございます。
まにまにカレチさん
「でも、カシオペアには昔の汽車旅の楽しみは半減しているように思えます。
全ての寝台が個室で、トイレも付いているので、乗り降りの時と(略)多くの寝台がカーテン仕切の二段ベット、共用洗面所・トイレのブルートレインならノスタルジーはあるし、人との関わりも楽しいものです」
さまひさん
「全室個室ということもあるのでしょうか(略)」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
う~ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
さて今夜のお宿は「走るホテル」です。
一度ロイヤルに泊まってみたかった。
閑散期なので残り1室が取れました。
そうです・・・個室です
食堂車と豪華寝台個室に乗りたいがためだけに特に予定もないのに北海道へ行きました。
阿呆列車みたいに着いたらすぐに引き返すなんて事は出来ませんけど。
乗車券(上野→札幌)¥ 17,930
特急券 ¥2,940
個室寝台 (ロイヤル)¥17,180
計¥38,050
普段は質素に暮らしているのですがお金を使う時は使います。
室内にはトイレとシャワーがあります。
シャワーは10分間使えます。
ドライヤー
クローゼット
ビデオ放送もありましたが子供向けだったので観ませんでした。
発車してしばらくするとウエルカムドリンクが届けられます。
ウイスキー(氷とミネラルウォーター付き)お茶、そしてワイン。
このワインを飲んでしまったので食堂車ではビールにしたのです。
ベットは二人用にも設定されているので下から引き出すと広くなります。
(格納時には足や指を挟まれないようにしましょう…危なかった)
シートに座って備え付けの音楽を流し持ち込んだ酒や肴で車窓を見ながら飲んだくれました。
列車内でタバコが吸えるというのも今の世の中では貴重です。
翌朝はモーニングコーヒーと朝刊のルームサービスがあります。
ベッドから出入り口を見る
目的地到着数時間前にベットでゴロゴロ出来るのは「寝台車」ならでは。
まさに「走るホテル」でした。
つづく
1月23日
なんとなく食堂車に乗って食事をしたいな、と思った。
毎日運転している列車の中で営業しているのは寝台特急の北斗星号だけだ。
別にどうしても北海道に行きたいわけではない。
ただ食堂車で食事がしたい
そんな訳で乗ってみることにしました。
上野駅にて
ブルートレインに乗るのは「冨士号」以来です。
食堂車はスシ24
小学生の頃に見た昔のブルートレインはオシ24でした。
東京駅にて撮影しました。
この上には・・・
ウエイトレスのお姉さん。
よく見るとメニューがチラッと写っています。
昭和50年代の写真です。写真を撮らしてくれたこのお姉さんは今頃どうしているのかな。
さすがに今の年齢でウエイトレスさんに写真撮らせてなんてお願いできません(笑)
今の食堂車は特急電車のを客車用に改造したそうな。
なので他の寝台客車より屋根が一段低い
サボ受けを撮った訳ではありません。
「簡易運転台」の跡が残っていないかと・・・
小学生の頃に特急の食堂車の写真を見て
なんで中間車なのに上にヘッドライトが付いているのか不思議でした。
10年ほど前にそれは車両基地内で動かしやすくする為に簡単な運転台が付いていた事を知りました。
なぜか「回送運転台」とか「簡易運転台」という言葉に惹かれます。
運転窓もキレイに塞がれていました。
(自信ないけど運転台は両端に付いていたんですよね・・・?)
食堂車に乗るといっても¥7000以上もする懐石料理やフランス料理を
1人で食べてもつまらない(高いし)
夕食時間が終わった後の「パブタイム」に行く。
車内放送でパブタイム開始の案内が流れたのでさっそく行ってみます。
通路の扉に書いてある「食堂」の文字に感無量
子供の頃にL特急「つばさ」の食堂車を一度だけ利用した事がありますが
「変わった通路だな」と思ったのを覚えています。
あぁ、ついに憧れの食堂車です
(閉店間際に撮影)
7年前に帰りの北斗星で利用して以来です。
私の希望としてはこんな豪華でなくシンプルな内装を希望ですが仕方ない。
空いていたので4人掛けのテーブルを使わせてもらいました。
予定ではワインとパスタでしたが諸事情でビールにします。
ビールは生ビールも選べるのですが昭和の食堂車は「ビン」でしょう。
食堂車の思い出
幼稚園生の頃だったか
蔵王に家族でスキーに行く事になった。普段はバスで野沢温泉なのにその時は
憧れの「L特急」つばさ号に乗っていった。
初めての上野駅は今まで知っていた駅のホームと勝手が違い
荷物を載せる大きな台車が置いてあったり頭端式ホーム(とうたんしきホーム)というらしい構造だったり
珍しかったので覚えている。
帰りの特急「つばさ」の中で疲れて寝ていると一緒にいたはずの母と姉兄がおらず
父しかいなかった。
寝ている間に食堂車に行っていると聞いて出遅れた私は半泣きで父に連れられて
食堂車に入った。
その時の記憶では紫か青の塩ビっぽい扉を開けて入ると
ウエイトレスさん達が泣きながら入ってきた私を観て迎えてくれた。
メニューを見たが
「もう遅いからスープにしなさい」と母から決められた。
それが一番安かったのだろう・・・
厳しい家計の中でせめて食堂車を味あわせてあげたいという親心だった。
あの時のコーンスープはおいしかったな。
大人になって今
私は1人食堂車で食事を取っていました。
つづく
いや、私はマニアじゃないんですよ
単にあの時代が好きだというだけ
ノスタルジーでもない(あの時代に産まれていないんだから)
昔は良かったなんて思わない
昔の新聞を読んでいると嫌な事件もたくさんあった。
最近では「60年代は人々が希望に満ちて〜、貧しかったけどみんな優しくて」
という人がいるがホントにそうなのかな、と冷めている 。
過ぎてしまった事は写真と同じいい事ばかりが残される。
三丁目の夕日シリーズを観た若い人達が
「昔は良かったんだ」「私も昔に産まれたかった」と言う若者が多いけれど
当時だって陰惨な事件があり治安も衛生状態も悪いし公害だって
今から見れば考えられないほど酷い。
でもテレビでタレント兼映画監督が「60年代はあんなのではなかった」
と言っていたが
三丁目の夕日は決して
『60年代はこうでした』
と言っている訳ではない。
60年代を背景にしたある人たちのお話しなのである。
そんな訳で今日はALWAYS三丁目の夕日’64をまたまた観てきました。
今回は 2Dで。
3Dと見比べるとやはり2Dで充分だと思いました。
公開から一ヶ月が経つのに未だに人が入っているのが人気の証拠。
やっぱり「いい話しだな~♪」
と思って目頭が熱くなるし安心して観られるのがいいです。
テレビで1,2作目が放映されていたのでおさらいのつもりで観てから
再び観たので更に楽しく観られました。
それにしてもまにまにカレチさんが提供している
三菱ペットレオ
マツダB360
2台とも「いい場面」で出ています。
気になっていたプリンスグロリアの黄色いタクシーは
(六ちゃんを迎えに来て堤さんが「タクシー来たぞ」という場面にチラッと出て来る)
オーストラリアからの逆輸入車みたいでした。初めは低グレードのグロリア!と思って大興奮しました。
もしも私のコルト1100が同じよう三丁目の夕日に出てきたら
劇場で泣いていますね、ええ。
で、将来。何十年後かに再び映画を観てその姿を銀幕で観たら
その時は何らかの事情で手放してしまったコルトの姿を観て
亡くした親に会ったような気持ちになり再び泣くのでしょう…
さて、今回は昭和39年が舞台でありますがその頃私の住んでいる
ヨコハマではというと松尾國三社長が作った
「横浜ドリームランド」が開園した年です。
昭和39年7月8日 神奈川新聞
昭和39年7月29日 神奈川新聞
昭和39年8月2日 神奈川新聞
あの頃のドリームランドも閉園しあれから10年が経つ。
今回の「三丁目~」の頃にヨコハマではそんな事があった事を
記したくて載せてみました。
三丁目の夕日も間もなく上映が終わるでしょうが
まだご覧になっていない方はお早めに!
泊まり勤務での通勤時、横浜駅に特急踊り子号が停車しているのを見かける。
車体側面に表示された特急踊り子の文字と特急電車のおもむきになんとも旅情を感じてしまう。
あの列車に乗り1時間弱もすれば温泉地「熱海」に到着出来る。
熱海に着き賑やかな駅前を出て歩いて行くと途中に昔ながらの飲食店やみやげ物屋、木造の旅館などが並んでいる。
ちょっと裏道に逸れると各々の宿の浴場から温泉の湯気が立ち上り洗面器のぶつかる音が聞こえてくる。
あの列車に乗れば
そんな音や雰囲気を味わえる。
3、4日に臨時特急あまぎ号が東海道線を走ったそうだ。
人さまのブログを拝見しその姿を見た。
http://blogs.yahoo.co.jp/t90tankey/13195901.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yunasaku/29359166.html
http://jw.way-nifty.com/journal/2012/03/post-c1df.html
まず「あまぎ号」という名前が良い。
現在は特急と言えど情緒も無い横文字ばかりの列車名しか残っていない世の中で旅情を感じる往年の列車名を使い車体の色も昔の特急電車だ。
東海道線の駅に佇むあまぎ号。
その姿を何気なく見たら仕事を忘れて飛び乗ってしまいそうで心配だが。
昭和レトロはブームだけに終わらないのだから1日に一本でも旅情溢れるこの列車を走らせて欲しい。
「昭和の旅情」を感じさせる「いでゆ」「はつしま」「いず」等の名称の復活はそれだけで楽しい。
以前に 震電さんが
「伊豆はレトロが似合う」
とコメントに書かれたが
その通りだと思う。
今日二度と掛ける事はないと思い捨てずにいたメガネを直しに行きました。
レーシック手術を受けてもうすぐ二年になります。
子供の頃から目が悪く極度の近視で二年前の視力は0.06でした。
なのでいつもメガネは欠かせないしコンタクトレンズも持っていました。
会社の後輩がレーシック手術を受けて「5万円引き」の割引券が手に入ったのと
コンタクトレンズをハードから使い捨てのソフトに変えていたのですが
処方箋を発行するレンズ店となりの眼科がマージン欲しさに大量買いを薦めて
断ったのに処方箋には大量買いの個数が記されていて「使い捨てコンタクトレンズ」に
お金を掛けるのがバカらしくなったのがきっかけでした。
メガネだって劣化するしね。
手術前の検査で「乱視が強いので頑張っても1.2かも」と言われていて
結果は左1.0 右0.8~0.9でした。
それでもメガネなしで過ごせる毎日はとってもラクチン♪
目が覚めても「メガネ、メガネ・・・」と捜さなくて済むし
露天風呂に入っても景色がハッキリと見えます。
寝ていて震災が起きてメガネがどこかへ行ってしまったら、なんて不安もなくなった。
本当に手術をして良かったです。
ただし夜の運転時にはこの視力ではちょっと怖い事がある。
そうしたら前にメガネを作ったzoffでレンズ交換が¥3,150で出来るというので
前に使っていたお気に入りのメガネを運転用に復活させようと造り直してきました。
レーシックを受けて満足しているしデメリットなんて全く無いです。
でも・・・メガネが恋しいと思っていたのも本音です(苦笑)
最後に作ったメガネはお気に入りだったのでちょっと寂しかった。
その場ですぐに測定をしてくれて30分後にはレンズを入れ替えたメガネが帰ってきました。
帰り道の道路でさっそくメガネを掛けて運転したら見える見える!
運転用だけどメガネも掛けられるようになって良かったです。
さて
レーシック手術を受けようかと思っている方へ。
私は乱視が酷かったので0.9位ですがそれでも手術をして本当に良かったです。
メリットはあれどデメリットは全くありません。
周りでも何人か手術をした人がいますが失敗したという話しは全く聞きません。
私は26万円のコースを5万円引きのクーポンをもらって
生命保険からも5万円が出たので実質16万円で済みました。
コンタクトレンズやメガネに掛かるお金を考えたら安いと思っています。
(手術を受ける時はちょっとビビリますし手術中に「目」を固定する際の説明しにくい痛さがちょっとだけありますが)
受けてみようと思う方はご連絡ください。割引券差し上げますよ~(笑)