あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

トヨペットクラウンRS21(RS20)

2011-05-25 23:30:13 | (旧車)

コルト1100以外で好きな「旧車」の筆頭に来るのは
クラウンRS20です。
観音開きのクラウンというやつです。

初代のRSよりもモデルチェンジされた20系。
中学生の頃にMotor Magazeineで見たトヨペットクラウンRS20は
衝撃でした。

これぞ旧車という姿に一目ぼれしました。
デラックスのRS21よりも
グリル等がシンプルなRS20の方が好きです。

inomamoさんから(社長が三菱嫌いで三菱車を出さない)エブロで
クラウンRS21が発売された、と情報を得て黒色のモデルを探したが
品切ればかりでなんとか買ったのは数ヶ月前。
inomamoさんが指摘されていたようにハーフキャップとグリル、マスコットフードレスは
RS21ではなくスタンダードのRS20。






あまり自動車模型に手を出さないようにしているのだが
好きな車は買う。

コルトよりも10年は古い車なので維持するのは大変だろう。
それでも販売実績も残存台数も多いので部品には恵まれているようで
ゴムも新明工業で入手出来るのが羨ましい。

http://www.shinmei.co.jp/support/restore/parts_price.html

実車を買うのは夢の夢だが出来の良い模型が手に入って良かった。
(国産名車シリーズでコルト出ないかな~)



このリアスタイルもステキ・・・

エブロから今度はパトカーが6月に販売される事になりました。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/amiami/toy-scl2-02894.html

でもこれってトヨペットクラウンじゃなくて

「トヨタパトロール」ですよね。R型ではなくF型エンジン搭載の。

エブロはそんな所が甘いというか(三菱作ってくれない恨みもありますが)

それでも絶対に買いです!

さてここでも強引に熱海ネタ。
昭和55年の熱海新聞(正確な日付を忘れた・・)




葛山朝三

自動車について
今回は古いクルマの話しである。
いま熱海市内で一番古い車に乗っている人は誰だろうか。
ただ趣味としてクラッシックカーを持っている人はいざ知らず。
実際にその車を使っている人は...
私の知る限りではこの人だと思う。

それは、かもめタクシー社長の柿島康二さんである。
柿島社長の乗用車は、六十二年型(昭和37年)のトヨペットクラウン1900cc
である。
すでに十七年の年月を経て走行キロ数は十七万キロに達しているが
未だに快調で日常の足として使用しておられる。

氏の話しだと、十年前ポンコツ屋行きの車をタダのような値で買い
それを修理していままで使っているということだった。

「どうですか、まだエンジンに異状はありませんか」

「ええ、少し音は高いがどうってことはないですよ
けっこう遠出もするし、高速道路を走ってもほかの車と変わりありませんよ」

柿島さんは、まだまだ二十万キロぐらいはゆうゆうとこの車を
乗る気持ちらしい。

この柿島社長の部下で、もう一人古い車に乗っている人がいる。
同じタクシーの配車係をしている山本浩司さんである。

山本さんの車は昭和四十六年の三菱デボネア2000ccで
既に八年を経て十五万キロ走っている。
彼もやはり社長の信条に共鳴しているからで、
こういう気風が一つ会社内に起こっているさまはまことに
微笑ましい限りといわねばならない。

実は私も古い車の方ではトップクラスのつもりでいた。

私の車は昭和44年のコルト11100で走行距離も八万九千キロである。
遠くへ出掛けると、よくガソリンスタンドなどで
「まだこんな車があるんだね」
と物珍しげに見られるのだった。
しかし、エンジンの調子もいいので、私は十五万キロは乗るつもりでいた。
が、柿島さんの話しを聞いて、扱いようによってはこの車だって
二十万キロも夢ではないとおもった。

さて、私が何故こんなケチ臭い話を持ち出したかというと、
石油危機以来、世界中に省エネルギーの旋風が吹き荒れている。
そのうえ、油だけではなく、鉄、木材、そのほかあらゆる地球上の
物質は有限であることが分かってきたからである。
浪費することは美徳どころか大罪悪である。
人類が地球上に生き伸びるためには物を節約し生かすだけ生かさなければならない。

柿島さんにしろ山本さんにしろ、また私にしても新車を買う金が
惜しいというだけで古い車を使っているのではない。
実際に使用に耐え得るものを、その極限まで使おう、というモノを
大切にするる気持ちが根底にあるからだ。
誰しも新しい車に乗って格好良く飛ばしてみたい。
新しいデザインの車に乗る事もファッションの一つであるし、
若者たちは、借金しても新車を買いたがる。
その気持ちも分からないでもない。
ところが時代は変わりつつある。
時代と共に価値観も変わるし、流行も変わってよいのだ。

そのうちに、磨きをかけたふるい車を悠然として乗り回す事も、
流行とまでは行かなくても、何の不思議もない時代が
きっとやってくるに違いない。

【写真は柿島さんの愛車】

熱海新聞昭和55年より転載



熱海にこのクラウンRS31がいつ頃まで走り回っていたのでしょう。
かもめ交通の名前も今はなく。

この記事を書いた葛山さんは偶然にも私と同じコルト1100に乗られていたようだ。
しかし昭和44年式だという事はセダンのコルト1100は昭和43年に
コルト1200へと移っているのでファーストバックの
「コルト11F」の事かもしれない。
(いや登録が44年なだけで私と同型かも。それなら運命を感じます【笑】)

それにデボネア(今となっては希少な2000CC)の名前も出てくる。
熱海の街を近年まで走っていた三台を見掛けた方も多いのではないでしょうか。

覚えているよ、という方からコメントを頂けたら嬉しいです。

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石原プロのお話

2011-05-24 22:52:48 | 舘ひろし

ちょっと前のお話ですが

渡哲也さんが社長を辞任した石原プロ。

実際にはこういう事です。

http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110513/enn1105131617021-n1.htm

かなり前からファンの間では有名だった話しですが
やっと少しは表に出てきた感じがします。

>>あるテレビ局の女性プロデューサーの存在です。彼女がプロダクションの人事や方針にまで介入していた。石原プロの所属俳優に出演依頼をしても、小林さんと昵懇の女性プロデューサーから意見が入り、なかなか了承が得られず、キャスティングに難航した。彼女に知られないように、クーデターは密かに練られていたようです」

この中の女性プロデューサーとはテレビ朝日の西○という方。

>> 数年前、あるテレビ局が、渡を準主役扱いでドラマに起用しようと出演オファーをした。多くの人を介し、石原プロへ働きかけたが、渡の出演はついに叶わなかった。

これはTBSのドラマ「華麗なる一族」で北大路 欣也さんではなく当初
渡哲也さんにオファーがあったがこのテレ朝の○河氏が断るように仕向けたのも
ファンの間では有名な話しでした。

今回を機にこの女性プロデューサーも去ってくれればと心から願っています。

 

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つばめ寿司 清水

2011-05-19 20:02:50 | 

3月13日

静岡県清水にある「つばめ寿司」に行ってきました。

ご主人は急行「なにわ」のビュッフェで立ち食い寿司の板前さんだった、という話しを

さまひさんから聞き連れていってもらいました。

のれんの上や左の看板に鉄分を感じる。

評判どおり感じのいいお店でビュッフェ車があった当時の話しも伺う事が

出来ました。

こちらは「急行なにわ」のビュッフェ車で出されていた寿司の盛り合わせを

再現してもらったもの。

厳密には違うのだがこんな感じ、なのだそうです。

お店に集まるお客さんとの会話も楽しかったです。

また訪れたいと思うけどちょっと遠いのが難点だが熱海から普通列車で

一時間なのでそれほど遠くもないかな。

お店の詳しい情報はこちらをご覧下さい。

http://r.tabelog.com/shizuoka/A2201/A220102/22007033/

 

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「ザ・ガードマン」に見る熱海ニューフジヤホテル 2

2011-05-16 21:54:03 | 熱海

つづきまして「ザ・ガードマン」昭和42年7月7日放映 「大泥棒一家」

今回も熱海ビーチラインが出てくるのが嬉しい。

熱海ビーチラインを走る東京パトロールの現金輸送車。

後ろには泥棒たちが乗るセドリックバンが追尾する。

前回も触れましたがこの頃のビーチラインってガードレールが低かったのですね。

突き破って海に転落するケースが多いのも納得できます。

昭和45年7月18日 東名新聞より

 

国道135号線を走るガードマンのパトカー オペルレコルト。

外車は先月まで興味ありませんでしたがセキトラさんのブログ

「フィアット1800B」というカッコ良過ぎる外車を見てから趣向も変わったようです。

まだ対面通行のトンネル。私が子供の頃は夏になると渋滞していた記憶があります。

今は上りと下りが分かれています。

さて、熱海ニューフジヤホテルですが禁断の女性風呂が出てきます。

この方は「男はつらいよ」のおばちゃんで有名な三崎千恵子さん。

泥棒の一味です。

こちらは山東昭子さんで盗んだ真珠とトランクを女性風呂に隠そうとしています。

大浴場ではなく中浴場といった広さだった事が分かります。

屋内プールも出てきます。

当時は高級リゾート感溢れるプールだった事が分かる気がします。

その屋内プールで山東昭子さんは宝石商のおじさんを誘惑するのですが

宝石屋さんは内田朝雄さん。

 

泥棒一味の藤木孝さんが大胆にも東京パトロールのトランクに盗んだトランクを隠す場面

地下駐車場でオペルレコルトの隣にはスカG が停まり、ポルシェの姿も見えます。

 

この場所は・・・?

お好み食堂でしょうか?

同じフロアにあったボーリング場。

レーンは残念ながら映っていませんが現在の場所に立つとレーンの長さは短かったのでは?と思いますがどうでしょう。

大泥棒一家の部屋は

902号室

今はどうなっているのでしょう?

ニューフジヤには今も特別室があり通常は販売していないそうです。

こんな場所も登場します。

ゲームコーナーです。

奥のオリンピアセンターって何?と思ったらスロットマシンのようです。

 

後ろに見える「宇宙探検」が気になります。

今回の画像はDVD「ザ・ガードマン コミカル編セレクション」で観る事が出来ます。

 

終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ザ・ガードマン」に見る熱海ニューフジヤホテル 1

2011-05-14 21:22:46 | 熱海

また熱海ニューフジヤホテルネタですか・・・

そう言わずにお付き合いください。

TBSのドラマ「ザ・ガードマン」に高級リゾートホテルだった頃の

熱海ニューフジヤホテルが出てきます。

有名なOP。赤坂見附付近でしたっけ?

今回ご紹介するのは昭和43年4月26日に放映された

「帰ってきた偽ガードマン」です。

玉川良一さんがメインゲスト。

今となんら変わっていない外観

手前に熱海富士屋の一部が見えます。

同じ熱海富士屋跡から(現:ニューフジヤ駐車場)の撮影。

今と違うのは壁に赤や青の模様が施されたのと

屋上に露天風呂施設が増設されたくらいでしょうか。

 

内容:コソ泥の志村(玉川良一)が刑期を終えて出所してきた。

再び真人間になると誓って東京パトロールを訪れる。

ところが熱海のホテルで展示される時価2億円の仏像を警備するガードマンの前に掃除夫となって

志村が現れ・・・

その熱海のホテルこそ熱海ニューフジヤホテルなのです。

ニューフジヤ一階ロビーで純金の仏像を警備するガードマン。

後ろはハイラウンドラウンジで現在はクロークとフロントになっております。

背後の壁のタイルは現在も残り往時を偲ぶ数少ない装飾です。

タイルの色が違って見えるのは改装がされたのか白黒画面故のものか?

志村の乗ったタクシーがご到着。

トヨペットクラウンRS40です。

このバイアスタイヤならではの角々したタイヤがステキだ。

スタンダードゆえのグリルが・・・

ちゃんとドアマンがいてドアを開けてくれます。

今はない回転扉が右に映っております。

玄関を入って右手、現在はコーヒーコーナーがあるかつてのフロント。

 

ラウンジのテーブルを見て思ったのですが

↑画面下の白いテーブル。

宴会場ロビーで見掛けたこれ↓

同じように見えます。

フロント前の柱にはベルキャプテンデスクがあったようです。

ベルボーイもしっかり立っています。

ムード感漂うこちらは

一階奥にあったミッドナイトサン?

画面は変わって・・・

熱海のハイウエイ「熱海ビーチライン」も出てきます。

ファミリアバンからの映像。

伊豆山付近で左には赤い橋が見えます。

ちょっと遠いが現在のようす。

左のコンクリート製ガードレールは現在も一部で見る事が出来ます。

追加画像 ↓

 

その熱海ビーチラインを疾走するS57スカイライン。

ホワイトリボン付き極細バイアスタイヤは5・60 13インチあたりでしょうか。

プールもリゾート感でいっぱいです。

今は静かです・・・

玄関に停まるフェアレディSP

華やかりし頃の熱海銀座。

地下2階のボーリング場

3階のメインダイニング

今井健二さんの渋い悪役が光る。

屋上からの眺め。

現在

現在は露天風呂がある場所に展望台があったようです。

後ろに観光地で見かける望遠鏡も設置されていたようです。

つづく

 

 

 

 

 

 

 

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 29 【終】

2011-05-11 21:52:09 | 熱海

長くダラダラ書き連ねてきた熱海ニューフジヤホテル潜入も

やっと終わりがきました。

翌朝、1人で露天風呂に行き朝日を見ながら入浴。

熱海で露天に入るのは西熱海ホテル以来だということに気付く。

そして一階ロビーのコーヒーコーナーで一服。 

かつてこの場所はフロントだった。

朝の静かな時間にホテルのロビーでコーヒーを飲みタバコを吸うのが好き。

外にはタクシー乗り場に「本物」が待機していた。

帰りにさっそく真似をする。

この玄関には苦い思い出があります。

かつて西熱海ホテルに泊まった際に帰りに同行者がニューフジに用事があり

私は玄関でコルトに乗りながら待っておりました。

ちょうど送迎バスが出る所でコルトはちょっと注目を集めてしまいました。

おじさん達の懐かしそうな嬉しそうな顔はこちらも嬉しい。

ここまでは良かった。

玄関から1人の青年が駆け出して来て何か騒ぎながらこちらに近づいてきます。

そして・・・

いきなりコルトの左側を蹴られました・・・

な、何?(涙)

車から急いで降りるとその青年は走って逃げて行きましたが

どうやら発達障がいのある方だそうでスタッフの方が代わりに申し訳なさそうに謝ってきました。

さいわい傷も無かったのですが・・・大事なコルトさんを蹴られるなんて

今でもニューフジヤホテルを見ると時おりその事を思い出します。

2011年3月に撮影↑

念願の熱海ニューフジヤホテルは大満足でした。

そして熱海駅に向います。

福島屋旅館前を通過。

「ご主人に見つかったら気まずいよな~」

と言いながら今回セドリックで4回は通過しました。

そのうち一度は女将さんと出くわしましたが気付かれず(笑)

後日その事をご主人に話すと「そんなの気にしなくていいのに(笑)」

 

熱海駅の駐車場に車を置いて電車に乗るわけでもないのにホームへと移動。

目的はこれ。

イベント?で懐かしの113系が熱海まで来ていました。

まさか熱海で再び113系を見られるとは・・・

そういえば熱海に通うようになったのは113系がきっかけでもあるな。

 

駅は多くの鉄道ファンで賑わっておりました。

私は「ハイヤー運転手のかっこ」で見学していたのですが知らない方から

「今日は何かあるんですか?」と尋ねられて今度は駅員か職員と間違われております。

また、ホームを歩いている時にさまひさんに

「お客様、恐れ入りますが白線の内側をお歩きください」と

冗談で声を掛けたら後ろにいたカメラを構えた青年が電気に弾かれたように

飛び上がってしまったりで。

その後は大野屋ロビーで喫茶をし玄岳にドライブしたりしました。

静岡のさまひさんを熱海駅に送ります。

熱海駅前でさまひさんを降ろして私の写真を撮ってもらったのですが

後ろの黄色いキングタクシーを帰宅してからよく見ると

マークⅡの○田さんでした。

この時は全く気付きませんでした。

今もお元気でクラウンコンフォート(小型)を運転されているようです。

平塚で安全体操さんを降ろし残るはてっちんさんだけ。

運転手なので同乗者にはくつろいで欲しいと思うので

寝てていいですよ、と声を掛け

「じゃお言葉に甘えて・・・

いつものコルトとは違い広く静かなセドリックハイヤーの後部座席で眠るてっちんさんの

姿を見て私もご満悦

たんのしいな~♪

こんなに楽しくていいのか?と思いハンドルを握り戸塚駅に到着。

運転手の役目は事故もなく無事に終わった。

【おわり】

今回のニューフジヤシリーズ長い間お付き合い下さりありがとうございました。

ちょっと時間が掛かってしまった事を後悔しております。 

熱海ニューフジヤは想像以上に楽しいホテルでした。

伊東園グループの上手いところは「かつての名ホテル」を名前を変えずに

ブランドも引き継いでいるところでしょう。

  

 

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 28

2011-05-11 01:02:54 | 熱海

一階ロビー

玄関を入ると左手にフロント

真ん中にエスカレーター

(三枚とも てっちんさん撮影)

右手は別館のアネックスへと通ずる道があります。

こちらは昭和39年開業時のロビーフロア完成予想イラスト

 

現在フロントやクロークのある場所には

ハイラウンドラウンジという喫茶がありました。

では当時と今のロビー見取り図を比較してみましょう。

パンフレットの紙がエンボス加工?されているようでスキャンしても字が写りません。

こちらが現在

なのでパンフレットに字を補ってみます。

配置がまるで変わっていることが分かります。

玄関には回転扉があったようで

右手、現在ではコーヒーショップがある所がかつては

フロントとクローク。

右手のエレベーターは大型2器から小型3器。

一階にもJTBの事務所がある。

突き当りには24時間営業のスナック「ミッドナイトサン」があり

さらに「メインバー」もありました。

つづく

 

 

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高速有鉛 21号

2011-05-02 19:17:31 | (旧車)

連休唯一私の休みとなった今日は

山の上ホテルのドアマンさんと連絡を取りコルトで60年代トーク&ドライブとドアマン会議を

行う予定だったのだが互いの仕事の都合が合わず断念。

しかしドアマンさんから「高速有鉛出ましたね」と言われて本屋まで買いに行き手に取り

数ページをめくって即「お買い上げ」

カタログ特集というのか「カタログを読もう」はゾクゾクとするほどツボに入りました。

初期のデボネアに備わるロケットランプって保安基準の厳格化で消えてしまったとは

知りませんでした。

他にも110系クラウンのタクシーカタログや

330セドリック&グロリアのカタログによるグレード比較

「マツダはサイケだった」とか

保管場所の問題で極力雑誌は買わないように心掛けている私も

買って良かった、と涙する内容。

こんなのまで扱っているんですぞ!

ああ、教習車・・・

実車編ではトヨタMR2の1500cc。

MR2 1500S(AW10)

この存在を知ったのは高校生位だったか。

自動車雑誌のオーナーインプレッションに載っていたのを読んで

こんなMR2もあるのか!と興味津々でした。

思えばあの頃から低グレード嗜好だったのか・・・

街でMR2を見かけると「Sでは?」と確認してしまう程だったが

実車を見掛けることは無かったので再び見られて嬉しい。

そして一番の衝撃はこちら!

ダイハツコンパーノベルリーナの「エコノミー」

カタログ紹介をされているのだがこんなグレードが存在していた事と

写真(カタログ)で紹介される外観と内装、インパネ。

特にインパネはデラックスと比較した写真が掲載されて違いが

分かって実に楽しい。

値段はデラックスよりもスタンダードよりも安い金額だが当時

どれだけ売れたのか・・・(値段も本書に記されている)

シガーライターやデフロスターもない(ヒーターも無いのか)のは

分かるがバックランプもないなんて・・・

読んでいて面白いな~、と誰が書いているのかと思ったら

ライターは街角のモータリゼーションを連載中の inomamoさんだった。

やっぱりね、と思うと同時に文章力に改めて尊敬してしまった。

その内容と車の写真はぜひ全国の書店でお買い求め

ご確認ください。

この記事以外にも「おお!」と思わせる盛りだくさんな内容です。

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ハイヤーで往く、熱海ニューフジヤホテル 27

2011-05-01 17:53:36 | 熱海

「おおRADOだ!」

「ラドー!」

「オオ!」

彩『何それ?』

私以外の三人が反応したのがロビーにあるこの時計。

なんでもテレビのクイズ番組で賞品として有名なようです。

しかし上部の説明をよく読むと

右にある10分の1秒が付いていません。

それに電波時計の秒と合っていませんので

中の機械はもうラドーではないのでは?と皆さんは話しておりました。

ロビーにはこんな模型もあります。

つづく

 

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