あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

モノレール ドリームランド線 2

2008-06-30 00:10:42 | モノレール
ちょっと間が空いてしまいましたが再開します。

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それからしばらくした時の事だった。
親の用事がありめったに乗らない東海道線を利用し大船駅に近づいた時。
進行方向右側に赤錆びた駅舎が見えてきた。


(写真は更に後年の姿だが初めて見た時は所々に白いペンキの跡も残っていたように思える)

あっ!…

そうか、これがあのモノレールの駅舎なんだ。
想像していた姿より立派な駅舎に思えたが短い停車時間によりその姿はあっという間に去っていった。
ホームに上がる外階段が印象に残っている。

いつか…
いつかあのモノレールの駅に行って細部をゆっくり見たい。そして可能ならば中に入りたい。

しかし、その場所は小学校低学年の私にはあまりにも遠かった。
それでも夢で駅に入ったりする夢を何度も見るようになった。

兄から戸塚図書館の存在を教わったのはそれから1,2年後の事だった。

                     つづく


最近ネットオークションで国鉄時代の古いビデオを発見しました。

東海道線を特別急行列車踊り子号の運転席からビデオカメラで写した作品です。


なんとベータ!
国鉄時代なのでひょっとしたら大船駅場内進行時に
ドリームランド線のモノレール駅舎が見られるかも??

と買ってみましたが・・・・




どこにあるか判ります?
右の方で・・・




わずかにレールと橋脚が見えるだけでした(苦笑
運転席なんだから当然でした

でも面白いので買ってよかったです。

コメント (5)
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それが人生だとしても

2008-06-25 23:29:47 | HOTEL
いつかはこんな日が来ると思っていた
でも実際にその時が来ると何でこんなにも辛いのか

前所属のスポーツクラブ勤務時代
気難しいビール会社の元役員の方がいた

今朝の勤務中に他の会員様からお亡くなりになった事を聞いた


はじめはあまり好きではなかった
正直苦手だった

それでも慣れてくると徐々に言葉を交わすようになった

箱根に行った際
その方の会社の缶ビールに地域限定のデザインがあるのを知って
お土産に買って帰り来館時に渡した

その存在を知らなかったようで
差し上げると言うと
「(自社の製品なので)普通、逆だろ!
いいのかい?」

と言いながら嬉しそうに持ち帰ってくれた

後日の来館時に
「何より気持ちが嬉しかった(笑)」
と言ってくれた

あれからだった
変わったのは

来館され私を見掛けると笑顔を見せてくれるようになった

楽しかった

苦手なはずだったのに好きな人になっていった
特別法人会員という事で通常会員と違い制約があり受けられない
サービスをお願いされる事もあった

厳密には出来ない事なのだが
その会社が契約を続けているのはその役員の力が大きいので
それを踏まえて便宜を図った

但しそれは他のスタッフには頼まず私がいる時にだけ

その方も私に迷惑が掛かる事をとても心配してくれていた

私はただその方が喜んでくれるのが嬉しかっただけだ
それでも私にだけ内緒でお酒やお菓子を持ってきてくれた
嬉しかった

ある時、その会社の方の営業担当の方と話す事があった
マネージャーではなく私を指名されてきた

私の事をとても評価してくれているという事を聞いた

私はいろいろな会社のビールが好きだが
神宮球場へ行くと私は必ずその会社のビールしか飲まない
他愛もない事だが自分なりのその人への想いだった
(チケットをくださった方とはまた別だが)

その事をメールで伝えると驚いて喜んでくれた

他にもいろいろな思い出がたくさんある

以前にブログで
「この仕事は人を好きになる事」
と書いた

それはこの方から教わった
今までやってこられたのはこの方のお陰だと思う

勤務中訃報に接し涙が出た
こんな事ではホテルマン失格だと
他の事を考えるようにしたが
玄関でも思い出があるので崩れ落ちそうになった

それでも必死にお客様の前では笑顔で対応した
目が真っ赤になっていたので
ベルガールにどうしたんですか?と訪ねられた

季節はずれの花粉症でさ、と笑って誤魔化した

家に帰り異動時に手紙を書いた際の返事のハガキを再読した

読んでいるとドラマのように相手の声が聴こえるようだった


 「(中略)ヘルスクラブでの経験を活かし
優秀なドアマンに成長される様祈念致して居ります
お目にかかる機会が減ると思いますが頑張って下さい」

再び読み返すと涙が出て仕方がない

所詮は仕事なのに・・・
 
 この仕事は人を好きになる事

でも・・・
それは失った時の反動があまりにも大き過ぎる


スポーツクラブは私よりはるかに年上のお客様が多い
今後、この仕事を続ける限り何度も何度も同じ
反動を受けるのだろう


   サッポロビールのKさん
   前にお逢いしたのは駐車場のゲートでしたね
   今まで本当にありがとうございました







コメント (9)
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モノレール ドリームランド線 1

2008-06-17 23:35:58 | モノレール
【はじめに】

当ブログでは長年秘めてきたドリーム交通のモノレールへの想い。
不定期ですが始めます。

本当はもっと早くブログに書こうと思っておりました。
それでも簡単に扱う事が出来なくて長い時間が経ってしまいました。

もう無くなってしまった横浜ドリームランドのモノレール。
小学生の頃からそのモノレールが復活する夢を何度も見てきました。
大人になった今。
軌道は撤去され存在しなくなっても
時おり夢の中であのモノレールを見る事があります。
廃墟のままだったり走行していたり・・・

この連載?が終わるのはいつになるか
短く終わるのか長く引き伸ばすのか
はたまた途中で終わるのか

どうか見守ってやってください。

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それが何歳の時で小学何年生だったのか正確には覚えていない。
それでもその出会いが私の人生にこれほどまで影響を及ばすとは思いもしなかった。
たぶん箱根か熱海の保養所に行く時で小学2,3年生だったのだろう。

(↑撮影場所は違いますがこんな年齢の頃)

父が勤める会社の保養所に家族で行くのが楽しみだった。

不思議なのが「その出会い」を体験する前までも頻繁に箱根や熱海に行っていたのに何故気付かなかったのかという事。
たぶんその時だけ本来とは違う道を走っていたのだろう。
そうだ、書いてて思い出したがそこは渋滞で有名な場所。
関東にお住まいの方ならラジオの交通情報で「国道一号、原宿交差点で何キロ渋滞」と耳にした事があると思う。
その「名所」を越えると道はスムーズに流れるのだ。
普段その道は「名所」を避ける為に通らなかったのだろう。

コルト1100の後部座席で両側から兄弟に挟まれ真ん中に座っていた。


両親が座る前席ベンチシートの間からよじ登るように前を見ていた私に青い『高速道路』が見えてきた。
こんな所に高速道路なんてあったの?
不思議に思った私はすかさずコルトを運転する父に
「あれ高速道路?」と尋ねると
『あれはモノレール(笑)もう使われていない』



詳しい説明は忘れたが「横浜ドリームランドと大船駅を結ぶ予定だったモノレールで開通前に車両が重くて走れない事が分かりそのまま」
と聞かされた。

幼稚園児の頃から「廃車置き場」や「廃墟」が好きだった。それが鉄道の廃線でモノレールともなると興味を示さない訳がない。
もっともその頃にモノレールという鉄道に乗った事はないが祖父の墓参りで東京へ行く際横羽線から東京モノレールを見ていた。


羽田の飛行場付近でコルトの中から走るモノレールに遭遇すると喜んだものだ。

一国のモノレールのレールの先がどうなっているのかを見ると住宅街を抜けるように敷かれているようだったが何しろ一瞬の事だ。

あの一瞬が全ての始まりだった。

『もう使われてない』
父が何気なく発したこの言葉に火を点けられてしまった感じがする。

レールがあるなら両端の駅舎や車両はどうなっているのだろう?
気になって仕方がなかった。
「帰りもまたこの道を通るの?」
と、しきりに訊ねて帰りも一国を通ってくれた。
翌朝も『通るんだよね?』と念押しした(笑)

帰り道は約束通りに原宿を目指してくれた。

「もうそろそろだよ(笑)」

父の言葉にドキドキしながらレール下を通過するのを待つ。

見えてきたモノレール軌道をよく見ると「→大船」と薄く記入されていた。
上の写真はそれから約5年後に撮影したもので錆が出ている。
でも初めて見た時はまだキレイだったと思う。

家に帰り地図を開き件のモノレールを探すと
そのモノレールはドリームランド線とか大船モノレールと名前が付いており(運休中)(休止中)と名前の後に付いていた。
『もう使われていない』筈なのに復活の可能性を秘めている事の不思議。
悲しいかな、地図で場所を見ても実際に「探検」に行ける訳もない低学年時。
まだ見ぬ駅舎やレールを想像するだけだった。


つづく


↓写真は開通前のドリームランド線と国道一号線(開通記念パンフより)
昭和41年


昭和39年1月13日
横浜ドリームランド建設計画発表




松尾社長のコメントを見ると「将来は隣接地に野球場」とあるのがなんとも皮肉?


↓イラストの拡大図


国道一号線を跨ぐ箇所が実際とは違い横浜寄りとなっている点が同線の運命を変えた?
もっとも略図だと言われればそれまでですが(笑)



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箱根ハイキング

2008-06-16 13:28:04 | Weblog
昨日の日曜日、会社のスポーツクラブの会員様方と箱根に行ってきました。
お客様の同好会?のようなもので数ヶ月に一度行われています。
会社としては関与しないためスタッフの参加義務はありません。

それでも交流を深める為に参加しようと思っておりましたが
スポーツクラブのスタッフだった頃はなかなか決心がつかず
参加出来ませんでした。

参加された方のお話を伺うとかなりハードな様子

私自身は山歩きとかハイキングは十数年していません。
ドアマンに異動してから玄関でお逢いするお客様から
「今度は来なよ」
とお誘いを度々受けていましたが
『ついて行けるのかな?』と心配でお断りをしていました。
(皆さんフルマラソンを完走されたりする猛者ばかり)
が、決意し混ぜてもらう事にしました。

箱根湯元の駅から畑宿を目指します。


川の水がキレイでした(落ちたらデジカメが・・・と不安でした)


箱根に来る時はいつも自動車なのでいつかは旧道の石畳を歩いてみたいと
思っておりました。



箱根にはこんな所もあるのか、と今まで知らなかった世界に感動。




畑宿→湯坂路入り口→鷹巣山→浅間山
湯坂山を通り湯元までのコースで4、5時間歩きました。

暑くも寒くもなく良い天気に恵まれました。
その後は小田原駅前で飲み会となりました。


当初は
 「半分仕事で半分は遊び」
の気持ちで参加させて頂きましたが楽しかったです。
普段はおっかない方の笑顔が見られたり
もっと早く(スポーツクラブ勤務時)行けば良かったな。


当然ですがただ今筋肉痛です
(二日酔い少々)
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熱海旅行その6 熱海新道に車影無く

2008-06-02 10:52:46 | 熱海
熱海から箱根、横浜方面に帰るには熱海ビーチラインを通るのが定番だがせっかくなので熱海峠等をドライブしたい。
普通は今は無き西熱海ホテル下を通り姫の沢公園脇を通り熱海峠へ向かう。

しかし私は熱海新道を選ぶ。
(伊豆スカイライン通行料¥250が必要だが)
かつては有料道路だったこの道路。
熱海城下からの急坂はちょっとキツいが後続車もないので気楽。

有料道路だった頃はどこに料金所があったのだろう、と思うのだが痕跡もない。
後続車が無いどころか対抗車も3台ほどしか無かった。

添付写真のように車を停めて写真を撮っていても邪魔になる事もない。
なにより静かだ。
この道は忘れられてしまったのだろうか?

あいにく曇りだったので景色はそれほど良く無かったが途中までは
霧が程よく掛かり雰囲気が良かった。

玄岳料金所に着く前頃に霧が濃くなってしまい焦りました。
なんとか料金所に着く。
それでも熱海新道は空いてて良いですよ♪

本当は前回の「新しい熱海」絵葉書の対比写真を撮りたかったのだが
深い霧に包まれた玄岳山頂駅はこんな状態でして



なんにも見えない(涙)

それになんか怖いし
すぐに撤退!(しかしレンズのホコリが凄いな・・・)

その後は東急ターンパイクで箱根に降りたのですが
車の流れが速いので私のコルトは「動くシケイン」と化してしまいました。
「エンジンブレーキを併用」
と表記があるがエンブレを効かせる為に3速へ入れると
速度がモロに遅くなってしまうは
エンジンは高回転になって負担が掛かってしまうはで・・・

なら道を譲ろうとすると今度は「譲れるスペース」が急に現われるはで
タイミングが掴めず・・・

後続車に多大なご迷惑をお掛けいたしました(煽られはしなかったけど)。

60年代から現代に戻ってきたような気分を味わい旅は終わりました。

【熱海旅行シリーズ おしまい】


・・・追記・・・

熱海の仲見世商店街にかつての熱海を写した写真が多数ありました。
これは最も気に入った一枚



今とそれほど変わらないのが嬉しい。

昔日を熱海を紹介する試み?はとても良いと思った。

コメント (10)
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