あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

選挙妨害・・・

2009-08-28 22:24:47 | Weblog
8月30日は衆議院議員選挙の投票日です。

私の地元でも何でもない静岡6区ですが
わたなべ周氏の車のガラスが割られたそうです。
http://shuwata.exblog.jp/11607371/

前回は選挙カーのタイヤをパンクさせられたそうな。

露骨な選挙妨害って本当にあるんですな・・・
コメント (2)
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昭和45年12月 玄岳ロープウェイついに・・・

2009-08-19 22:01:50 | 熱海高原ロープウェイ
熱海新聞 昭和48年10月18日



来春から新会社で再開

名所の少ない観光地熱海で熱海城とともに
(注:熱海城は一度倒産しています)その灯を消すなと
云われていた熱海高原観光のロープウェイが復活することになり
観光施設に従事する人達は勿論、熱海市民にも喜ばしいニュースである。

熱海高原観光は去る四十二年十月に
『伊豆スカイラインと熱海を十分で結ぶジェットコース』
として世界最大百二十一人乗りのロープウェイと約3千種のサボテン公園を
キャッチフレーズに華々しく営業を開始したが、余りにも大規模な施設のため資金回収が
出来ず、経営困難となり四十五年六月五日に社長の○○××氏夫妻が行方不明となり
同八日に事実上の倒産となりその日から一債権者の東京都赤坂永信物産の山崎清氏が
営業を継続したが、同年十二月ロープウェイも創業を停止となった。

だが、熱海市内の債権者の暖かい協力と旧従業員の努力で今年五月、
駅前セントラルホテルで株主総会が開かれ、執行部が誕生し
長洲広氏が代表取締役に就任し、九月二十九日に山崎氏より業務を引き継いだ。

この新しい執行部の誕生で旧従業員が半数以上も復帰し、玄岳ドライブイン、
サボテン公園等で新規巻き直しとばかりに張り切って仕事をしている。

また玄岳まで二千六百五十メートルの距離を空中遊泳するロープウェイも、
現在東電などとの交渉も順調に進み、整備、点検の終わる来春早々には復活する事も
決定している。
このロープウェイも規模を縮小してジャンボで売るんではなく、標高七〇〇メートルの
雄大な景色を見てもらおうというもの。


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営業を再開した昭和45年6月の半年後
12月に再び運転が止った。

それから3年後の昭和48年に新会社として復活への道を模索したが
実現には至らなかったようだ。

最後となった運転が1970年12月の何日だったのかは分からない。
しかし今まで不明とされていた年月だけでも判明した。

昭和40年5月着工
昭和42年10月1日 開業
昭和45年6月9日 運転中止
    7月1日 運転再開 
昭和45年12月 再度運転中止


熱海銀座に今はパチンコ店の駐車場となっている場所がある。
そこに伊東と熱海でみやげ屋を営んでいた「みその」があった痕跡は全くない。

夏、観光客で賑わう熱海。
駐車場となった空間に「みその商店」があった事を知っている人が
今はどれだけいるのだろう。
かつぎ屋から商店に発展させ熱海高原観光を
設立したというのだから相当な実力者だったのだろう。
往時を知る地元の方々も高齢化によりその記憶は薄れていく。

今も残る熱海高原ロープウェイの施設は
山頂駅だった玄岳ドライブインと
天神山駅地下のタイムトンネルだけ。

そしてまた夏の日の家族旅行で伊豆スカイラインを走り
奇抜な姿をさらし廃墟となった駅舎を目にした子供の誰かが
興味を抱くのだろう。
あの時の私がそうだったように。


おわり
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岳南鉄道へ

2009-08-10 17:13:20 | 
0系新幹線を見学後どこに行こうか?
特に次の予定を決めていなかったので
さまひさんが「岳南鉄道を見にいきましょうか」と
案内してくれました。

到着したのは比奈駅という小さな駅だった。



駅の佇まいというのか存在感というのか・・

平日は製糸工場があるのでそこに勤める人が主に利用するとの事だが
日曜のその日は私達の他に誰もいなかった。



何も無いのだが一人旅だったら一時間はここでノンビリと過ごしているでしょう。

アンティークな電気機関車が留置されていた。



そしてコンテナ化されて今では殆ど見かけなくなった貨車。



日焼けしてしまうような晴天の下、駅は静まり返っていた。



この駅に連れて来てもらえて良かったな、と心から思った。




近くにはかつて使われていた古い電車の廃車が置いてあった。

更に感動したのが「踏み切り」の警報機?



話しには聞いていたが上の黒い部分がベルになっていて
「チンカンチンカン♪」
と鳴るタイプだ。

今は電子音で鳴らすのが普通なので珍しい。
実際に電車がやって来て近くで聴いていると
初めて聴くはずなのにどこか懐かしい音がした。

その後は富士岡駅と

岳南江尾駅を訪れて弁当を食べながらやって来る電車を見てノンビリと
過ごし今回の旅を終えた。

鉄道好きな人達が「岳南鉄道は良いよ」という意味が分かった気がした。
いつかは乗りに行きたい路線です。

終わり
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富士の0系新幹線

2009-08-06 22:46:09 | 60年代
富士市の新通町公園に0系新幹線が保存されています。







なんかカワイイんですけど・・・


昭和43年の7次車なのでまだ「行き先票」の差込?(サボ受け)が付いている。
新幹線のサボは落下の恐れ等で開業後一年ほどで使われなくなったそうな。




昨年廃車となった後期0系とは違って窓が大きく非常口が付いている。
しかし腐食の為か非常口の外側は埋められている。



運転席は無線受話器も残り状態も良かった。




内部は子供が楽しめるスペースに改造されているが後部はオリジナルの座席が残り引き出しテーブルもそのまま。



引き出すと・・・


小さなテーブルが出てくる。


車内各所に国鉄時代の香りが漂っていました。







屋根が付いているが先端部は腐食している。
屋外の保存は大変です。
それでもボランティアらしき人達が公園内で模型列車を走らせたり
維持に力を入れておられる。


そういえば10月に公開予定の鉄道博物館の0系はこれよりも古く
開業時を知る1次車。
その公開がとても楽しみだ。

旅はまだつづく
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