熱海新聞 昭和48年10月18日
来春から新会社で再開
名所の少ない観光地熱海で熱海城とともに
(注:熱海城は一度倒産しています)その灯を消すなと
云われていた熱海高原観光のロープウェイが復活することになり
観光施設に従事する人達は勿論、熱海市民にも喜ばしいニュースである。
熱海高原観光は去る四十二年十月に
『伊豆スカイラインと熱海を十分で結ぶジェットコース』
として世界最大百二十一人乗りのロープウェイと約3千種のサボテン公園を
キャッチフレーズに華々しく営業を開始したが、余りにも大規模な施設のため資金回収が
出来ず、経営困難となり四十五年六月五日に社長の○○××氏夫妻が行方不明となり
同八日に事実上の倒産となりその日から一債権者の東京都赤坂永信物産の山崎清氏が
営業を継続したが、同年十二月ロープウェイも創業を停止となった。
だが、熱海市内の債権者の暖かい協力と旧従業員の努力で今年五月、
駅前セントラルホテルで株主総会が開かれ、執行部が誕生し
長洲広氏が代表取締役に就任し、九月二十九日に山崎氏より業務を引き継いだ。
この新しい執行部の誕生で旧従業員が半数以上も復帰し、玄岳ドライブイン、
サボテン公園等で新規巻き直しとばかりに張り切って仕事をしている。
また玄岳まで二千六百五十メートルの距離を空中遊泳するロープウェイも、
現在東電などとの交渉も順調に進み、整備、点検の終わる来春早々には復活する事も
決定している。
このロープウェイも規模を縮小してジャンボで売るんではなく、標高七〇〇メートルの
雄大な景色を見てもらおうというもの。
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営業を再開した昭和45年6月の半年後
12月に再び運転が止った。
それから3年後の昭和48年に新会社として復活への道を模索したが
実現には至らなかったようだ。
最後となった運転が1970年12月の何日だったのかは分からない。
しかし今まで不明とされていた年月だけでも判明した。
昭和40年5月着工
昭和42年10月1日 開業
昭和45年6月9日 運転中止
7月1日 運転再開
昭和45年12月 再度運転中止
熱海銀座に今はパチンコ店の駐車場となっている場所がある。
そこに伊東と熱海でみやげ屋を営んでいた「みその」があった痕跡は全くない。
夏、観光客で賑わう熱海。
駐車場となった空間に「みその商店」があった事を知っている人が
今はどれだけいるのだろう。
かつぎ屋から商店に発展させ熱海高原観光を
設立したというのだから相当な実力者だったのだろう。
往時を知る地元の方々も高齢化によりその記憶は薄れていく。
今も残る熱海高原ロープウェイの施設は
山頂駅だった玄岳ドライブインと
天神山駅地下のタイムトンネルだけ。
そしてまた夏の日の家族旅行で伊豆スカイラインを走り
奇抜な姿をさらし廃墟となった駅舎を目にした子供の誰かが
興味を抱くのだろう。
あの時の私がそうだったように。
おわり