あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

0系新幹線 サボの事

2009-10-24 22:51:04 | 60年代
かなり昔の事。
東海道新幹線の特集番組が夜に放映された。
どんな内容だったのかあまり覚えていないのだがある場面だけは今でも忘れない程に鮮烈だった。

「開通当時の新幹線電車と現在のを比べてみよう」
中央鉄道学園に保存されているという初期の車両が映し出され
現在の車輌(0系後期型)とを比べる場面。
「方向幕が昔はサボ式」
と、黄色のサボを差し込む。

開業当時は科学技術の遂を極めた新幹線の車体に原始的な(行先票)サボを使っていたなんて!
白と青しかない色使いにレトロ臭漂う黄色いサボ。
その場面が強烈な印象となり忘れる事は無かった。

新幹線のサボは走行中に飛んでしまったりで危険な為に
数年で廃止となったそうな。

(それから数年後にその鉄道学園は廃校となり新幹線電車も荒れたまま放置され解体された)

それから数年後に万世橋の鉄道博物館で現物を見た。

(と書いたがこの写真は別の鉄道展で撮影したものかも)

これを付けて60年代の東京大阪間を走ったのか

あの日のテレビ映像からやっと実物が見られ暫くの間見入っていた。

欲しいな…

鉄道マニアでもない私だがそれだけは何としてでも欲しかった。

で・・・

買ってしまいました



高価だったけどあの時にテレビで見た物が手元にある。

あぁ、これが開業当初の東京駅で
人々の視線を集め
開業に沸く熱海を通過し200キロの速度で大阪へ…

サボの傷は200キロの凄まじさを物語っている

全国数箇所に保存されている初期車の車体は当時の物だが表面の塗装は塗り直されている。
しかしこのサボは開業当時の人々の視線や空気を吸収しそのままなのだ。
あの当時の匂いを知っているからこそ欲しかった。


こんな時代を走ったなんて (福島屋旅館所蔵の絵葉書より)


ひかり3号は東京駅7時発

当時の人達がこの行き先票を横目で見て超特急ひかり号に
乗った。

そんな事を想像するだけ楽しい。


21日から公開された鉄道博物館の0系新幹線

「開業当初の姿を再現する」

とされているが行き先票サボの上、号車札の隣にあった「座席指定」「自由席」を
示す座席表示用サボ差しも復元されるのだろうか?
開業時にはあったのだがサボ差し廃止後に外されたようで大阪交通科学館の保存車にも残っていない。

JR西日本研修センターからの輸送写真を見ても「座席表示サボ」は
付いていなかった。

そして光前頭とよばれる先頭の鼻先ドーム。
開業時はアクリルで造られておりその後破損が激しくFRPになった。
当時のカラー写真を見ると水色っぽく止め金もその後のとは形状が異なる。


(アサヒグラフ 1964年臨時増刊 東海道新幹線より)

この二点にもこだわって展示してくれていれば、と思っていたが
見事に復元されていました。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20091021/1029798/

光前頭は所蔵のオリジナル品を使ったそうです。

私は未だに鉄道博物館に行った事はないので
訪れるのが楽しみです。
コメント (10)
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コップ

2009-10-20 21:20:50 | Weblog
 人が何気なく口にした言葉が
 あとあとまで残る事がある

熱海道路巡りが終わった波さんと私は福島屋旅館に戻った。

私は翌日も休みだったので連泊するが波さんは今夜の花火大会が終わったら
電車で帰る。

疲れたので部屋で昼寝をする。
福島屋で連泊は初めての事だ。

探索遊びに疲れた身体に「昼寝」がなんとも気持ちよい。
「昼寝っていいな~
連泊する事がこんなに楽だなんて思わなかった。

ふと目が覚めると波さんは隣の部屋で窓の外を眺めている。
産まれ過ごしたこの地を再び訪れたその胸中は?

そんな姿を見てまた眠りにつく。

夕方、花火大会へ行く前に風呂へ行く。
風呂からあがって部屋へ戻る際
廊下の冷蔵庫に昨夜のビールが一本だけ残っていたのを思い出した。

流しに置いてあるビール用のコップを借り部屋へ戻った。
先に戻っていた波さんにビールを見せ

「出掛ける前に軽くどうですか?」

『いいですね~、まだあったんですか』

銘柄は忘れた一本の缶ビールを二人で分ける。

『ビールはこのサイズのコップが丁度いいですよね』
波さんが何気なく漏らした感想が私の心に刺さった(笑

そのコップは今でもラーメン屋などで出てくる
「アサヒビール」「サッポロビール」
と文字が入った小さなコップ。

そういえば家でも居酒屋でも「コップ」ではなくて『グラス』だな。

350mlの缶ビールを分けてもまだ残りが出る位の小さなサイズ。

「今日はおつかれさま」

コップを軽く掲げて口にしたビールは風呂上りの身体に痺れるうまさ。
残りのビールを更に分けて空にする。

ビール一缶を二人で分ける事が貧乏臭い訳ではなく
ちょうどいい量だと感じたのは風呂上りという事もあるが
小さなコップだったからなのだろう。

古い小さな部屋で男二人で飲んだ一つのビール

ものすごくうまかった。

コルトで走り回った熱海三道路物語
一缶のビールと小さな「コップ」が労をねぎらうかのようだった。

あれが最近主流の大きめの「グラス」だったとしたら
二人で分けたら中途半端な量で終わってしまい
「少ないな」と感じて印象にも残らなかったろう。

私はそれ以来あのサイズのコップが気になってしまい
先日ついに買ってしまった。



一つ100円程度購入。
計ってみたら140mlが入る。
ビール一缶であれだけ持つはずだ。

これで飲むアサヒゴールドが更に旨かった。

コメント (7)
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熱海三道物語?謎の廃墟はチトセドライブイン跡

2009-10-15 21:46:51 | 熱海
伊豆スカイラインを出て熱海峠に向かうと
ドライブイン跡のような廃墟に出くわします。




この物件も以前は何だったのか判りませんでした。
当時の地図を見ても載っていない。





道路に面している施設はガソリンスタンドだと容易に伺い知れるが
奥には駐車スペースとレストランか宿泊施設(らしきもの)がある。



宿泊施設(らしきもの)は「自己啓発センター」として使われていた事はネット検索で判明した。

しかし私が知りたいのは「その前」の事。
開業時はドライブインだったのだろうが
どんな名称だったのか。
私が持っている当時のドライブガイドを見ても
この施設はなぜか出ていませんでした。

長年の謎を解いたのはこれまた波さんの地図でした。

それによると当時の名称は
「チトセドライブイン」


で、当時の新聞には・・・


(昭和39年10月1日 熱海新聞)

開業
「東京日本橋『千歳商会』直営の『チトセドライブイン』(支配人、川本保氏)がこのほど開業した
ガソリンスタンド三十二坪
食堂百八十坪
売店 自動車修理工場 みやげ品 お弁当など便利に併設されている」

(昭和40年 月日不明 熱海新聞)

昭和40年に開業し
おくの建物は食堂だったようだ。

千歳商会という所が経営していたので
チトセドライブインなのですね。

検索すると現在でも東京でガソリンスタンドを経営されているそうです。

今回の写真は数年前に撮影したものを掲載しております。
(疲れてしまって撮影する気力が無くなっていました)

熱海三道路物語 おわり

コメント (3)
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熱海三道物語? 滝知山は熱海峠レストハウス跡

2009-10-06 00:12:38 | 熱海


逆光なのが残念なのですが私のお気に入りの写真です。
昔の雑誌とかにありがちな感じです?

「家族で観光道路へドライブにやって来ました」
というような感じが気に入ってます。

因みにコルトの奥にいるご家族は全く関係ありません。


ここは伊豆スカイライン滝知山。

以前からこの場所に来て不思議だったのは
伊豆スカに展望駐車場は数多かれど
ここは本線から離れて丁寧な道がありたどり着くと
丁寧な造りの駐車場があるにも関わらず
なんにも無い。

不思議な駐車場でした。






過去に何があったのかが分かったのが波さんが持ってきた
昭和45年のドライブマップ。
その場所は「熱海峠レストハウス」と記されていました。

それを見て思い浮かんだのがこの写真。
↓  ↓  ↓


車、古っ!(お前が言うな)
週刊サンケイ 100万人の自家用車より

「あの写真はここだったんだ!」
その写真を見た時はどこに存在したのか分からなかった。
右奥に見えるパラボナアンテナは今と変わらずか。

この記事は昭和39年10月1日発行の熱海新聞より。
日付からお分かりのように東海道新幹線の開業日!
交通新時代を迎える熱海はマイカーも急増。

鉄道だけでなくマイカー族もターゲットにしていたのでしょう。
時はまさに高度経済成長時代の真っ只中!

そして約50年後・・・



ガソリンスタンドも併設されていたという
ドライブイン跡。
ここにもドラマがあったのでしょう。
訪れる内の幾人がその事を知っていることか。

この場所に立ちその当時の事を妄想してみるのも楽しいです。



昭和39年9月30日の熱海新聞(一部欠損)

計画ではこのような施設だったようです。
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アサヒゴールド こんなビールを待っていた!

2009-10-02 22:43:58 | 60年代


好きな時代はいつと聞かれれば
昭和42年と昭和33年と答える。

子供の頃の昼間にテレビで観て衝撃を受けた映画「点と線」
公開されたのは昭和33年11月。
それ以来昭和33年という時代に「憧れ」のような想いを抱いている。

関門トンネルが開通し

(脱線しますが切手の中で一番好きなデザインです)

国鉄ではビジネス特急こだま号や20系あさかぜが走った。
スバル360の登場、聖徳太子の一万円札発行。
東京タワー完成。

アサヒゴールドはそんな「昭和くさい」昭和33年9月15日に
日本初の缶ビールとして朝日麦酒より発売された。
(瓶は前年)

(朝日新聞 週刊昭和02より)

350miで75円。
大瓶のビールは125円の時代だった。

現在のようなプルタブではなく
缶きりで穴を二箇所開けて飲むというのは
どんな感じだったのだろう。

もっとも私の幼年期でも小さな穴あけ用の缶きりがついていた
缶ジュースがあった。

昔の写真や資料を見ていると鉄の味がしそうなスチール缶の
ビールを見かける。
古いもの好きな私にはたまらないので
「このデザインで復刻してくれないかな」
と思っていた。

29日に発売されると聞いて買いに行ったが置いていなかった。
翌日に別のコンビニに行ってやっと買う事が出来ました。
(販売期間は10月12日まで、と明記されていました)

父は他メーカーのビールが好きだったので
家にアサヒゴールドがあった事はない。

覚えているのは
父の勤めていた会社の保養所に置いてあったビールの自動販売機が
アサヒのマークが付いた金色っぽいビールだった。
隣の瓶コーラ販売機と比べて「苦そうだな」と思っていた。

あとはスキーバスの中で大人達が嬉しそうに手渡す
缶ビールがアサヒだった事。

飲んだ事はないのに懐かしい気持ちになるのは
そんな想い出があるからなのだろう。

缶を手に取り
「あぁ、覚えているな」
と自動販売機の記憶が甦ってきた。

このビールはどこで飲んだら楽しいだろう。
夜汽車(寝台ではなくて)に乗りボンヤリ車窓を眺めたり
古い宿屋で風呂上りに飲んだりと・・・

(モデルは安全体操さん。熱海、福島屋旅館にて。
テーブル上のビールが他銘柄なのですが・・・)

昭和好きにはなんとも嬉しい復刻版です。

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ヤクルト 木田優夫さん退団

2009-10-01 23:39:12 | Weblog
ヤクルト・木田、退団へ=プロ野球(時事通信) - goo ニュース

熱心なスワローズファンという訳ではないが
好きな球団はヤクルトで
好きな選手は木田優夫さんです。

神宮で野球を見る時は大人しく見ているが
最近では木田さんの出番があると
立ち上がり「木田さ~ん!」と声援を贈っていた。

その木田さんが退団発表をした。

休憩中にそのニュースを知りショックを受け
寂しい気持ちに包まれた。

今後は誰を応援していけばいいんだろう。

しかし木田さんは「引退」ではなく「退団」

今後のご活躍を期待します。
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