子供の頃私の家では滅多にジュースやコーラを買ってもらえませんでした。
もっとも冷蔵庫に常備されていなかった、という位でたまには買ってもらえました。
父はあまり、というか殆ど酒を飲まなかった。
月に一度程度のすき焼き(豚肉)や餃子の時にキリンラガーの大瓶を一本飲む位だった。
元々は飲める口だったが家のローン等生活があり控えていたようで
定年近くなってからほどほどに飲むようになっていたが。
月1のキリンラガー時に私達子供はコーラを1Lビンで兄姉の三人で飲むのだが
「お父さんもコーラ飲まない?」と勧めても
『いや、いらない』と素っ気なく断られ決して飲もうとしなかった。
子供にしてみれば「なんでこんなに美味しいものを飲まないのか」が
理解出来なかった。
キリンビールの王冠の裏(昔はコルクが貼ってあった)やビールの泡を舐めさせてもらう
と苦くてと『大人は何が楽しいのか?』と不思議だった。
それでも何度か「コーラ飲まない?」と聞いても飲まなかった。
ある時に何で飲まないのか?と聞くとその理由を答えてくれた。
父はNHK職員だった。
「東京オリンピックの時だ。出来たばかりの(NHK)放送センターには
オリンピックの協賛企業だったのかコカ・コーラから『皆さん自由に飲んで下さい』と
コーラが大量に置いてあった。でも冷房も無い所にドン、と置いてあるだけで冷えてないわけ。
放送局にはクーラーがある、と思われていたようだけど放送局の冷房施設は
放送機器を冷やす為にあるので職員の為じゃなかった。
夏が終わった時か秋だったかまだ暑い時に初めて置いてあったそのコーラを
飲んだら生ぬるくて飲めたものじゃなかった。なんだこれ?色からして醤油なのか?
と思った位だ。それ以来コーラを飲んだ事はない』
子供心には「コーラ飲み放題」が羨ましかったが『生ぬるい』コーラを想像すると
父の気持ちも分る
その話しを聞いてからコーラを薦める事はありませんでした。
今年のオリンピック選手村でコカ・コーラの自販機の値段が高いと話題になった時に
父のコーラの話しを思い出した。
今日10月10日は昭和39年の東京オリンピックの開会式でした。
右の組織委員会報は先日、古本屋で見つけました。
せっかくなので10日の予定だけでも載せてみます。