あのコルトを狙え

TOKYO2020 子供たちに負債を(笑)

ヤクルト連勝ストップするも・・・

2009-09-30 19:30:26 | Weblog
プロ野球のシーズンも終わりが近付いている9月29日。

今シーズンも神宮球場のチケットを頂いていたので
何度か足を運んだがそれもこの日が最後。

最後のチケットは阪神線だったので友達を誘うよりも
阪神ファンの甥っ子(兄)を連れて行った。

本当は29、30日と連休になったので泊りがけで出掛けたかったのだが
「阪神戦をバックネット裏で見せてあげたい」
と、叔父バカぶりが勝ってしまい野球を選んでしまいました。

子供と行くとなると車で行く事になるので当然ビールは飲めません・・・

ま、今回位はガマンしよう。

学校が終わって横浜を出発し第三京浜に乗ろうとした時のこと。

甥「・・・コルトって高速走れるの?」
本気で不安な顔をして聞いてきた(苦笑

バックネット裏のスターシートだという事は黙っていたので
着いてみると


「俺、一度バックネット裏で見てみたいと思ってたんだよ!」
と大喜び。

試合に集中し、はしゃぐ姿に幸せのような物を感じた。
そんな姿を見て伯父さんは自分の今後を考えてしまうのであった。

三位争いが注目されたヤクルト対阪神戦。
連勝が続いたヤクルトは負けてしまったが
阪神ファンの甥っ子は大喜びだった。

球場隣の駐車場に停めたコルトに戻る。

「帰りは後ろの席に座るんだぞ」
『うん・・・??』
「疲れたろ。靴を脱いでクッションを枕にして寝てなさい」
『わかった』

小雨降る外苑西通りは渋滞もない。
しかし路面にマンホール工事等で凹凸があり車は揺れてしまう。
なるべく衝撃のないように走るのだが・・・

「眠れるか?」
『・・・大丈夫♪フワフワして気持ちいい』

フワフワするか・・・

私も同じ歳の頃に後ろに一人で乗る時は靴を脱ぎベットのように
くつろいでいた。

前席のベンチシートのおかげで
広くはないが自分だけの寝台のような空間に身体を横たえる
絶対的に信頼していた父の運転とコルトのフワフワした乗り心地。

静かなNHKラジオが流れるなか
車の揺れが変わりオレンジ色に包まれると

「(高速に乗ったのか・・・)」

再び眠りについてしまうあの夜が好きだった。

足を上げたり遊んでいた甥っ子は静かになり眠りに入った。

お預かりした大切な甥っ子。
事故を起こさないようにいつもより慎重に走る。

遠くからパトカーのサイレンが聴こえてきた。
『今の何?』
起き上がって訊ねる。
「パトカーだよ」
『そう・・・

信号待ちでそーっとブレーキを掛ける。
振り返り下を覗き込むと安心しきったように眠る甥っ子。


その時私は、きっと「父」の顔をしていたのだろう。

そしてまたそっとクラッチを繋ぎファミリーカーは走りだす。
碑文谷を抜け第三京浜への道は
幼少時代に半年に一度は訪れた祖母の家からの帰り道。

あの時に後ろで寝ていた少年は
小さな子供を後ろに乗せて父が握っていたハンドルを握り
同じ道を今走っている。

たぶん私は結婚をしないだろう

それでも甥っ子を連れ歩いているとほんの少しだが
親のような気持ちになる。

結婚をし家族を持つというのは大変だが
それと同じ位に楽しさがあるという。

その楽しさとは、今私が感じている事なのだろう。

ヤクルトは負けてビールも飲めなかったが
とても楽しいひと時だった。


コメント (6)
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熱海三道物語? 伊豆スカイライン 玄岳付近

2009-09-25 22:25:39 | 熱海高原ロープウェイ
すっかりサボってしまいました

8月23日

過去にブログで取り上げた熱海高原ロープウェイ現役時代の
伊豆スカイライン玄岳付近。




絵葉書からですが「高原道路」という雰囲気がよく伝わってきます。

そして現在の姿。


同じ場所で写真を撮りたいと願っていたらついに実現できました。

基本的に変わっていませんが
木々が生い茂っています。

かつて開通間もない頃(昭和37年開通)をご存知の方が
今走れば「もっと見通しが良かったのでは?」
と思われるのではないでしょうか。




この路肩の石は変わっていないのではないでしょうか?


続いては玄岳ドライブインの様子

(初めてこのブログをご覧の方はこちらの過去記事に往時の姿を書き込んでいますので宜しければご覧下さい)http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/aefb9631ab3ff7a2845dffd132456f96

所有者が代わって(再び閉鎖・・・)屋根の色も変えたようです。


入り口も大改修?されていました。


今後どうなるんだろう・・・

【玄岳ドライブイン-私の思い出】

うんと小さな頃から存在は知っていました。
伊豆方面にドライブする時によくトイレ休憩で使うドライブイン
だったから。

特異な形状に幼心にも「古いんだな」と認識しており
このドライブインに立ち寄るのが楽しみだった。

当然だが今よりももっとキレイだった。

最後に「利用」した時の事は今でも覚えている。
伊豆方面からの帰り道。

いつものように立ち寄った。

「ドライブイン」なのでトイレ休憩を口実に
お菓子か何かを買ってもらおうとしたが
『トイレだけ』と先手を取られた。

以前はアイスかホットドック等を買ってもらえたのに
その時は『ダメ』だったのである。

買わないのにトイレだけを利用するのが貧しいとか
お店に悪いんじゃぁ・・・

と思った事は今でも覚えている。

そして更に強烈だったのが今までは気付かなかった裏にあった
コンクリート製の断崖。

その時は
「ゴミ捨て場?」と思った。

何かの施設を作ろうとしたのか
それとも何かがあったのか判らないが
窓から見えたそれは強烈なインパクトがあった。

それがロープウェイの発着場だった事を知るよしもない。

もしもあの時に
ロープウェイの搬器が残っていたらと今思うと
残念でならない。

更に強烈な印象となって私の心を支配したでしょう。

そしてそれから
再び伊豆に出掛ける事となり
あの変な形のドライブインに寄れる事を楽しみにしていたが
見えてきたのは
窓に「恐竜展」だか「恐竜博覧会」と大きく書かれ
薄汚くなってしまったドライブインだった。

粗雑に書かれたその字体に嫌悪感を抱き
ドライブインが変わってしまった事を悲しんだ。

「恐竜展」を見たいとも思わなかった。
  どうせ粗末なハリボテだろう
   別に恐竜を好きな訳でもないし・・・

何故だかその後の事は記憶に無い。
免許を取ってから自分の運転で伊豆スカイラインを通って
いるので見ているはずなのだが
「恐竜展」の事で興味を無くしてしまったのだろう。

再びこのドライブインに興味を持つようになったのは2004年頃。
なんとなく一人で探索に行き
翌年に有志を募りお泊り探索旅行が開かれ
結果そのメンバーでバンコク旅行までするようになった。
あの4人との関係はこのドライブインが無ければ
違ったものとなっていたのかもしれない。


昭和45年8月5日の東名新聞

倒産した後の新聞ですが「熱海高原観光」から
「熱海観光」となっております。

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鈴木朝潮展 ―Tomomi Suzuki―

2009-09-21 17:51:04 | Weblog
flingscottomomiさんことF先生の個展が
9月21日(月)から26日(土)まで、
東京は華の銀座、Gallery Togeisha (ギャラリー トウゲイシャと読むそうな)で
開催されます。

詳しくはF先生のブログをご覧下さい。
↓    ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/flingscottomomi

ギャラリーのHP
↓    ↓
http://www.gallery-togeisha.com/

私はいつ行こうかな


そういえば前回の個展には遠くタイのバンコクから
飛行機に乗ってやってきた方もいましたな。

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青梅にて

2009-09-20 21:17:04 | Weblog
前所属であるスポーツクラブのお客様と
青梅丘陵ハイキングに行って来ました。

半年ぶりの参加で楽しかったです。




行きの新宿駅で電車を待っている際に
「中央線といえばオレンジ一色の201系電車だったのに
今は無くなってしまったんだな」
となんとなく寂しく思っておりました。

そんな帰りの事。
軍畑(いくさばた)駅から青梅までの電車に乗りました。
東京行きの電車に乗り換える為に青梅で降りると待っていたのは
オレンジ色の201系!

とっくに全廃だと思っていたので驚きました。

 「(あぁ、先頭車に行って写真を撮りたい!)」

乗っている最中は夢を見ているのか、とすら思いました。
到着した新宿駅で周囲の目を気にしながら走り去る電車を撮ってしまいました。




『鉄道好きなの?』
「い、いや、ちょっと珍しい電車だと聞いたものですから(汗)」

もう乗れないと思っていた電車に乗れて得した気分でした♪
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熱海三道物語? 熱海新道

2009-09-13 23:49:44 | 熱海

(波さん撮影)

翌日福島屋旅館を出て向かった先は昭和41年8月1日開業の
熱海新道。

出掛ける前に道路地図を見て福島屋のご主人と歓談する波さん

波さんが持ってきた地図は昭和40年代の地図でした・・・
「チトセドライブイン」とか載っているけどやってないし。

この手の地図を見ると「未舗装区間」とかが記されているので
当時の道路状況を垣間見れ楽しいです。

こちらは開通間もない熱海新道のようす。

週刊サンケイ 1000万人の乗用車67年号より転載

熱海パークウエー(パークウェイ)とも言うみたいですね。
今で草木に覆われてこのような景観は望めません。



(熱海新聞 昭和41年7月28日)

普通車300円!
この年に発売されたグリコのポッキーが60円
週刊プレーボーイも60円の時代でした。

このようなマイカー族が走ったのでしょうね
↓   ↓

(波さん撮影・・・夏の雰囲気が出ています)


この道は何度も通った事があるが
かつて「有料道路だった」時代の料金所が
どこにあったのか判らなかったので
今回波さんに教えてもらいます。

前回「熱海新道に車影なし」
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/a1b74f6cd8022e52705ce22a51578a0d
と書いたところ
『そこはまだ熱海新道の区間ではなくもっと上です』と
ご指摘を受けました。

だいたいの場所を聞いて「あぁ、あの辺か」と思い
「短い区間だったんだな」と思っておりました。

が、波さんからは
「そこ以外にも料金所はもう一つあった」と更なる指摘。

波さん曰く
「熱海城を上がってすぐです」

それらしい場所なんてあったかな??

「そこですよ」

車の向きは逆ですが手前が熱海口


そこは熱海城の急坂を登ってしばらくすると仏舎利塔へと
分かれる道のある所でした。

「少しだけ広くなっているでしょ」



はぁ・・・

確かに言われてみると・・・

「一つ目はここにあったんですよ。ちょうど分かれ道になっているんです」

かなり以前に廃止となったのだろう。
僅かに広がりがあるだけで何の痕跡も見つからない。

こんな所にねぇ~・・・


(熱海新聞 昭和41年4月20日)


帰宅後にウィキペディアで調べると一つ目が廃止となった経緯が
書いてあった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E6%B5%B7%E6%96%B0%E9%81%93

↑の概要にある「旧起点」はまさにそこです。
有料道路としての晩年は半分と短くなってしまったのですね。

続いて熱海自然郷管理事務所前にあったという
「新」料金所跡に向かう。

この熱海新道
急坂なのにとても走りやすいです。
坂道はきついけど後続車が殆どいないので非力な旧車でも
マイペースで走れるのです。
しかし「新道」の割には道路脇に雑草が生い茂り
「廃道」っぽくもあります。

途中広場のような駐車場がある。
「何があったの?」と訊ねると
『モーテルがあったんですよ』

ほとんど車が通らないから
無くなってしまうのも無理はない。
なんとも寂しい道だ。

「そこですよ」

何度も普通に通っていたそこは
路面に痕跡がはっきりと残っていた。






真ん中には徴収ブースの跡と
路肩には支柱を埋めた跡(4つ)が残っていた事から
屋根があったのが容易に想像がつく。

道路真ん中のブース跡から撮影


屋根を支えた支柱の跡(4箇所あります)




手前にポツンと立つ水銀灯も料金所用に造られた
名残なのかもしれない。

通行する車はたまにしかやって来ない。

暑い夏の日曜日。爽やかな青空の下、路肩に座りモータリゼーション華やかりし頃の熱海を思い浮かべる。

充分に休んだ後、車に戻ると
カーラジオのアンテナにはトンボが停まっていた。

(波さん撮影)

新料金所から玄岳料金所まで後続車はなかった。

終点伊豆スカイライン玄岳料金所



(熱海新聞 昭和41年7月30日)




案内してくれた波さんが立つ場所は玄岳料金所手前にある駐車スペース。
記事にある「玄岳付近で開通祝賀式」とは
この場所で行われたのではないでしょうか。


次回は伊豆スカイライン編です。



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熱海三道物語? 熱海ビーチライン

2009-09-08 22:00:08 | Weblog
8月22日
波さんと熱海へ行って来ました。

仕事帰りに波さんと合流。
二週間前にも仕事帰りに熱海へ行ったのだが港区を17:30に出たら渋滞に巻き込まれ熱海に到着したのは21時過ぎと4時間以上も掛かってしまった。

波さん曰く今回は15:30に都内を出たしお盆も過ぎているから大丈夫でしょう、との事だったがその通り寄り道をしていても19時に熱海へ着いた。

今回は熱海ビーチライン、熱海新道と伊豆スカイライン
マイカー時代を迎えた熱海を語る上では欠かせない熱海3道物語?
です。

【熱海海岸有料道路】
昭和40年8月開通


(熱海新聞昭和40年8月より)
開通当時の普通乗用車の通行料金は¥130。
かなり高価な金額です。
現在は¥250。

日も暮れた熱海ビーチラインはどことなく寂しさが漂う。

(波さん撮影)

しかし「まもなく熱海だ。温泉に入って商店街で寿司を食べて・・・」という期待に満ちとります。
そういえばビーチライン沿いにヤシの木が立ち並ぶ空き地があるので以前から気になっていたが、そこにもホテルがあったという事を波さんから教えてもらった。
コルト1100は快調に走り伊豆山の赤い橋を渡りカーブを曲がると熱海市街の灯りが見えてくる。

(波さん撮影)

この瞬間がとても好き・・・


かつては大型旅館のネオンサインが輝いていたのだろうが
それも昔。

ビーチラインから見えて来る熱海市街を見ると
「熱海に来たんだな」と実感する。

開通時には使用されていたのかな、と思われる古めかしい料金所。
普段は「通過」と表示されていて
なんの為に存在するのだろう、と長年思っていたのだが
「お盆シーズン等の繁忙期に使われるんですよ」
との答えが帰ってきた。
さすが熱海出身!長年の疑問が解けました。

心強い解説者です♪


(波さん撮影)

この頃になると二人して
「おお~!熱海だぁ~!!♪」と不快指数も吹っ飛びます。

次回、熱海新道編


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甥っ子と行く青梅鉄道公園

2009-09-01 20:32:53 | Weblog
夏休みも終わってしまいましたが
7月22日
夏休みになったので甥っ子と青梅鉄道公園に行ってきました。

甥っ子と出掛ける時は極力旧コルトを出しますが
家からかなりの距離があるので新コルトで行きました。
「なんだ~古い方じゃないんだ
と、残念がられる所がまた嬉しかったりします。

ナビもあるし何しろ距離があるのでエンコしては
子供連れでは大変だからです。

二年程前に訪れてブログにも書きましたが
あの頃とは展示車輌が変わっていました。

SLが一両鉄道博物館に行ってしまい代わりに
旧型国電がいました。






屋根がある所が嬉しいです。


私的に見たかったのが0系新幹線。



「新幹線の運転席に入れるぞ」
と言っておいたら甥っ子も楽しみにしていたようです。


驚いた事に甥っ子は運転席に座ると
「新幹線大爆破」のマネ?をやり始めました。
今年の元旦に家族揃って「新幹線大爆破」を観た(見せた)のですが
素晴らしい事です。


確認したかったのがサボ受けの存在。






大阪万博の頃に生産されたこの車輌には無いと思いましたが
後ろ側に付いていました。




でも使われていなかったのでしょう。
もしくは「自由席」「指定席」の札を入れていたのか私には
分かりません。

それでも初期の車輌なので非常口は付いています。
(外側は富士市の車輌同様に埋められています)




車内は雨漏り箇所があり保存の難しさを感じました。


去年の写真と同じように撮ってみよう!
と写してみました。
(↓去年の出来事)
http://blog.goo.ne.jp/saiun4gou/e/99703a95c7d53d4d55f88a70f11fcd2f





座席の形は違えどやはり0系。
こうして写真で比べると子供達は大きくなったなぁ、と
お父さんのよう思ってしまう。

さんざん遊んで新幹線広場から上がる階段を登っている時の事だった。

「彩雲兄ちゃん・・・」
『何?』
「ありがとうね。」
『ん?』
「去年、旅行に連れてってくれて。
(学校の)周りでもいないよ。
(ブルートレイン)富士や0系新幹線に乗ったなんて友達。
彩雲兄ちゃんが連れて行ってくれなかったら乗れなかったもん。」

「そうか・・・」

改めて言われた『お礼』に戸惑った。
あの旅は子供達なりに感じる事もあったのだな
と一年も経っていないが懐かしくなった。

帰りに売店で「自分のお小遣い」でキーホルダーやピンバッジを買っていた。
それは「富士/はやぶさ」のヘッドマークと0系新幹線だった。



あの時に5年生だった上の子も来年は中学生になる。
中学生になったら
もう伯父さんと遊ぶ事も今ほどはなくなるだろう。



今、私は秋に北海道へ向けて走る寝台特急の時刻表を見ている。
実現出来るか分からないが
夜汽車の車窓を楽しそうに眺めているあの笑顔をもう一度
見たいものだ。



コメント (9)
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