『夢の小筥』

再び廻り来る事のない、この刻(いま)を、そっと筥に納めてみました。

 “熊谷次郎直実”

2008-06-21 14:09:32 | Weblog

     
    クマガイソウ

 一の谷の合戦で敗れた平家を追い自分の息子と同じ年頃の
(敦盛)の首を討ち取った「熊谷次郎直実」ですが、このような生き方に怒りと虚しさを覚え考えた末『仏門』に入る決心をしました。

建久4年(1193)法然上人を訪ね出家した直実は、
  「法力房蓮生」 と言う名を与えられました。この名は
<泥の沼の中でも濁りなく蓮のように清らかに花を咲かせる心を持って生きる> と言う意味だそうです。

  戦国時代は余りにも哀しい話が多すぎて・・こころが痛みます。

     和名の由来

 クマガイソウ・アツモリソウの名は、膨らんだ形の唇弁を昔の武士が背中に背負った母衣(ほろ)に見立て、がっしりした方を
熊谷直実(ほろ)に、優しげな姿の方を平敦盛(ほろ)にあてたものだそうです。
 花色が夫々白赤っぽいため源氏の白旗、平氏の赤旗に見立てたための命名とも言われている。
 白花のアツモリソウを昔はクマガイソウと呼んでいたと言う説もあるそうです・・・。

     花言葉    
   「みかけだおし」 違うような気も致します。

 出家してからの、直実の話は随分とあります。「名僧」だったんですね・・・