嫁おどしの面
昔、十楽村に与三次という百姓が住んでいました。
与三次は、妻のきよと二人の子供、それに母親の五人でつつましく暮らしていました。
ところが、与三次はふとしたことから重い病にかかり、そのうえ、二人の子供にまで病がうつり、三人共つぎつぎと亡くなってしまいました。
後に残ったのは、きよと姑のおばぁさんと二人だけになりました。
杖とも柱とも頼む夫に先立たれ、二人の子供までなくして、世をはかなんだきよは其のころ吉崎と言う所で教えを広めていた蓮如上人と言う名高いお坊さんの教えを聞きに行くようになりました。
朝は朝星、夜は夕星を見て、田畑の仕事をやり、姑との暮らしを支えながら、毎晩、遠い道を歩いて、吉崎へと通いました。
ところが、きよが熱心に吉崎へ参ればまいるほど、ばあさんは気にいらなかったのです。
そこで、吉崎へ出かけようとするきよに、用事をいいつけて、邪魔をしたりしました。
「寺参りばかりして、ちっとも自分のめんどうを見てくれん。」と近所中に嫁の悪口をいいふらしました。
それでもきよは、蓮如上人の教えを守り、姑を大切にしました。
吉原には蓮如上人が山を切り開いて、立派な念仏道場を建て、多屋(たや)とよばれる宿泊所や食べ物屋に茶屋まで出来ました。
お山全体を吉崎御坊と呼び、大変な賑わいでした。ばあさんがきよを憎んだのはきよも、賑わいに誘われ茶屋あたりで男と逢引でもしているものと、思うようになったのでした。
だが、きよは、いくら悪口を言われても、口答えせず、いくらとめられても、吉崎参りをかかさなかったのです。
とうとうばあさんは、どこからか探し出してきた鬼の面を持ち出し、
「ふふん、これでおどろかしてやろう。いくら気の強い嫁でも、鬼が出れば恐ろしゅうなって、吉崎参りをやめるじゃろうて。」
まもなく、きよが、何時ものように出かけて行くと、ばあさんは鬼の面をかぶり、死人の着る白いかたびらを着てなわの帯を巻くと、きよの後を付けて行きました。
十楽から吉崎御坊へ行く途中に、小谷という所があり、そこは木が生い繁り、昼でも薄暗くて、気味の悪い所です。
ばあさんは、先回りして小谷の杉の木立にかくれて、きよの来るのを待っていました。
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。」と念仏を唱えながら、嫁のきよがやって来ます。
ばあさんは、木立からぱっと飛び出しました。髪を振り乱し、耳まで裂けよと大きく口をあけて叫びました。
「母上の言うことを聞かぬやつは、容赦はせぬゾ。吉崎参りをやめると誓えばよし、誓わねば、ひと口に食べてしまうぞ。さぁ~どうじゃ。」
ところが、きよは、立ち止まりもせず、いっそう声高く
「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」と、唱えながら御坊へ向かっていきます。
「御坊へ、吉崎へは行ってはならぬと、母上が言うたでないか。御坊へ、いっては・・・」
ばあさんは、夢中でさけびながら、きよを追いましたが、きよの念仏はますます早くなり足も速くなって、年寄りの足では、追いつけずに、見失ってしまいました。
ばあさんは、仕方なく家に帰り、面を取ろうとすると、面は顔の皮膚にひっついてとれません。無理にはがそうとすると血が出てきました。これは困った。どうしよう、あわてふためいたばあさんは、やがて、べったりと座り込んでしまいました。きよが帰ってくるまでになんとかして面を取らなければと立ち上がろうとしましたが腰がぬけて立つこともできません。手や足もしびれてきました。
きよが帰って来て、戸をあけると、そこには小谷であった鬼がいました。
「あっ。」と立ちすくむきよに向かって、ばあさんは、
「わしじゃわしじゃよ。」と大声で泣き叫びました。
「どうなされましたェ、おっかさん。」
ばあさんが、嫁のきよに許しをこうて訳を話すと、きよは一心に念仏を唱えました。
「早ようお母さんも念仏を唱えてくだされ。」ときよにすすめられて、吉崎へお参りに行き、蓮如上人に一切の話をしました。そして上人に鬼の面をさしだしました。
蓮如上人は、その面を末代までのあかしにと、願慶寺におさめました。
その面は、今も、(肉ずきの面)とか(嫁おどしの面)と呼ばれ、願慶寺にあります。
と言うことだそうです。
今日はここまで・・・