“記憶”に関わる“脳”と“キャンバス”の関連を単純化した形でその概要をまず明らかにしておきます。“キャンバス”は、“脳”そのもの、つまり“ハード”に当たり、 “記憶の中身”は、“情報またはデータ”に当たります。
“記憶”とは、“情報”を“覚えこみ(取り込み)”、“脳内に保持”しておき、必要に応じて“再生/想起”する、一連の過程を言います。さらには、新しい情報に接したときに、すでに保持されている情報と同じであるかどうかを判断する“再認”の過程も含めています。
情報を取り込み、脳内に保持するまでの間は、“知識の獲得過程“、すなわち“学習する”ことであり、“キャンバスに絵を描く”過程に相当するとします。得られた情報は分析・整理されて脳内に保持(固定)されますが、ここでは描き込まれたキャンバスが分析・整理されて保存されるものと考えます。
ここで我々が日常おぼろげながら話題にしている “記憶”について、その種類を整理しておきます。我々が日常関心をもっているのは次に挙げる3種類の“記憶”でしょう。
普通に“記憶”と言ったとき、まず学校時代を通じて、覚えるよう努力を強いられた事柄の記憶が思い浮かびます。学校で学ぶような世界のどこででも通用する知識に関するものです。リンゴは赤いとか、あるいは英単語や歴史上の事件とその発生年代 等々、ある事象の意味に関わることです。このような事柄の記憶は“意味記憶”と分類されています。
二つ目は、個人の“思い出”に関わることで、各人が経験・体験を通して得た情報の記憶です。これは“エピソード記憶”と呼ばれています。これは一回の経験・体験でもしっかりと記憶に留められていて、いつ、いかなる状況でどのような経験・体験をしたか、かなり期間経過したのちでも、鮮明に思い出すことができるという特徴があります。
これらの意味記憶とエピソード記憶は合わせて“陳述記憶”と呼ばれることもあります。
見知らぬ土地、例えば海外の土地事情について、書物を熟読して得た知識は比較的に早く忘れるものですが、一度その土地を訪ねて体験するならば、そこで得た知識は長期間しっかりと記憶に留めることができます。前者は意味記憶であり、後者はエピソード記憶に相当するでしょう。記憶という面で見ても、「百聞は一見に如かず、一見は一試に如かず」ということです。
年輪を重ね、中年を過ぎた頃から、過去にかなり親しく交際していた人であれ、久しぶりに会ったとき、「顔は思い出しても、名前が出てこない」ということはよく経験することです。名前は“意味記憶”として、また顔の輪郭を含めたかつての面会体験は“エピソード記憶”として、別々の処理が行われ、保存されているということでしょうか。
今一つ、“意識に上らない記憶”で、“手順記憶”と分類されている記憶があります。もっとも身近な例では、自転車乗りの技術です。こどもの頃に覚えた自転車乗りの技術は、何十年経っても忘れることはなく、しっかりと乗りこなすことができます。諸種のスポーツ競技の熟練した技術は、この範疇に入ります。よく「からだで覚える」と言われますが、それがこの記憶に当たるでしょう。
ピアノの演奏技術もその例です。学習当初は、どの指で白鍵あるいは黒鍵を….と考えながら学習していきますが、習熟するうち、手指が無意識のうちに動くようになるようです。熟練者では自然に、神業と思えるスピードで手指や足が動き、快い曲を奏でます。
学習、記憶、さらに“再生/想起”が脳内でどのよう過程で進められているのか?非常に関心は高いのだが、その仕組みの理解は容易ではなく、やはりブラックボックスと言ってよい。記憶の種類や記憶が成立する過程での時間経過などにより、脳内の特定部位間で複雑なやり取りが行われているようです。
ブラックボックス内をちょっと覗いてみます。外から五感を通じて脳内にもたらされた情報は、その内容によりそれぞれ次のような特定の部位に伝えられて、処理されることになります。ただし、名称を挙げた部位のみに限られるのではなく、多くの部位の関与が研究されています。
陳述記憶に関して最も注目され、研究対象とされている部位は、海馬体と言われているところです。ここを中心にして大脳皮質連合野との間で情報のやり取りが活発に行われ、分析・整理が行われている。特にエピソード記憶の場合は、最終的に大脳皮質連合野に移されて、そこで半永久的に固定・保持されるもののようです。
一方、手順記憶では、情報のやり取りは主に大脳皮質運動野・大脳基底核・小脳の間で行われているとされています。中でも、小脳は、からだの平衡、姿勢と運動の制御に強い関わりを持つところです。
さて、認知能を考える上で、最も高い関心を持たれているのは“意味記憶”でしょう。覚えこんで記憶として保持する能力、さらには、記憶を再生/想起する能力が、年齢とともに低下していくからです。以後、主にこの意味記憶と運動の関わりを見ていきます。
従来は、運動は、主として体力を高めるという面から捉えられてきました。しかし近年、運動は、体力を高めるばかりでなく、意味記憶に関する記憶力にもよい影響を与えるということが喧伝されるようになりました。
前回、取り上げた米国シカゴの中・高校での試みは、青少年期での意味記憶に関わる記憶力を高めることを示唆した成績と言えます。最近の研究では、運動することにより高齢者において認知能が低下していくのが抑制され、または低下した認知能が改善されたとする成績も報告されています。
“運動”によって、脳機能と関わるどのような変化が体内で起こっているのか?またそのような体内の変化がどのように脳機能に関わっているのか? “運動”と“記憶力”とを結びつける様式を“キャンバス”に描けることができるならば と挑戦していくつもりです。
続いて、絵を描くための材料について触れていきます。
“記憶”とは、“情報”を“覚えこみ(取り込み)”、“脳内に保持”しておき、必要に応じて“再生/想起”する、一連の過程を言います。さらには、新しい情報に接したときに、すでに保持されている情報と同じであるかどうかを判断する“再認”の過程も含めています。
情報を取り込み、脳内に保持するまでの間は、“知識の獲得過程“、すなわち“学習する”ことであり、“キャンバスに絵を描く”過程に相当するとします。得られた情報は分析・整理されて脳内に保持(固定)されますが、ここでは描き込まれたキャンバスが分析・整理されて保存されるものと考えます。
ここで我々が日常おぼろげながら話題にしている “記憶”について、その種類を整理しておきます。我々が日常関心をもっているのは次に挙げる3種類の“記憶”でしょう。
普通に“記憶”と言ったとき、まず学校時代を通じて、覚えるよう努力を強いられた事柄の記憶が思い浮かびます。学校で学ぶような世界のどこででも通用する知識に関するものです。リンゴは赤いとか、あるいは英単語や歴史上の事件とその発生年代 等々、ある事象の意味に関わることです。このような事柄の記憶は“意味記憶”と分類されています。
二つ目は、個人の“思い出”に関わることで、各人が経験・体験を通して得た情報の記憶です。これは“エピソード記憶”と呼ばれています。これは一回の経験・体験でもしっかりと記憶に留められていて、いつ、いかなる状況でどのような経験・体験をしたか、かなり期間経過したのちでも、鮮明に思い出すことができるという特徴があります。
これらの意味記憶とエピソード記憶は合わせて“陳述記憶”と呼ばれることもあります。
見知らぬ土地、例えば海外の土地事情について、書物を熟読して得た知識は比較的に早く忘れるものですが、一度その土地を訪ねて体験するならば、そこで得た知識は長期間しっかりと記憶に留めることができます。前者は意味記憶であり、後者はエピソード記憶に相当するでしょう。記憶という面で見ても、「百聞は一見に如かず、一見は一試に如かず」ということです。
年輪を重ね、中年を過ぎた頃から、過去にかなり親しく交際していた人であれ、久しぶりに会ったとき、「顔は思い出しても、名前が出てこない」ということはよく経験することです。名前は“意味記憶”として、また顔の輪郭を含めたかつての面会体験は“エピソード記憶”として、別々の処理が行われ、保存されているということでしょうか。
今一つ、“意識に上らない記憶”で、“手順記憶”と分類されている記憶があります。もっとも身近な例では、自転車乗りの技術です。こどもの頃に覚えた自転車乗りの技術は、何十年経っても忘れることはなく、しっかりと乗りこなすことができます。諸種のスポーツ競技の熟練した技術は、この範疇に入ります。よく「からだで覚える」と言われますが、それがこの記憶に当たるでしょう。
ピアノの演奏技術もその例です。学習当初は、どの指で白鍵あるいは黒鍵を….と考えながら学習していきますが、習熟するうち、手指が無意識のうちに動くようになるようです。熟練者では自然に、神業と思えるスピードで手指や足が動き、快い曲を奏でます。
学習、記憶、さらに“再生/想起”が脳内でどのよう過程で進められているのか?非常に関心は高いのだが、その仕組みの理解は容易ではなく、やはりブラックボックスと言ってよい。記憶の種類や記憶が成立する過程での時間経過などにより、脳内の特定部位間で複雑なやり取りが行われているようです。
ブラックボックス内をちょっと覗いてみます。外から五感を通じて脳内にもたらされた情報は、その内容によりそれぞれ次のような特定の部位に伝えられて、処理されることになります。ただし、名称を挙げた部位のみに限られるのではなく、多くの部位の関与が研究されています。
陳述記憶に関して最も注目され、研究対象とされている部位は、海馬体と言われているところです。ここを中心にして大脳皮質連合野との間で情報のやり取りが活発に行われ、分析・整理が行われている。特にエピソード記憶の場合は、最終的に大脳皮質連合野に移されて、そこで半永久的に固定・保持されるもののようです。
一方、手順記憶では、情報のやり取りは主に大脳皮質運動野・大脳基底核・小脳の間で行われているとされています。中でも、小脳は、からだの平衡、姿勢と運動の制御に強い関わりを持つところです。
さて、認知能を考える上で、最も高い関心を持たれているのは“意味記憶”でしょう。覚えこんで記憶として保持する能力、さらには、記憶を再生/想起する能力が、年齢とともに低下していくからです。以後、主にこの意味記憶と運動の関わりを見ていきます。
従来は、運動は、主として体力を高めるという面から捉えられてきました。しかし近年、運動は、体力を高めるばかりでなく、意味記憶に関する記憶力にもよい影響を与えるということが喧伝されるようになりました。
前回、取り上げた米国シカゴの中・高校での試みは、青少年期での意味記憶に関わる記憶力を高めることを示唆した成績と言えます。最近の研究では、運動することにより高齢者において認知能が低下していくのが抑制され、または低下した認知能が改善されたとする成績も報告されています。
“運動”によって、脳機能と関わるどのような変化が体内で起こっているのか?またそのような体内の変化がどのように脳機能に関わっているのか? “運動”と“記憶力”とを結びつける様式を“キャンバス”に描けることができるならば と挑戦していくつもりです。
続いて、絵を描くための材料について触れていきます。
認知症認定患者の若い頃の運動従事率を数字で出す統計がとれれば、おもしろいかも。