この一句!
日夕歡相持
日が暮れたら(樽を横に置いて)楽しむことにしよう
陶淵明「飲酒二十首 其の一」の結句です。人生の在りようをいろいろと考えた末に、“今宵も一杯いくとしよう”と安寧の心持ちに浸っているところでしょう。
――――――――――――
宋代の蘇東坡については、これまでにも幾度か紹介してきました。高級官僚として政争の直中にあって、度重なる左遷または死刑の宣告を受けながら、生涯を全うした人です。その蘇東坡が、陶淵明を敬慕して止まず、陶淵明の詩に和す百首以上の詩「和陶詩」を作っているという。
蘇東坡の「和陶詩」の中から「飲酒二十首 其の一」を取り上げます。まず、基である陶淵明「飲酒二十首 其の一」を読み、次回に、蘇東坡の詩を読むことにします。
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飲酒二十首 其一 陶淵明
衰榮無定在, 衰榮(スイエイ)は 定在すること 無く,
彼此更共之。 彼(カ)れと此(コ)れと 更(コモゴ)も之(コレ)を 共にす。
邵生瓜田中, 邵生(ショウ セイ) 瓜田(カデン)の中(ウチ),
寧似東陵時。 寧(イヅク)んぞ 東陵(トウリョウ)の時に似んや。
寒暑有代謝, 寒暑に代謝 有り,
人道毎如茲。 人道も毎(ツネ)に茲(カ)くの如し。
達人解其會, 達人 其の會を解して,
逝將不復疑。 逝(ユクユク)將(マサ)に 復(マ)た疑はざらん。
忽與一樽酒, 忽(タチマ)ち 一樽(イッソン)の酒と 與(トモ)に,
日夕歡相持。 日夕 歡(ヨロコ)びて 相持(アイジ)せん 。
註]
邵生:秦代に始皇帝陵の管理人であった東陵侯、後の邵平のこと。秦滅亡後、庶民となり、長安東郊で瓜を作って細々と暮らしをたてた。その瓜が美味であったので東陵瓜と呼ばれて評判になった と。
會:理のあるところ、ことわり
日夕:夕方
<現代語訳>
人の栄枯盛衰は固定して存在してあるわけではなく、
両者は互いに交代していくものなのである。
秦代の邵平を見るがよい、畑の中で瓜作りに取り組んでいる姿は、
かつて東陵侯であったときのそれとは似ても似つかない。
自然界に寒さと暑さの交代があるように、
人の道も同じこと。
達人ともなればその道理をわきまえているから、
巡り来た機会に疑念を抱くようなことはあるまい。
思いがけなくありついたこの樽酒を相手に、
夕暮れには楽しく過ごして行くことにしよう。
xxxxxxxx
先に、陶淵明が急に官界=“俗界”を去り、田園での隠逸生活を送るに至ったことを紹介し、また「飲酒二十首」が作られた経緯について概略触れました(閑話休題65;2018. 02. 04投稿)。
陶淵明が故郷に帰り、本格的に田園生活に入った-帰田-のは、「帰去来兮辞」が作られた41歳のときである。「帰去来兮辞」では、家族に迎えられる状況から始まり、田園生活の様子が、60句からなる長編の詩として詠われています。
「飲酒二十首」は、“帰田”に至る以前に作られたもので、官界との関係は断ち難く、思い悩んでいるころの葛藤状態を表していると考えられています。すなわち、貧しい中にもお酒が楽しめる閑居の生活に入るべく、自らに決意を促している情況と考えてよいでしょう。
こう考えるならば、上記の「其の一」の内容も容易に理解できそうです。“かつての東陵侯が、畑に入り瓜を作っている姿を見たまえ!激変した環境で立派にやっているではないか!”と。
官界を離れて“帰田”して農耕生活に入るべきかどうか悩みつつ、東陵侯の転身に重ねて、“東陵侯を見たまえ”と自ら鼓舞しているように思えます。但し、東陵侯の転身は、秦の滅亡という外的激動に起因するものですが。
“帰田”した後にあっても、“官界への未練”は断ち切れず、それは陶淵明が詩文で語る大きなテーマの一つと考えられています。一方、“真の生きる喜び”を求め続けて、田園生活に拘っていく姿、それこそ陶淵明文学を紐解く大きなカギと考えて良さそうです。
官界vs田園の葛藤を覚えつつも、夕方ともなれば、鋤・鍬を肩に担いで家路につき、「帰ったら一杯行くとするか!」と、想いを巡らすとき、真に幸せを感ずるひと時ではないでしょうか。生活の潤滑油としてのお酒の最たる功能と言えるように思われます。
日夕歡相持
日が暮れたら(樽を横に置いて)楽しむことにしよう
陶淵明「飲酒二十首 其の一」の結句です。人生の在りようをいろいろと考えた末に、“今宵も一杯いくとしよう”と安寧の心持ちに浸っているところでしょう。
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宋代の蘇東坡については、これまでにも幾度か紹介してきました。高級官僚として政争の直中にあって、度重なる左遷または死刑の宣告を受けながら、生涯を全うした人です。その蘇東坡が、陶淵明を敬慕して止まず、陶淵明の詩に和す百首以上の詩「和陶詩」を作っているという。
蘇東坡の「和陶詩」の中から「飲酒二十首 其の一」を取り上げます。まず、基である陶淵明「飲酒二十首 其の一」を読み、次回に、蘇東坡の詩を読むことにします。
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飲酒二十首 其一 陶淵明
衰榮無定在, 衰榮(スイエイ)は 定在すること 無く,
彼此更共之。 彼(カ)れと此(コ)れと 更(コモゴ)も之(コレ)を 共にす。
邵生瓜田中, 邵生(ショウ セイ) 瓜田(カデン)の中(ウチ),
寧似東陵時。 寧(イヅク)んぞ 東陵(トウリョウ)の時に似んや。
寒暑有代謝, 寒暑に代謝 有り,
人道毎如茲。 人道も毎(ツネ)に茲(カ)くの如し。
達人解其會, 達人 其の會を解して,
逝將不復疑。 逝(ユクユク)將(マサ)に 復(マ)た疑はざらん。
忽與一樽酒, 忽(タチマ)ち 一樽(イッソン)の酒と 與(トモ)に,
日夕歡相持。 日夕 歡(ヨロコ)びて 相持(アイジ)せん 。
註]
邵生:秦代に始皇帝陵の管理人であった東陵侯、後の邵平のこと。秦滅亡後、庶民となり、長安東郊で瓜を作って細々と暮らしをたてた。その瓜が美味であったので東陵瓜と呼ばれて評判になった と。
會:理のあるところ、ことわり
日夕:夕方
<現代語訳>
人の栄枯盛衰は固定して存在してあるわけではなく、
両者は互いに交代していくものなのである。
秦代の邵平を見るがよい、畑の中で瓜作りに取り組んでいる姿は、
かつて東陵侯であったときのそれとは似ても似つかない。
自然界に寒さと暑さの交代があるように、
人の道も同じこと。
達人ともなればその道理をわきまえているから、
巡り来た機会に疑念を抱くようなことはあるまい。
思いがけなくありついたこの樽酒を相手に、
夕暮れには楽しく過ごして行くことにしよう。
xxxxxxxx
先に、陶淵明が急に官界=“俗界”を去り、田園での隠逸生活を送るに至ったことを紹介し、また「飲酒二十首」が作られた経緯について概略触れました(閑話休題65;2018. 02. 04投稿)。
陶淵明が故郷に帰り、本格的に田園生活に入った-帰田-のは、「帰去来兮辞」が作られた41歳のときである。「帰去来兮辞」では、家族に迎えられる状況から始まり、田園生活の様子が、60句からなる長編の詩として詠われています。
「飲酒二十首」は、“帰田”に至る以前に作られたもので、官界との関係は断ち難く、思い悩んでいるころの葛藤状態を表していると考えられています。すなわち、貧しい中にもお酒が楽しめる閑居の生活に入るべく、自らに決意を促している情況と考えてよいでしょう。
こう考えるならば、上記の「其の一」の内容も容易に理解できそうです。“かつての東陵侯が、畑に入り瓜を作っている姿を見たまえ!激変した環境で立派にやっているではないか!”と。
官界を離れて“帰田”して農耕生活に入るべきかどうか悩みつつ、東陵侯の転身に重ねて、“東陵侯を見たまえ”と自ら鼓舞しているように思えます。但し、東陵侯の転身は、秦の滅亡という外的激動に起因するものですが。
“帰田”した後にあっても、“官界への未練”は断ち切れず、それは陶淵明が詩文で語る大きなテーマの一つと考えられています。一方、“真の生きる喜び”を求め続けて、田園生活に拘っていく姿、それこそ陶淵明文学を紐解く大きなカギと考えて良さそうです。
官界vs田園の葛藤を覚えつつも、夕方ともなれば、鋤・鍬を肩に担いで家路につき、「帰ったら一杯行くとするか!」と、想いを巡らすとき、真に幸せを感ずるひと時ではないでしょうか。生活の潤滑油としてのお酒の最たる功能と言えるように思われます。
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