恋6 (定家 恋・464) (『新勅撰集』恋四・904)
[詞書] 久しき恋の心を
我が恋は逢はでふる野の小笹原幾よまでとか霜の置くらむ
(大意) 我が恋は、あたかも布留野のささ原に幾節も枯れ残さぬほどに霜が置くようなものだ。すなわち、恋人に逢わずに幾夜も幾夜も過ごして頭髪には霜をおくことであろう。
<漢詩>
陷入情網 情網に陷入(オチイル) [上平声二冬-一東韻]
我恋有如相不逢,我が恋は 有如(アタカモ) 相逢うこともなく,
布留霜篠残節窮。布留野(フルノ)で霜に篠の残節窮まるが如きか。
要求幾世等下去,幾世等(マ)ち続けることを要求(モトメ)るか,
到白髮而遊晚風。白髮となり、而して晚風に遊ぶに到るまでか。
<簡体字表記>
陷入情网
我恋有如相不逢,布留霜筱残节穷。
要求几世等下去,到白发而游晚風。
<現代語訳>
<恋焦がれる想い> 我が恋は、恰も相い逢うこと叶わず、布留野で降りた霜に篠の幾節もが枯れて消えていくようなものだ。一体 幾世待ち続けなければならないというのか、白髪となり歳月を重ね、よろめくようになるまでか。
恋7 (定家 恋・465)
[詞書] 故郷の恋
草深みさしも荒れたる宿なるを露を形見に尋ね来しかな
(大意) 雑草が生い茂り、荒れた宿ではあるが、草の上に降りた露を想い出の縁として 尋ねてきたよ。
<漢詩>
故園情 故園の情 [上平声十三元]
蕭條蔓草園, 蕭條(ショウジョウ)たり 蔓草(マンソウ)の園,
寂寂有幽軒。 寂寂(セキセキ)として 幽軒(ヨウケン)有り。
草露為憑借, 草露(ソウロ)を憑借(ヒョウシャク)と為(ナ)し,
又尋情自存。 又 尋(タズ)ぬ 情(オモイ)自(オノ)ずから存す。
<簡体字表記>
故园情
萧条蔓草园, 寂寂有幽轩。
草露为凭借, 又寻情自存。
<現代語訳>
<故郷への想い> 雑草の生い茂った荒れた庭、もの寂しく、人気のない部屋。草に降りた露を思い出の“よすが”として、想いを胸に、又心の故郷に尋ねてきたよ。
恋8 (定家 恋・489)
[詞書] 雪中待人
けふもまたひとりながめて暮れにけりたのめぬ宿の庭の白雪
(大意) 来ると言う約束をしている人はいないが、万一にも誰かきてくれないかと心待ちして庭の白雪をながめて一日を暮らしている。
<漢詩>
雪中待人 雪中 人を待つ [上平声十灰韻]
吾宿平生無人訪,吾宿には平生(ヘイゼイ) 訪ねてくる人はいない、
心中盼望孰能来。心中 孰か来てくれるのを盼望しおるに。
抱膝眺望庭中雪, 膝を抱いて 庭中の雪を眺望するうちに,
今一天亦暮鍾催。 今(キョウ)一天 亦(マ)た暮の鍾が催(ヒビイテ)きた。
<簡体字表記>
雪中待人
吾宿平生无人访, 心中盼望孰能来。
抱膝眺望庭中雪, 今一天亦暮锺催。
<現代語訳>
<雪を眺めつつ人を待つ> 兼ねて我が住まいに人が訪れることはなく、万一にも誰か訪ねて来るのではないかと心待ちにしているのだが。独り静かに庭の白雪を眺めているうちに、暮れの鐘の音が響き、今日も又一日が暮れていくよ。
恋9 (定家 恋・499)
[詞書] 恋の歌
涙こそ行方も知らぬ三輪の崎佐野の渡りの雨の夕暮れ
(大意) わが恋の将来もどうなることやら 行方知らぬは 佐野の渡の雨の夕暮れと同じである。
<漢詩>
恋情難忍 恋情 忍び難し [去声七遇韻]
三輪崎即佐野渡, 三輪(ミワ)の崎 即(スナワチ) 佐野の渡り,
踮而瞻望雨夕暮。 踮(ツマサキダチ) 而して瞻望(センボウ)す 雨の夕暮。
纏綿懷抱弥難忍, 纏綿(テンメン)たり懷抱弥(イヨ)いよ忍び難く,
淚溢不知其所赴。 淚 溢(アフ)れて 其の赴(オモム)く所を知らず。
<簡体字表記>
恋情难忍
三轮崎即佐野渡,踮而瞻望雨夕暮。
缠绵怀抱弥难忍,泪溢不知其所赴。
<現代語訳>
<忍び難い恋心> 三輪の崎の 佐野の渡りにあって、雨の中 爪先立って遥か遠くを見遣っている 夕暮れ時である。胸の想いがますます募って、堪えがたい想いに駆られて、涙が溢れて来るが、この涙は 何処に行くのか 行方を知らない。
恋10 (定家 恋・500) (『新勅撰集』 巻第十三)
[詞書] 久しき恋の心を
しらま弓磯辺のやまの松の葉に常盤にものを思うころかな
(大意) 磯辺山に生える松の葉の如くに 長しえに物思いに耽っている。
<漢詩>
沈湎 沈湎 [上平声十五刪‐上平声十三元通韻]
檀弓海辺山, 檀弓(シラマユミ) 海辺の山,
万古綠松繁。 万古(バンコ)に綠の松 繁(シゲ)る。
憂慮纏綿繞, 憂慮(ユウリョ) 纏綿(テンメン)として繞(メグ)り,
沈沈自無言。 沈沈(チンチン)として 自ずから言(ゲン)無し。
<簡体字表記>
沉湎
檀弓海边山,万古绿松繁。
忧虑缠绵绕,沉沉自无言。
<現代語訳>
<物思いに耽る> 磯の辺にある山には、長しえに緑を保つ松の木が生い茂っている。この松葉の如くに、思い煩うことが心に纏わりつき、静かに無言のまゝ 何時までも物思いに耽っている。
《旅の部》
旅1 (定家 旅・514) (『玉葉集』 旅・1192)
[詞書] 旅の心
旅衣 袂(タモト)かたしき今宵もや草の枕にわれひとり寝む
(大意) 旅にあって、今宵もまた 片方の袂を敷いて 草を枕に独りで寝るのだ。
<漢詩>
枕草旅寢 枕草(クサマクラ)の旅寢(タビネ)
[上平声十一真‐下平声一先通韻]
超遙遊子頻,超遙(チョウヨウ)たること 遊子(ユウシ)頻(シキリ)にして,
今夜亦露天。今夜も亦た露天に寝(ヤス)む。
在下舖只袖,在下(シタ)に只袖(カタソデ)を舖(シ)き,
枕草而独眠。草を枕にして独(ヒトリ)で眠(ヤス)む。
<簡体字表記>
旅枕草寝
超遥游子频, 今夜亦露天。
在下铺只袖, 枕草而独眠。
<現代語訳>
<旅での野宿> 遠く旅に出ること度々あり、今夜も亦 野外で寝(ヤス)むことになった。下に袂の片方を敷いて、草を枕に 独りで寝(ヤス)む。
旅2 (定家 旅・519)
[詞書] 羇中鹿
秋もはやすえのはらのに鳴く鹿の声聞く時ぞ旅は悲しき
(大意) 秋も はや末となり末野の原で鹿の鳴き声を聞いて、その時こそ旅の悲しさを覚えるのであった。
<漢詩>
羇中聞鹿叫 羇中 鹿の叫(ナ)くを聞く [上平声四支韻]
則已季秋期, 則(スナワ)ち已に季秋の期,
芒芒末野涯。 芒芒(ボウボウ)たり末野の涯(ホトリ)。
呦呦聞鹿叫, 呦呦(ヨウヨウ)として鹿の叫(ナ)くを聞く,
此刻覚羈悲。 此刻こそ 羈(タビ)の悲しみを覚ゆ。
<簡体字表記>
羇中闻鹿叫
则已季秋期,芒芒末野涯。
呦呦闻鹿叫,此刻觉羁悲。
<現代語訳>
<旅にあって鹿の鳴き声を聞く> もはや秋も末の季節となった、広々とした末野の原のほとり。遠くに鹿の鳴き声を聞く、この時こそ 旅にあって秋の悲しみを覚えるのである。
旅3 (定家 旅・520)
[詞書] 羇中鹿
ひとりふす草の枕の夜の露はともなき鹿の泪(ナミダ)なりけり
(大意) 旅に出て草を枕に独りで寝(ヤス)んでいると、枕の草に夜露が降りてきた。これは友のいない鹿の涙なのだ。
<漢詩>
鹿淚 鹿の涙 [下平声十一尤韻]
客人在遠遊, 客人(キャクジン) 遠遊(エンユウ)に在り,
草枕而独休。 草を枕にして 独(ヒト)り休む。
身辺夜露宿, 身辺 夜露(ヤロ)宿(ヤド)るは,
是淚孤鹿流。 是(コ)れ孤鹿(コロク)の流す淚ならん。
<簡体字表記>
鹿泪
客人在远游, 草枕而独休。
身边夜露宿, 是泪孤鹿流。
<現代語訳>
<鹿の涙> 私は遠く旅に遊んでおり、草を枕に独り横になっている。身の回りには夜露が降りているが、これは孤独な鹿が流した涙に違いない。
旅4 (定家 旅・525) (『続古今集』巻十羇旅・892)
[詞書] 旅の心を
旅ねする伊勢の濱荻露ながら結ぶ枕にやどる月影
(大意) 旅寝をして 伊勢の浜荻を露がおいたまゝ結んで草枕とする その枕の露に 月が映っているよ。
<漢詩>
露宿 露の宿 [下平声二蕭韻]
旅夜伊勢地, 旅夜 伊勢の地,
傲露荻慢搖。 露に傲(オゴ)る荻 慢(ユルヤカ)に搖(ユ)れてあり。
結茲為旅枕、 茲(コレ)を結んで 旅寝の枕と為(ナ)すに,
枕上月光瑤。 枕上(チンジョウ)の月光 瑤(ヨウ)たり。
<簡体字表記>
露宿
旅夜伊势地, 傲露荻慢摇。
结兹为旅枕, 枕上月光瑶。
<現代語訳>
<旅の野宿> 旅の夜を伊勢の地で迎える、露を宿した浜荻 そよ風に緩やかに揺れている。その荻を結んで枕にして休むに、枕の露に映った月光は美玉となる。
旅5 (定家 旅・528)
[詞書] 屏風の絵に山家に松かけるところに旅人のあまたあるをよめる
まれにきて稀に宿かる人もあらじあはれと思え庭の松風
(大意) まれに訪ねて来ても、宿借る人は稀にもいないのだ、松風よ、このような粗末な家を哀れんでください。
<漢詩>
看屏風画 屏風画を看て [入声一屋韻]
有人稀来訪, 稀に来訪する人有るも、
無人稀住宿。 稀にも住宿(ヤドカ)る人は無し。
庭中松風也, 庭中の松風 也(ヨ)、
憐憫斯陋屋。 斯(カ)かる陋屋(ロウオク)を憐憫(アワレン)でくれ。
<簡体字表記>
看屏風画
有人稀来访,无人稀住宿。
庭中松风也。怜悯斯陋屋,
<現代語訳>
<屏風絵をみて> 稀に訪ねて来る人はいるが、稀にも宿借る人はいない。庭の松風よ、このような粗末な家を憐れんでくれ。
[注記] 屏風絵をみて詠った歌である。
《雑の部》
雑1 (定家 雑・536)
[詞書] 海辺立春
塩がまのうらの松風霞むなり八十島かけて春や立つらむ
(大意) 塩釜の浦の、松の木の間を暖かな風が吹き抜けていく。海に浮かぶ島々は春の春霞にすっかりつつまれて、春が訪れたのだよ。
<漢詩>
海辺立春 海辺の立春 [上平声一東韻]
蕩蕩塩釜浦, 蕩蕩(トウトウ)たり塩釜(シオガマ)の浦,
溜溜過松風。 溜溜(リュウリュウ)として松風 過(ワタ)る。
朧朧霞靉靆, 朧朧(ロウロウ)として霞(カスミ)靉靆(アイタイ)たりて,
島島春氣中。 島島(シマシマ) 春氣(シュンキ)の中(ウチ)。
<簡体字表記>
海辺立春
荡荡盐釜浦, 溜溜过松风。
胧胧霞叆叇, 岛岛春气中。
<現代語訳>
<海辺の立春> ひろびろと広がる塩釜の浦、サアサアと松風が吹きすぎていく。おぼろげな春霞が立ち込めて、海に浮かぶ島々はすっかり春の気に覆われてきた。
[注記] 古代、東国経営の府として多賀城が置かれ、都から海路で多賀城に至るのに塩釜の浦はその入り口であったという。塩釜の浦は、点在する島々が絶景をなし、古の時代にあっても多くの歌が詠まれ、いわゆる、歌枕として定着していった。
雑2 (定家 雑・538) (『新勅撰集』巻十九・雑四・1306)
[歌題] 残雪
春きては花とかみらむおのずから朽木(クツキ)の杣(ソマ)にふれる白雪
木には白雪が残り、自然に花と見間違うことだ。
<漢詩>
残雪 残雪 [下平声六麻韻]
宛転冬春謝、 宛転(エンテン)として冬春に謝(シャ)し、
淒淒朽木霞。 淒淒(セイセイ)たりて朽木(クツキ)霞む。
雪斑留腐木, 雪の斑(ハン) 腐木(クチキ)に留まり,
看錯自此花。 自(オノ)ずから此を花と看錯(ミアヤマ)らん。
<簡体字表記>
残雪
宛転冬春謝、 凄凄朽木霞。
雪斑留腐木, 看错自此花。
<現代語訳>
<残雪> 何時しか 時は冬から春へと移り替わり、うすら寒さを覚える中、朽木の山には春霞が掛かる。朽ちた樹々には斑状に白雪が残り、自ずと残雪を花と見間違えることだ。
雑3 (定家 雑・560) (『新勅撰集』雑一・1076)
[詞書] 荒れたる宿の月という心を
浅茅原主なき宿の庭の面にあはれいくよの月かすみけむ
(大意) 荒れ果てた主のいない家の庭には、ああ、月は、どれだけ長い間照り続けていたのであろうか。
<漢詩>
月光在荒涼庭園 荒涼たる庭園の月光 [上平声十三元韻]
已無家人浅茅原,已(スデ)に家人無く 浅茅原(アサジガハラ),
庭面皎澄清月存。庭面に皎(アカル)く照り澄みわたる清月存(ア)り。
豈不悲涼風嫋嫋,豈に悲涼(アハレ)ならざらんか 風 嫋嫋たり,
月光幾世空照園。月光 幾世 空く園を照らしきたるならん。
<簡体字表記>
月光在荒凉家园
已无家人浅茅原, 庭面皎澄清月存。
岂不悲凉风嫋嫋, 月光几世空照园。
<現代語訳>
<荒涼たる宿の月> 住人がすでに居なくなって、荒れ果てた庭園、清らかな月光により皓皓と、澄み切った明かりで照らされている。嫋嫋と微風が吹きわたり、何ともあはれさを感じずにはおかない、この月光は、幾世に亘って、空しく庭園を照らし続けてきたのであろうか。
雑4 (定家 雑・561) (『新勅撰集』巻十六・雑一・1077)
(詞書なし)
思い出(イデ)て昔を忍ぶ袖の上にありしにもあらぬ月ぞやどれる
(大意) 思い出にひたり 昔を偲んでいるが、袖に置かれた露には昔の月影とは似つかぬ影が映っている。
<漢詩>
被辜負想 被辜負(ウラギラレ)た想い [入声四質韻]
默默以回憶, 默默(モクモク)として以(モッ)て回憶(カイオク)し,
綿綿懷昔日。 綿綿(メンメン)として 昔日を懷(シノ)ぶ。
月影宿余袖, 月影 余が袖に宿(ヤド)すも,
何図見殊実。 何ぞ図(ハカ)らん 実(ジツ)と殊(コト)なるを見る。
<簡体字表記>
被辜负想
默默以回忆, 绵绵怀昔日。
月影宿余袖, 何図见殊实。
<現代語訳>
<裏切られた想い> 黙黙として思い出に耽っており、絶えず過ぎ越し日々を偲んでいる。袖の露に映る月影に目を遣って見ると、何と曽て見た月影とは似つかわぬものであった。
雑5 (定家 雑・570)
[詞書] 水鳥
水鳥の鴨のうきねのうきながら玉藻の床に幾夜へぬらむ
(大意) 水鳥である鴨は 浮き寝をして 浮いたまま藻の床で幾夜を過ごしたことであろう。
<漢詩>
浮中想 浮中の想い [下平声八庚‐九青韻]
水禽野鴨做群生,水禽(ミズトリ)の野鴨(ノガモ) 群生を做(ナ)す,
湖面搖搖浮睡寧。湖面 搖搖(ヨウヨウ)として浮睡(ウキネ)寧(ヤス)らかに。
玉藻田田為床鋪,玉藻 田田(デンデン)たり床鋪(ネドコ)と為(ナ)し,
不知浮寢幾夜経。浮寢(ウキネ) 幾夜を経(ヘ)たるか知らず。
<簡体字表記>
浮中想忧愁
水禽野鸭做群生,湖面摇摇浮睡宁。
玉藻田田为床铺,不知浮寝几夜经。
<現代語訳>
<浮きながら憂き世を想う> 水鳥の鴨は群れをなしており、湖面にゆらゆら揺れながらの浮き寝は心安らか。敷き詰めた玉藻を寝床として、浮き寝を幾夜過ごしたことであろうか。
[注記] 浮寝鳥(ウキネドリ)の鴨が湖で水に浮いた状態で休んでいるさまを詠う。 “浮き寝”は“憂き寝”を想像させる、孤独感を訴える用語である。
雑6 (定家 雑・575)
[詞書] 深山に炭焼くを見てよめる
炭をやく人の心もあはれなりさてもこの世を過ぐるならいは
(大意) 炭焼き人の心にも感深い思いがする、それにしてもこの世を過ごしてゆく生活の道というものは。
<漢詩>
焼炭人 炭を焼く人 [上平声十一真 - 下平声一先通韻]
深山焼炭人, 深山の炭を焼(ヤ)く人,
心裏一可憐。 心の裏(ウチ)は 一(イツ)に可憐(アハレ)なり。
却是世常理, 却(カエ)って是(コ)れ世の常理(ジョウリ)ならん,
非無活計先。 活計(カツケイ) 先(セン) 無きに非ず。
<簡体字表記>
焼炭人
深山烧炭人, 心里一可怜。
却是世常理, 非无活计先。
<現代語訳>
<炭を焼く人> 山に入って薪を伐り、炭を焼く人、その心情は非常に哀れである。しかしこれは世の常の道理であり、生活の糧を優先しているためなのである。
[注記] 唐詩人・白楽天の長編詩「炭を売る翁」(参考4)に通ずる歌である。ともに詠まれている対象は 庶民の姿である。
雑7 (定家 雑・581)
[詞書] 老人 歳の暮を憐れむ
白髪といひ老いぬるけにや事しあれば年の早くも思ほゆるかな
(大意) 白髪になったことといい、年老いたせいでもあろうか 何か事あるにつけて 年の早くたつのを覚えることだ。
<漢詩>
老書懐 老いて懐(オモイ)を書す [下平声一先韻]
星星斑白巔, 星星(セイセイ)として斑白(ハンパク)の巔(イタダキ),
烏兔别急遷。 烏兔(ウト)は 别(ベッ)して急ぎ遷(ウツ)る。
自豈不懷老, 自(オノ)ずから 豈(アニ)老を懷(オモ)わざらんか,
事事亶此然。 事事(コトゴト)に 亶(マコト)に此れ然(シカ)ならん。
<簡体字表記>
老书怀
星星斑白巅,乌兔别急迁。
自岂不怀老,事事亶此然。
<現代語訳>
<老いて懐を書す> 頭部に白髪も増えて来て、時の移り変わることが殊の外早く感じられる。年老いた故であろうと思うが、何事につけても 事あるごとに 同じ思いに駆られるのである。
[注記] 時の経つのが早く感じられるのは、老の人として実感する想いであろう。
雑8 (定家 雑・583)
(詞書) 老人憐歳暮
足引きの山より奥に宿もがな年退(ノ)くまじき隠家(カクレガ)にせむ
(大意) 山の奥に宿があるとよいなあ。そこでは年が過ぎ去って行くことがなさそうだから、隠れ住みたいものである。
<漢詩>
歲暮懷 歲の暮に懷(オモ)う [下平声九青韻]
足曳深山裏, 足曳(アシビキ)の深山の裏(ウチ),
子欲隠野亭。 子(シ)は 野亭(ヤテイ)に隠(カクレ)住まんと欲す。
寧為心好独, 寧くんぞ 心 独(ヒトリ)なることを好む為ならんか,
直据想年停。 直(タ)だに年の停(トドマ)るを想うに据(ヨ)る。
<簡体字表記>
岁暮怀
足曳深山裏, 子欲隐野亭。
宁为心好独, 直据想年停。
<現代語訳>
<歳の暮に思う> 深山の奥で、私は、棲家があったなら 隠れ住みたい思う。独りになりたいということではない、そこでは 年の去りゆくことがなく、止まっていると想えるからなのだ。
[注記] 時の流れが止まる世界、恐らくは“不老不死・永遠の生命”が叶えられる世界が山の奥にあるのでは と。
雑9 (定家 雑・586) (『玉葉集』巻十六・雑三・2191)
[詞書] 三崎という所へまかれりし道に、磯べの松年ふりにけるを見てよめる
磯の松幾久さにかなりぬらむいたく木高き風の音哉
(大意) 三崎の磯の老松は、如何ほど時を経たであろうか、随分と高く聳え、また松籟の音も高いことだ。
<漢詩>
磯辺聞松籟 磯辺に松籟を聞く [下平声七陽韻]
三崎磯老松、 三崎は磯の老松、
経歴幾星霜。 幾星霜 経歴(ケイレキ)せしか。
聳立一峨峨, 聳(ソビ)え立つこと 一(イツ)に峨峨(ガガ)たり,
松籟也高翔。 松籟(ショウライ) 也(トモ)に 高く翔(カ)ける。
<簡体字表記>
磯边闻松籁
三崎磯老松、 経历幾星霜。
耸立一峨峨, 松籁也高翔。
<現代語訳>
<磯辺で松籟を聞く> 三崎の磯辺の老松は、幾歳月 経たであろうか。高々と聳え立っており、松籟もまた音高く、天空高く渡っていくことだ。
[注記] 三浦の御所とは、頼朝が建てた3ケ所の別荘の一つで、今日、お寺として残っているようである。
雑10 (定家 雑・604) (『新勅撰集』羇旅・525)
[詞書] 舟
世の中は常にもがもな渚(ナギサ)漕ぐ海女の小船(オブネ)の綱手かなしも
<大意> 世の中の様子が、こんな風にいつまでも変わらずあってほしいものだ。波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟が、舳先(ヘサキ)にくくった綱で陸から引かれている、ごく普通の情景が切なくいとしい。
<漢詩>
希求常世間安寧 世間の常なる安寧を希求す [上平声四支・十灰韻]
世間恒久願弥滋,世間の恒久ならん願い弥(イヨ)いよ滋(シゲ)し,
瞻望大洋海灘隅。瞻望(センボウ)す 大洋 海灘(カイタン)の隅(クマ)。
把小漁船用縄曳,漁船を把(トッ)て縄を用(モッ)て曳く,
一何寧静動心哉。 一(イツ)に何ぞ寧静(ネイセイ) 心を動かす哉(カナ)。
<簡体字表記>
希求常世间安宁
世间恒久愿弥滋, 瞻望大洋海滩隅。
把小渔船用绳曳, 一何宁静动心哉。
<現代語訳>
<世の中がいつまでも穏やかである事を願う> この世の中が今のまゝ、永遠に平穏であるようにとの願いが一層強くなる、大海原を遥かに眺め見る渚の隈。漁師の小舟を綱で引いていくのが見えて、何と平穏無事な情景であろうか、心動かされずにはおかない。
[注記]『百人一首』に撰された歌である(参考3)。
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