愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題424 実朝 金塊集-5

2024-09-01 13:47:49 | 漢詩を読む

雑11 (定家 雑・607) 

 (詞書) 慈悲の心を

物いわぬ四方(ヨモ)の獣(ケダモノ)すらだにもあわれなるかなや親の子を思ふ 

 (大意) 話せない、何処にでもいる、どんな獣でさえ、親は子を大切に思っているのだ。何とも胸に響くことだな。 

<漢詩> 

母慈子心      子を慈む母心    [上声六語韻]     

四方獣類呀, 四方(ヨモ)の獣類(ジュウルイ)呀(ヤ),

根本無話語。 根本 話語(ワゴ)無し。

甚至它類也,甚至(ハナハダシキハ) 它(カ)の類(タグイ)也(サエ),

一何深情緒。一(イツ)に何ぞ深き情緒(ジョウショ)ならん。

君不見母慈子,君見ずや 母(オヤ)の子を慈しむを,

令人促省処。人を令(シ)て省(セイ)を促す処(トコロ)にやあらん。

<簡体字表記> 

 母慈子心    

四方兽类呀, 根本无话语。 

甚至它类也, 一何深情绪。 

君不见母慈子,令人促省处。

現代語訳> 

 <子を思う親心> 身の廻りのどこにでもいる獣を見てみよ、元々話すことなどできぬのだ。その獣類でさえ何と深くしみじみと心に響くことをしていることか。君も見たことがあろう 親獣が子獣を慈しんでいる情景を、人をして自省させずにはおかない。

[注記] 獣を主題とする珍しい歌。杜甫・「貧交行」(参考4)の表現を借りて字余りの句となし、強く訴えるよう試みた。6句の変則詩である。

 

雑12 (定家 雑・608) 

 [詞書] 道のほとりに幼きわらはの母を尋ねていたく泣くを、その辺りの人に尋ねしかば、父母なむ身まかりしにと答え侍りしを聞きて 

いとほしや見るに涙もとどまらず親もなき子の 母をたづぬる 

 (大意) かわいそうでたまらない、見ていると涙が止まることなく溢れてしまう。父母の亡くなった幼い子が母の行方を求めているのだ。

<漢詩>  

 失去双親幼童  双親を失くした幼童     [下平声一先韻] 

路上幼童何可憐,路上の幼童(ヨウドウ) 何と可憐(アワレ)なることか,

不堪看自泣漣漣。看るに堪えず 自ずから泣 漣漣(レンレン)たり。

惟聴父母已亡故,惟だ聴くは 父母 已に亡故(ボウコ)すと,

覓尋母親啼泫然。母親を覓尋(サガシモト)めて 啼くこと泫然たり。

<簡体字表記> 

  失去双亲幼童 

路上幼童何可怜, 不堪看自泣涟涟。

惟听父母已亡故, 觅寻母亲啼泫然。

<現代語訳> 

 <両親を亡くしたわらべ> 路上のわらべ なんと可哀そうなことだ、見るに堪えず 自然と涙が溢れ出て来る。聞くと 両親とも亡くなったとのこと、母親を求めて涙を流して泣いているのだ。

雑13 (定家 雑・614)  

 [詞書] 大乗作中道観歌  

世の中は鑑にうつる影にあれやあるにもあらずなきにもあらず 

 (大意) 世の中は 鏡に映る、実体の無い像のようなものなのであろうか、“有る”のでもなく、かと言って、“無い”のでもない。 

<漢詩>  

 中道観歌    中道観(ガン)の歌     [上平声七虞韻] 

仏説中道途、 仏 中道観の途を説く、

中與仮空殊。 中道観は仮(ケ)観や空観とは殊(コト)なる と。

世是鏡中影、 世は是(コ)れ鏡中の影ならんか、

非有亦非無。 有(アル)にも非(アラ゙)ず 亦(マタ) 無(ナキ)にも非ず。

<簡体字表記> 

 中道观歌  

仏説中道途、中与仮空殊。

世是镜中影、非有亦非無。

現代語訳>

 <中道観の歌> 仏教では、普遍で中正の道、中道観を説く、中道観とは、仮の姿、又すべて存在しない空と異なり 三観の一つ。この世の中は、鏡に映った像であると言えようか、実態があるわけでもなく、かと言って無いわけでもない。

[注記] 「大乗仏教の教えに“三観”あり、“有”にも偏せず、“空”にも偏せぬ中道を観ずるのを“中道観”(一方に偏らない考え方)という。本歌は “中道観”を説いたのである」(参考7)と。

 

 

雑14 (定家 雑・615)  

 [詞書] 罪業を思う歌 

ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄行くへもなしといふもはかなし

 (大意) 炎だけが空一杯に満ちている阿鼻地獄 どうあがいてもその中にしか行きどころがないというのは なんともはかないことだ。

<漢詩> 

   思罪孽   罪孽(ザイゴウ)を思う    [下平声一先韻] 

阿鼻地獄呀, 阿鼻(アビ)地獄 呀(ヤ),

火焰滿天辺。 火焰(カエン) 天辺に滿つ。

除此無所去, 此(ココ)の除(ホカ) 去(ユ)く所無し,

余人何可憐。 餘(ワレ)人は 何と可憐(カレン)なるか。

<簡体字表記> 

   思罪孽   

阿鼻地狱呀, 火焰满天边。

除此无所去, 余人何可怜。

現代語訳> 

 <罪業を思う> 無限地獄とや、炎が虚空に満ちているところ。此処以外に行く所がないという、私はなんと憐れむべき人間か。 

 

 

 

 

雑15 (定家 雑・616) 

 [詞書] 懺悔歌 

塔を組み堂をつくるも人なげき懺悔にまさる功徳やはある 

 (大意) 立派な塔を組み 絢爛たる社を築くのは、人の難儀の元となる、懺悔にまさる功徳があろうか。

<漢詩> 

 懺悔歌  懺悔(ザンゲ)の歌     [下平声七陽韻] 

建嶄嶄塔, 嶄嶄(ザンザン)たる塔を建て, 

築煌煌堂。 煌煌(コウコウ)たる堂を築く。 

此自因麻煩, 此れ自ずから麻煩(メイワク)の因(ヨシ), 

誰知要承当。 誰か知らん 承当(ショウタン)を要するを。 

応知宿心為功德,応(マサ)に知るべし 功德を為(ナ)さんとの宿心,

不比懺悔任何綱。懺悔に比するものなし任何なる綱(オキテ)にせよ。

<簡体字表記> 

 忏悔歌     

建崭崭塔,    筑煌煌堂。      

此自因麻烦,    孰能终承当。

应知宿心行功德,不比忏悔任何綱。

現代語訳> 

 <懺悔の歌> 立派な高塔を建て、 煌びやかな堂を築く。これは 迷惑なことであり、誰かが難儀を背負うことになることを誰が知ろうか。初心の功徳を施そうと思うも、如何なる法も 懺悔に勝るものがあろうか。

[注記] 外形・見栄えよりは、心が大切です と。五言または七言の絶句の形には整えることができず、 古詩とした。

 

 

雑16 (定家 雑・618) 

   [詞書] 心の心をよめる 

神といひ仏といふも世の中の人のこころのほかのものかは  

 (大意) 神仏というものも みな人の心から生まれるものである。

<漢詩

 心霊    心霊     [上声十九皓韻] 

弥想且煩惱, 弥(イヨ)いよ想(オモ)い且(カ)つ煩惱(ナヤ)み,

載神載仏道。 載(スナワ)ち神(カミ) 載ち仏(ホトケ)と人は道(イ)う。

共於人心起, 共に人の心於(ヨ)り起るもの,

真以無所考。 真(マコト)に以(モッ)て 考える所なし。

<簡体字およびピンイン> 

   心灵       

弥想且烦恼, 载神载佛道。

共于人心起, 真以无所考。

現代語訳> 

 <人の心> 世の中 思い悩むことが尽きない、やれ神だ やれ仏だ と人は縋(スガ)りつく。神仏ともに 人の心の働きから生まれるもの、それに尽きる、何も 考えることはないのだ。

[注記] “神・仏に頼ろうとするが、結局は人の心だよ”と。

 

 

雑17 (定家 雑・619) 

   [詞書] 建暦元年七月洪水天を漫(ヒタ)す 土民愁い嘆きせむ事を思ひて一人本尊に向かい奉(タテマツ)りて 聊(イササ)か念を致すと云う

時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王 雨やめたまへ 

 (大意) 恵の雨も降り過ぎれば却って人々の嘆きです 八大龍王よ 雨を降り止めさせよ 

<漢詩

  次韻蘇軾《雨中游天竺霊感観音院》実朝将軍惦念民        

   蘇軾《雨中游天竺霊感観音院》に次韻 実朝将軍民を気遣う 

[下平声七陽韻]

離離稲穂欲金黄、離離(リリ)たり 稲穂 金黄ならんと欲す、

過却害民雨浪浪。過ぎれば却って 民に害(ワザワイ) 雨 浪浪(ロウロウ)。

八大龍王先止降,八大龍王よ 先ず降るを止めよ, 

将軍実朝在礼堂。将軍実朝 礼堂に在り。

<簡体字表記> 

    次韵苏轼《雨中游天竺灵感观音院》 実朝將軍惦念民         

离离稻穗欲金黄、 过却灾民雨浪浪。 

八大龙王先止降、 将军実朝在礼堂。 

現代語訳> 

 <実朝将軍 民を気遣う> 垂れさがるほど実った稲穂は 黄金色に変わろうとしているが、こんなに降雨が続くと、却って民にとって害となる。八大龍王よ 先ず降雨を止めよ と、将軍実朝は、鶴岡八幡宮の仏前で合掌 居住まいを正している。

[注記] 宋代の蘇軾の詩 (参考5)に韻を借りた。漢詩では、蘇軾の元詩に合わせて、実朝が仏前で祈っている情景として描きました。

 

雑18 (定家 雑・621) 

    [歌題] 黒 

うば玉のやみの暗きにあま雲の八重雲がくれ雁ぞ鳴くなり 

 (大意) ぬば玉のような暗闇の中 大空の打ち重なる雲の中に雲隠れして雁が鳴いている。

<漢詩> 

黯黑中雁        黯黑中の雁      [上平声八斉‐上平声四支通韻]

万境漆黑粛粛淒,万境漆黑粛粛(シュクシュク)として淒(セイ)たり,

重雲黮黮夜空垂。重雲(チョウウン)黮黮(タンタン)として 夜空に垂る。 

雲中影雁鳴嫋嫋,雲中 影(カクレ)し雁 鳴くこと嫋嫋たり,

啼断有如多所思。啼断(テイダン)す 思う所多く有るが如(ゴトク)に。

<簡体字表記> 

 黯黑中雁       

万境漆黑肃肃凄, 重云黮黮夜空垂。

云中影雁鸣嫋嫋, 啼断有如多所思。

現代語訳>

 <暗闇の雁> 辺りは真っ暗な夜の闇、ひっそりと物音ひとつない、幾重にも重なりあった真っ黒な八重雲が夜空に垂れこめている。雁が 雲に隠れて姿はみえず かよわく鳴いている、何か思いが多々ありそうに 鳴くことしきりである。

 

雑19 (定家 雑・633)  

 詞書] 山の端に日の入るを見てよみ侍りける 

紅の千入(チシホ)のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける 

(大意) 紅に繰り返し染めて深染めされた色、それは日が山の端に沈んだときに見られる夕焼けの空の色であるのだなあ。

<漢詩> 

  美麗紅染衣 美麗な紅染の衣    [下平声六麻韻] 

屢次染紅紗, 屢次(ルジ) 染められし紅(クレナイ)の紗(ウスギヌ),

娟娟彩自誇。 娟娟(ケンケン)として 彩(イロドリ)自(オノズカラ)誇る。

弈弈何所似, 弈弈(エキエキ)たる 何に似たる所ぞ,

正是映晚霞。 正(マサ)に是(コ)れ 夕陽に映える晚霞(バンカ)の色。

<簡体字表記> 

 美丽红染衣   

屡次染红纱, 娟娟彩自誇。

弈弈何所似, 正是映晚霞。

現代語訳>

 <美しい紅染めの衣> 幾度も繰り返し深染めされ、紅に染まる薄絹の色、清らかで美しく映える彩は、自ら誇示するが如くに見える。その美しく輝くさまは、何に譬えられようか、これは正に山の端に日が沈む頃の、真っ赤な夕焼けの空の色なのだ。

 

雑20 (定家 雑・637) 

 [詞書] 民のかまどより煙(ケブリ)の立つを見てよめる 

みちのくにここにやいづく塩釜の浦とはなしにけぶり立つみゆ  (雑・637) 

 (大意) 此処は陸奥の国であろうか、さもなくば何処であろう。塩釜の浦でもないのに 煙の立つのが見える。

<漢詩> 

見民灶煙    民の灶(カマド)の煙を見る      [上平声十灰韻]  

奚是陸奧国, 奚(イズ)くんぞ是(コ)れ 陸奧(ムツ)の国ならんか,

不然何処哉。 不然(シカラズン)ば 何処(イズコ)なる哉(ヤ)。

非復塩釜浦, 復(マ)た塩釜(シオガマ)の浦にも非(アラ)ざるに,

飄搖煙起来。 飄搖(ユラユラ)と煙(ケムリ)起来(タチノボ)る。

<簡体字表記> 

 见民灶烟   

奚是陆奥国, 不然何处哉。

非复盐釜浦, 飘摇烟起来。

現代語訳> 

 <庶民の竈から上がる煙を見る> ここは陸奥の国であろうか、否、さもなければ どこであろうか。また塩を焼く塩釜の浦でもなく、ゆらゆらと煙が上がるのが見える。

[注記] 第16代 仁徳天皇が、難波高津宮(ナニワタカツミヤ)から遠くを見遣って、人々の家から少しも煙が上がっていないことに気づいた。「民貧しくて炊く物がないから」と考え、3年間免税処置を講じた。その結果、煙が見えるようになり、大いに喜ばれた (『古事記』)との逸話に拠る歌。

 

 

雑21 (定家 雑・638) 

 (詞書) 又のとし二所へまいりたりし時 箱根のみず海を見てよみ侍る歌 

玉くしげ箱根のみ湖(ウミ)けゝれあれや二国(フタクニ)かけて中にたゆたふ 

 (大意) 箱根のこの湖は 心を持っているかのようである。相模と駿河の二国の間に横たわって ゆらゆらと波が揺れ動いている。 

<漢詩> 

  箱根湖所感  箱根の湖についての所感     [上平声七虞韻] 

水光瀲灔乎,水光 瀲灔(レンエン)乎(コ)たり, 

玉匣箱根湖。玉匣(ギョクコウ)箱根の湖(ウミ)。 

疑是有情緒,疑うらくは是(コ)れ情緒(ココロ)有るかと, 

動揺相駿紆。相・駿の両国に紆(マトワ)りて、動揺(ユレウゴ)いており。

<簡体字表記> 

 箱根湖所感   

水光潋滟乎,玉匣箱根湖。  

疑是有情緒,动摇相骏纡。

現代語訳>

 <芦ノ湖についての所感湖面の波が揺れてきらきらと輝いており、何とも美しい芦ノ湖だよ。芦ノ湖には 人と同じように “こころ”があるのであろうか、相模・駿河の両国に跨がり ともに思いを寄せて こころが揺れているかに見える。

[注記] 東国方言・「けけれ=心」。

 

雑22 (定家 雑・639)  (続後撰集・羇旅・1312) 

 [詞書] 箱根の山を打ち出でてみれば、波の寄る小島あり。共(トモ)の者、この海の名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となむ申すと答え侍(ハベ)りしを聞きて、箱根に詣づとて  

箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ 

(大意) 伊豆・箱根権現参詣の二所詣での帰路、箱根路を通ってくると 遥か彼方 眼下に伊豆の海が広がっており、沖の小島に波が寄せては砕ける白波が見えるよ。

<漢詩> 

 過箱根路     箱根路を過ぐ     [上声十七篠韻-上声十九皓韻] 

西仰霊峰東天杳,西に霊峰を仰ぎ 東に天(テン)杳(ヨウ)たり,

欲吾越過箱根道。吾れ箱根の道を越過(コ)えんと欲す。

迢迢遼闊伊豆海,迢迢(チョウチョウ)として遼闊(リョウカツ)たり伊豆の海,

只看波寄沖小島。只だ看る 沖の小島に波の寄るを。

<簡体字表記> 

 过箱根路

西仰灵峰东天杳, 欲吾越过箱根道。 

迢迢辽阔伊豆海, 只看波寄冲小岛。

現代語訳> 

 <箱根路を過(ヨ)ぎる> 西に霊峰・富士を仰ぎ見 東に杳杳たる青空を見つつ、今 わたしは箱根路を行き過ぎようとしている。眼下、遥か遠く、茫漠とした伊豆の海に、只 沖の小島に波が寄せるのが見えるだけである。

 

 

雑23 (定家 雑・641) 

 [詞書] あら磯に浪のよるを見てよめる 

大海(オオウミ)の磯もとどろに寄する波 割れて砕けて裂けて散るかも

 (大意) 大海の荒磯に打ち寄せ逆巻く大波、巌にぶつかり割れて 砕けて 裂けて 終には散っていく。

 <漢詩> 

 対巌碰砕波   巌に対し碰砕(ポンサイ)する波         [去声十五翰]

大海洶洶乱,   大海 洶洶(キョウキョウ)として乱れ, 

波涛滾来岸。 波涛 岸に滾来(コンライ)しあり。 

轟轟沖撃巌, 轟轟(ゴウゴウ)たり 波涛 巌に沖撃(チュウゲキ)し,

割砕裂終散。 割れて砕(クダ)けて 裂(サ)けて終(ツイ)には散らんか。

<簡体字表記> 

 对岩碰碎波   

大海汹汹乱, 波涛滚来岸。

轰轰冲击岩, 割碎裂终散。

現代語訳> 

 <巌に砕け散る波> 大海は波が逆巻き大いに乱れ、大波が荒磯の岸に次々と打ち寄せて来る。逆巻く大波は巌にぶつかり 轟轟たる波音を発し、割れて 砕けて 裂けて 終には散っていることよ。

[注記]スクリーン一杯に広がるスロウモーション動画の趣きである。 ”大波のダイナミズムが 実朝の“胸の内に渦巻く何らかの葛藤”の表現であろうか。

 

 

雑24 (定家 雑・643)  (『玉葉集』巻二十・神祇・2794) 

[詞書] 走り湯参詣の時 

伊豆の国や山の南に出(イズ)る湯のはやきは神のしるしなりけり 

 (大意) 伊豆の国の山の南の温泉でお湯の出る勢いは、神の効験が大きく速いのと同様である。 

<漢詩> 

   伊豆走湯    伊豆の走り湯     [下平声十三覃韻] 

駿河伊豆国, 駿河(スルガ)は伊豆の国,

泉水山南湧。 泉水(センスイ) 山南に湧(ワ)く。

迸出奇滾滾, 迸出(ホウシュツ)すること奇(キ)にして滾滾(コンコン)たり,

如神功效重。 神の功效(コウコウ)と重(カサナ)るが如(ゴト)し。

<簡体字表記> 

伊豆走汤      

骏河伊豆国, 泉水山南涌。

迸出奇滚滚, 如神功效重。

現代語訳> 

 <伊豆の走り湯> 駿河の伊豆の国は、山の南に走湯温泉があり、泉水が湧いている。湧き出る勢いは、尋常でなく、尽きることがなく、湧き出る速さは、神の効験の速さに重なるようだ。

[注記] 箱根権現に続いて詣でる伊豆権現、二所詣の一つ。伊豆山には温泉“走り湯”があり、湧き出た湯が、迸(ホトバシ)り、海に流れていく。

 

 

雑25 (定家 雑・660) 

  [歌題] 述懐歌 

君が代に猶ながらえて月きよみ秋のみ空のかげをまたなむ 

 (大意) 君の世になお一層長生きして 月の輝く秋空の下 君のお陰を蒙りつゝよきこの世を送っていきたいものである。

<漢詩> 

   著懐        懐(オモイ)を著(アラワ)す    [上平声四支韻] 

君代福所綏,君が代 福の綏(ヤス)んずる所,

曰余增鬢絲。曰(ココ)に余(ワレ) 鬢絲(ビンシ)を增(マ)さん。

皎皎月秋宙,皎皎(コウコウ)として月が輝く秋の宙(ソラ),

欲活蒙受斯。斯のお陰を蒙受(コウム)り 活きていかんと欲っす。

<簡体字表記> 

   著怀        

君代福所绥,曰余增鬓丝。

皎皎月秋宙,欲活蒙受斯。

現代語訳> 

 <想いを述べる> 君が代は よく治まる、安寧の世、此処にわたしは 鬢の白が更に増すまで生き長らえよう。月が皎皎と清く輝く秋の空、その恩恵を受けつゝよきこの世を送っていきたいものである。

[注記] 貞享本では、この歌は、[賀・1]にあり、“君”・後鳥羽院を尊仰する実朝の想いが最も強く表現された歌。

 

 

雑26 (定家 雑・661) 

  [詞書] 太上天皇御書下預時歌 

おほ君の勅を畏(カシコ)みちゝわくに心はわくとも人にいはめやも 

 (大意) 大君から勅を頂いた、恐れ多いことである。心乱れるほどにいろいろな思いが湧いてきたが、他言はできないことだ。

<漢詩>  

 奉大君勅  大君より勅を奉(ウ)く     [下平声七陽韻]  

粛奉大君勅、粛(ツツシ)みて 大君(オオキミ)の勅(チョク)を奉(ホウ)ずる、

孰当不祗惶。孰(ダレ)か当(マサ)に祗(ツツシ)み惶(オソレ)ざらんか。

参差別念過、参差(シンシ)として別念過(ヨギ)るも、

固覚豈能詳。固(モト)より覚る 豈(ニ)詳らかにし能わんかと。

<簡体字表記> 

 奉大君勅  

粛奉大君勅、孰当不祗惶。

參差別念過、固覚岂能详。

現代語訳> 

 <大君より勅を頂く> 謹んで大君より勅を頂いた、誰が恐れ多く思わないであろうか。心乱れて様々に思いは湧いてくるが、その思いを どうして他人に打ち明けることができようか。

[注記] 『金槐集』・定家本を締めくくる歌の一首。太上天皇から“御書”を頂き、忠誠を誓った歌と言えよう。

 

 

 

雑27 (定家 雑・662) 

 [詞書] 太上天皇御書下預時歌  

ひんがしの国にわがをれば朝日さすはこやの山の影となりにき    

 (大意) 私の身は都から遠く離れた東国にありますが、(吾が心は、)朝日が射してできる藐姑射の山の影のように、常に上皇に付き添っていきます。

<漢詩> 

 藐姑射山影  藐姑射(ハコヤ)の山影     [上平声七虞韻] 

余身在東国, 余(ヨ)が身 東国に在(ア)りて,

渺渺隔長途。 渺渺(ビョウビョウ)として長途を隔(ヘダ)つ。

如旭為山影, 旭(アサヒ)の為(ナ)す山影の如(ゴト)くに,

心常與君俱。 心は常に君(キミ)與(ト)俱(トモニ)す。

<簡体字表記> 

  藐姑射山影

余身在东国, 渺渺隔长途。

如旭为山影, 心常与君俱。

現代語訳> 

 <藐姑射の山影私は東国にあって、都から遥かに遠く離れた所にいる。朝日が射して できる藐姑射の山の山影が、常に山に付き従うように、私の心は いつも君と共にあります。

[注記] 「東の国に」の解釈に諸説あるが、本稿では、「東の国」を “都から遥かに遠く離れた東国にあって”と解釈し、漢訳を進めた。

 

 

雑28 (定家 雑・663) 

 [詞書] 太上天皇の御書 下し預りし時の歌 

山は裂け海は浅(ア)せなむ世なりとも君に二心わがあらめやも 

 (大意) たとえ山が裂け 海が干上がる世となっても 私が 上皇に対して二心を持つようなことなど なんでありましょうか。 

<漢詩> 

   收到上皇親書  上皇親書を收到(オサ)める    [下平声十二侵韻] 

各各天涯賜親信,各各(オノオノ)天涯にありて 親信を賜(タマワ)る,

恢恢皇度潤衣衿。恢恢(カイカイ)たる皇度(コウド) 衣衿を潤す。

縱岳裂開海乾枯,縱(タト)い岳(ヤマ)裂開し 海 乾枯せしも,

尚茲宣誓無二心。なお茲(ココ)に二心の無きを宣誓す。

<簡体字表記> 

 收到上皇亲书   

各各天涯赐亲信,恢恢皇度润衣衿。

纵岳裂开海干枯,尚兹宣誓无二心。

現代語訳>

 <上皇より親書を頂く> 各々遠く離れている中で 上皇から親書を頂いた、広々と包み込む上皇の御心に接し止めどない涙で襟を濡らす。例え山が裂け、海が干上がってしまう事態が起ころうとも、わたしに二心ないことを此処でお誓いするのである。

[注記] 定家本の最後を飾る歌。後鳥羽上皇より“御書”を賜り、強い衝動を覚え、3首続けて詠まれた内のその最後の一首。

 

《貞享版および番外の部》

 

《貞享1》(貞享本  冬・348)

 [詞書] 霰 

もののふの矢並つくろふ籠手(コテ)の上に霰たばしる那須の篠原(シノハラ) 

 (大意) 武将が狩装束に身を包み 矢を整えている。その籠手の上に霰がこぼれ散って音を立てる。ここは武士たちが勇壮に狩りを繰り広げる那須の篠原だ。

<漢詩>  

 霰時圍獵    霰時の圍獵(カコミリョウ)    [去声七遇韻] 

那須篠野武人駐,那須の篠野(シノノ)に武人(ブジン)駐(トド)まりて,

欲打圍獵風葉度。圍獵打(セ)んと欲すれば 風葉(フウヨウ)度(ワタ)る。

各把剪插菔里整,各々剪(ヤ)を把(ト)りて菔(エビラ)に插して整るに,

惟聞霰撞皮護具。惟だ聞く 霰の皮護具(ヒゴグ)に撞(ブツ)かるを。

<簡体字表記> 

霰时围猎   

那须筱野武人驻, 欲打围猎风叶度。

各把剪插菔里整, 惟闻霰撞皮护具。

現代語訳>

 <霰下での巻狩り> 那須の篠原では巻狩りに参加する武士たちが集合し、巻狩りを始める頃 そよと過ぎる風に草木の葉が揺れている。武士たちは各々 矢を箙に入れて巻狩りに備えて矢を整えており、籠手(コテ)にぶつかり飛び散る霰の音が ひときわ響いた。

 

 

《貞享2》 (貞享本   雑・607)  (『続拾遺集』 羇旅・711) 

  [詞書] 素暹(ソセン)法師物へまかり侍けるにつかはしける 

奥津波(オキツナミ)八十島(ヤソシマ)かけてすむ千鳥心ひとつといかがたのまむ 

 (大意) 多くの島々を渡り住む千鳥、心変わりすることがないものと どうして信頼することができましょうか。

<漢詩>  

   贈素暹法師           素暹(ソセン)法師に贈る  [上声十九皓‐上声十七篠通韻]

洋怒涛刷八十島、洋(オキ)の怒涛(アラナミ) 八十(ヤソ)島を刷(アラ)い、

住穩無常海濱鳥。住穩(スミツク)こと常ならぬ海濱鳥(ハマチドリ)。

只恐可能心易変,只だ恐る 心(ココロ)易変(カワリヤス)き可能(ミコミ)あり,

一心信賴不堪擾。一心の信賴 擾(フアン)に堪(タ)えず。 

<簡体字表記> 

赠素暹法师   

洋怒涛刷八十岛, 住稳无常海滨鸟。

只恐可能心易变, 一心信赖不堪扰。

現代語訳> 

 <旅に出る素暹法師に贈る> 沖の荒波に洗われる島々、浜千鳥は一つの島に住み着くことなく、島々に渡り住む。心変わりし易いからではないか 気掛かりで、一途の信頼に不安を覚えるのだ。

 

 

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