この二句:
温かい春が内臓を突き抜けて行くように、
日差しを受けて背が炙(アブ)られているように、ポカポカとしてくる。
お酒の功徳を表わした二句です。お酒を頂いた折の感覚が具に詩となっています。誰しもが経験されていることでしょう。特に寝覚めの“すきはら”の、朝酒の一杯はそうである、と白居易先生は宣(ノタマッ)ておられる。
白居易の「卯時(ボウジ / ウドキ)の酒―朝酒」を読みます。34句からなる長編詩ですが、初めの12句を読みます(下記を参照)。
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卯時酒 白居易
仏法讚醍醐、仙方誇沆瀣。
/仏法(ブッポウ)には醍醐(ダイゴ)を讚(サン)し、仙方(センポウ)には沆瀣(コウガイ)を誇る。
未如卯時酒、神速功力倍。
/未(イマ)だ如(シ)かず 卯時(ボウジ)の酒、神速(シンソク)にして功力(コウリョク)倍(バイ)するに。
一杯置掌上、三嚥入腹内。
/一杯 掌上(ショウジョウ)に置き、三嚥(サンエン) 腹内(フクナイ)に入れば。
煦若春貫腸、暄如日炙背。
/煦(ク)たること春の腸を貫くが若(ゴト)く,暄(ケン)なること日の背を炙(アブ)るが如し。
豈独支体暢、仍加志気大。
/豈(アニ)独(ヒト)り支体(シタイ)の暢(ノ)ぶるのみならず、仍(ナ)お加(クワ)うるに志気(シキ)の大(オオ)いなるを。
当時遺形骸、竟日忘冠带。
/当時(トウジ)に形骸(ケイガイ)を遺(ワス)れ、竟日(キョウジツ) 冠带(カンタイ)を忘る。
註]
卯時:十二支の卯(ウ, 兎)の時、午前6時ごろ;~酒:朝酒
醍醐:牛や羊の乳から精製した、最上の味のもの、ヨーグルト(?)
沆瀣:夜間の気、露。仙人の飲みもの
煦:暖める、息を吹きかけて暖める
暄:(日差しが)暖かである
支体:肢体、五体
竟日:一日中
<現代語訳>
卯時の酒
仏法ではヨーグルトを至上の味とし、仙人の方術では天から降る露を尊ぶ。
だが朝酒の、効果が即座に現れ、且つ強力であることには及ばない。
盃を手に取り、グイッグイッグイッと飲んで、腸に至るころには、
温かい春が内臓を突き抜けて行くように、また日差しを受けて背が“炙(アブ)られ”ているように、ポカポカとしてくる。
身体が快く伸びのびとするばかりではない、心意気も大いに上がって来る。
即座に身の立場を忘れ、一日中、宮仕えの憂さも消え失せてしまう。
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作者白居易の生涯については、先に(閑話休題66)その概略を述べました。ご参照下さい。
白居易は、815年(44歳)には左遷されて、廬山(ロザン)の麓に居を構えていました。821年(50歳)に都・長安に召喚されます。しかし長安では、高級官僚間の激しい政争が繰り広げられていた。
嫌気をさした白居易は、自ら志願して風光明媚な江南地方、杭州に刺史(長官)として赴任し、3年後には蘇州刺史として転勤しています。米どころで美酒のできる処です。上に挙げた詩は、蘇州刺史の折の作とされています。
お酒を、起き掛けにグイッグイッといくと、ポカポカとする温もりが、お腹・背中で実感できますよ。そればかりか、衣冠束帯も忘れてしまいますよ と。その功徳は、仏法の醍醐や仙方の沆瀣が及ぶところではありませんよ と。
余談になりますが、詩の最初に出てきて、お酒の功力を述べるに際しての対象とされている“醍醐”・“沆瀣”とは 一体、何ぞや?それらを巡る話題を拾ってみます。
“醍醐”は、仏典に出てくる語で、牛や羊の乳から作られる食品の一種のようです。乳→酪(ラク) →生酥→塾酥→醍醐 と精製を重ねて得られた最高の味の“飲み物”である と。本稿では先達の記載に従って、“ヨーグルト”と訳しました。
本邦でも平安時代には製造されていて愛飲されていたようです。今日その製法は、“酥”の段階までは記録が残っていて、製造可能であるが、最終段階の製法は不明である と。乳飲料関係の研究者が再現すべく、鋭意研究を重ねているようです。
“沆瀣”について。“沆(コウ)”・“瀣(カイ)” のいずれも、夜間の“気”や“露”を表す語で、“沆瀣”も同様である。上記の詩では、勿論、その意で用いられていて、“仙人の飲み物”を意味しています。
一方、“沆瀣”には、第2義として“意気投合する”という意味があり、四字成句に「沆瀣一気」がある。これは「(悪事で)意気投合し、ぐるになる」という意味あいの句で、少なくとも“沆瀣”の“意気投合”は良い意味では用いられていません。
“沆瀣”の語、さらに句の「沆瀣一気」が生まれるに当たっては、次のような故事があるという。宋代の銭易著『南部新書』の内容を紹介した という新聞記事;[雪花新聞、本文標題:「沆瀣一氣」的崔沆、崔瀣, 轉載請保留本聲明!]に拠った。
唐代末期、21代僖宗 (在位873~888)の875年、長安において例年の如く科挙試験が行われた。その折の主試験官は、声望が高かった中書侍郎の崔沆(サイ カンCuī Hàng)が当たった。各地から多数の受験生が集まってきた。
受験生の中に崔瀣(サイ カイCuī Xiè)という非常に優秀な人がいた。その答案を採点していた試験官の崔沆は、答案の素晴らしさに感嘆して、「素晴らしい!」と連呼するほどであった。崔瀣は、周囲の注目を引くほどに優秀な成績で合格した。
当時、科挙の合格者は、主試験官の“門生(門下生)”とされ、一方、主試験官は“座主”とされた。偶然、同姓で、且つ名前が“気、露”に通ずることから、人びとは、“座主門生、沆瀣一気”と称し、半分冗談めかした佳話として語られていた。
ところが、合格後、崔瀣の任官、出世が余りにも早かったため、周囲から“私的な不正があるのでは”と、ヤッカミの目で見られるようになった。そのような空気が、徐々に増幅されていき、今日良くない意味の四字成句となった と。
温かい春が内臓を突き抜けて行くように、
日差しを受けて背が炙(アブ)られているように、ポカポカとしてくる。
お酒の功徳を表わした二句です。お酒を頂いた折の感覚が具に詩となっています。誰しもが経験されていることでしょう。特に寝覚めの“すきはら”の、朝酒の一杯はそうである、と白居易先生は宣(ノタマッ)ておられる。
白居易の「卯時(ボウジ / ウドキ)の酒―朝酒」を読みます。34句からなる長編詩ですが、初めの12句を読みます(下記を参照)。
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卯時酒 白居易
仏法讚醍醐、仙方誇沆瀣。
/仏法(ブッポウ)には醍醐(ダイゴ)を讚(サン)し、仙方(センポウ)には沆瀣(コウガイ)を誇る。
未如卯時酒、神速功力倍。
/未(イマ)だ如(シ)かず 卯時(ボウジ)の酒、神速(シンソク)にして功力(コウリョク)倍(バイ)するに。
一杯置掌上、三嚥入腹内。
/一杯 掌上(ショウジョウ)に置き、三嚥(サンエン) 腹内(フクナイ)に入れば。
煦若春貫腸、暄如日炙背。
/煦(ク)たること春の腸を貫くが若(ゴト)く,暄(ケン)なること日の背を炙(アブ)るが如し。
豈独支体暢、仍加志気大。
/豈(アニ)独(ヒト)り支体(シタイ)の暢(ノ)ぶるのみならず、仍(ナ)お加(クワ)うるに志気(シキ)の大(オオ)いなるを。
当時遺形骸、竟日忘冠带。
/当時(トウジ)に形骸(ケイガイ)を遺(ワス)れ、竟日(キョウジツ) 冠带(カンタイ)を忘る。
註]
卯時:十二支の卯(ウ, 兎)の時、午前6時ごろ;~酒:朝酒
醍醐:牛や羊の乳から精製した、最上の味のもの、ヨーグルト(?)
沆瀣:夜間の気、露。仙人の飲みもの
煦:暖める、息を吹きかけて暖める
暄:(日差しが)暖かである
支体:肢体、五体
竟日:一日中
<現代語訳>
卯時の酒
仏法ではヨーグルトを至上の味とし、仙人の方術では天から降る露を尊ぶ。
だが朝酒の、効果が即座に現れ、且つ強力であることには及ばない。
盃を手に取り、グイッグイッグイッと飲んで、腸に至るころには、
温かい春が内臓を突き抜けて行くように、また日差しを受けて背が“炙(アブ)られ”ているように、ポカポカとしてくる。
身体が快く伸びのびとするばかりではない、心意気も大いに上がって来る。
即座に身の立場を忘れ、一日中、宮仕えの憂さも消え失せてしまう。
xxxxxxxxx
作者白居易の生涯については、先に(閑話休題66)その概略を述べました。ご参照下さい。
白居易は、815年(44歳)には左遷されて、廬山(ロザン)の麓に居を構えていました。821年(50歳)に都・長安に召喚されます。しかし長安では、高級官僚間の激しい政争が繰り広げられていた。
嫌気をさした白居易は、自ら志願して風光明媚な江南地方、杭州に刺史(長官)として赴任し、3年後には蘇州刺史として転勤しています。米どころで美酒のできる処です。上に挙げた詩は、蘇州刺史の折の作とされています。
お酒を、起き掛けにグイッグイッといくと、ポカポカとする温もりが、お腹・背中で実感できますよ。そればかりか、衣冠束帯も忘れてしまいますよ と。その功徳は、仏法の醍醐や仙方の沆瀣が及ぶところではありませんよ と。
余談になりますが、詩の最初に出てきて、お酒の功力を述べるに際しての対象とされている“醍醐”・“沆瀣”とは 一体、何ぞや?それらを巡る話題を拾ってみます。
“醍醐”は、仏典に出てくる語で、牛や羊の乳から作られる食品の一種のようです。乳→酪(ラク) →生酥→塾酥→醍醐 と精製を重ねて得られた最高の味の“飲み物”である と。本稿では先達の記載に従って、“ヨーグルト”と訳しました。
本邦でも平安時代には製造されていて愛飲されていたようです。今日その製法は、“酥”の段階までは記録が残っていて、製造可能であるが、最終段階の製法は不明である と。乳飲料関係の研究者が再現すべく、鋭意研究を重ねているようです。
“沆瀣”について。“沆(コウ)”・“瀣(カイ)” のいずれも、夜間の“気”や“露”を表す語で、“沆瀣”も同様である。上記の詩では、勿論、その意で用いられていて、“仙人の飲み物”を意味しています。
一方、“沆瀣”には、第2義として“意気投合する”という意味があり、四字成句に「沆瀣一気」がある。これは「(悪事で)意気投合し、ぐるになる」という意味あいの句で、少なくとも“沆瀣”の“意気投合”は良い意味では用いられていません。
“沆瀣”の語、さらに句の「沆瀣一気」が生まれるに当たっては、次のような故事があるという。宋代の銭易著『南部新書』の内容を紹介した という新聞記事;[雪花新聞、本文標題:「沆瀣一氣」的崔沆、崔瀣, 轉載請保留本聲明!]に拠った。
唐代末期、21代僖宗 (在位873~888)の875年、長安において例年の如く科挙試験が行われた。その折の主試験官は、声望が高かった中書侍郎の崔沆(サイ カンCuī Hàng)が当たった。各地から多数の受験生が集まってきた。
受験生の中に崔瀣(サイ カイCuī Xiè)という非常に優秀な人がいた。その答案を採点していた試験官の崔沆は、答案の素晴らしさに感嘆して、「素晴らしい!」と連呼するほどであった。崔瀣は、周囲の注目を引くほどに優秀な成績で合格した。
当時、科挙の合格者は、主試験官の“門生(門下生)”とされ、一方、主試験官は“座主”とされた。偶然、同姓で、且つ名前が“気、露”に通ずることから、人びとは、“座主門生、沆瀣一気”と称し、半分冗談めかした佳話として語られていた。
ところが、合格後、崔瀣の任官、出世が余りにも早かったため、周囲から“私的な不正があるのでは”と、ヤッカミの目で見られるようになった。そのような空気が、徐々に増幅されていき、今日良くない意味の四字成句となった と。
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