愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題295 書籍-9 国内旅 7 保津川下り

2022-11-19 10:49:48 | 漢詩を読む

 次韵苏轼望湖楼酔書五首 其一    

  游览保津川而下  [上平声十五刪・下平声一先通韻]  

河流激烈撞岩山、

 河流 激烈(ゲキレツ)にして 岩山に撞(ブツカ)り、

水沫跳珠飛入船。 

 水沫 珠(タマ)となって跳び船に飛び入る。

篙做凹如泰山霤,

 篙(サオ) 凹(クボミ)を做(ツク)ること泰山の霤(アマダレ)の如し、 

艄公本领别有天。

 艄公(センドウ)の本領(ウデマエ) 别有天(ベツセカイ)だ。

 註] 〇水花:水しぶき; 〇泰山の霤:雨垂れ石を穿(ウガ)つ; 〇艄公:船頭; 

  〇本领:腕前、技量   

<現代語訳>

 保津川下りを楽しむ  

保津川の流れは激しく、岩にぶつかり、水沫が珠となって散り舟の中に飛びいる。船頭の竹棹による岩にできた穴は、「泰山の雨垂れ石を穿つ」の例えに似て、棹先を岩の定点に当てる船頭の見事な棹捌きは 驚嘆するばかりである。

<簡体字表記> 

  次韵苏轼望湖楼酔書五首 其一    

  游览保津川而下  [上平声十五刪 ー下平声一先通韻]  

河流激烈撞岩山, 水沫跳珠飞入船。

篙做凹如泰山霤, 艄公本领别有天。

 

<記> 

 2016年盛夏、小舟で、直線距離約7.3 kmの距離を1時間半ほどかけて、亀岡から嵐山まで下る“保津川下り”を楽しむ機会があった。

 保津峡の両岸に展開する景色や川下りのスリルは言わずもがな。最も感動的であったのは、船頭が“舵を取るために、竹竿の先端を当てる巌上の点が、毎回、定点であり、結果、穿たれた孔を認めることができた。

 不規則に揺れ動く小舟の上からの操作で、巌の定点に当てる船頭さんの、その ‘ワザ’は、驚嘆に値する。

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閑話休題294  書籍-8 国内旅 6 嵐山三絶 其三

2022-11-16 10:55:02 | 漢詩を読む

  依韻蘇軾《驪山三絕·· 其三》

  京都嵐山三絶 其三 大沢池  [上平声十五刪韻]   

水経瀑布下旋山,

 水は、石組の瀑布を経て 山を旋(メグッ)て下り,  

留池行行向海還。

 池に留(トド)まり 行き行きて海に向かいて還(カエ)る。  

帝把池摸洞庭水,

 帝(テイ)は池を把(トッ)て洞庭水(ドウテイスイ)に摸(モ)す,  

庭園奕奕是仙寰。 

 庭園は奕奕(エキエキ)として是(コ)れ仙寰(センカン)。 

 註] 〇瀑布:大沢池の上流に石組で作られた“勿来(ナコソ)の滝”;  〇池:大沢池;

   〇行行:行き続ける; 〇帝:第52代嵯峨天皇; 〇洞庭水:中国長江中流にある

   洞庭湖; 〇庭園:人工湖[庭湖」である大沢池を擁する大覚寺の庭;

  〇奕奕:非常に美しいさま; 〇仙寰:別世界。

<現代語訳> 

  蘇軾《驪山三絕·· 其三》に依韻す

      京都嵐山三絶 其三 大沢池  

水は、石組の人工滝を経て 山を回って下り、大沢池に一時留まり 下流に流れて 遂には川を経て海に注ぐ。嵯峨天皇は、人工的に“大沢池”を造成し、中国の洞庭湖に模した、その庭園は素晴らしく、四季折々の明るく美しい景観は別世界であった。 

<簡体字表記> 

 依韵苏轼《骊山三绝 其三》

  京都岚山三绝 其三 大泽池    

水经瀑布下旋山,留池行行向海还。

帝把池摸洞庭水,庭园奕奕是仙寰。

 

<記> 

 今に残る名勝・“大沢の池”は、第52代嵯峨天皇(在位809~823)が、中国の洞庭湖を模して築造した日本最古の人工湖である。詩で、造営当時の姿を再現するよう試みました。

 

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閑話休題 292 飛蓬-159 山は裂け海はあせなむ  源実朝

2022-11-14 09:34:04 | 漢詩を読む

この歌(下記)は、源実朝22歳(1213)が編んだ家集『金槐和歌集』(定家所伝)の最後を飾る歌である。後鳥羽上皇より“御書”を賜り、強い衝動を覚え、3首続けて詠まれた内のその最後の一首でもある。“御書”を頂いた‘時はいつか?’、またその内容は ‘褒美、勅諚または叱責か?’など不明である。

 

したがって、この歌の趣旨も‘喜び・お礼の表現’かまたは‘弁明’か?不明である。当時、実朝は、非常に複雑な立場、状況に置かれていたと推測される。いずれにせよ、歌の心意は、上皇の度量の広さに接して、絶対恭順の意を表明することであったように思われ、漢詩化は、その趣旨で進めた。 

 

 太上天皇の御書 下し預りし時の歌 

山は裂け 海は浅(ア)せなむ 世なりとも 

  君に二心 わがあらめやも (鎌倉第三代将軍 源実朝 『金槐和歌集』・雑・663) 

 (大意) 上皇より親書を受け取りし時の歌 

  たとえ山が裂け 海が干上がる世となっても 私が 上皇に対して二心を持つような 

  ことなど なんでありましょうか。 

 

xxxxxxxxxxx

<漢詩> 

  收到上皇親書     上皇親書を收到(オサ)める   [下平声十二侵韻] 

各各天涯賜親信, 各各(オノオノ)天涯にありて 親信を賜(タマワ)る,

恢恢皇度潤衣衿。 恢恢(カイカイ)たる皇度(コウド) 衣衿(イキン)を潤(ウルオ)す。

縱岳裂開海乾枯, 縱(タト)い岳(ヤマ)裂開(レッカイ)し 海 乾枯(カンコ)せしも,

也茲宣誓無二心。 茲(ココ)に二心の無きを宣誓(センセイ)する也(ナリ)。 

 註] 〇各各:おのおの、それぞれ; 〇天涯:空の果て、遠隔の地の形容; 

  ○親信:親書、此処では、“信”は親書並びに信頼を意味する; 〇恢恢:すべてを 

  包み込むほど広大なさま; 〇皇度:皇帝の度量; 〇衿:襟; 

  〇縱……也……:たとえ……であろうとも……; ○岳:高いやま、山岳; 

  〇裂開:裂ける; 〇乾枯:(川など)干上がる; 〇二心:裏切りのこころ。  

<現代語訳>

 上皇より親書を頂く 

おのおの遥かに遠く離れている中で 上皇から親書を頂いた、

広々と包み込む上皇の御心に接し 止めどない涙で襟を濡らす。 

たとい高い山が裂け、海が干上がってしまう事態が起ころうとも、 

わたしに二心のないことを此処でお誓いするのである。 

<簡体字およびピンイン> 

 收到上皇亲书      Shōu dào shànghuáng qīn shū    

各各天涯赐亲信, Gè gè tiānyá cì qīn xìn, 

恢恢皇度润衣衿。 huī huī huáng dù rùn yī jīn.    

纵岳裂开海干枯, Zòng yuè liè kāi hǎi gān kū, 

也兹宣誓无二心。 yě zī xuānshì wú èr xīn. 

ooooooooo

 

掲題の歌が詠まれた頃の実朝を取り巻く状況を点描してみます。京都には権威を象徴する後鳥羽上皇、鎌倉には権力を強め、固めつつある執権・北条義時、および将軍職の実朝と、三者が“政(マツリゴト)”を巡って三つ巴の知恵(力)比べを展開し、緊張状態にある。さりながら、世の政治力学の趨勢は、徐々に京都から鎌倉に移りつつある時代である。

 

実朝は、征夷大将軍に就いて10年経た22歳、そろそろ目覚めて、父・頼朝に倣い自ら“政”に関わりたいが、義時に阻まれて儘ならない。そこで上皇の力を借りようとの意図を持つ。上皇に対しては、致誠、畏敬の念を抱いており、また自らは第56代清和天皇に繫がる、貴種であるという誇りも胸に秘めている筈である。

 

上皇は、鎌倉が徐々に“政”の範囲を広げ、力を強めていくことに心穏やかでない思いに駆られている。しかし鎌倉との交流を密にして、融和を図り、取り込もおと努めており、その一方策として、実朝を介する交流を重要視している。 

 

義時は、頼朝が開いた体制を承け継ぎ、執権としてさらに強固なものとするべく奮闘している。“政”に関しては、実朝ばかりか、上皇の介在も許さず、既得権益を死守するとともに、力の範囲を一層広げつゝある。

 

以上の状況は、1213年前後の状況である。『金槐和歌集』はこの頃纏められており、その奥書には、建歴3年(1213)12月とある という。上掲の歌は、同集の最後に置かれた3首のうちの第3首目で、他の2首の内容のあらましは、以下の通りである。

 

第1首目は、上皇の勅を尊んでそれに従おうと思うが、そのことを周りに公言することは憚られる と。また第2首目は、自分は東国で将軍としてお守り致しましょうと、上皇への恭順の想いを述べている。歌の詞書にある上皇の“御書”の内容は不明であるが、実朝の想いに沿うものであったことが窺われる。

 

歌人・源実朝の誕生 (1)

 

正岡子規は、「実朝の歌はただ器用といふのではなく、力量あり見識あり威勢あり、時流に染まず世間に媚びざる処、例の物数奇(モノズキ)連中や 死に歌よみの公家たちととても同日には論じがたく、人間としてりっぱな見識ある人間ならでは、実朝の歌の如き力ある歌は詠みいでられまじく候。」(『歌よみに与うる書』)と高く評価している。

 

一方、「当代(実朝)は歌(ウタ)鞠(マリ)をもって業となす 武芸 廃(スタ)れるに似たり」(『吾妻鑑』)とし、実朝は「軟弱凡庸の人」と評されていたようである。しかし子規は、「古来、(実朝を)凡庸の人と評し来たりしは必ず誤りなるべく、……」(子規・同書)と断じている。

 

確かに、研究が進み、近年の諸書では、実朝は、将軍職にあることを自覚し、“政”にも意欲をもってしっかりと対処していたことが明らかにされており、その評価は変わってきている。それ故にこそ、上記の如く、三つ巴の緊張状態が生じていると見るべきでしょう。

 

ただ驚かされるのは、若輩(?失礼!)で短期間のうちに、人の心を打つ歌を斯くも数多く作られた実朝の“才”についてである。 “天稟(テンピン)”と言えばそれまでだが、向後、実朝作品を読み、その漢詩化に挑戦しつゝ、「歌人・源実朝の誕生」を追っていきたい。

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閑話休題293 書籍-7 国内旅-5 嵐山三絶 其二 竹林の小径

2022-11-12 14:15:58 | 漢詩を読む

  次韻 蘇軾《驪山三絕 其二》  

     京都嵐山三 其二  竹林の小径(コミチ)     [上平声十灰韻]

凍結厳寒猶不灰、

  凍結の厳寒 猶(ナ)お灰(オトロエ)ず、  

直而青青一清哉。

  直(チョク)にして青青(セイセイ)たり 一(イツ)に清き哉(カナ)。  

令人感穏竹林徑,

  人を令(シ)て心穏(オダヤカ)な感にさせる竹林の径(コミチ),  

香気告春竹筍胎。

  香気 春を告(ツ)げる竹筍(タケノコ)の胎(タイ)。   

 註] 〇竹林径:京都嵐山の名所の一つ、小径の両脇の竹林がまるで緑のトンネルの

  ようで、心休まる散歩径である; 〇灰:衰える; 〇直而青青:竹の、曲がらず

  まっすぐに伸びて、厳寒の冬にも葉を落とさず青々としているさま;

  〇胎:新芽。  

<現代語訳> 

 蘇軾《驪山三绝 其二》に次韻す 

   京都嵐山三絶 其二 竹林の小径  

水が凍結する厳寒の中でも猶 意気が衰えることがない、まっすぐに伸びて 青々と茂っており、なんと清らかなことか。小径を行けば 竹間を抜けたそよ風が頬を撫ぜ、心休まる思いがする、筍の芽がそっと顔を覗かせて 香気が漂い 春の訪れを告げる。

<簡体字表記> 

 次韵苏轼《骊山三绝 其二》

  京都岚山三絶 其二  竹林小径

冻结厳寒犹不灰、直而青青一清哉。

令人感稳竹林径,香气告春竹笋胎。

 

<記> 

  “竹林の小径”では、数m幅・約400m長の小径の両側に竹林が繁り、小径がやや湾曲して  いるため、はるか前方では径が消え、竹林のまっただ中に身を置いているような錯覚に襲われるのである。素晴らしい遊歩道である。

竹林の小径

 

  夏季には、竹林を抜けるそよ風に、命の洗濯を実感させられる。京都一押しのスポットで、竹に纏わる諸々の事柄を思い出させる空間でもある。 

 昔、中国では、徳と学識、礼儀を備えた人を“君子”と称し、文人はみな君子になることを目指していた。  草木のうち蘭、竹、菊及び梅の持つ特性が、君子の要件と似ることから、それら四草木は「四君子」と称され、「墨画/文人画」の素材として好まれた。

 中でも、曲がることなくまっすぐに伸びて、寒い冬にも色あせることなく、青々とした葉を保つ竹(写真)は、文人の理想とする“清廉潔白・節操”を具現する一つとして、好んで画題ともされたようである。

 

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閑話休題291 書籍-6 国内旅 4 京都嵐山三絶句 其一

2022-11-09 10:27:21 | 漢詩を読む

 次韻 蘇軾《驪山三絶句 其一》  

  京都嵐山三絶句 其一       [下平声八庚韻]    

錦楓幽境秋氣盈、

 錦楓(キンプウ)幽境(ユウキョウ) 秋氣盈(ミ)つ、 

保津映容川面平。

 保津(川) 山の容(スガタ)を映(ウツ)して 川面 平なり。 

不負名人難靠近、

 名に負(ソム)かざれば 人 靠近(チカヅキ) 難かろうに、 

山中棋戦下音清。

 山中の棋戦(キセン)  石を下(ウ)つ音清(キヨ)し。 

註] 〇錦楓:紅葉した美しいカエデ; 〇幽境:世俗を離れた静かなところ;  

 〇保津:保津川; 〇靠近:近寄る; 〇棋戦:囲碁の対戦; 〇下:囲碁の石を

 打つこと。  

<現代語訳> 

 蘇軾《驪山三絶句 其一》に次韻す 

  京都嵐山三絶句 其一  

 楓はすっかり紅葉して山は静まり返り、秋の気配が満ちており、保津川の川面は波静かに、静かな佇まいの嵐山の姿を映している。嵐山という名の通りであるなら、この山には人は近づき難かろうに、この山中で囲碁を打つと、澄んだ石音が樹々の間をぬけて消えていく。 

<簡体字表記> 

 次韻《蘇軾驪山三絶句 其一》

  京都岚山三絶句  其一 

锦枫幽境秋气盈、保津映容川面平。

不负名人难靠近、山中棋战下音清。

 

<記> 

 “嵐山”は、字面から“風吹き荒れる山”のように思われるが、山中に入るなら、木漏れ日が射す非常に静寂な雰囲気に包まれる。囲碁の澄んだパシッと響く石音が、樹々の間を抜けていく静寂な空気感で、心が洗われる思いのする幽境と言える。

 

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