愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題290 陶淵明(9) 飲酒 二十首  其一

2022-11-07 09:16:51 | 漢詩を読む

栄枯盛衰は定まりなく、浮いたり沈んだりあるものだ。天地自然にも寒暑が代わる代わる訪れる。人の道も同様であり、それが自然の摂理というものだ。クヨクヨせず、前途を疑うことなく、巡ってきた機会を嘉とし、一樽の酒とともに今夕も楽しむとしよう。

 

xxxxxxxxxx  

 飲酒 二十首 其一  

衰栄無定在、 衰栄(スイエイ)は定在(テイザイ)すること無く、 

彼此更共之。 彼(カ)れと此(コ)れと更々(コモゴモ) 之(コレ)を共にす。 

邵生瓜田中、 邵生(ショウセイ) 瓜田(カデン)の中(ウチ)、 

寧似東陵時。 寧(ナ)んぞ東陵(トウリョウ)の時に似んや。 

寒暑有代謝、 寒暑(カンショ)に代謝(タイシャ)有り、 

人道毎如玆。 人道(ジンドウ)も毎(ツネ)に(カ)くの如し。 

達人解其会、 達人(タツジン)は其の会を解し、 

逝将不復疑。 逝々(ユクユク)将(マサ)に復(マ)た疑わざらんとす。 

忽與一樽酒、 忽(タチマ)ち一樽(イッソン)の酒と與(トモ)に、 

日夕歓相持。 日夕(ニッセキ) 歓(ヨロコ)びて相持(アイジ)せん。 

 註] 〇更:かわるがわる、互いに、次々に現れてくるさま; 〇邵生:秦代に東陵侯

  であった召平のこと。秦滅亡後、庶民となり、長安東郊で瓜を作って細々と暮らしを

  たてた。その瓜が美味であったので東陵瓜と呼ばれて評判になった(史記); 

  〇代謝:往復交替; 〇会:理のあるところ; 〇逝:発語のことば、意味はない; 

  〇日夕:夕方; 〇相持:対峙する、相対立する、(酌み交わす)。  

<現代語訳> 

人の栄枯盛衰は定まったものではなく、

両者は互いに結びついて変化する。

秦代の邵平を見るがよい、畑の中で瓜作りに取り組んでいる姿は、

かつて東陵侯たりし時のそれとは似ても似つかぬ。

自然界に寒暑の交替があるように、

人の道も同じこと。

達人ともなればその道理を会得しているから、

めぐって来た機会を、恐らく疑うようなまねはしないだろう。

思いがけずありついたこの酒樽を相手に、

夕方ともなれば酌んで楽しむとしよう。

   [松枝茂夫・和田武司 訳註 『陶淵明全集(上)』岩波文庫に拠る] 

<簡体字およびピンイン> 

衰栄无定在、 Shuāi róng wú dìng zài,     [上平声四支韻] 

彼此更共之。 bǐ cǐ gèng gòng zhī. 

邵生瓜田中、 Shàoshēng guā tián zhōng, 

宁似东陵时。  níng shì dōnglíng shí. 

寒暑有代谢、 Hán shǔ yǒu dài xiè, 

人道毎如兹。 rén dào měi rú . 

达人解其会、 Dá rén jiě qí huì, 

逝将不复疑。 shì jiāng bù fù yí. 

忽与一樽酒、 Hū yǔ yī zūn jiǔ, 

日夕歓相持。 rì xī huān xiāng chí. 

xxxxxxxxxx

 

まず人生のはかなさ、人の命運の移ろい易さを説きます。一例として、秦の時代に東陵侯として栄耀を極めた邵平も、秦が滅亡すると庶民となり、長安の東で瓜を作って暮らしを立てた。その瓜が美味で、世に“東陵瓜”として評判を得たという(司馬遷『史記』)。

 

邵平は外部環境の変化により已む無く田園生活を送ることになった。それと事情は異なり、陶淵明は、自ら官職を辞して田園に帰り、閑居の生活を始めた。当然ながら、この機会こそ、道理に適った選択であり、“本来あるべき姿”に戻れたのだ、一樽の酒を酌み、喜びの時を過ごすことにしよう と胸の内を訴えている。 

 

先に、論語微子篇に出て来る“隠者”・長沮(チョウソ)および桀溺(ケツデキ)について触れました(閑話休題278)。野良仕事でクタクタに疲れて帰宅し、手足を洗い、軒下でアグラをかいて一杯いく時が最も気がほぐれる。

 

そんな時、古代の隠者・長沮および桀溺とわたしは千年の隔たりを越えて直に心が通い合うのだ と《庚戌歳九月居於西田穫早稲》。すなわち、この段・「飲酒 其一」において、自ら実質的に“隠者”の生活に入ったこと、老荘思想を実践していることを宣言しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話休題289 書籍-5 国内旅3 嵐山近景

2022-11-05 14:21:58 | 漢詩を読む

 秋季嵐山近景  秋の嵐山近景    [下平声一先韻] 

山外紅山渡月淵、 

 山外(サンガイ)の紅山(コウザン) 渡月(トゲツ)の淵(フチ)、  

忽隱忽現傘形船。 

 忽(タチマ)ち隠れて忽ち現れる傘形(サンケイ)の船。  

小倉山脚森森静, 

 小倉山の脚(フモト)は森森(シンシン)として靜かに,  

保津川面浩浩漣

 保津川の川面は 浩浩(コウコウ)として漣(サザナミ)あり。   

橋上行人国際彩

 橋上の行人 国際の彩(イロドリ),   

岸辺談友嗜好

 岸辺の談友 嗜好(シコウ)の緣(エン)。   

陰陰古鐘声、 

 陰陰(インイン)たる古剎(コサツ) 鐘声(ショウセイ)肅(シュク)として、  

浮景西傾罩野煙

 浮景(フケイ)西に傾き 野煙 罩(オオ)う。  

 註]〇忽隱忽現:見え隠れするさま; 〇傘形船:屋形船; 〇森森:樹木が鬱蒼と 

 映えるさま; 〇浩浩:水がみなぎり広がっているさま; 〇陰陰:奥深くひっそり 

 と静かなさま; 〇古剎:由緒ある古寺; 〇浮景:日の光、太陽; 〇罩:覆う。

<現代語訳> 

  秋の季節 嵐山近景 

山また山、彼方の山まで一面紅葉して、ここは渡月橋のある淵、人の流れのあい間に 屋形船が見え隠れしてあり。小倉山の麓は鬱蒼と樹が茂り静寂を保っており、広々と水を湛えた保津川の川面にはさざ波がたっている。渡月橋を渡る人々は国際色豊かで、岸辺では旅同好の仲間たちの談笑する一団がある。ひっそりとした山中奥深く 古刹の鐘の音が響き、日が西に傾いて、一面が淡い野煙に覆われていく。 

<簡体字表記>  

 秋季岚山近景 

山外红山渡月渊、忽隐忽现伞形船。

小仓山脚森森静,保津川面浩浩涟。

桥上行人国际彩,岸边谈友嗜好缘。

阴阴古刹钟声肃、浮景西倾罩野烟。

<記> 

 保津川の左岸には、川を挟んで“嵐山”と向かい合い小倉山があり、その麓には観光客の足を留めずにはおかない多くの見どころがあります。その昔、本邦の平安貴族は嵐山を憩いの場として訪れ、舟遊びを楽しみ、また紅葉を愛でたことは多くの資料で明らかにされています。 

 小倉山は、保津川左岸にあり、その麓には美しい庭園を誇るお寺や遊歩が楽しめる“竹林の小径”など、四季を通じて、人の心を惹きつけて止まない多くの名所旧跡がある。右岸は“嵐山”を中心に山が連なり、一歩山中に入れば幽境の雰囲気があり、心安らぐ世界である。

 渡月橋から南、桂川の下流方向に目を移すと、右岸に広がる松林の向こうには、西芳寺があり、苔寺と通称されるほどに庭園の苔は一見に値します。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閑話休題288 書籍ー4 国内旅2 熊本城

2022-11-01 09:32:17 | 漢詩を読む

 次韻蘇軾《和孔密州五 東欄梨花》           

  称加藤虎之助         [下平声九青・八庚韻]

落雁邀客老松青,

 落雁(ラクガン) 客を邀(ムカ)える 老松青し,

仰望峨峨熊本城。

 仰(アオ)ぎて望む 峨峨(ガガ)たる熊本城。

白川循街潤花木,

 白川は街を循(メグ)りて花木(カボク)を潤(ウルオ)し,   

虎助遺民永光明。

 虎助(トラノスケ) 民(タミ)に永(トハ)の光明を遺(ノコ)す。

 註] 〇落雁:“落雁の美女”・王昭君のこと; 〇峨峨:高く聳え立つさま; 

 〇白川:阿蘇外輪に発し、熊本市街を流れる川; 〇虎助:加藤虎之助清正公。  

<現代語訳> 

 蘇軾「和孔密州五绝 東欄梨花」に次韻す 

  加藤虎之助清正公を称える 

「昭君の間」では、青々とした老松の木陰で琵琶を奏でる“落雁の美女”が賓客を迎える、

高く聳え立ち 遥かに仰ぎ見る熊本城。

阿蘇外輪に発する白川は街を巡って流れ 民の生活を潤しており、

清正公は 築城・治水等今に至る光明を民に遺している。 

<簡体字表記> 

 次韵苏轼《和孔密州五绝 东栏梨花》 

  称加藤虎之助请正 

落雁邀客老松青,仰望峨峨熊本城。

白川循街润花木,虎助遺民永光明。

 

<記> 

 加藤虎之助清正(1562~1611)は、安土桃山時代の武将、豊臣秀吉・子飼いの大名である。幼名・夜叉丸、元服後、虎之助清正と改名した。“関ケ原の戦い後、”肥後一国の領主となり、領内の川普請、新田開発を進め、今日の肥後平野の基礎をつくった。 

熊本城・「昭君の間」の障壁画

右壁面の端で琵琶を抱え、白馬に跨る王昭君(web「公式熊本城」から) 

<記> 

清正築城とされる壮大堅牢な熊本城本丸御殿には、「昭君の間」と呼ばれる最も格式の高い部屋がある(写真)。その壁面には、煌びやかな金箔をバックに中国古代伝説に登場する王昭君物語に纏わる場面の絵が描かれている。王昭君が琵琶を奏でると、美貌と琵琶の音に誘われて飛んでいる雁が落ちたという伝説があり、王昭君は、“落雁の美女”と称されている。

 

同壁画は、狩野派の絵師・言信(源四郎)の筆になり、鉱石を砕いてつくられた粒子状の絵具・岩絵具(イワエノグ)を用いた障壁画ということである。なお、「昭君の間」は、豊臣秀吉の子・秀頼を迎えるために造られたとされています。

 

2016(平成28)年4月14~16日に激しい地震(最大震度7)が熊本地方を襲い、さしもの熊本城も倒壊した。あれから5年、天守閣は再建できたが、「昭君の間」の壁画を含めて、多くの重要文化財に属する建造物などは未だに手つかずの状態のようである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする