ドラッカー氏の数ある示唆の中で典型的な意思決定といえば、「選択と集中」における「体系的廃棄」の際の意思決定でしょう。
(p7より引用) 集中するための原則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである。第一級の資源、とくに人の強みという希少な資源を昨日の活動から引き揚げ、明日の機会に充てなければならない。昨日を捨てなければ明日をつくることはできない。・・・
あまりにわずかの企業しか昨日を捨てていない。あまりにわずかの企業しか明日のために必要な資源を手にしていない。
意思決定には「責任」が伴います。ドラッカー氏は、「責任を終えない者を意思決定に関与させてはならない」と言います。
(p290 より引用) 60代半ばを越えた人たちに適用すべきひとつのルールがある。マネジメント上の責任から解放することである。数年後に問題が起こったとき手を貸せないのであれば、意思決定に関与してはならない。
この点は、極めて当然のことですが、現実的には結構難しいものです。
この点の不徹底がトリガーとなり、真の責任者への追及がおろそかになったり、前世代の責任を不当に負わされる事態になったりして、なおのこと「責任軽視」の実態が助長されるのです。
意思決定において、もうひとつ重要な点は、「意思決定は行動を伴うものでなくてはならない」という点です。
(p305 より引用) 意思決定とは行動を約束することである。起こるべきことが起こらなければ、意思決定を行なったことにはならない。しかも、ここに一つ当然というべきことがある。ほとんどの場合、行動する役目の者は、意思決定を行なった者ではないということである。
したがって、誰かの仕事として期限を定めないかぎり、いかなる意思決定もないに等しい。よき意図があっただけに終わる。
意思決定者=実行者である場合でもそうですが、意思決定者≠実行者である場合は、「実行者」に如何に必要な行動をとらせるかという「もう一つのプロセス」が介在します。
ここで重要になるのが「プロセス管理」です。
この基本は、「誰が」「何を」「いつまでに」の明確化とモニタリングの仕掛けの埋め込みです。
最後に、「意思決定」に関するその他の箴言をふたつ。
(p303 より引用) 何が正しいかを教えてくれなければ、正しい妥協もできません。(1944年当時のGMの会長兼CEO スローンの言葉)
(p306より引用) 意思決定の原則とは、意見の対立がないときには決定を行なわないことである。