義兄の死(3) (つれづれ日記№60)
「一隅を照らす」
末期胃がんをで、余命を宣告された義兄は、
抗癌剤も放射線治療も望まず、
在宅養療を選び、
希望通り質素で、穏かで、
天命を自然な形で受け入れた義兄にふさわしい静かなお別れだった。
生きた証として義兄が残したものは、数百ページにわたる自分史だった。
ここに一部紹介するのは、自分史の「鑑」の部分です。
「一隅を照らす」。
天台宗を開祖した、伝教大師・最長のお言葉である。
私は若い頃、或る本を読んでこの教えに接して大変感動した。
それ以来、私はこれを座右の銘にしている。
この四行の言葉に、義兄の生き方の全てが凝縮されています。
「一隅」つまり、今自分がいる場所や置かれた立場で精いっぱい努力し、
光り輝くことを日々の生きる目標とした。
立身出世や栄誉は望まず、
その時々の仕事や生活の中で、人や家族のためになるよう努力する。
そのことによって、
一隅を照らし、
お互いが助け合うことによって、温かい思いやりが辺りに広がって行く。
利益のみを追求するのではなく、
社会や他の人の役に立つことを目的として働けば、
社会全体が住みやすくなり、
そのことが自分の幸せにもつながっていく。
都主税局の税務調査官を務め、
脱税行為の摘発に従事したが、
管理職試験に合格すると同時に、主税局から福祉局に転任。
義兄の人生転機がまさにこの時訪れたのでしょう。
人を相手とした仕事だけに奥行がとても深く、
生きがいを感じて、
やっと、自分の探し求めていた仕事に巡り会えたと思った。
仕事に生きがいを見つけた義兄は、自分の人生を次のように回顧している。
都勤務時代の前半は税務の仕事だったので、
嫌われ役だったため、大変苦労したが、
後半は福祉の仕事で、
人を対象とする仕事だったので難しかったが、
生き甲斐を感じた。
(略)あまり出世はしなかったが、
これが、「一隅を照らす」ということで自分としては誇りをと思って満足している。
退職後も義兄は福祉畑を進んでいく。
老人ホーム、保育園、知的障害児へのアドバイサー、学校評議員等々80歳になるまで福祉の道を歩むことになる。
そのほとんどがボランティア活動だった。
残された「自分史」を読みながら
「一隅を照らす」生き方は立派に成し遂げられたのではないかと、
感慨に浸っている。
(2016.4.5記)
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