雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

歌手を目指していた 歌は悲しみを癒してくれる

2017-05-21 08:30:00 | つれづれに……

歌手を目指していた 歌は悲しみを癒してくれる
   苦く悲しい思い出
   藤圭子が好きだった。
 「幸せになりたい」
 程度の差こそあれ、人は幸せを願ってやまない。
 いつもそう願っているわけではないが、
 人間の行動パターンや志向パターンは無意識のうちに、
 「幸せ」や「望み」の方向へ向いている。

 しかし、私たちの生活には時として思いもしなかったことが起こる。
 かけがいのない人を喪うことの辛さや哀しさは、
 残された者が目の前から消えてしまった人に、
 問いかけることができないからだ。
 「どうして」、「なぜ」と問いかけても何も答えてくれない。
 だから、張り裂けそうになった哀しみを抱えながら自問自答する以外に
 悲しみに対処する方法がわからない。

 深い喪失感を抱き、
 「なぜ逝ってしまったの」
 逝ってしまった人に問いかけ、
 時によっては自分を責めて出口のないトンネルに入り、
 心を閉ざしてしまう。

 shonanyuzurihaの「友だち」さんもまた若い時にこうした哀しみに苦しみ、
 深い喪失感を抱き、長い悲しみの時を経て
 立ち直った人なのでしょう。

 「友だち」さんのことは
 私のブログ5/18付『ひととき「ポール、ありがとう」』で紹介しました。

 その「友だち」さんから、新たなコメントをよせていただきましたので、
 紹介させていただきます。
 プライベートに関わることなので、
 公開するのを躊躇(ちゅうちょ)しましたが、
 こころよく承諾していただきましたのでお知らせします。

 「友だち」さんからのコメント
 私は藤圭子さんが大好きで、演歌歌手を夢見ていました。
 歌と踊りのレッスンを受けていたとき、
 知り合った親友が
 自ら命を終えることを選んでしまったのです。
 私はその親友がそんなに苦しんでいたことを察知してやれず、
 私はいったい何をしていたんだろう…と‥本当に申し訳なく思う日々で、
 毎日黒の服ばかり着ていました。

 歌も歌えなくなって、
 何年か過ぎ結婚、出産して少しずつ心の傷も癒えてきました。
 歌を聴くのも嫌だった日々はありのままに受け入れた自分の心が素直だったんだと
 今は思うようにしています。
 今はその親友がそばにいてくれるよう
 大好きだった歌を一緒に聴けるよう
 私の心が届いてますように…と祈っています。

 
また、次のようなコメントもいただきました。
 歌を聴いて励まされやっと自分の人生が始まった気がしました。
 嬉しい時も悲しい時も心がちょっと寂しくなった時も常に
 歌がありました。
 私よりもっともっと辛いめにあわれていらっしゃる方も沢山いらっしゃると思います。
 そこにそっと寄り添えるブログにしたいと始めました。

 
哀しみを乗り越えて立ち直っていった様子がよくわかる文章です。
 「友だち」さんにとって、
 親友の死は演歌歌手になるという『希望』をも奪ってしまうほどの
 喪失体験だったのでしょう。
 『希望』を失くした「友だち」さんですが、そのことを少しも後悔していない。
 ありのままに受け入れた自分の心が素直だったんだ

 今は辛い日々を、このように受け止めることで、立ち直ることができたのでしょう。
 歌を唄えば、「友だち」さんの心の中に、
 在りし日の「若い時のままの親友」の姿が蘇ってくるのでしょう。

 「友だち」さんへの私のコメント。
 一人一人の思いがさざ波のように広がり、
 ささやかな歌の心が、皆さんに伝わって行ったら
 嬉しいですね。

 このコメントを書きながら、今、気付いたことがあります。
 ブログ名の「友だち」の意味は、
 「歌で繋がれる人はみんな友だち」という意味と「歌は友だち」
 という深い意味があったのですね。
 もうひとつ私は若くして命を絶った「親友」のイメージもあるのかなと思います。

 そしてさらに、yuzurihaというIDにも
 「友だち」さんの思いがあったのですね。

 杠葉(ゆずりは)は常緑樹ですが、春の新緑のころ、
 後から生まれてくる若い葉っぱたちのために、
 自分の葉を一枚一枚落としていく、
 そんな健気な思いが込められていたのですね。

  
   数年前に私は14歳の孫を喪くしました。
   なんにでも挑戦する活発で明るい中学生でした。
   今でも夜更けに、
   彼の小さい時の足音が、コトコト、コトコトと聞こえてきます。

   告別式には、クラス全員がアンジェラ・アキの「手紙~拝啓十五の君へ」を
   合掌してくれました。
   すすり泣きで、タクトを振る生徒の肩が震えていました。
   クラスの仲間たちが背中で泣いていました。
   参列者のすすり泣きや、みんなの歌声が、
   今でも私の耳から離れません。

 たくさんの歌があり、
 心に響く歌は人それぞれに違うけれど、
 喜びや哀しみを
 歌には癒してくれる不思議な力があります。

         公開をこころよく承諾してくれた「友だち」さん
         ありがとうございました。
 (つれづれに……心もよう№61)     (2017.5.19記)
                     パソコンの調子が悪く、アップが遅くなってしまいました。

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2 コメント

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今度はPCでも見れました。 (友だち)
2017-05-21 17:28:13
有難う御座います。
ちょうど昨日中学の同窓会だったんですよ‥
男子から「そう言えばおまえあの頃スクールメイツに入っていたよな」って言われて…
あーあの時学校に内緒で入っててテレビの「新春かくし芸大会」で
ドアップで映ってしまい、担任の先生に、こっぴどく怒られたこと思い出しました。先生には辞めたって言って内緒で続けてましたけれど(笑)
私よりみんなのほうが覚えているんですよね…
やっと笑いながらあの当時の事を話すことが出来
昨日は本当に楽しい同窓会になりました。
お恥ずかしい私の事を書いてくださり有難う御座います。
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同窓会 (雨あがりのペイブメント)
2017-05-21 22:25:17
同窓会って楽しいですよね。
10年ぶりに会えた仲間なのに
昨日も逢ったような親しみを感じて、会話が弾みます。
一切のしがらみを取り払い、無垢な関係がそこに存在するからわだかまりがないのでしょうね。
人格を詮索しなければならないような、煩わしい人間関係も存在しませんね。
 学生時代のエピソードも、会話に花が咲く要因になりますね。
 どうぞまた、歌に関わる楽しいブログをアップしてください。楽しみにしています。
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