読書案内「顔」松本清張著
(ブックデーター:新潮文庫初期ミステリー傑作集収録2022.8刊 「殺意」「反射」「市長死す」「張り込み」「声」「共犯者」「顔」「なぜ星図が開いていたか」を収録)
清張ほど同一の小説が異なる出版社から刊行されている作家も少ない。
たとえば今回取り上げる「顔」は、わたしの蔵書の中に本書を含めて4冊ある。
傑作短編集5「張り込み」収録(新潮文庫) 1957年刊
日本推理作家協会賞受賞作全集9「顔」 (双葉文庫) 1995年刊
顔・白い闇 (角川文庫) 2003年刊
初期ミステリー傑作集なぜ「星図」が開いていたか 2022年刊
(新潮文庫) 松本清張歿後30年記念出版
ミステリーの世界では、「清張以前と以後」という言葉に象徴されるように、
清張以前は、本格ミステリーとしてトリックを重視するミステリーが主体であ
った。
清張は事件または出来事を、従来の探偵小説や推理小説の堅固な「密室」から、
より広く複雑な「社会」へと連れ出した。
従来の推理小説が謎解きを重視していたのに対し清張は殺人に至る動機を重視し、
日常の中で生活する人々の生活を描くことに視点を置いた。
「社会派推理小説」といわれるゆえんだ。
一見穏やかな日常から時折立ち上がる『なぜだろう、なぜだろう』という疑問を入
口に、人と社会と国家の暗く危うい秘密と、それを隠蔽する様々な力を少しずつ暴
露し、告発し続けた。(文芸評論家・高橋敏夫)
「点と線」「眼の壁」「ゼロの焦点」「黒い画集」「霧の旗」「球形の荒野」「砂の器」など、私は
リアルタイムで清張作品を読み漁り、そして、今でも時々読み返してみる。
蛇足ですが、新婚旅行は金沢・能登半島を選びました。
「ゼロの焦点」の舞台となった地を巡る旅をした、少し変わった新婚旅行でした。
「顔」
成功と名声への階段は、同時に破滅へと彼を導く階段だった。
この相反するテーマが面白く、多くの読者や映画人に好まれたのだろう。
日常のチョットしたしぐさが、伏線となって思わぬ破滅を招くことになる。
ある劇団員に、映画会社からオファーがきた。
映画に出演し、名前が売れれば俳優への道が開け、確かな地位を気付くことができる。
何度目かのオファーを経験するうちに、彼の隠れた魅力は、監督によって引き出され、
彼はスターへの階段を上りはじめる。
だが、名前が売れるにつれて、彼は不安と破滅への恐れを味わうことになる。
いったい彼が抱えている「不安と破滅」の原因は何なのだろう。
彼の日記にはその心境を次のように書かれていた。
ぼくは幸運と破滅に近づいているようだ。
ぼくの場合は、たいへんな仕合せが、絶望の上に揺れている。
……小さな疵から化膿して病菌が侵攻するように、ぼくを苦しめた。
ぼくの幸運が、あんな下らぬ女を殺したことで滅茶苦茶になることへの恐れが、
俳優として「顔」が売れれば、人気のバロメーターが上がると同時に、
破滅へのバロメーターも上がってくることに、
彼はたった一人の目撃者を消してしまおうと、ある行動に出る。
忌まわしい愛人殺しの過去を消すための行動が、
彼を奈落の底に落としてしまう陥穽(かんせい)になろうとは……
破滅への扉は、不幸にも彼の主演した映画に現れていた。
映画は彼の顔をスクリーン一杯に大写しにする。
窓をじっと見ている彼の横顔。
煙草の煙がうすく舞って、彼の眼に滲みる。
彼は眼を細めて眉根に皺を寄せる。
その表情。顔!
彼が最も得意とする「顔」の表情。
この映画の観客の中に、9年前に目撃者となった男がいた。
男に9年前の記憶がよみがえってきた。
「名声と破滅」の対比が面白く、主人公の心の焦りをよく表現している。
また、潜在光景など、過去に見た景色が既視感の中からよみがえる過程が、
事件解決の糸口になることなど、当時としては斬新なキーワードとして
用いられている。
(読書案内№185) (2022.8.6記)
図書館から全集を借りたこともあります。
幅広い分野で活躍し、物語に読者をぐいぐいと引き込む力がありました。
晩年は少々、都合の良すぎる筋の展開が多かったように思います。
ただ好きな作家かというと、そうでもありません。
いずれにしても、文学界に大きな足跡を残した作家でした。
『晩年は少々、都合の良すぎる筋の展開が多かったように思います』とありますが、そうですネ。
偶然性に頼りすぎたり、過去の作品の似たようなトリックや構図を使用したり、読書意欲をそがれる作品も多く見られました。作品の質が落ちることには二つの原因があると思います。①多作 ②高齢による老化などではないでしょうか。
「砂の器」「球形の荒野」「波の塔」「砂漠の塩」が好きな作品ですが、短編にもいいものがたくさんありますね。『顔』『声』『張り込み』『共犯者』などが好きな作品です。
これらについては、追々ブログで取り上げたいと思います。