カール5世騎馬像 ハブスブルグ家の下あご
(カール5世)
1548年 油彩 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作。
ミュールベルク戦でのカール5世戦勝記念の縦3㍍を超える大作である。
威風堂々の騎馬像だ。今まさに前足をあげ、顔を下に向けて跳躍しようとしている騎馬に、槍を携え、悠然と前方をみつめるカール5世。甲冑に身を固め、兜には愛馬とお揃いの赤いぼんぼり。スティール製の甲冑は日に照らされ金色に輝いている。戦勝記念にふさわしい絵だ。
しかし、この時彼は痛風と喘息が悪化して、馬に乗れる状況ではなく、勇ましい扮装はしていたけれど輿(こし)にかつがれて移動していたと、仏文学者でもあり、美術に関する著書も多い中野京子氏は述べています。鉄砲や大砲の改良により、当時すでにもう実戦では甲冑は過去の遺物であったが、権威誇示として、前より派手で高価な甲冑がつくられていたとも述べています。
話しが横道にそれました。
本題に入りましょう。
騎馬像の顔を拡大して見ました。右2枚もカール5世の肖像画。
下あごがちょっと長めです。
(フェリペ2世・カール5世の息子) やはり下あごが……。
185年続いた栄光のスペイン・ハプスブルグ家の肖像画を辿ってみましょう。
(カルロス2世)やはり下あごが しゃくれています。
スペイン・ハプスブルク家の最後の男子です。38歳で死去(1700年)。
彼には子がいなかったため、スペイン・ハプスブルク家は断絶しました。彼は心身ともに脆弱で知能も低くかったようです。
(フェリペ4世) やはり、下あごが……。カルロス2世の父です。
父王のフェリペ4世は息子カルロス2世の将来と自国の未来を憂えつつ60歳で亡くなりました。
即位したカルロス2世はこの時まだ4歳だった。そのため母親の摂政政治が行われました。
彼は10歳で字が読めず、会話も困難で、成長が遅く年齢に比べずっと小柄で、足を引きずって歩き、年々精神状態がおかしくなっていったそうです。
神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世(1576~1612) オーストリア ハプスブルグ家マクシミリアン2世の王位継承者として生まれる。
やっぱり長い……
これを下顎前突症という。
婚姻による一族外に領土が流失することを防ぐために、
代々近親結婚を続けて来た結果が大きな要因になっているようです。
その結果誕生した子どもの多くが傷害を持っていたり、幼くして夭折する事態が多発した。
特に、冒頭で紹介したカール5世以降下顎前突症の人物が多くなったといわれています。
ちなみに、カール5世は不正咬合により食事は丸のみであったと伝えられています。
(この項ウィキペディアより引用)
絵画を鑑賞していると、絵に隠された画家の思いや時代背景などが分かり、
望外の勉強ができるときがあります。
一族の繁栄を維持し、巨大な権力とそれに伴う莫大な富を守り、
次世代に継承するために近親婚をつづけたハプスブルグ家の家訓はあまりにも犠牲が大きく、
失ったものが多すぎたのではないでしょうか。
(2018.12.7記) (つれずれに…心もよう№83)
参考:拙ブログ2018.2.13付 【雪中の狩人 ピーテル・ブリュゲール(父)】
2017.11.9付 【楽園追放 禁断の木の実を食べて楽園を追放される】
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