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読書案内「南三陸日記」 ⑤ 娘よ! 強く生きなさい

2021-06-12 06:30:00 | 読書案内

読書案内「南三陸日記」⑤ 娘よ! 強く生きなさい

前書き
   2020年10月に東日本大震災の地、福島、女川、南三陸を訪れた。3度目の震災地訪問である。
  一度目は2011年10月で、被災半年の彼の地は瓦礫の山で、目を覆うばかりの惨状に圧倒され、
  言葉もなかった。
  「復興」という言葉さえ口にするには早すぎ、瓦礫で埋め尽くされた町や村は、日の光にさらされ、
  津波に流された船が民家の屋根や瓦礫の中に置き去りにされたまま、
  時間が停止し原形をとどめぬほど破壊された風景が広がっていた。
  津波で流された車の残骸も、うずたかく積み上げられ、広大な敷地を所狭しと占領していた。
  二度目は2015年、瓦礫の山が整理されたとはいえ、
  津波に襲われた地域は荒地になったまま先が見えない状態だった。
  特に福島の放射能汚染地域は、近寄りがたい静寂が辺りを包み田や畑は雑草に侵略され、
  民家にも人の気配が感じられない。行き場のないフレコンバックが陽に晒され、黒い輝きを放っていた。
   以上のような体験を踏まえながら、「南三陸日誌」を紹介します。
                                                                     (2021.4.24)


   
   (ホテルホームぺジの写真 左の写真は私が宿泊した部屋からのアングルに似ている)

   海を見下ろす高台に建つ「南三陸ホテル観洋」の一室。
 ここが私の仕事場であり、寝泊まりする生活の場だ。
                   (「娘よ! 強く生きなさい」の章 冒頭)   

           「 前書き」で述べた私の3度目の被災地訪問(2020年10月)の時は、偶然にも私はこのホテルに泊まった。
  このホテルは震災当時、津波が一階部分まで押し寄せ、甚大な被害を被ったようである。
  大ホールには当時の避難所として活動した写真が、玄関に続く通路やホールに写真が展示されている。
  震災当時、避難所となったホテルには約600名の被災者が、ここで生活していた。

  残念なことに、宿泊客の多くは観光目的の人が多いのだろう。
  通路やホールの写真を見る人は少なく、ここにも9年の時の流れに、
  震災の悲劇の風化が始まっているような気がして、寂しい思いをした。
  それでも、翌朝のホテル主催の「語り部ツアー」には、
  バス2台に約50人の参加者があったことに、安堵した。

  「三陸日記」著者の朝日新聞記者・三浦英之氏は、南三陸駐在記者として、震災直後から1年間を、
  このホテルを拠点として記事を発信した。それが本書「南三陸日記」である。

  ホテルウーマンとして働くA子さん(58)は、いつも笑顔で約六〇〇人の避難者に接している。
  「すてきな笑顔ですね」
  ある日、私がそう言うと、A子さんは教えてくれた。
  「もうすぐ、娘に子どもが生まれるんです」

   本誌には笑顔のA子さんの写真と本名が記載されているが、
    私のブログではあえて割愛した。

   「出産の予定日は七月上旬です」とA子さんは私に言った。
   「長女に言ったんです。強く生きなさい、あなたは母親なのよって」

  「強く生きなさい」と言う、A子さんの言葉には、震災の重いドラマがあった。
  A子さんの長女E子さん
(二七)は震災の6日前に結婚式を挙げた。
  新郎(二三)が、新居を構えることになっていた石巻市に婚姻届を出しに行った。
  その日、大地が揺れ巨大な津波が街を襲った。
  東日本大震災。
  新郎は近くの祖父母と妹を助けに行き、津波は四人を呑み込んだ。
  翌日、発見された四つの遺体。
  妹を抱きかかえるような姿で発見された。
  四つの遺体を前に、新郎の母(四六)は泣き崩れる。

  E子さんは言った。
  「私をこのまま、お嫁さんにしてくれますか」
  石巻市は六月、「婚姻届けは津波で流失した」と判断し、
  三月十一日付での受理を認めた。

  出産の予定日を七月上旬に控えた娘に、母親のA子が言った言葉が
 「強く生きなさい、あなたは母親なのよ」である。
  津波に呑まれた新婚早々の新郎が残して行った、お腹の子ども。
  E子はこれからどんな人生を歩んで行くのか。
     誰にもわからない。
  

  ホテルウーマンとして、笑顔を絶やさず、
  ホテルへ避難している人たちに明るく接するA子さんにも、
  津波がさらった娘の辛く悲しい人生があったことを著者は、さりげなく
  文字に転嫁する。
   
     新しく生まれてくる命を、A子さんたちはどんな笑顔で迎えるのだろう。
  この家族の「風景」をしばらく日記につづっていきたいと思う。
  
     この章結びの言葉である。
           (2021.6.10記)         (読書案内№176)

   



 


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