読書案内「南三陸日記」⑤ 娘よ! 強く生きなさい
前書き |
(ホテルホームぺジの写真 左の写真は私が宿泊した部屋からのアングルに似ている)
海を見下ろす高台に建つ「南三陸ホテル観洋」の一室。
ここが私の仕事場であり、寝泊まりする生活の場だ。
(「娘よ! 強く生きなさい」の章 冒頭)
「 前書き」で述べた私の3度目の被災地訪問(2020年10月)の時は、偶然にも私はこのホテルに泊まった。
このホテルは震災当時、津波が一階部分まで押し寄せ、甚大な被害を被ったようである。
大ホールには当時の避難所として活動した写真が、玄関に続く通路やホールに写真が展示されている。
震災当時、避難所となったホテルには約600名の被災者が、ここで生活していた。
残念なことに、宿泊客の多くは観光目的の人が多いのだろう。
通路やホールの写真を見る人は少なく、ここにも9年の時の流れに、
震災の悲劇の風化が始まっているような気がして、寂しい思いをした。
それでも、翌朝のホテル主催の「語り部ツアー」には、
バス2台に約50人の参加者があったことに、安堵した。
「三陸日記」著者の朝日新聞記者・三浦英之氏は、南三陸駐在記者として、震災直後から1年間を、
このホテルを拠点として記事を発信した。それが本書「南三陸日記」である。
ホテルウーマンとして働くA子さん(58)は、いつも笑顔で約六〇〇人の避難者に接している。
「すてきな笑顔ですね」
ある日、私がそう言うと、A子さんは教えてくれた。
「もうすぐ、娘に子どもが生まれるんです」
本誌には笑顔のA子さんの写真と本名が記載されているが、
私のブログではあえて割愛した。
「出産の予定日は七月上旬です」とA子さんは私に言った。
「長女に言ったんです。強く生きなさい、あなたは母親なのよって」
「強く生きなさい」と言う、A子さんの言葉には、震災の重いドラマがあった。
A子さんの長女E子さん(二七)は震災の6日前に結婚式を挙げた。
新郎(二三)が、新居を構えることになっていた石巻市に婚姻届を出しに行った。
その日、大地が揺れ巨大な津波が街を襲った。
東日本大震災。
新郎は近くの祖父母と妹を助けに行き、津波は四人を呑み込んだ。
翌日、発見された四つの遺体。
妹を抱きかかえるような姿で発見された。
四つの遺体を前に、新郎の母(四六)は泣き崩れる。
E子さんは言った。
「私をこのまま、お嫁さんにしてくれますか」
石巻市は六月、「婚姻届けは津波で流失した」と判断し、
三月十一日付での受理を認めた。
出産の予定日を七月上旬に控えた娘に、母親のA子が言った言葉が
「強く生きなさい、あなたは母親なのよ」である。
津波に呑まれた新婚早々の新郎が残して行った、お腹の子ども。
E子はこれからどんな人生を歩んで行くのか。
誰にもわからない。
ホテルウーマンとして、笑顔を絶やさず、
ホテルへ避難している人たちに明るく接するA子さんにも、
津波がさらった娘の辛く悲しい人生があったことを著者は、さりげなく
文字に転嫁する。
新しく生まれてくる命を、A子さんたちはどんな笑顔で迎えるのだろう。
この家族の「風景」をしばらく日記につづっていきたいと思う。
この章結びの言葉である。
(2021.6.10記) (読書案内№176)
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