雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

逝きて還らぬ人を詠う ⑦ 「ありがとう」を言うと最後になりそうで……

2022-07-24 06:30:00 | 人生を謳う

逝きて還らぬ人を詠う ⑦ 「ありがとう」を言うと最後になりそうで……

      『大切な人が逝ってしまう。
    
人の世の宿命とは言え、余りに辛い体験はいつまでたっても心が癒されない。       
    悲しいことではあるけれど、
人間(ひと)はいつかはこの試練を乗り越えて生きていかな
 ければならない。
死は予測された時間の中をゆっくり訪れる場合もあり、突然訪れる
 場合もある。
どちらの場合も、無常観と切り離すことはできない』

〇 聞こえるかお前の好きなあの頃の軽いロックが出棺の曲
                         …… (神戸市) 松本淳一 朝日歌壇2021

      最期のお別れだ。お前と俺が今でも共有している軽いロックを聞きながら送りだす葬送曲だ。
      出棺の時は、なんの憂いもなく、ただこの曲ももう一緒に聴くとはないのだと思うと寂しさがこみあげて
      くる。「あの頃」をなつかしく思い出している作者がいる。


〇 
花を待つ人亡くて花咲きにけり
              ……(横浜市) 生田康夫 朝日俳壇 2021.04.11

      主のいなくなった朽ち果てていく廃屋の庭に今年も花が咲いた。花の咲くのを待っている人もいな
      いのに花は咲いている。この句を詠んで、今ではあまり使われなくなってしまった『苫屋』(とまや)
      という言葉を思いだしました。屋根を菅(すげ)や萱(かや)などで葺いた古い民家という意味かと思いますが、
      『われは海の子』という歌を思い出しました。
      われは海の子 白波の   さわぐいそ辺の松原に
      煙たなびく苫屋こそ    わがなつかしき 住み家なれ

       今と違って地方文化が生き生きと営まれていたころに、海を故郷として真っ黒に日焼けした子どもたちが
       パンツ一枚になって遊ぶ姿が描かれています。「煙くたなびく」というところに当時の生活の実感がこも
       っています。
       この句は、過疎化で年々さびれていく苫屋に咲く花に思いを託し、さびれていく過疎の村の風景を謳って
       いるのでしょう。また、『年々再々花相似たり、年々再々人同じからず』と昔の中国の人が詠んだ漢詩を
       思い出し、変わりのない自然の営みと、人の世のはかなく移りやすいことなど、想像の翼を広げました。

 

〇 「ありがとう」を言うと最後になりそうで言えないままに父を看取りぬ 
                       …
… (前橋市) 町田 香 朝日歌壇 2021.04.25
       ついに言えなかった父への最期の言葉。これを言ったら父がすぐに逝ってしまうようで言えなかった
       「ありがとう」。「あの時、言えばよかった」と悔恨の気持ちがわき上がってくる。
       「ありがとうって言えなくて、父さんごめんね」という声が聞こえてくる。


〇 
十年は昔にあらず慰めは未来にならず子の墓洗ふ 
                    
…… (盛岡市) 及川三治 朝日歌壇 2021.04.04
       子を亡くした親の気持ちが、『墓を洗う」という最期の言葉に表現されています。
       子との想い出が昨日のことのように浮かんでくる。
       やさしい慰めの言葉をかけられても、いやされることもなく、
       生きるすべを奪われたような寂寥感が胸のうちを漂う。
       墓を洗いながら子を失った現実を噛みしめる。
       わたしの母は二女をお産で母子ともに亡くし、残された3歳の子を前にして、
       「私が代わってあげるから、戻ってきておくれ」ともの言わぬ娘に何度も何度もささやいていた。

〇 徘徊の妻を語りて涙ぐむ友を励ます妻なしわれは 
                    
…… (小美玉市) 津嶋 修 朝日歌壇 2021.02.28
       男どうしの友情が感じられる一首です。日々子どもに還っていく妻。やさしく、美しかった妻が
       少しづつ壊れていくのを見るのがつらいと涙ぐむ友人を励ましながら、
       「それでも、生きていてくれるだけでいい……」と、妻を亡くした哀しみを新たにする。


〇 知らなくていいことまでも知りそうで父の遺品は手つかずのまま 
                     …… (相馬市) 根岸浩一 朝日歌壇 2021.02.28
       喪の作業は逝ってしまった人を偲び、残された人の悲しみを癒していくプロセスです。
       遺品整理は故人を偲び、個人の在りし日の姿を思い出す作業ですが、悲しくつらい作業になることもあ
       り、整理した遺品を形見分けするにも時間がかかる場合もあります。腕時計、眼鏡、財布などを見れば
       在りし日の元気な姿が蘇ってきます。一つひとつに思い出があり、時によっては個人の知らなくてもいい
       秘密まで知るようなことになります。
       大切な人を亡くし、情緒の不安定な時期が訪れます。孤独で、とても辛い時期です。
       同時に「どうして私を置いて逝ってしまったの」「どうして私だけが…」と相手を攻める、
       自分を責める時期が同時進行的に起きてくるようです。そして最終的には、死を「受容」できる段階に至
       ります。個人差はあるものの、人生の定離を認め人生の終わりを静かに見つめることができて、
       心に平穏が訪れる時が訪れます。と、書いてしまうと何だか味も素っ気もない文章になってしまいます。
       「グリーフケア」のセオリーはセオリーとして、悲しみを克服し、立ち直るには個人差があり、
       いつになったら悲しみが癒されるのかはわかりません。
       残された遺品を見て、故人に思いを馳せることが、故人からの大切な贈りものなのでしょう。

       

           (人生を謳う)          (2022.07.23記)

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