雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

湖畔の宿

2016-09-13 11:28:20 | うたの故郷

湖畔の宿 (昭和15年) 

  

歌  高峰三枝子
作詞  佐藤惣之助
作曲  服部良一


(一) 山の淋しい湖に 
   ひとり来たのも悲しい心

   胸の痛みにたえかねて 
   昨日の夢と炊き捨てる

   古い手紙のうすけむり


     失恋の歌かどうかはわからない。だが、傷心の歌には違いない。
    人里離れた辺鄙な「山の淋しい湖に」傷心のひとり旅。
    この湖畔の宿で、持ってきた「古い手紙」に火をつける。
    辛い過去との決別である。
    風もなく、ひっそりと静まりかえった湖に、焼いた手紙のけむりが空に吸われていく。
    「昨日の夢と炊き捨てる」にはあまりに孤独で、さみしい未練の風景。

 昭和15(1940)年発表のこの歌は、リアルタイムで聞いたことはない。
 それでもなぜか、この歌は好きな歌の一つだ。

 歌詞もいいが、メロディーもいい。高峰三枝子の細く透き通るような声も、歌の雰囲気を盛り立てている。
 一昔前の日本人の感性に共感する者があったのだろう。

 だが、時代が悪かった。昭和15年、戦争の気配がだんだん激しくなり、日独伊三国軍事同盟が締結され、
「ぜいたくは敵だ」等の標語の看板が街のあちこちに、現れ始めた。
 戦時色が日本を覆い、「父よあなたは強かった」等の軍歌が街に流れていました。
昭和16(1941)年12月には、真珠湾攻撃で、太平洋戦争が始まりました。



 

  湖畔の宿」は、感傷的な詞と淋しいメロディーは戦意高揚を損なうという理由で発売禁止になりました
だが、良い歌はよいのです。心に響く歌はいつまでも人々の心を捉えて離しません。
 戦時、戦後を問わずずっと歌われてきました。


(二) 水にたそがれせまる頃 
   岸の林を静かに行けば

   雲は流れてむらさきの 
   薄きすみれにほろほろと
   いつか涙の陽がおちる

(台詞) 

   あゝ あの山の姿も湖の水も
   静かに静かに黄昏れていく
   この静けさ この寂しさを抱きしめて
   私はひとり旅を行く
   誰も恨まず みな昨日の夢と諦めて
   幼児(おさなご)のような清らかな心を持ちたい  
   そして そして

   静かにこの美しい自然を眺めていると
   ただほろほろと涙がこぼれてくる

 
(三) ランプ引きよせふるさとへ 
   書いてまた消す湖畔の便り
   
旅の心のつれづれに 
   ひとり占うトランプの
   
青い女王(クイーン)の 寂しさよ

 

 作詞家・阿久 悠の思い出

 作詞家の阿久 悠は著書「愛すべき名歌たち」(岩波新書)のなかで、戦死した兄と「湖畔の宿」の関わりを
書いています。17歳で海軍に志願し、19歳で戦死した兄が遺したものは、たった一枚のレコード「湖畔の宿」
だつた。兄が出征した後、ぼくは、その「湖畔の宿」をよく聞いた。レコード一枚残しただけの兄の青春とは何だったのだろうか。発売禁止になった歌だが、どうしても聞きたいときがあって、ポータブル蓄音機を押し入れに持ち込み、布団をかぶって聞いたものである。………何度も繰り返し聞き、時々妙に悲しくなって泣いた。
 阿久 悠少年の心に刻まれた「湖畔の宿」は、若くして戦死した兄への想い出として、忘れられない歌の一つになったのでしょう。

 歌手・高峰三枝子の思い出
 歌手たちの戦地慰問で兵士たちのリクエストで圧倒的に多かったのがこの曲だったそうです。当局が「戦意高揚を損なう」として発売禁止にした「湖畔の宿」が一番多かったとはなんと皮肉なことでしょう。
 権力が肥大化し、都合のいいように人々の言動を規制しようとしても、心は誰にも規制することができません。
とくに、特攻隊の基地で若い航空兵たちが直立不動でこの歌を聞き、そのまま出撃していった姿が忘れられないと、高峰三枝子は何度も言っています。
 
「この静けさ この寂しさを抱きしめて私はひとり旅を行く誰も恨まずみな昨日の夢と諦めて」の部分がとくに兵士たちの胸に響いたのでしょう。
 若い特攻の兵士たちは、「死ぬために飛行訓練を受け」、空の彼方に消えていきました。言いたいことも言えずに、「お父さん、お母さんありがとうございました」という遺書を残しての還らぬ旅立ちでした。

 「誰も恨まず」、わが身の運命と覚悟して、飛び立つ特攻隊の兵士には、美しい日本の自然が織りなす風景や、残してきた恋人への思いが「湖畔の宿」の歌に重なっていたのでしょうか。

 私には「書いてまた消す湖畔の便り」というフレーズにも、悶々として「遺書」を綴る兵士の姿が浮かんできます。
                             (2016.09.13記)          (つづく)
    
 次回 「湖畔の宿」に歌われた、山の淋しい湖とはどこか

 





 

 

 


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2 コメント

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こんばんわ (たか)
2016-09-13 20:44:09
続きを楽しみにしております。
何故かと言いますと
この舞台は我が家から車で15分の場所に有るのです。
返信する
たかさん ありがとう (雨あがりのペイブメント)
2016-09-14 14:32:11
 たかさん ご訪問ありがとうございます。
「湖畔の宿」の舞台は何処か?
たかさんには、もうすでにお分かりの事と思います。
「山の淋しい湖」のこの場所がとても好きです。

 一両日中には書きたいと思います。
この場所を知っている方に訪問していただけるのは幸いです。
返信する

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