雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

実験考古学 3万年前の草舟

2016-07-18 11:00:00 | つれづれに……

 実験考古学 3万年前の草舟
         (つれずれに……心もよう№38)
 参考記事:「 日本人 どこから来たのか」
        約3万8千年前以降に、東アジアの各地から日本に移動したグループは
           3つのルートからたどり着いたのではないかと言うのが定説のようです。
 ①対馬ルート 約3万8千年前 : 朝鮮半島から 対馬経由で航海して西日本へきた。
        朝鮮半島とは海で隔てられていたが対馬経由で来れば目視で渡ることができたのだろう。
 ②沖縄ルート 3万年以上前 : 台湾から最短でも100㌔を超える距離にあり、日本(石垣島)と台湾の間には黒潮の流れ
                     
が航海を難しくする。航行距離は海流に流され100㌔は超えるだろう。とすればこの危険な航海を 
        乗り 切る
ための「航海術」を持っていたのではないかという(古気象学・地球科学 横山祐典教授)。 

        今朝(7/5)のNHKニースでは、草舟を作り与那国島から西西表島までの約70㌔を航海実験する準備の模    
        様子が紹介されていた。
        
 ③北海道ルート 約2万6千年前 : シベリアからサハリン経由で北海道へ南下してきた。当時北海道とシベリアは陸続
         きだった。地球が氷河期で最も寒かった2万4千年前から2千年間、シベリアに遺跡がほとんどな。
         南下して北海道に避難してきた可能性もある(考古学・出穂雅実准教授)
       以上前回ブログより再録

 

 発掘された人骨のDNA分析、石器の比較調査など、人類の足跡は、②沖縄ルートの足跡を示している。
果たして台湾から黒潮を横断し、100㌔を超える横断は可能だったのか。

 当時の遺跡からは、木をくりぬく道具に類するものは発見されていない。
与那国島に自生する植物を束ねつるで束ねた船が写真の船だ
(朝日新聞デジタルより)
(毎日新聞より)

 船は17日沖縄・与那国島を出航、18日午後には約75㌔離れた西表島に到着する予定。
潮の流れが強く、針路が北にそれたため人力での航行を中断し、
伴走船でけん引して進路を修正している。

 3万年前に海を渡り、日本列島・沖縄にたどりついた現生人類のホモ・サピエンスが
たどり着いた航海とはどんなものだったのでしょう。

 航海の再現実験を企画する国立科学博物館などのチームの試みには、
夢がいっぱい詰まっている。
                                 (2016.7.17記)


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