続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

危ないお年頃。

2019-06-12 07:12:02 | 日常

 脚の不具合は、何度も経験している。
 膝がポキポキしたり、足裏に神経が通わない朝があったり・・・その度にそのうちきっと治るという楽観のままやり過ごしてきた。

「歩こう会」などで疲労困憊、支障が出て歩行困難に陥ったことも二回のみならず今回で三回目。
 半年を経て(ああ、治ったんだ)と実感したことも。十年を優に超えた「歩こう会」も今年限りかな…と思っている。淋しい決断だけれど何度もそう覚悟したにもかかわらず、友人たちに支えられてきた。

「大丈夫?って心配されるようになったら退け時よ」とのアドバイスをしてくれた友人は現在デイサービスに車椅子…わたしの明日も危ない。

 危ない年ごろって、若い時だけじゃない。ホント《危ないお年ごろ》になっている。


🈞デュシャン『3つの停止原基』③

2019-06-12 06:46:01 | 美術ノート

 古い年代物の木箱であり、簡易ではあるが留め具もついている。
 全体造りが非常に丁寧であり、大切なものを保管するという創意工夫に満ちている。

 この箱に収められているであろう3つの停止原基。
 糸が偶然になびいた線条を固定化し、『停止原基』としている。
 人類が英知を結集して考え発見した『原基』なるもの。地球の歴史の中でみんなが納得し認可され共通意識(定義)となるものが、初めから不変だったわけではない。徐々に訂正されながら今日に至っている経由がある。

 遡れば・・・Stoppages、どこかにその原初があるに違いない。それはまさしく、《偶然》そのものではないか。
 偶然が必然になる経由、それこそが人類の歩みそのものである。
 人類の始動(知恵)の原点は原基にあり、生きて行く指針ともなるべく《観念》が複合的に生成され今がある。

 あらゆる原基の元始は《偶然の重なり》に端緒を発している。


 写真は『DUCHAMP』ジャニス・ミンク(www.taschenより)


『セロ弾きのゴーシュ』37.

2019-06-12 06:33:30 | 宮沢賢治

 すると猫もけろりとして
「先生、こんやの演奏はどうかしていますね。」と云ひました。
 セロ弾きはまたぐっとしゃくにさはりましたが何気ない風で巻たばこを一本だして口にくはへそれからマッチを一本とって、
「どうだい。工合をわるくしないかい。舌を出してごらん。」


☆描く千(たくさん)の章(文章)には掩(隠して)双(二つ)を運(めぐらせている)。
 談(話)で化(教え導く事)の記であり、普く換(入れ替えること)に溢(あふれている)。
 翻(形を変えてうつす)講(話)であることを逸(隠して)奔(思うままに)講(話)を合(一つにしている)。
 絶(つながりを断ち)推しはかること。
 平(平等)を詮(明らかに死)調(ととのえ)下(ものの内側/心の奥)を推しはかる。


『城』3202。

2019-06-12 06:26:55 | カフカ覚書

たぶんあなたは、まだそういう可能性をお考えになったこともないでしょう。そうだろうとおもいます。事実、そんなことを考える必要もありませんのでね。だって、ほとんど起こりっこないことなのですから。


☆あなたはこのような可能性を考えていないでしょう。そう望んでいますね。そんな必要はないのです。なぜなら決して傷痕などないのですから。