この言葉の響きが好きです。
「ささやくような、ひそやかな音」
と思っていたんですが、「沈んだ暗い感じの音色」「こそっと、ぼそっと」と書いているヴァイオリン奏者もいて、今、イメージが変わってしまった・・・。
私は、暗い感じを求められてるとは気づいていませんでした。
なんでも、スルタストより少しブリッジ寄りで、弓のスピードを半分くらいの速さに落とした時の音がソットボーチェなんだそうな。
弓のスピードとトレモロの回転数(?)は同じ扱いではないと思うけれど、雰囲気は(こういう表現は、私が感覚型人間だということの表れですね)似てますね。
先日、BEGINの歌う「涙そうそう」を聴きながら、自分の想いを伝えるのに、必ずしも大きい声(音)は必要ではない、と思ったんです。
「熱唱」という歌い方ではなく、楽譜で書けばフォルテにあたるような部分がない。
終始、静かにやさしくゆるゆると曲は流れていくのに、歌のこころは確実にこちらに沁みこんでくる。
演奏でも、やたら大きい音は必要じゃないと思うんです。
大きい音を出すために、雑音が増えては元も子もありません。
力強さといっても、いつもいつも大音量ではなく、内に秘めた芯の強さのような表現もできたら、と思いました。
「ささやくような、ひそやかな音」
と思っていたんですが、「沈んだ暗い感じの音色」「こそっと、ぼそっと」と書いているヴァイオリン奏者もいて、今、イメージが変わってしまった・・・。
私は、暗い感じを求められてるとは気づいていませんでした。
なんでも、スルタストより少しブリッジ寄りで、弓のスピードを半分くらいの速さに落とした時の音がソットボーチェなんだそうな。
弓のスピードとトレモロの回転数(?)は同じ扱いではないと思うけれど、雰囲気は(こういう表現は、私が感覚型人間だということの表れですね)似てますね。
先日、BEGINの歌う「涙そうそう」を聴きながら、自分の想いを伝えるのに、必ずしも大きい声(音)は必要ではない、と思ったんです。
「熱唱」という歌い方ではなく、楽譜で書けばフォルテにあたるような部分がない。
終始、静かにやさしくゆるゆると曲は流れていくのに、歌のこころは確実にこちらに沁みこんでくる。
演奏でも、やたら大きい音は必要じゃないと思うんです。
大きい音を出すために、雑音が増えては元も子もありません。
力強さといっても、いつもいつも大音量ではなく、内に秘めた芯の強さのような表現もできたら、と思いました。