カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

銅像あれこれ

2017-06-30 10:08:38 | 日常あれこれ
 過日、自分の本籍地のある熊本県北部の菊池市に所用で出かけた。

 駐車場の外れに鬱蒼とした木立の一角があって、多分出来た当初は明るい公園風だったのだろう。

 今はそれらの木々が大きくなり、手入れも不十分なまま枝が垂れて頭に触るほど繁茂してしる。

 折角作った散策路も通るのを憚るような有様になっている。

 私が住んでいたン十年前頃の市役所はもっと町の中心付近にあったので、移転後のこの辺りはあまり知らない。

 その一角に子供のブロンズ像を見つけた。

 

 文句なしに可愛い。

 台座に乗っかる一般的な形でなく、腰掛けているスタイルがまた良くてつい笑みがこぼれる。

 「一日のこと素直にあのネ おかあさん」と何やら標語らしきものが刻まれている。

 文面通りなら、子供に対して「親に素直に何でも話しましょうね」と言っていることになるのだろう。

 親との断絶や、ほとんど会話のない世代など、何でも話していた幼い頃を思い出せよと言いたいのか。

 あるいは親の世代に、煩いくらいに話しかけてくる子供にどういう態度をとっているかとの問いかけか。

 などと、かなり深読みをしてしまった。

 実はもう一つ、もの言わぬ不思議な銅像があって、それは今住んでいる町にある。

 

 今度の地震で大きくダメージを受け解体が始まった。

 大きく立派な門構えで、高く頑丈な塀に囲まれている家だがその頑丈な部分から先に崩れ落ちていた。

 私のウオーキングコースにしている道の途中にあって、もう何年も前から人が生活している風には見えなかった。

 頑丈な門扉も壊れて庭の方も覗けるようになって、はじめて胸像が建っているのを知った。

 公共の施設とか、個人の記念館とかには銅像も見かけるが普通の住宅では珍しい。

 塀を撤去し、重機を入れて解体している建物は、ほぼ基礎も壁もコンクリートで、屋根部分には木材が使用されている。

 普通の住宅なら持ち主は相当に裕福なのだろう。

 記念館的なものなら、何らかの案内標識とか少なくとも入口には何らかの表記がされている筈だがそれは無い。

 生い茂る竹や庭木は手入れがなされないため、その場で朽ち果てようとしているものもある。

 銅像とは建立・設置した頃の関係者の熱い思いとは裏腹に、以外と後世では冷遇されたりもするものらしい。

 
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