人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私の人生の中心

2024-01-08 09:22:32 | 回想
私は生まれつき神を求めるような、宗教的な人間であることを自覚しています。
幼い頃、しばしば母に、「神様ってな~に?、神様ってホントにいるの?」、と訊いていたことを思い出します。
物心つくか、つかない頃、この母から神のことを聞かされていたのは間違いありません。
そして、ある時は、「僕は一体何なの?、僕はホントに僕なの?...この世界は夢なんじゃないの?、ホントは、どっかにホントの世界というものがあるんじゃないの?」、と尋ねたことを覚えています。
それを受けて母は、「お前は将来必ず宗教的な道を歩むことになるのよ!、もしかしたら悟りを開くことになるかもしれない!」、とか言ってましたっけ!...
これを思うと、自分で言うのもおかしいですが、(悟るかどうかはともかく)私は、神的なものに出会う、精神的な目覚めに与る運命の下に生まれてきたことを感じてなりません。
そして又、ずっと大きくなった後、兵庫県にあった宗教的な団体「大調和協会」の「命位(みょうい)様」からは、「あなたの中には、あなたを超えたとても大きく、強い別のあなたが生きていて、そのものがあなたを導いているのよ!、あなたはそのあなたにどうしても、こうしても会わずに、一つにならないと承知出来ないのでしょう?、そのあなたをどうか成就して下さい!」、と内心感じていたことをスパッと言われたのでした。
いつも言うように、その実体が何であるかは私は知りません。ただ命位様が言われたようなことを感じていて、それに突き動かされて来たことが私の精神的な道のまっ中心だったということなのです。
まだそうした道を歩むことに自覚を持っていなかった頃、大手の宗教団体に入信していたこともありました。そこでハッキリと言葉を持って、その教えに基づいた神についてのことを知らされました。
心の底から得心がいった訳ではありませんでしたが、信じなきゃ仕方が無いように思って信じることにしたのでした。
しかしながら、その教団で説かれている神についての教えと、幼い頃から私の中に育てられていた、頭では分からないながらも仄かに感じている神の道とは、決してごっちゃにされることは無かったのです。
つまり、“私の神の道“というのは、ずっと守られて来たのです。
だから、その教団絡みの信仰生活を続けることに苦しさを感じ出してからも、私は私の神にその苦境から解放されることを祈ることが出来、それが叶えられたのです。
私の神の道を歩むことに自覚が生まれ、主体的に関わることになるのはそれからのことでした。
お分かりのように、この神の道は、宗教(団体)を全く超えているのです。
そういうものが、私の人生の中心になどなろう訳がありません!
そういうものは、もし、そこに私の内奥から来る音信が感じられないのであれば、思いと共に来ては、去りゆく断片的な記憶でしかありません。
では、この常住に私の内奥に息づいているものとは?
私の人生の中心そのものなのではないか?!...

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皆で遊んだ記憶は無い

2023-11-23 09:51:16 | 回想
今日のような小春日和の休日なんかは、どっかの紅葉の美しい公園で、読書なんかをしてのんびりしたいものです。
決まって子供が楽しそうに遊んでたりします。かわいいですね。
しかし...それが2、3人くらいならともかく、大勢でかくれんぼなんかやりだすと、もうウルサイのなんの!...お邪魔ムシがウジャウジャと!
連中、まったく少人数の時と顔つきが違うぞ!...何かに取り付かれたみたいに!
公園は公共の場なんてことなど全く頭に無いみたいです。小さい子供なんだから無理ないかもしれないけど、もっと大きな中学生くらいの子供でもいっしょでしょう?
集団が人間を変えてしまうようです。
“あんたかて、小さい頃はいっしょだったやろ!“、って...
私は、時々は大勢で遊んだことはありましたが、それが楽しかったとか、そういう思い出は皆目ありません!
とにかく皆で遊んだ記憶というものが無いのです!
どうも、ホントは気が乗らなかったのを無理に誘われたようなケースが多かったようなのです。
集団でやる遊びのルールなど覚えるのもメンドクサイし...
親しい友達、特に女の子と遊んだこと、特に又お医者さんごっこ(!)をした時とかは、楽しい思い出になってますよ。
その顔、表情もはっきり覚えています。だけど、大勢のことになると、全く思い出せません。
集団になると、人間は別の生きものになるみたいです。そこには血の通った人格みたいなものは認められなくなるようです。
学校でも一人一人のことは覚えていますが、それが“生徒“という何か規格化されたようなもので括られると、違うものに化けてしまうのです。
イジメという問題でも、人間が集団化しなければ深刻なことにはならないのではないでしょうか?これは、子供でも大人でも同じでしょう。
一人一人は、他人に迷惑を掛けたり、傷つけるのは良くないことくらい分かっているけど、一人一人が束になると何だってやれちゃうようです。人殺しでも戦争でも...
全体のためなら...全体って何だ?
ごく一部でしかないのに、全体だと思っているだけの自集団からすると、他集団は認められないらしい?...だからそんなものは無くせばいい!
かかる全体主義ほど、より大きなものを見えなくするものは無いのです。
私はどうしたって子供の時から集団には馴染めなかったのです。今に至るも馴染んだ試しがないのです。
大学の頃、宗教集団に入ったことがありましたが、心から馴染んだことは一度もありません。
むしろ、そのことから今書いていることを深く学ばされたのです。
神も集団的思念に覆われると悪魔のようになる!
なんてことはない!...私は子供の時のまま、大きくなってしまっただけのようです。それでいいのか悪いのか?...

小さい小悪魔さんたち、今日はもう少しスピーカーの音量を下げてね!、ベンチに土足で上がっちゃダメだぞ!...僕は残り少ない今年の秋を満喫したいんだから!

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ジャズ喫茶の思い出

2023-10-30 09:54:56 | 回想
先日、久しぶりにジャズ喫茶に入ってみました。
ジャズ喫茶と言っても最近の人にはあまりピンとこないであろう、あの“一種イビツな時空間を共有すること“を期待して入ったのでしたが...普通にジャズが流れている喫茶店なのでした!
“この人何言ってんだ、だからジャズ喫茶なんだろ?“、って思われる向きもあるだろうけど、あの頃“入り浸っていた“人ならこの言い回しの違い分かってもらえるでしょう?
ま、それでも一応はジャズ喫茶なのですが、何十年ぶりであろう!...“お代を後で払う“喫茶店も久しぶりの気もするが...
私が初めてこの種の店に通うようになったのは確か昭和50年のことで、すごーく入るのに勇気が要ったことを覚えています。そこには何か得たいの知れないイニシエーションみたいなものが有るような気がして!...実際に入ってみると、あまりの音楽のケタタマシさとタバコの煙がむせるのに閉口したのでした。
私はすでにジャズの洗礼?は受けてましたが、そこで流れていた、(多分)ハードバップ系モダンジャズとは違い、それ以前の古いスタイルのもので、そのジャズ喫茶の多分主流をなしていたであろう、前記のものとは外れていたのでした。
そう当時から私は本当にイビツなマニアックな人間だったのです!
だから長くなるから音楽そのもののことには触れませんが、とにかく当時はジャズ喫茶の全盛と言ってよく、中央線沿線を中心に都内至る所に店があり、その中でも私は苦労して、私がくつろげるジャズに触れられる店を探して“入り浸っていた“訳です。月に一度は通っていたと思います。
貧乏学生だったので、レコード(LP盤)など易々と買えないので、リクエストをして気に入ったものを買う(これがホントのジャズ愛好家のステイタスなのです)...今のように動画配信で試聴出来るなんて考えられません。(え?、曲をストックして聴いているの?、実物盤はどこに有るっつーのよ!)
とにかくそれを聴いている時は禅修行のように、集中しているのです。
入り浸たるという意味は、二時間くらいはざらに粘るということ(だから店の回転が悪い)なのですが、私も“コーヒー一杯で二時間“て感覚はあったように記憶しています。
その間何をしているかと言うと、“修行“以外では詩集とか哲学書とか好きな本を読む...な~んて、今じゃともかく、そんな記憶はありませんねえ!
じゃ、何をしていたのか?...ほとんど一人で!...瞑想?、やっぱり修行か?、いや、ただの夢想というか、一寸今では考えられないようなヒマな生活だったということなのでしょう。
私がジャズ喫茶には付きもの?の読書に目覚めたのは、その数年後のことだった!...足繁く入り浸っていたのは約二年間だったということです。
それ以降は本格的に精神世界的なものを中心に読書に興味が移って、ジャズ音楽からは離れたということのようです。
あのイビツな時空間は一体何だったのか?...幻想のように思えてなりません。
第一、音楽と読書の共存などその後いくらだって持てたはずではないか?
いいや、ジャズ喫茶のイビツな文化は、急速に廃れて行ったということなのでしょう。(二時間も粘られたんじゃ採算合わないし...)
それだけに、先日の店は得難いものがあります。しかし子供連れの客などかつては丸っきり見られなかったものですが!
今度はニーチェやアミエルの本を片手に入ってみよう!...






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私の歴史は桜と共に始まった!

2023-03-30 10:27:06 | 回想
桜の季節になると、いつも思わされることがあります。
それは、私の歴史は桜の開花と共に始まったということです。
私の歴史の始まり...
私がどういう人間で、どういうことが好きで、どういうことに幸福を見い出すのか...
それは、取りも直さず、私はここに生きている、生かされていることを自覚出来るようになった、ということを意味しているでしょう。
それが昭和39年、私が7歳の今頃の季節辺りからだったということです。
それまでは、何が現実で何が夢だか、周りの世界がカオスに包まれているようで、鮮明な記憶がほとんど無い感じなのです。
幼いので、記憶力があまり発達していなかったという理由もあるでしょうが、どうも精神的に問題を抱えていたらしいことが影響していたようです。
多分、今で言う”ADHD“だったのでしょう。
始めて小学校に通うことになったものの、毎日、”ここで自分はどうしていいのか分からない、ここに居ていいのかどうかも分からない!“、という気持ちを抱えていて、それを誰に訴えていいかも分からず、それが落ち着きの無い、素行の悪い行動などとして表されたりしたようです。
とにかく、級友、隣近の友人とも遊んだという記憶が全く無いのです。
毎日夢遊病にかかっていたような印象がありますが、実際にそうなったことがしばしばあったようです。
それが、小2の新学期を迎えて、ようやく私の顔にも、”目鼻立ち”が出来、見る世界も輪郭を持ったものに映るようになった、という訳です。
それを象徴していたのが、目の中に跳び込んで来るようにも見えた、一面の淡いピンクの桜模様!...
始めて音楽を聴いて感激した!...(曲名を知ったのはずっと後のことだったけど)当時流行していた、「ラ.ノビア」というカンツォーネだった!
これを歴史の1ページが開いたと言わずして何であろう!
それにしても、小学2年生になったからといって、クラス変えがあった訳でも無し、マトモな人間になれたのか、友だちも出来たし、丸っきり環境が変わったように感じるようになったのは何故でしょう?
それから、毎年何十回と、この桜模様を目にしていることになるのであるが...
どうも、何十回分の歴史が刻まれているようには感じて来ません。
淡いピンクの桜模様は、あの時も今も一つに重ねられているように感じます。
“私はここに在る“、という幸福は、ただの私の歴史の羅列でなく、私の歴史に命をもたらしているのかもしれません。

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神への、神からの想起

2022-12-27 09:50:07 | 回想
“意識を向ければ、パッと何かが開かれる“、といつも言ってますが、これは何にも無い、考えている私だけからは、そういうことにはならないということなのです。
意識が向いてしまう何かがある...端的に神的なものと言ってもいいですが、それと関わる原体験のようなものを頭の記憶でなく、存在レベルで覚えており、意識的になるだけで自動的に再生されたりするようです。
私は長い間その原体験は、昭和58年夏の初めて”人生の裏側“に踏み入れた、爆発的覚醒体験のことと思っていたのですが、そうとも言えるが、よく考えればそうとも言えない感じなのです。何故ならば、その時キョーレツに実感されたことは、”この神と一なる至福状態“という失われた記憶の甦りだったからです!
これは又、実はそれに遡る昭和54年初頭、初めて現臨感が芽生えた頃にも朧気ながら感じていたことなのです。
それはその爆発体験の時には失われていた訳ですが、その時のこと共々が重なり合ったようなものなのでした。
現臨感を覚えた頃というのは、そんなに著しいものではなく、思考は後退はするものの、機能を失うまでには至らず、その爆発的体験というほどのものでは無いのです。
しかし!...私はやがてどういうことに導かれるだろうことは、それが恒常的に感じられていた、その一年半ほどの間、度々既に知らされていたようなのでした。
それがもっとも鮮烈に示されたのは、昭和55年春、ベルジャーエフの「精神と現実」という本を読んでいた時でした。
“私は思い描いたように、景色を見てるように見えない世界と関わるのでは無い!...この私の内奥と全く一つの世界と関わり、その神と出会うのだ!“、と。
実際にそういう体験を経ずとも、それは既に感じられていたのです!
それは、取りも直さずそういう導きを受けていたということに他なりません。
そして又、今こういうことが想起され、感じることは...あの時、この時別々の時期に、別々の事柄として記憶に甦るのでは無く、この今と切り離されることなく、連綿と内奥に息づいているあるもののことです。
それは、何も無いところから、それに応じるとされる修行などを通じて、より進んだ、高い段階を登り詰めた後得られるもの、という風には導かれることはありませんでした。
ということは、現実にそのようには意識が向かわなかったということです!
意識は、自ずと実存と切り離されない神的なものに向かうのです!
意識的に想起されるならば、過ぎ去った時と現在の間には、如何なる中断、分断もありません。
突出的な著しい体験と認識されることもあるでしょう。しかし、それは連綿たる神とのつながりから離れてあるものでは無いのです。得てして体験そのものに囚われると、それを失ったように感じたりもします。
とにかく、この神的根源的つながりのことを祈りをもって想起され、その息吹が呼び起こされるまでです。
このそもそもの想起は、どこに求められるのでしょう?
それは、思いを超えている!...多分、生まれる先か、“来ない先“からでしょう?
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