人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

たとえ、消えたとしても...

2022-12-25 09:40:13 | 回想
昭和54年初頭に芽生え、それから恒常的に続いていたあの現臨感覚は、翌年夏頃突然消滅してしまったのでした。
今思い返してみると、これはホントに驚くべきことです。まず、それが約一年半も当たり前のように感じられていた、ということが!...
最初は一時、何かの神がかりのようなことが起こったように感じていたものでした。ああいうのは、一種の神秘体験なんだから、風のように何かの霊が働いて、同じように去って行ってしまうのだろう...と。
ところがこの裏返しのように、何故あの“私がここに在る”、という生きる上で根本的な在り方を示すようなことが突然感じられなくなってしまったのか?、という思いも過っていたのでした。そんな簡単に消えてしまうものなのか?、と。
そうなってしまう要因は、“根本的なことはそうかもしれないが、人生はそれだけで成り立っている訳ではない!“...当時の私はまだ20代の前半...フツーに青春を謳歌しててもバチは当たるまい!...ある同年代の異性に夢中になってしまったのです。
つまりは、別の方に意識が捉えられてしまったということなのでしょう。
し、しかしですよ!、その後その感覚が復活して、私は何度かあの色香に幻惑されながらも、天罰テキメンとばかりにそれを失うってことは...無かったのですよ!...ま、さほど深い関係まで行かなかったのも確かなんですが...
う~ん、これを考えると、何でそうなってしまったのか?...ワカラン!
え~と、そうそう、その時は大学を卒業していて、就活みたいなことも一応はしていたのでした。して、知らず知らずに社会の風圧も受けていた?...そんな自覚など持ったことないが!(その又翌年実際に社会人になってからは、タンマリ自覚されました)
このように、実に私は別世界からこの世に迷い込んだような、世間知らずなボッチャンみたいだったのです。人生でフツーに学ばなければならないことも沢山あったでしょう。
とにかく、それが見えない導きから来るのか、私の業から来るのか分かりませんが、実に長きに渡って現臨感覚は封印されることになったのです。
再び、恒常的にそれが感じられるようになったのは、平成10年夏頃でした。
その間、昭和62年春、「スブド」なる団体に伝わる「ラティハン」という修練を通じて、ある種のバイブレーション感覚は復活したのですが、深く浸透するまでには至りませんでした。
いやいや、その前58年夏には、初めて神に捉えられて「人生の裏側」に踏み入れてしまったのでした!
長い“冬眠中”だったにも関わらず...これ又何故突然そうなったのか?...サッパリ分からない!
まあ、人生そりゃあ、紆余曲折もあるでしょう?
しかし...今、こうして意識的になって、現臨感に与ってみると...
ずっと消滅したり、途切れること無く、それが内奥に息続いているのを感じてならないのです!
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道が開かれた!

2022-12-13 10:23:56 | 回想
私は昭和54年2月、宗教結社道院に正式に求修(入会)しました。
道院は、儒、仏、道、回、耶の世界の五大宗教の同源を説き、相対化してその本来性を失った宗教からその元となる一なる大道を開き、帰一する旨を説いているのです。
その道の伝達は、”フーチ”なる古来中国に伝わる、神人感合の自動書記によることで知られています。
ちょうど同じ頃、前年秋から購読していた、要之神伝(かなめのつたえ)と呼ばれる日月神示に相通じた、やはり自動書記による垂訓をまとめた冊子を出していた、兵庫県豊岡市にあった神業団体の名称が「太弥勒神光協会」から「光之道」に改称されるということがありました。
「これよりひらく光之道は、宗教に非ず元の道、神も仏も人民もこの光之道とおらねば、新の神世へ渡れぬと悟られよ」
と、道院と全く同様の趣旨のことが示されていたのです。
それからもう少し後になり、”キリスト道”を提唱する小池辰雄先生を知るようになりました。
「私はカソリックでもプロテスタントでも無教会でもありません。キリスト直結です」
”道とは、教えではない!...思念する、信じる私が居て、その対象としてその教えを信じ、従うという在り方ではない!
神は六次元だか何次元だか...全くどうでもいい!...所与の観念ごとをただ鵜呑みにするだけのことなど!...そんな字(事)理に囚われることはない!
直接つながるものがある!...暖かい!...じんじんと脈動が感じられる!...私の思いを超えた何かに”見そなわれている”感じがする!
こうゆう境地のようなものを目指して私は修行をやらなければならないのだろうか?
何をすればいいのだろうか?
何をするということもなく、意識が何かに向けられる!...向いてしまう!、もうつながっているのだ!”
私がいつもここで書いている、神的な現臨のことなどは、すべてこの頃芽生えたと言っていいでしょう。
あの精神の不安定な状態が大分治まって来たのと同時だったと思います。
まだ本格的に精神的な道を求めて、一年ちょっとという若輩者の分際で、何をノボセたことを言ってるのか?、と我ながら思いますが...改めて感じざるを得ません!
すべて見えない導きによっていたことを!
だから、このことを蔑ろにしたら、きっと又”お取り上げ”となるでしょう?
そして、確かに私にある”道標”のようなものが与えられたのは確かでしたが、それも形の上で相対化して、数多の宗教と同じ道を辿ることにもなりかねません。
どこまでも、道の本義に立ち返り、本体につながらなければならないでしょう。
道院の壇訓ではおなじみの言葉に曰く...
「道は片時も自己から切り離されることは無い」


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霊と実存の洗礼

2022-12-05 10:06:51 | 回想
私はね、容易く他人の言葉などに迎合して、感化されることが無いのです。だから、ある宗教にハマったりな~んてことは...全然無かった訳でもありませんが...
生来、とても慎重な性格で、クール、ドライなところがあります。いやまてよ、手の平を返したようなこと言うようですが、影響を受けやすく、すぐ熱くなるところもありますねえ。
知らず知らずにそうなるということもあるようだし...そういうものはずっと心の奥に残っているようです。
前回の続きのようになりますが、精神的な道に目覚めた初期の頃から神道的なもの、キリスト教的なものの影響が大きかったのですが、M教団から離れて約半年後の昭和53年春、このことを象徴しているような、いやその後の私の歩みがそこに凝縮されているような一冊の本と出会いました。
それが以前「図書室」コーナーで取り上げたこともある、神戸の霊感ジャーナリスト(?)西村忠義さんの「人類の復活」という本です。
何しろ、この方はキリストの聖霊体験、丹波の元伊勢皇太神宮でもある種の神秘体験を持たれている方で、近代合理主義を具現している(?)ような、ジャーナリストにあっては異色の存在であり、又多くのそうした”霊がかり(語り)“とは違った、”実存的”知性を感じさせずにおれないような感性の持ち主でもあったのでした。
要するに、そこで神道的なもの、キリスト教的なもの、日本とユダヤの同調(同祖かどうかは知らない)的な精神だけでなく、先の私の生来からの相反する性格に呼応するかのような精神と出会ったということです。
この出会い無くして、その後キリスト教と接近することも、実存的なものに本格的に出会うことも無かっただろうと言えるでしょう。
この西村さんは、手島郁郎先生とサンダー.シングに深く傾倒しており、それから半年の間に目聡くも両者の、その中々入手の難しい本を手に入れていたのでした。
それが旧約と新約の区別も付かなかった私が初めて受けた、キリスト教の”洗礼“に他ならないのでした。といって、いわゆるキリスト教の洗礼式を受けた訳でも、又その意志も毛頭ありませんでしたが...
その一年前には、M教団で再三聞かされていた、”火の洗礼“なるものは、天変地異、カタストロフィと結び付けられ、否応なしに恐怖を呼び起こすものでしたが、それが今や魂の希求を呼び覚ますものへと自分の中で再編成されるに至ったのです!
“火とは霊の象徴である。神的な霊との交わり、聖霊によるバプテスマである!”
霊なるものとの関わりとは、いわゆる背後霊といった、自分に別在し、外からしか認識出来ない、そんな分裂的なものである訳がありません!...内なるもの、実存に関わるもの、魂に直結したものであるはずなのです。
その時から、私にはその響きからそれは私個人を超えて、あらゆる人たちか普遍的に通らざるを得ない、カタストロフィならぬ霊的新生へのプロセスとして認識されていたようでした。
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神は顕わになるもの

2022-12-04 09:44:54 | 回想
縁というものは、バカにならないものがあります。
宗教的、精神的な道においても、どうしてもそれぞれの縁を借りて歩まざるを得ないものがあります。
私の場合、最初に縁付いたものは、”M教団”という新宗教の団体だったのですが、そこは、”万教帰一”を謳っていたものの、形の上では神道に則っていたのです。
ところが、そこで頻繁に飛び交う言葉といったら、”救世主”、”神の経綸”、”火の洗礼”...といったもので、ご存知のように、これらはいずれもキリスト教から借りたものなのでした。
ちなみに、このような日本古来の神道の上に、キリスト教的な要素を導入した人物こそ、その教団の母胎、文字どおり”大本”たる、大本教の出口王仁三郎聖師に他なりません。
私はその教団と関わった約二年間、一度たりともそこから、霊が発動する”という秘儀は何度も受けたにも関わらず、その発動も、”洗礼”(人生観、世界観が変わるようにも、心に深く共鳴されることのたとえ)らしきものも受けたことはありません!
むしろ、その教団の、というよりそこに代表されるような宗教特有の独善的、盲信、狂信的体質と相容れないものを感じていたのでした。
しかし、そこで否応なしに聞かされていた言葉の響きには、どうしても拭い去れないものもいくつかあったのです。
その一つは、“真の神が表れる”というものです。今まで世に表れていたのは、仮の神であり、その教団を通じて顕わにされる神こそは、真の神、救世主なのであると...勿論、この教団側からの説明に心が動かされることは無かったのですが、”観念的に信じられている神などどこまでも仮のものに過ぎない!“ということは、今でこそ言えるのですが、当時は何かを象徴しているようにも感じていたようでした。
とにかく、”神は顕わになるもの”、という響きはずっと心の奥に残っているのです。
このことは、後に先の出口聖師や、いくつかその影響下にある教えに触れることで深められて行ったのでしたが、こういう響きというものは、ユダヤ~キリスト教に特有のものとも言えるでしょう。見えない世界から見える世界に応現するという救世主なる概念自体がそうでしょう。
そういう私が、その教団から離れて後、同じ大本教の流れに連なる五井先生に惹かれたり、キリスト教の流れにも関心を示すようになったのも縁の然らしむるところだったと言えるでしょう(取り分け小池、手島両先生との出会いは私の精神史では大きいものがありました)。
何しろ、聖書に触れる以前からそこから来るフレーズに馴染みがあったのですから...それが無ければ、スルーしていたかもしれないのです。
先の意味で洗礼を受けたのも、これらを通じて初めてのことだったのです。
とにもかくにも、私の意識に神的なものが顕わになったとは言えるでしょう?...
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謎の要人との出会い(後)

2022-10-30 09:59:20 | 回想
飛騨高山で、そのチョイとダンディな、何かの学者のような人と親しくして、名刺をもらって「よかったら、事務所に遊びに来て下さい」と誘われたのでした。
そこに記されていたのは、確か「天然文明協会」という?な名で、私の自宅に近い中野ブロードウェイセンター内にあったので、数日後訪れてみたのでした。
生憎、本人は不在で、番頭のような人が居たので、そこはどういうことをしているところなのか、訊いてみたのですが...神サマに関する研究?、占い?...今ひとつ分かりません。
そこで、その人が書いたという本を見せてもらったところ、何やら○と線の組み合わせによる謎の文字がいっぱい出てきました。
当時はサッパリ何だか分かりませんでしたが、これがあの超古代日本から伝わるという「カタカムナ」図象だったのです。どうもこれと大正、昭和に活躍した神道霊学者、荒深道斎の教説~これをつなげるものは神戸周辺に点在している謎の太古巨石モニュメントであろう?~をミックスさせたものらしいことは分かりました。
もう一つ所々、「統一球原理」なる表現が使われていましたが、まさかあのヤバイ教団のことではあるまいと思いましたが...ともかくその本を入手出来なかったのが残念ではありました。
それから又数日後の11月初旬、私は突如思い立って、大本教東京本部から住所を聞き出し、その提携団体である、銀座の道院紅卍字会に初めて行きました。
奇しくも当日は、創立記念のイベントがあり、典礼が行われていた最中に飛び入り参加したのです。すると私のすぐ後ろから何やら声がするので、振り向くと、何とその人も来ていたではありませんか!
そこではやたらと拝礼をするので、「どうも腰が痛くなった」と笑っていました。
先の高山の神業には、これ又謎の女性霊感者、三宅女史も来ていて、その人が道院の会員で、サークルの中核のメンバーである(自称)宇宙考古学者、高坂和導さんは、その縁で後日私と同じ頃、求修(入会)したのでしたが、おそらくその学者風の人もそのツテで参加したものと思われましたが求修はされなかったようです。
それから又その月下旬頃、サークルの関係でお会いしたのが最後なのでした。
その後、私はそのサークルから遠ざかることになり、疎遠になったのですが、それから数年後の昭和59年頃だったか、彼の経歴、消息について書かれてあるのを何かの雑誌で読みました。
彼の名前は「小宮山嘉一」。...何と、今話題に事欠かない旧統一教会の日本におけるその組織確立(主にその理論方面)に重要な役割を為した人物だったのです!...”あれは、やはり!”
そして、その当時の消息は?...今に至るも不明のままなのでした!
というのは、その前年富山立山に神業に向かったまま消息を絶ってしまい、遺骸も発見されずじまいとのことだそうです。
小宮山さんは、統一教会に関わったことを後悔しており、全国各地に神業に赴いていたのは、その罪滅ぼしの念からだったとのことです。
私には、あの高山の道中で、「僕は今道を求めているのですが、いくつも道があるようで、どの道を行ったらいいのか迷っているのです」と洩らしたら、「いや、自分で決めようとしなくても、求めている向こうの方から”これだ!”、というものに出会わせてくれますよ!」という意味のことを言われたことが印象に残っています。
それから数日経って、その統一教会絡みで苦難を背負い込むことになろうとは、当時は知る由も無かったのでした...。
しかし、それを通して思いを超えた世界が開かれたことも確かなことだったのです。
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