太陽は東から上る...
今日は暖かくなるかな?
すべてを照らす日の光、有難いな!...
しかし...太陽は、地球の周りを回っているのではなく、その逆であることは、子供でも知っている真理なのでした。
そう科学で立証されているのです。客観的事実とされる。だから受け入れなきゃならない!...いや、そう言うけど、本当に受け入れている人は何人居るでしょうか?
私は、本当に地球が太陽の周りを回っていると感じたことは一度も無いですよ!
そういう真理を初めて知った時、“ふ~ん、そうなのか...ちっとも知らなかった!“と思っただけでさして驚かなかったですよ。
それでも地球は回る...いや、今日も太陽は東から上る...
これは、勿論そういう真理を否定する、否定しても構わない、と言っているのではありません。
それは、やっぱり受け入れなければならないことでしょう。一応は。
だけど、日常的にいつも感じていることと、それは別のことだ、いうことなのです。
これも受け入れなきゃならない...というか多くの人は、“おお、段々空が明るくなって来た!、今日も日が上る“、と普通に感じて、何の支障も無く生きているのではないですか?
何でこんなこと書くのかというと、宗教や精神的な道ではこういうことが沢山あるからなのです。
例えば、神を熱心に信じていると言っても、神の実在のことは立証されてないので分からない。神に人格があることも分からないけど、私なんかも“神よ、主よ!“、と語りかけるように祈ったりします。
これは、何が立証、論証されようと、真理が解明されようと関係ないことなのです。
先のように否定し去ることじゃない!…神が実在しているように感じた、神と人格的な交わりがあるように感じた、そう感じたのならしょうがないことなのです。
それが自己自身と切り離されないような、実存的な意識状態から来るものなら、目の当たりに感じて疑うことが出来なくなるでしょう。
だからと言って、そのことを“これが絶対的な真理なんだ!“、と自分で信じ込み、外に向かってそれを主張したりするのは狂信、盲信であるのは言うまでもありません。
実存的な意識の事態は、自分の思いで信じ込むことでは無いのだから。
それを言うなら、地球が太陽の周りを回っているという真理も、そう言われているから信じているのでしょうけどね?
実存的な事態のことは、立証も論証も出来ないし、その必要も無い、全く自分自身のことであり過ぎることなのです。
そういう自分が居なければ、何を信じるとか、証明するということも無いのです。
又、信仰も科学的真理も変わることがあるけど、このことは、太陽がどこから上ろうが、地球が回ろうが変わることはありません!
だから、これが絶対的真理なんだ!...これがホントの真理の太陽なんだ!
ということは、私とあなたが感じていればいいことなのでしょう?!...
今日は暖かくなるかな?
すべてを照らす日の光、有難いな!...
しかし...太陽は、地球の周りを回っているのではなく、その逆であることは、子供でも知っている真理なのでした。
そう科学で立証されているのです。客観的事実とされる。だから受け入れなきゃならない!...いや、そう言うけど、本当に受け入れている人は何人居るでしょうか?
私は、本当に地球が太陽の周りを回っていると感じたことは一度も無いですよ!
そういう真理を初めて知った時、“ふ~ん、そうなのか...ちっとも知らなかった!“と思っただけでさして驚かなかったですよ。
それでも地球は回る...いや、今日も太陽は東から上る...
これは、勿論そういう真理を否定する、否定しても構わない、と言っているのではありません。
それは、やっぱり受け入れなければならないことでしょう。一応は。
だけど、日常的にいつも感じていることと、それは別のことだ、いうことなのです。
これも受け入れなきゃならない...というか多くの人は、“おお、段々空が明るくなって来た!、今日も日が上る“、と普通に感じて、何の支障も無く生きているのではないですか?
何でこんなこと書くのかというと、宗教や精神的な道ではこういうことが沢山あるからなのです。
例えば、神を熱心に信じていると言っても、神の実在のことは立証されてないので分からない。神に人格があることも分からないけど、私なんかも“神よ、主よ!“、と語りかけるように祈ったりします。
これは、何が立証、論証されようと、真理が解明されようと関係ないことなのです。
先のように否定し去ることじゃない!…神が実在しているように感じた、神と人格的な交わりがあるように感じた、そう感じたのならしょうがないことなのです。
それが自己自身と切り離されないような、実存的な意識状態から来るものなら、目の当たりに感じて疑うことが出来なくなるでしょう。
だからと言って、そのことを“これが絶対的な真理なんだ!“、と自分で信じ込み、外に向かってそれを主張したりするのは狂信、盲信であるのは言うまでもありません。
実存的な意識の事態は、自分の思いで信じ込むことでは無いのだから。
それを言うなら、地球が太陽の周りを回っているという真理も、そう言われているから信じているのでしょうけどね?
実存的な事態のことは、立証も論証も出来ないし、その必要も無い、全く自分自身のことであり過ぎることなのです。
そういう自分が居なければ、何を信じるとか、証明するということも無いのです。
又、信仰も科学的真理も変わることがあるけど、このことは、太陽がどこから上ろうが、地球が回ろうが変わることはありません!
だから、これが絶対的真理なんだ!...これがホントの真理の太陽なんだ!
ということは、私とあなたが感じていればいいことなのでしょう?!...
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