「私は元来宗教は嫌いだ。宗教家扱いされると私は癪にさわる。世の中に宗教家ほど憐れむべきものはない。時代錯誤の教典にしがみついて、やたらに戒律を強いる。人間には天賦的に、省みる、恥じる、悔いる、畏る、覚とるの霊能があるのに、その上何を必要とするのか。まるで人間を獣扱いにするのが既成宗教家である。...
天地を和め人心を安らかにすることの出来ない既成宗教は、勿論自然消滅するに違いないが、一刻も速やかに国家社会から除籍して、霊的にも体的にも力のある権威のある、人間に真生命を与えうる宗教が生まれなければいかぬ。」(出口王仁三郎/鳴呼既成宗教)
大宅壮一氏は、昭和六年亀岡の大本本部にて出口聖師を訪問しています。
知識人の筆頭のような?氏にとり宗教教祖との取り合わせは、必ずしも友好的なものとなる訳ではなかったようで、例えば大本の分派で、戦後大手新興宗教の一角を占めた、"お光さん"こと世界救世教の教祖からは名誉棄損で訴えられる事態にまでなったこともあったようです。
ただ、出口聖師に対しては「王仁三郎という男はどこかユーモラスで、おおらかで、人間的な魅力があった」と、実見した記者の多くが感想を漏らしたように、悪い印象は持っていなかったようです。
「これが一冊出来上がるまでには、一体どれくらいかかるんですか?」
「そうじゃな、三日か四日はかかるな」(i)
さすがのジャーナリストの神様も、聖師が力を入れているという、当時既に75巻まで刊行されていた、長編小説(霊界物語)のことを聞いて、どうしても「五十万首の歌にも驚いたが、今度は驚いたばかりでなく、信じられない」とならざるを得ませんでした。
この辺りのことはもう語り草になってることなので、私はさして驚かない?ですが、これには思わず"え~っ、そうなのi"となりました。
「いよいよこの怪物に向かって、最近の反宗教運動に関する意見を叩く機会をとらえることができた」と、氏は既に大本の宣教の裏に反宗教の匂いを嗅ぎ付けていたフシが伺われるのです。
「大本だって宗教の一種である以上は、反宗教の対象になるんじゃないですか?」
「いや、大本は決して宗教じゃない。...宇宙の大本を説いているのであって、現在ある宗教のようなけちなもんとわけがちがう」
これは、聞きようによっては"真の宗教は、大本のみ"という我田引水ととれる観方もないでもありません。
しかし、それが既成宗教の撲滅を、真の宗教の待望を叫ぶものだろうと、この時代の大本が繰り広げていたド派手な宗教的パフォーマンスは、宗教不要、反宗教理念を内に秘めた運動の一環だったと私は思います。それは聖師の「宗教が無くならなければミロクの世は来ない」という言葉から導き出されることです。
これは、空前絶後、珍無類の大経典、皇典古事記の真解(一体、どこが?あまりに軽妙、通俗過ぎててどうやって恭しく拝聴していいか分からない)「霊界物語」の発刊もその一環と観ることも出来ます。
その事は何よりも、その後の大本に待ち受けていた我が国最大の弾圧事件が物語っていることでしょう。
聖師は、宗教思想というものが具体的な変革へと向かう力学と結び付くことで、いよいよ危険視され、警察当局が色めきたつことを知って、どんどん運動をエスカレートさせていったのです。
そしてその昭和十年の壊滅的大本教事件は、何とその60年後のオウム真理教事件と裏表になっていることでしょうか?
オウムは宗教に偽装したテロ集団だった...まさか殺人ガスまで使役したとはi...かつて国家は、大本にそれを嗅ぎ付け、"ダイナマイト、竹槍を隠しているに違いないi"と検挙に踏み切ったが...全部ただの"匂わせ"だった...
平成になり、当局が容易にオウムに踏み込めなかったのは、大本に対して「治安維持法」を適応して、勇み足をした過去があったからでしょう。悪法を復活する訳には行かなかったのです。オウムはそれを隠れ蓑にしていたのでしょう。
このように大宅氏が、大本の宣教に反宗教を内包させていたということに着目していたのは、当時の衆目の観方だったのでしょうか?
それは一寸考えられません。そうだとすれば大衆は、真面目に反宗教パフォーマンスに参じていたであろう、一般大本信者よりも醒めていたということになるでしょう。
私には氏の発言はあまりにも唐突に写ります。ジャーナリストの神様には、裏面にあるものを見抜く洞察を持っていたということなのでしょうか?
それともジャーナリスト間などの一部には"裏側"の事情も知らされていたのでしょうか? もしや、皇室関係を揺るがす、聖師の出自にまつわる真相についても...?
いずれにしても当時の大本の新宗教運動には、真の宗教的有り様と、人心を"白痴化"させかねない、戦後の新興宗教の狂騒につながるような欺瞞性などが二重に写され、善と悪の二面性が示されていたことに思いを致すべきでしょう。
天地を和め人心を安らかにすることの出来ない既成宗教は、勿論自然消滅するに違いないが、一刻も速やかに国家社会から除籍して、霊的にも体的にも力のある権威のある、人間に真生命を与えうる宗教が生まれなければいかぬ。」(出口王仁三郎/鳴呼既成宗教)
大宅壮一氏は、昭和六年亀岡の大本本部にて出口聖師を訪問しています。
知識人の筆頭のような?氏にとり宗教教祖との取り合わせは、必ずしも友好的なものとなる訳ではなかったようで、例えば大本の分派で、戦後大手新興宗教の一角を占めた、"お光さん"こと世界救世教の教祖からは名誉棄損で訴えられる事態にまでなったこともあったようです。
ただ、出口聖師に対しては「王仁三郎という男はどこかユーモラスで、おおらかで、人間的な魅力があった」と、実見した記者の多くが感想を漏らしたように、悪い印象は持っていなかったようです。
「これが一冊出来上がるまでには、一体どれくらいかかるんですか?」
「そうじゃな、三日か四日はかかるな」(i)
さすがのジャーナリストの神様も、聖師が力を入れているという、当時既に75巻まで刊行されていた、長編小説(霊界物語)のことを聞いて、どうしても「五十万首の歌にも驚いたが、今度は驚いたばかりでなく、信じられない」とならざるを得ませんでした。
この辺りのことはもう語り草になってることなので、私はさして驚かない?ですが、これには思わず"え~っ、そうなのi"となりました。
「いよいよこの怪物に向かって、最近の反宗教運動に関する意見を叩く機会をとらえることができた」と、氏は既に大本の宣教の裏に反宗教の匂いを嗅ぎ付けていたフシが伺われるのです。
「大本だって宗教の一種である以上は、反宗教の対象になるんじゃないですか?」
「いや、大本は決して宗教じゃない。...宇宙の大本を説いているのであって、現在ある宗教のようなけちなもんとわけがちがう」
これは、聞きようによっては"真の宗教は、大本のみ"という我田引水ととれる観方もないでもありません。
しかし、それが既成宗教の撲滅を、真の宗教の待望を叫ぶものだろうと、この時代の大本が繰り広げていたド派手な宗教的パフォーマンスは、宗教不要、反宗教理念を内に秘めた運動の一環だったと私は思います。それは聖師の「宗教が無くならなければミロクの世は来ない」という言葉から導き出されることです。
これは、空前絶後、珍無類の大経典、皇典古事記の真解(一体、どこが?あまりに軽妙、通俗過ぎててどうやって恭しく拝聴していいか分からない)「霊界物語」の発刊もその一環と観ることも出来ます。
その事は何よりも、その後の大本に待ち受けていた我が国最大の弾圧事件が物語っていることでしょう。
聖師は、宗教思想というものが具体的な変革へと向かう力学と結び付くことで、いよいよ危険視され、警察当局が色めきたつことを知って、どんどん運動をエスカレートさせていったのです。
そしてその昭和十年の壊滅的大本教事件は、何とその60年後のオウム真理教事件と裏表になっていることでしょうか?
オウムは宗教に偽装したテロ集団だった...まさか殺人ガスまで使役したとはi...かつて国家は、大本にそれを嗅ぎ付け、"ダイナマイト、竹槍を隠しているに違いないi"と検挙に踏み切ったが...全部ただの"匂わせ"だった...
平成になり、当局が容易にオウムに踏み込めなかったのは、大本に対して「治安維持法」を適応して、勇み足をした過去があったからでしょう。悪法を復活する訳には行かなかったのです。オウムはそれを隠れ蓑にしていたのでしょう。
このように大宅氏が、大本の宣教に反宗教を内包させていたということに着目していたのは、当時の衆目の観方だったのでしょうか?
それは一寸考えられません。そうだとすれば大衆は、真面目に反宗教パフォーマンスに参じていたであろう、一般大本信者よりも醒めていたということになるでしょう。
私には氏の発言はあまりにも唐突に写ります。ジャーナリストの神様には、裏面にあるものを見抜く洞察を持っていたということなのでしょうか?
それともジャーナリスト間などの一部には"裏側"の事情も知らされていたのでしょうか? もしや、皇室関係を揺るがす、聖師の出自にまつわる真相についても...?
いずれにしても当時の大本の新宗教運動には、真の宗教的有り様と、人心を"白痴化"させかねない、戦後の新興宗教の狂騒につながるような欺瞞性などが二重に写され、善と悪の二面性が示されていたことに思いを致すべきでしょう。