人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

人間の幸福と原態

2024-05-11 09:57:16 | スピリチュアル
いつも言うように、人は誰しも幸福を求めて生きているのでしょう?
しかし、人生は中々そのように送ることが出来ないのも現実です。
昨日など仕事場で、パチンコ依存症の人と話をしていたのですが、“パチンコしていて幸せなのか?“、と聞いたら、まったくそんなことは無い、苦しいのだと言う。
“じゃ、やめたらいいでしょう“、と言ったら、やめられないから苦しいのだ、と言います。
私は“自分が心から幸せになれるものがあれば、そこに向き直ることが出来る、と言ったのですが、それが何か分からないのだ、とのことです。
このように、何が幸福か分からないという人は多いようです。
抽象的な幸福論はともかく、現実に幸福に感じているかどうか?...私はこのことがすべての人間存在、人間社会の有り様の根本にあるものと言っても過言でないと思います。
一人一人がそれを感じることが出来るなら、戦争も凶悪犯罪も抑えられ、地上天国が実現するのではないでしょうか?
このことが、争い、犯罪、その要因ともなる病的な心的状態などの根本的な抑止になり得るものだと思います。
それらのことは、世の中では悪いものと認知されていて、法、倫理がそれを抑制しています。
しかし、それではどうしてそれが悪いことなのかは、根本的には認知される、いや感じることがありません。
善悪の観念によるものを外側から規制する法、倫理でなく、直接的に内側に感知されるものを通してでなければ、根本的な抑制とはならないものでしょう。
“我々はその根本的なものを失ってしまったのか?、我々は本来から幸福に生きることが出来るのではなかったのか?
本来的幸福...ああ、人間が失ったものは、かくもとても大きいのか!...このものさえ、甦ったならば!...“
本来的ということは、元々我々に備わっているということであり、向き直ることが、取り戻すことが出来るということです。
パチンコ、酒、タバコ、セックスなど、依存症につながるものは、言うまでもなく、幸福でなく快楽のことですが、多くの人はこの快楽追求と同じように、本来的な幸福を失うことにより、幸福追求に駆られてしまうようです。
つまり今の幸福の欠乏感から、自分の外から幸福となるものを得ようとするのですが、そのように獲得するものは、その性質上失うものであり、こうした流転を繰り返すことになってしまうのです。
本来的幸福とは、それを得ることにより、自分が何かに到達することにより与るものではありません。それ以外の何かには置き換えることが出来ないのです。
例えば、朝起きたら幸福になっていた...良い夢を見たからなのかもしれないが、その記憶もなく自ずからそうなっていた、幸福自体が自分の中から突き上げて来るような感じ...(私だけか?)
いや、寝ていても、起きていても、歩いていてもそうなる...何かを得なくても、やらなくても...
これは、人間の根本的な在り方がそういうものだということなのでしょう。
ここに、一人間の個体だけで成り立っていない、思われた人間を超えたものと切り離されない人間の原態というものが見えて来るのではないでしょうか?




コメント
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