人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

幸福とゆだねること

2024-12-13 09:34:22 | 雑感
人間の幸福って何でしょう?
思うに、まず幸福であったのは、どういう状態だったのかをよ~く考え、感じてみたらどうでしょうか?
それは、何か無条件で何かにゆだねてしまう、休らいでしまうようなことではないでしょうか?
すやすや眠っている赤ちゃんなんかを見ていたら分かりますね。
だから当たり前の話、一個なる自分だけからは幸福になれないということなのです。
小春日和の時など、公園のベンチに座ってのんびりしていると、何かにゆだねるようになり、どっからか幸福感に満たされてしまいますね。
それは、暖かい日差しから来るものなのか、母なる大地に乗っかっていることから、空や草木や動物たちからもたらされるものなのでしょうか?
それも勿論あるでしょうが、そういう外的な要因だけでは説明のつかないものもあるはずです。自分の中からも、そういうものが込み上げてくるのを感じられるでしょう。
いや、自分の中も外もすべてそういうものに包まれているようではないか!
神というものを持ち出さなくても幸福というものは、自分を超えたものからもたらされていることは誰だって分かることでしょう。
幸福であることは、かくも自然な状態なのです。
だから、人間存在はそれのみから成っているのではなく、それを超えたもの共々が本来の人間の在り方ということが言えるでしょう。
その超えたものにゆだねていることが幸福な状態なのです。
人間は、“おぎゃあ“、と生まれた時から、何かにゆだねないと生きられないように、中からそう促されているように作られているのでしょう。
そして、ゆだねている時、自分の思いが解き放れているということに気がつくはずです。
しかし、夜になったりすると、暖かい日差しや大地や空などゆだねるものが無くなってしまうのでしょうか?
それで、寂しくなったり、不安に感じる人も多いかもしれません。
しかし、そういう時こそ、そのそういう要因だけでは、説明のつかない、あの感じのものがより強く感じられるようになるのです。それだけに意識が向けられてしまう、思いが自然に離れてしまう...より意識的な状態になって来ます。
ここでは、神とか現臨といったことには敢えて触れないようにしています。
あなた自身が現実にどう感じているか、ということだけが肝心なことなのです。
どう考えても、どう感じてみても、一コの自分だけで生きている、なんてのはどうかしているのではありませんか!
それでは、人間には自由意志があるというよりも、一コのイシころみたいなものじゃないですか?
今の私は、僅かの期間でしたが“あの感じ“を失い、そして失地回復して、こういうことを書かずにおれない気持ちで一杯なのです。
神を信じる人にも信じない人にも、道を極めた人(ネハンの人?、それともゴクドウ?)にも分かるように書いたつもりです…。
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