人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

そのままでいいことと受け入れること

2023-01-04 10:06:19 | 現臨、ハタラキ
前々回の“受け入れること“の補足のようなことなのですが、よくある誤解について触れてみます。
これは真面目?な性格なのか、私にも覚えのあることなのですが、例えば職場でパワハラとか受けていて、いい環境に恵まれてないのだけれど、それが今の自分の置かれた現実、立場なんだから甘んじて受け入れなければならない、とかそういうことを言っているのではありません!
ホントにつらかったら、場合によったら(言葉は適切でないかもしれませんが)、逃げるとか然るべきところに訴えるとかすればいいでしょう。
苦しいことをガマンするとか、全くそういうことじゃないのです。
又、受け入れることは現実に向き合うことではあるのですが、テレビのドキュメンタリーとかで陰惨な場面が出て来て、それが現実だからといって直視しなければならない、ということでも無いのです。アタシャ、イヤですよ!、正月からそんなのは!
つらいことをガマンしたければ、陰惨な現実を見たければそうしたらいいでしょう。イヤなら背けてもいい!
スピ界では”そのままでいい!”、何てことを言いますが、それはガマンすることである訳無いのです。又、それは後述する、やはり誤解されることですが、ダメで、バカな、悪い自分のままでいいのだけれど、ずっとそのままでいいって訳でも無いのです。
強い意志を持っていたからといって、“あの現実“を受け入れられるとは限らないし、弱ければ...こっちは得てしてそうなることが多いようです。つまり弱い自分を受け入れることで!
要するに、ここで力点が置かれていることは、自分をどうこうする、どう対処するかということでは無いのです。
どうこうするまでもなく、ありのままの自分の現実に意識的になる、意識を向ける...いや、もう、それだけで、ぱーっと、そこに何か自分を超えたものが開かれた感じになって来るではないか!
この思いを超えた神的な現実を受け入れるということに尽きるのです!
強い意志を持っているのなら、自分で何でも出来るんだから、こういうことは中々開かれないでしょう。
そんな他動的なことでは、人間の自律的な在り方はどうなんだ!、という向きもあるかもしれませんが、私には人間の、人間による、人間のための現代世界がこの先どうなるのか、テンデに分かりません!
又、そういう向きからは他動的に映るのでしょうけど、私はこの思いを超えたものにあって初めてそもそもの自分自身に会え、本当の自律的な在り方も生まれる感じがして来るのです。
何でも自分から思い、為そうとする在り方は、それに歪みが生じ、マイナスの方に傾いてしまったとしても自分では中々止めることが出来なくなります。分かっちゃいるけど止められない...
分かっているけど分かってない!...自分を超えたものにあって、留まることが出来るということが!...それがそのものを受け入れるということに他なりません!
私自身に即したことを言えば、不真面目?な性格からか、あんまり道徳倫理的な克己的な精神に欠けるところがあります。
しかし、あの現臨にあってどれだけ生来の無秩序な、暴走的な衝動が抑えられていることか!、今のところ...
それは、外からの強制から来るのではなく、多くは、中から本来性に帰るべくハタラく、あるものから来るのです。少なくとも私の性質は、こうしたものによらなければどうにもならないのです!
いやあ、人が何と言おうと、自分の本来性に帰るのが一番いいんだ!
何故って、分かりきってるでしょう!...そこに愛と安らぎがあるから...
ところで、書いてて思いますが...何が私の本来性なんだったっけ?
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